第8話 クリスマスとバレンタイン

 良い関係でいるためには、本音でぶつかりあえる仲がいい。そういう意味でユイとは長く続きそうだった。

 ユイと知り合ったのはバイト先のレンタルビデオ屋だった。店に来るユイはいつもイヤホンをしていて、色鮮やかな古着を組み合わせたまるで芸大生のような格好をしていた。後に分かるが、実際、芸大生だった。


 ある日、レジに立つ自分に向かってユイが勢いよくやってきた。

「あなたがおすすめしてた『ブルーバレンタイン』めちゃくちゃ面白かったです!」

 しかし、感想を聞かされても、自分は何のことか全く分からなかった。

 適当に相槌を打っていると、噛み合わない会話を不審に思ったのか、

「あれ? おすすめのポップ書いてましたよね?」

 と、言ってきた。自分は、

「ごめんなさい。全然知りません」

 と言うと、ユイは顔を赤くして出て行ってしまった。

 彼女がどういう勘違いをしたのかと不思議に思い、とりあえずその作品の陳列棚へ行くと、「店員のおすすめ!」と映画のレビューのポップが貼ってあり、そこには確かに自分の名前が書かれていた。しかし、それは『ブルークリスマス』という日本のSF映画についての感想だった。

「『UFOに遭遇すると血が青くなる』という奇抜な設定。宇宙人の侵略に怯える人間たちと、政府の策略が織りなす知的なSF……」

 レビューを書いたのは間違いなく自分だが、ポップを貼ったのは別の店員だった。その店員にユイのことを伝えると、やたらとウケていた。「ポップ間違えてましたよ」などと指摘するのが普通だろう、とその店員は言った。

『ブルーバレンタイン』はアメリカの映画で、ある夫婦の出会いと別れまでを描いた大人なラブストーリーだという。

 SFだと思って観たらラブストーリーだったことに違和感を覚えなかったのだろうか。自分は「面白い子やな」と思った。次会うことがあれば『ブルークリスマス』を勧めようと考えた。


 こうして自分たちは出会った。

 彼女は思ったことをはっきりと言う。感動したらそれを他人に伝えずにはいられない性格だった。自分も思ったことを割と率直に言う方で、それ故、喧嘩をすることもあったが、似たもの同士、お互い本音でぶつかれて、良い関係が築けていると思っていた。


 ある日、ユイの友達と会うことになった。ユイはちょうど大学を卒業し、デザイン事務所にデスクとして就職した時期だった。芸大時代の女友達とメールしている内に、各々彼氏を連れて飲もうという話になったらしい。

 自分は大層、嫌だった。どうやら自分以外は全員芸大の同級生らしく、友人同士は楽しいかも知れないが、全く知り合いがいない我が身になってみろと思った。

 それでもユイは、皆、芸大出身でサブカル好きだから話が合うだろうと言うのだ。

 確かにその頃の自分は、暇つぶしにCDや映画DVDをバイト先から手あたり次第に借りて、休日に観つくしていたので、多少はサブカルと呼ばれる物に通じているのかも知れないが、サブカルが好きな人のことはあまり好きではなかった。

 しかし結局、その集りに行ったのは、先週、ユイと喧嘩したせいだった。金がないせいで、料理が不味いうえに店員の質まで低い居酒屋に連れて行き、機嫌を損ねたユイと言い合いになったのだ。

「じゃあお前が連れて行けや!」

 年上の男からそんなことを言われれば、気分を害するのも当然で、自分は罪滅ぼしと思い、ユイの友人に会うことにした。


 大阪の堀江の繁華街にある創作居酒屋でその会は行われた。

 カップル3組が集まり、皆、自分に気を遣ってくれたおかげもあって、共通の話題である映画や音楽の話で盛り上がった。

 ユイは友人の中ではイジられ役らしい。時に過激な発言をするユイを、適度にからかったり、なだめたりと、大学4年間を一緒に過ごした人たちは、さすが扱い方が分かっているなと感じた。

 話題は次第に仕事の話になった。

 皆、自分より一つ下で、今年新卒入社した者が多く、フリーターの自分としては適当に相槌を打つくらいしか出来ない。

 と、皆の話に違和感を覚えた。ユイはデザイン事務所のデスクの仕事をしているはずだが、デザイナーとして働いているということになっていたのだ。

 自分は向かいのユイを一瞥した。ユイは決してこちらを見ることはなかった。

 思い返せば、集合場所に向かう時、地下鉄のホームで、

「知らない話があると思うけど、適当にあわせて」

 と言われていた。

 てっきり、大学の頃のイタい話が暴露されることに予防線を張っているのだと思っていたが、ユイの「デザイナー」の話を聞いて、そういうことかと合点した。


 飲み会自体は無事終わり、自分でも意外なほどに皆と意気投合して「また飲みましょう」と解散した。

 ユイと二人、千鳥足で御堂筋を歩いた。ユイは飲むと、おおげさに酔ったフリをして振る舞うところがあった。

 自分も今晩は楽しくなり、何故かどうしてもおんぶして貰いたくなり、ユイの背中に飛びついたりしていた。

 その調子で先ほどのデザイナーのことをからかってみたが、ユイは酔った様子でごまかそうとしてきた。自分は面白がって、更にしつこく迫った。

 すると突然、ユイはその場でしゃがみ込んで嘔吐した。慌てて、近くの自販機で水を買おうとしたが、ユイはそれを制止し、

「ごめん。今日は帰る」

 と、タクシーを捕まえて、行ってしまった。


 ユイは自分の本音を他人に伝えずにはいられない性格のはずだった。だから、ユイのことは全部分かっているつもりだった。

 大学4回生時、ユイは今の事務職に就職が決まった時、喜んでいたし、働き出しても充実感を感じているようだった。だが、それは周囲へのポーズで、学生時代の友人と比べて、コンプレックスを抱いていたことなど知らなかった。

 それを機に、よりユイのことを理解しようと努めたり、本音を知ろうと腹を割って話し合いをすることも出来ただろう。だが、自分には勇気がなく、出来るだけこの件には触れないように努めた。その時はユイもそれを求めている気がしたのだ。


 しかし、そこから自分たちのバランスが崩れていった気がする。

 二人の中で、結婚や転職など将来に関わるような真剣な話をしにくくなって、よりその場しのぎの楽しさばかり求めるようになった。

 ユイはその後、何度か社内試験を受けていたが、自分がそのことに触れることはなかった。そして、ついに試験に受かることはなく、友人とも疎遠になっていったようだった。


 お互い本音で話していると思い込んでいた。率直に言いたいことを言い合えてきたつもりでいたが、それは答えが事前に分かっていることに対してだけだった。相手も自分も分かってないことや、どうしようもないことには触れずにいたのだ。


 別れる直前、二人で居酒屋へ行った。ユイの転職が決まり、そのお祝いだった。転職先はデザインとは全く関係のない会社だった。

 その頃はなんとなく、自分たちがこれ以上長く付き合うことはないだろうと感じていた時期だった。それくらい連絡頻度も会う機会も少なくなっていた。

 久しぶりに二人で飲んだ。気まずさもあったのか、ユイはかなり酔っていた。

 帰り道、御堂筋を歩いていると、

「やりたいことがあるのに、どうにもならへんとか悔しいって思うことってある?」

 と、聞いてきた。

 ユイにとって、デザインの仕事のことなのだろうか。やりたいことがあるのは羨ましいが、自分にはそもそもやりたいことなどないから悔しいと思うこともない。そう言うと、

「私はそっちのほうが羨ましい」

 と、ユイは言った。

 自分たちは似たもの同士だと思っていたけど、全然違っていた。

「俺らってバレンタインとクリスマスぐらい違うな」

 気を利かした冗談のつもりだった。

 ユイは気まずそうに笑った。実はブルークリスマスを観ていないと言う。自分もそういえば、あの時ユイが感想を伝えてくれたブルーバレンタインを結局途中で寝てしまい、観れていなかった。そう白状すると、ユイは大きく笑った。初めて本音で話せた気がした。

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