第6話 友の残骸

 伯父から高校進学すら渋られたのだから、大学に進学する気は毛頭なかった。勿論、学費の問題は大きかったが、受験勉強にもがく周囲を見ると、到底付いて行けそうになかった。就職する人たちも半数程度いたが、なんとなくその気も起きなかった。

 とはいえ、このまま奈良の片田舎で、何の考えもなしに過ごすのも不安だった。しかし特に熱を注げる物もない。

 思えば、今まで一生懸命になれたことは、イジメられないように逃げることだけだったのだと気付いた。逃げ足だけが逞しくなったことに情けなく思うのだった。


 高校在学時からレンタルビデオ屋でアルバイトしていたので、卒業してそのままフリーターとなった。

 ある夜。店員の間でとある噂が流れた。

 深夜、2時から3時の間に、18禁コーナーの一角で自慰行為に耽る男性が現れると言うのだ。

 監視カメラで目撃した店員が慌てて注意しに行こうとするも、既に男は忽然と姿を消し、現場には精液のみが残されていたという。

 そんな不気味な噂がまことしやかに囁かれた。面白半分、犯人の正体を皆で明らかにすることになった。


 男は毎晩来るわけではなく、水曜と木曜に出現するようだった。

 次の水曜の深夜、皆どこかそわそわしていた。男性客全員をそういった目で見てしまい、店員同士視線を合わせ、隠れて笑ったりしていた。

 と、アナウンスが流れた。

「5番レジお願いします」

 これは、店員間で共有された犯人が現れた時の合図だった。皆、一斉にバックヤードに集まり、監視モニターを覗いた。

 モニターには、18禁コーナーの一角にいる男の後ろ姿が映し出されていた。どうやら、AVのサンプル映像が流れる小さなモニターを見ながら、行為に及んでいるらしい。

 女子店員はモニターを凝視したまま「最悪ー」「キモー」と言い合い、男子店員は声を上げて笑った。

 しばらくすると、男は行為を終えたのか、局部をしまい、歩き出した。

 その横顔を見て、自分の顔が引きつるのが分かった。

 金村啓治だった。

 高一の時、仲間内でハブられ、退学したあいつだった。


 自分以外の店員はよく顔を見ようと出入り口へ向かったが、間に合わなかったらしく、残念そうに戻ってきた。

「明日にでも注意して止めさせへんとな」

 と、ふと自分の責務を思い出したのか、バイトリーダーが言った。自分は「そうですね」と上の空で相槌を打った。犯人が友達だなんて言えるわけがなかった。


 現場には精液が残され、ジャンケンで負けた自分が処理することになった。誰のか分からない精液を処理するのなんて気持ち悪いと思っていたが、誰のか分かったものを処理する方が胸糞悪かった。

 床を拭きながら考えていた。噂通りであれば明日にも来るはずだ。

 金村が自分のことに気付いたら、声をかけてくるかもしれない。それを他の店員に見られるのだけは防ぎたかった。


 翌日の深夜。またアナウンスが流れた。

「5番レジお願いします」

 自分は理由をつけて、監視モニターに集まる輪に入らなかった。

 リーダーは今日こそ注意しようと言っていたため、犯人に声をかけるなら一番年少者の自分が行かされると思った。自分はレジで釣り銭の補給などをすることにした。

 しばらくすると、バックヤードから一斉に店員たちが出てきて、バタバタと出入り口へ向かっていった。想像したくないが、金村が「果てた」ということだろう。店内が一気に忙しなくなり、自動ドアが開く音が聞こえた。

 金村は捕まったのだろうか? レジから首を突き出し、出入り口を覗き込んだ。店員たちは外に出て、四方を見渡している。レジからは詳細が見えず、気になって出ようとした。が、「すいません」と後ろで声をかけられた。振り返ると金村がいた。

 ホラーだった。

 金村はレジ上にAVを5本出して会計を待っている。

 金村は自分に気付いてない様子で、伏し目がちに、

「当日返却で」

 と言った。

 一発抜いた上に更にAVを借りる性欲も信じがたかったし、5本ものAVを当日返却するのも理解できなかった。

 外から戻った店員らは、金村の後ろから自分を見てにやにやと笑っていた。

 このまま金村が自分に気付かずに会計を済ますことが出来れば、ことなきを得るだろう。しかし、その思いは叶わなかった。

「あれ……お前……」

 金村は自分に気付いたようで、一気に旧友と再会したテンションで自分に接してきた。

 自分には、自慰行為の件以外にも、金村に会いたくない理由があった。金村は自分を含む仲間にはぶられて退学した。自分はそのことに罪悪感を持っていた。

 ただ、この場に関しては、当たり障りなくやり過ごしたかった。

 しかし、金村も同じように自分に対して後ろめたい気持ちがあるようで、さきほどまでの笑顔から一転、神妙な面持ちとなった。

「あん時の俺、最悪やったよな・・・」

 学園祭後のコンピューター室でのことを言っているようだった。

「ずっと悔やんでて、お前に謝罪せえへんとって思っててん」

 金村も後悔していたようだった。

 多少は心のほつれがほどけた気もしたが、後ろで含み笑いをしている店員の顔を見て、我に返った。

 手短に、俺も悪かったと殴ったことを謝って、その場は収集をつけたかったが、金村は自分と和解したことで胸が熱くなったかのようだった。

「俺らって高校で最初に話した同士やん。やっぱ俺らって親友やな」

 金村は目に涙を溜めていた。

 自分はただただレジを打った。

「なんか恥ずかしいところ見られたな」

 会計を済ますと金村は苦笑いをし、AVをそそくさとリュックにしまったが、自分はもっと恥ずかしいところ見ているなどと言えるわけがなかった。

 後ろでは、店員たちがより一層色めき立っていた。自慰行為の犯人が自分の親友だったとはしゃいでいた。


 金村に行為のことを注意することはなかった。さすがに友人がいる店舗で行為をすることは気が引けたのだろう。その後も週の半ばに店に来て、18禁コーナーに入っていくのは何度か見たが、行為に及ぶことはなかった。


 夜勤を終えて、駅に向かおうとすると、金村が自分を待っていた。

「ちょっと飲もうや」

 かつての同級生たちは、大学の新歓コンパなるもので飲み屋に入り浸っていると聞いていた。金村も居酒屋に連れて行ってくれるのかと思ったが、駐車場の車止めに腰を下ろして缶ジュースを飲む、ということらしかった。

 金村は自販機で買ったリアルゴールドを開けると、近況を尋ねてきた。

 自分は何も考えず、フリーターをしている旨を伝えると、

「お笑いせえへん?」

 と金村は言った。

 どうやら金村はお笑い養成所に通っているらしく、相方を探しているようだった。

 金村に笑いのセンスがあるとは思えなかったが、その気持ちを見透かされたのか、金村は習いたてであるのだろうお笑い理論のようなものを矢継ぎ早に喋り出し、お笑いに通じているアピールをし始めた。

「お前が学園祭で書いたネタ。パクリや言うたけど、オリジナルのとこもあって、正味、おもろかった。才能あんで」

 朝日が昇り、あたりを照らし始めていた。

 コンビを組むのも悪くないと感じた。

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