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 実家と親戚の家は、働かざる者食うべからずの環境だ。


 庭で採れた果実の皮を剥いて、午後3時のおやつとして湯呑みに淹れたお茶と一緒に提供してくれる心優しい祖父ですら、アルコールを飲むとその思想の片鱗が現れる。


 実家の玄関先には、真っ白な毛色をした芝犬の雌が、鎖付きの首輪を付けられ飼育されていた。定番の名前で、ポチと名付けられている。

 アルコール中毒の祖父は、飲酒日の管理を行う家族の目を盗んでは禁酒期間であろうと酔っぱらうので、そのときが最も祖父の心の闇に触れやすい。尤も、触れたくもない深淵だが。

 泥酔した祖父は、玄関前の年季が入った床タイルに寝転がりながらポチを頻りにぶっ叩いては同じ文句で愚痴る。そんな日は大抵、人の基準で労働者という概念に当てはまるはずもないポチに餌は与えられていなかった。


「何もしてねえお前を飼ってやってるのは俺なのに、なんで一向に懐かねえんだ!」


 懐かないのも当然だ。酒に酔うたび、長いときは半日近くポチを殴り叩いているのだから。


「いつも散歩もしてやってるのによぉ!」


 散歩中も、酔っていれば道端で寝転んで散歩を中断するような人だ。祖父が握りしめていた鎖をアルコールによる睡魔のせいで手放すたび、祖父から逃走したポチの目撃情報が同じ部落住みの住人づてに僕のもとまで宛てられる。

 ポチは、怒鳴りも叩きもせず自分を愛でるために撫でてくれる僕にえらく懐いていた。そのおかげで、逃走したポチを捕まえる役割を家族から振られてもあまり苦労せず済んだ。

 酒に酔っているときだけは、ポチと絡む僕を見た祖父が珍しく僕に向かって嫉妬の恨み節を吐き連ねるので複雑な心境に陥る。


 色んなことに疲れた時期の僕は、寝床から起き上がるのも毎日つらくてたまらなかった。


 その時期に、僕が親戚と実家の人びと皆から食事を許されず水だけで過ごす人となったのをよく覚えている。祖父が連日酔い続けた日に何度も見慣れた、餌を与えられずに水桶の水だけ舐めて過ごすポチみたいに蹲って過ごすのだ。


 窓の外で蟋蟀と鈴虫の声が鳴り響いていた。


 成り行きで1週間近く絶食して感じたのは、行動に必要なエネルギー摂取を許されない環境なのに、適切に食事を行えていた時期と同じ作業や勉強の質を求められる理不尽さ。

 その理不尽さを家族以外に主張しても誰も納得してくれない期間が、小学と中学の在学期間に続いた。


 同時期に、僕の父の姉に当たる叔母が、親権を自分の離婚相手に奪われて住むところも働くところも失って実家に出戻りして罵倒されているのを父から見せつけられた覚えがある。

 僕は、それを将来もし自分も離婚して実家に戻ることがあれば、同様に扱われるのだろうかと周章狼狽しながらも家族が誰も見ていない隙間時間で叔母にぼだっこ入りのおにぎりを作ってあげた。

 家訓もあって、叔母は最期に大好物の食事を許された罪人のように泣きながら「お前は優しいな、ありがとうな……」と僕の体を抱きしめてきたが、この行いが普通なのか優しいのか自分でも区別が付かない僕は、「叔母さんのことが好きだから作っただけ」と返した気がする。

 こんな生活が、ずっと続くのなら億劫だ。


 自分が生まれつき、この家にいるのに厳しい家訓に染まりきっていないのが不思議だった。家族と確かに血は繋がっているはずなのに、僕と他の家族のあいだには、脳の根幹から疎外感が発生している。


 しかし幸い、地元から車で約2時間ほど移動に手間のかかる地域での高校生活が始まってからは、周囲の人の思考がだいぶ変わった気がする。

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