第7話

 ルシオが来た次の日、フランソア侯爵家のシャルルという令嬢から私に挨拶がしたいから是非遊びに来てくれという招待をもらった。ギルの従妹にあたるそうで、幼い頃から仲が良いらしい。

 シャルルの年は十歳とリヒトと近いので、私は彼も連れて行きたいとギルにお願いした。ギルは文書で、三人で行くと答えてくれた。


 ある日の昼下がり、リヒトにシャルルから招待が来たこと、三人で行くことを告げる。

「ねぇ、リヒト。シャルルって子は、貴方と年が近いそうよ。友達を作る良い機会になるかも」

 そう言うと、彼は読んでいた本から視線を外し、やけに暗い目で言った。

「友達とか……僕はバーバラ様さえいれば良いです」

 ぶっきらぼうに言う彼の頭を私は優しく撫でながら聞いた。


「まだ婚約の事、怒っているの?」

 リヒトは私とギルが交際を始める事は何も言わなかったが、婚約をすると言った時はひどく怒ったのだ。まだ早いじゃないかと。その時は私が宥めたからおさまったけど、彼のギルに対する嫉妬心は根深い。

「怒ってはいません。ただ納得していないだけで……」

「まだ婚約する時期は決まっていないし、リヒトが納得するまでは進めないよ。私だけいればいいっていうのも嬉しいけど、それではリヒトの為にはならないわ。貴方には可能性がある。だからもっと広く世界を見て欲しいの」


 私はそう言ってリヒトを抱き締める。彼には時間が必要だ。リヒトの心の整理がつくまで、私は籍を入れないつもりである。決して、リヒトを置いてきぼりにはしない。この気持ちが伝わるまで私は待つと決めた。


 招待された日になり、三人でフランソア侯爵邸へと向かうと、出迎えてくれたのは白く長い髪に、透き通った水色の瞳を持つお人形のように可愛らしい少女だった。何故かは分からないが、どことなく、リヒトに似ている気がすると思った。

 どうやら両親は旅行で居ないらしく、屋敷には彼女だけらしい。まだ幼い彼女だけ広い屋敷に残されるのも可哀想だなと感じるが、よく知らない者が他所の家庭に口を出すことは余計なお世話になってしまうかもしれない。私は気になる気持ちを頭の片隅に置いて、シャルルに目を合わせる。


「初めまして、私はバーバラ。この子はリヒト。お会いできて嬉しいわ、招待してくれてありがとう」

 貴族式の挨拶を交わすと、シャルルは妙に冷めた目で私を見る。大人びた様子だと感じた。

「どうぞ、待っていたわ」

 彼女はくるりと踵を返すと、無言で私達を案内する。


 もしかして人見知りなのだろうか。あまり歓迎されていないような気がするのは気のせいだろうか。なんて考えていると、シャルルが満面の笑みを浮かべてギルと楽しそうに会話をしている。やっぱり人見知りなのかも。


 私が上の空だと気付いたのか、シャルルは無表情でこちらを見る。

「わたし、“水流古箏”を演奏できるの」

 彼女は傍に控えていた侍女に指示すると、立派な箏を運ばせた。年季が入っているのに保存状態がとても良い。きっと大事にしているのだろう。


 シャルルの細い指が箏の上をあちこち動き回る。その様子はまるで妖精が踊っているのかのような軽快さ。息をするように美しい音色を奏でるシャルルに、ギルは上手になったねと声を掛けた。彼に褒められて嬉しそうな顔をするシャルルは、大人びていてもやはり少女である。


「弦が多くて譜面も複雑だから演奏するのがとっても難しい楽器なのよ。水が流れるようにずっと手を動かさないといけないから水流古箏。バーバラには出来ないかしら?」

 にやりと笑うシャルル。これは彼女からの挑戦状だ。私の事を呼び捨てにしたのは置いておくとして。呼び捨てにしたのもわざとだろうが……。立ち上がり、彼女に許可をもらう。

「弾いてみても良いかな?」

 彼女は出来るわけがないだろうという顔で頷いた。顔に出やすいなぁ、この子。


 私は彼女と同じように弦を弾く。確かに水流古箏は貴族令嬢でも演奏できる人は限られている。普通の令嬢はそこまで極めなくても、ある程度の楽器を嗜む程度に演奏出来れば良い。だが、私は幼少期より王妃教育を施されてきたのでこのような難しい楽器も習わされていた。


 私が演奏できると知らなかったのか、シャルルは顔を真っ赤にして見ていた。透き通る水色の瞳に大粒の雫を浮かべて。

「わたしより上手じゃない……! 悔しい!」

 まぁ王妃教育を受けて来たからね、とは言えず私は苦笑いを浮かべる。


「でも、その古箏がどれほど貴重なものかあんたに分かるかしら。そこらにある水流古箏とは格が違うなんてさすがに知らないわよね」

「楽器作りの神様と呼ばれたヴィヴィルデンテの作品でしょう。世界で五台しかないうちの一台だわ」

「見ただけで分かるなんて。しっかりと教育を受けた令嬢でもそこまで分からないのに」

 うわ、ものすごく悔しそうな顔をしている。彼女の教育係が見れば注意しそうなほど、顔を歪めている。相当な負けず嫌いなのかな。


 でも、十歳でこんな難しい楽器を演奏できるなんてすごいと思う。演奏家を目指す人で専門の学院に行って習うくらいなのに。

「こんな価値のある楽器を十歳なのにとても上手に演奏できるのね。音楽の女神かと思うくらいだわ」

 手放しで私はシャルルを褒めた。下心があったわけではなく、彼女には才能があると心の底から感じたからだ。


「えっ……ほんと? あんたは意外と良い人なのかもね」

「意外と?」

 意外とはどういうことなのだろうか。意地悪そうに見えていたのだろうか。まぁ、小説の悪役ではあるからなぁ。


「バーバラ、庭を少し見て回りませんか? フランソア侯爵夫人は薔薇の栽培に力を入れていて、ここの薔薇園はとても美しいのですよ。シャルル、見て回っても良いですよね?」

「はい、ギル兄さま」

 ギルが気を遣ったのか私を誘ってくれた。彼はリヒトに目配せしながら歩き出す。シャルルと話をするように促しているのだろう。私もリヒトの方を見て片目を閉じて見せた。


 ◆ ◆ ◆


 シャルルとリヒトの二人だけになったことを確認すると、リヒトは冷たい視線をシャルルに向け、ぴしゃりと言い放った。

「バーバラ様に手を出したらただじゃおかないぞ。先程の無礼な態度は目に余る」

 すると、シャルルは鼻を鳴らし、見下すようにして言う。

「あんたはバーバラの何なの?」

 二人の間に火花が散る。


「様をつけろ。……あの方は僕の恩人だ。どんな出自でも分け隔てなく接してくださる」

「ふうん。わたしの演奏技術の凄さを分かったのは、あの人くらいだから人柄はまぁ良いんじゃないの」

 シャルルがそっぽを向いて答えると、リヒトは目を輝かせて言う。

「だろう、素晴らしいんだ! バーバラ様の凄さが分かるなんて君は優秀だな」

 優秀だと褒められて嬉しいのか、シャルルの頬は緩む。


「あんたとは気が合うかもね」


 シャルルとリヒトの間に歪で奇妙だが、絆が芽生え始めている……のかもしれない。


 ◆ ◆ ◆


 フランソア侯爵邸に遊びに行った一週間後、今度はルシオの祖母にあたるアンティーク公爵夫人から、私達全員に舞踏会の誘いが来た。薄々感じてはいたけど、ギルと交際を始めてから色々な人に会う機会が多い。これも彼の人脈の広さなのだろう。


 だが、アンティーク公爵夫人の舞踏会に参加となると、アイツがいるはずだ。

 あまり乗り気ではない私にギルは言う。

「君が私の恋人だと知らしめるのに、いい機会だから参加しませんか。普段も美しいですが、着飾ったまた違う美しさを持つ君を見てみたいのです。駄目かな?」

 なんてイケメンに上目遣いされてお願いをされたら了承するに決まっている。


「行こうか、ギル」

「ありがとうございます。嬉しいですね、君が私の隣に立つ事を想像すると。ドレスは新調しましょう。装飾品は、もし良ければこれを使っていただきたいのです」

 ギルが見せてきたのは、目を引く深い青色の宝石が嵌った首飾りだ。

「これは?」

「私の亡き母が父との結婚式につけていたものです」


 ギルは、言いながら大事そうに首飾りを手に取り、私の首に飾る。満足そうに眺めた後、頷きながら言う。

「うん、やっぱりよく似合う。さすがは私の恋人だ。君も思うだろう、リヒト?」

 彼は私の後ろに向かって声を掛ける。振り返ると、柱の陰に隠れるようにして、私達のやり取りを見ていたらしいリヒトが、ばつの悪そうな顔で出てきた。


「リヒトも私の息子だから舞踏会に参加しよう」

 ギルは笑顔を浮かべて言う。息子だとさらりと言ってのけた彼は、いつもの飄々とした態度を貫いている。

 リヒトは気まずそうに立っていたが、私の顔を見ると頷いた。


 舞踏会当日、知り合いが多いギルは会場に入った途端、色んな人から声を掛けられた。まずは、舞踏会の開催者アンティーク公爵夫人に三人で挨拶に向かう。

 アンティーク公爵夫人とは、元親戚という関係だが、彼女は私とリヒトを笑顔で歓迎してくれた。

「バーバラ、あたくしの孫がすまないことをしたね。今度は幸せになるんだよ」

 アンティーク公爵夫人は、皺だらけの手で私の手を握り締めて言ってくれた。夫人の隣に立つルシオを見ると、気まずそうに視線を逸らしていた。

 貴様お祖母さんにこんなこと言わせるんじゃないわよ、と怒鳴ってやりたかったが、口が裂けても言えないので念を送るつもりで睨みつけた。


 ふと、ルシオの隣に立つまだ少女の面影を残した女性を見つける。この間、言っていた縁談の話がある公爵令嬢なのだろう。今度こそは妻を幸せにして欲しいと心の隅で思う。


 アンティーク公爵夫人へ挨拶が終わると、早速ギルに話し掛けてくる令嬢がいた。

「ギルバード様、そちらの方は?」

 まずは私に挨拶をすべきなのだが、この令嬢、私を一瞥して何も言うことなく、ギルへと話し掛けている。見たところ、社交界には慣れているようなのでこの無礼は意図しての事だろう。一応、元王妃だぞ私は。権力を盾にするつもりはないが、元王妃と知っての態度なのか。随分と舐められているな、と私は心の中で笑った。


「これは、スタンディ伯爵令嬢。こちらはバーバラ、私の未来の妻です」

 スタンディ伯爵令嬢は、私の頭のてっぺんから足の先までじろじろと見ると、心の底から納得出来ないというような顔でギルに詰め寄る。


「どうして私を選んでくださらなかったの、ギルバード様」

 いかにも悲劇のヒロインというように、目に涙を溜めてギルに訴える。

 それにしても、恋人である私の前でよくそんな事が言えるな……。肝が据わりすぎていて怖い。


「それに……こちらの御方は、国王陛下の元お妃様ではありませんか。離縁したばかりとお伺いしましたわ」

 君、やっぱり私のこと知ってたな。わざとだったのか、その態度は。気が強いのは長所にもなるが、敵を多く作り過ぎるぞ。なんて言いたいが、口走ってしまったら説教おばさんになってしまう。


 ギルはそんな彼女に笑みを浮かべながら淡々と会話をする。

「私が愛しているのは彼女ですから。それ以外の理由なんてありますか?」

 これは強烈な一撃だ。好きな人にこんな事を言われたら、私だったら泣き出してしまう。


「私の方がこの人よりも若いのに! 容姿だって優れています」

 本人を目の前にして言える自信が凄い。肝が据わりすぎて地面にめり込んでいるのではないだろうか。

「年齢なんて関係ないですし、どうせ貴女もいつかは老いますよ。若さが取り柄だなんて今だけですから、中身を磨いてみては?」

 ギルは食い下がろうとするスタンディ伯爵令嬢を一刀両断にする。


 さすがに彼女もこれ以上は何も言えなかったらしく、泣きながらその場を後にした。


「あの人――ベロニカ・スタンディ――、昔からギル兄さまにご執心だったのよ。しかも、あの人の父親は娘に甘くて。住んでいる屋敷が古くて嫌だからって言っただけで、新しく屋敷を建てたくらい子煩悩なのよね」

 伯爵家如きの資金でそこまで出来るのかしら、と毒を吐きながらやって来たのはシャルルだった。まだ社交界デビューしていない年頃だろうに。

「貴女も来ていたのね」

「当然よ、フランソア侯爵家の娘だもの。まだ結婚は出来ないけど、婿探しと将来の為の人脈作りで早めに来ているのよ」


 まだ十歳なのに大人顔負けである。

「ま、わたしに釣り合う殿方なんてそうそう居ないと思うけど」

「シャルルは可愛いものね」

 私がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にした。

「可愛い!? あ、あんたにはわたしの良さがよく分かるのね!」

 怒っているような言い方だが私には分かる。照れ隠しだと。


「可愛いし、教養もあって、品がある」

 追い打ちをかけるように褒めると、シャルルはこれでもかというほど顔を赤くする。

「ほ、褒めても何も出ないから!」

 シャルルは叫ぶように言うと、走って逃げて行ってしまった。

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