第二章

第6話

 寝台に寝そべる一人の少女がいる。美しい白い髪に透き通るような水色の瞳。美しいのに生気が感じられない。目は虚ろで視点が定まっていない。


「今、何て言ったの? ギル兄さまが近々婚約するですって……?」

 顔を引き攣らせながら少女は女中に問う。

「えぇ、お付き合いをされている方がいらっしゃるそうですよ」

 女中の言葉に少女は絶句する。


「わたしのギル兄さまと付き合うだなんて許せない……恥をかかせてやる」

 虚ろな少女に瞳に生気が宿った瞬間だった。


 ◆ ◆ ◆


 ギルに想いを告げられてから、私達は結婚を前提に付き合うことになった。

 彼は宰相を辞めた後、公爵家の仕事を主に行っている。年老いた現在の当主がそろそろ隠居したいと言っているからだ。


 私はというと、リヒトと旅をしようと思っていたが、ギルから『少しでも傍にいたい』と言われ、一旦リヒトと共に公爵家の居候となっている。ちなみに、当主は私達をすごく歓迎してくれて『ここを自分の家だと思って過ごしてくれ』とまで言ってくれた。ちなみに、当主はもう別荘に引っ越しているので、公爵邸には私、ギル、リヒトしかいない。


 だが、今日はいつもの顔ぶれではなかった。客間に私が会いたくない人物がいる。

「国王陛下、お久しぶりですね」

 私はわざとにこやかな笑みを浮かべてルシオに話しかけた。彼は気まずそうに目を逸らす。

「あ、あぁ……君も変わらないな」

 ルシオが話した後、沈黙が訪れた。

 いや、何か言えよ。何しに来た、貴様は。なんて言いたくなるのをぐっとこらえる。


「ルシオ、今日はどういう用件ですか?」

 私の隣に座るギルがルシオに話題を振る。ルシオは少し安堵した表情を浮かべた。

「ギルに手伝って欲しい事があるんだ。本当は宰相として戻ってきて欲しいのだが」

 そう言うルシオは見るからに疲れた表情をしている。顔色は悪いし、目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっていた。あんまり眠れていないのだろう。


「愛しの人との時間を取りたいから多忙すぎる宰相には絶対戻りませんよ。仕事よりバーバラとの時間が大事ですので」

 ギルは言うと私の肩をぐっと抱き寄せる。彼はいつもこんな感じで私にベッタリなのだ。ルシオに見せつけてやろうと私は大げさなくらいに照れてみる。すると、ギルは私の頬に手を添え、じっと見つめてきた。


 私はちらりと横目でルシオを確認する。ほうほう、気まずそうに私達から目をそらして茶を啜っているわ! よし、そのまま帰れ!


「ちなみにどういう用件かだけは聞いておきましょうか」

 ルシオの頼みを聞くだけ聞いてみるというギルの優しさ。お前がしっかりしていないからだぞ、と私はルシオに念を送るつもりで睨みつける。

「人攫いが出てきている」

 私は息をのむ。この国では人身売買は禁止されているからだ。

「最初は孤児、貧民街の住民、平民ときて男爵家の令嬢など貴族階級にまで手が出てきている。今のところ、貴族の子女には身代金を要求して解放しているが、早急に何とかしないと俺の面子が潰れるだけじゃなく、政権転覆を狙う輩が俺を引きずりおろそうとするだろう。それと、数日前にルース男爵家の令嬢が誘拐されてまだ見つかっていない。ギルの情報収集能力と人脈を使って解決したいんだ。身勝手なお願いだとは分かっているんだが、俺の首が飛んでしまう」


 ルシオは深々と頭を下げる。彼は嫌いだが、さすがに首まで飛べとは思わない。何とかしてあげたいという気持ちは――限りなくゼロに近いが――、無くはない。

「現在、分かっている情報は、人攫いは『ダタライ密輸団』というらしい。最初は盗賊団だったようだが、荷馬車を襲っていたのを、女子供を攫って他国に売り飛ばす方向に変えているようだ。密輸団を叩けば良いんだが、彼らに資金提供をしている存在があるようで、そこを捕まえないと同じことの繰り返しになる」


 つまり、黒幕ごと捕まえたいということだ。

 ギルは少し考えこみ、ルシオに言う。

「バーバラとの時間を大切にしたいが、愛しの人に魔の手が伸びてしまうのは困るな。微力ながら手伝いましょう」

 彼の言葉にルシオは、パッと顔を輝かせる。

「助かるよ! 二人は本当に仲が良いんだな。俺と離縁してからギルと婚約すると聞いたときは驚いたよ」

「離縁してから交際していますので、変な誤解はしないようにしてくださいね」


 このアホにちゃんと事実を伝えておかないと。誤解されては困るので私は釘をさす。何が二人は仲が良いんだな、だ。ルシオと婚姻関係があった事は私の中で黒歴史になっている。


「私はルシオに嫉妬していますけどね。バーバラに隅々まで触れていたと思うと、幼馴染でも斬ってしまいそうです」

 柘榴のような瞳をルシオに向けるギル。彼からは殺気が感じられる。ただ、ギルの誤解も解いておかないといけない。

「私達、夫婦生活無かったのよ」

「そうなんですか?」

 きょとんとするギルは、ルシオにも視線をやる。彼は気まずそうに頷いた。


「結婚してから一度も夜を過ごした事はなかったの。だから宮廷では悪口を言われていたわ」

「それはすみませんでした」

 と今更謝る男ルシオ。遅すぎる男、ルシオ。


「じゃあ、君に触れる最初の男になれるのですね。光栄なことだ」

 ギルはそっとすくうように私の髪を手に取り、口づけを落とす。

 彼の愛情表現を気まずそうに見ていたルシオは苦笑を浮かべ、

「じゃあ頼んだよ」

 と言った。


「ところで、国王陛下は後妻を娶らないのかしら?」

 不躾とは思いつつ、気になったので聞いてみる。まぁ、失礼だったとしてもコイツだから別に問題ないだろう。

「あ、あぁ……スタンリー公爵家令嬢との縁談の話は出ている。どうなるか分からないが」

「他の王族がなんと言うかですね」

 ギルとルシオは目を合わせて言う。それもそうだ、私と離縁しているのだからルシオの親族が神経質になるのもやむを得ない。


「どうでもいいけど、今度こそは幸せにしてあげてくださいよ」

「どうでもいいのか……俺も君の素晴らしい人柄に気付けなかったからな。今思うと、無能だったよ」

「本当だよ、無能だよ」

「心の声が漏れているぞ。とりあえず、今日はここで。ギル、忙しいと思うが頼んだぞ」


 私とギルはルシオを見送る。

 彼の姿が見えなくなってから、ギルは私を抱き締めた。


「ギル、どうしたの?」

「いえ。他の男と話す貴女を独り占めしたくて」

 私はギルの背中に手を回す。力強く逞しい腕が私を包み込んでいた。

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