第3話
あの事があってから私はギルと目を合わせる事が出来なくなってしまった。馬車での旅は少し気まずかったけれど、目的地に到着したので気持ちを切り替えることにした。
ベアトリスの町は自然豊かでとてものどかな場所だった。ヤギや鶏などが自由に闊歩している。農作と養鶏が有名らしい。のどかな田舎町といった風情だ。
「バーバラ様、産婆の家は私の方で調べさせていただきました。場所は護衛に知らせてありますので、この者を付けてください」
ギルはそう言い、一人の護衛騎士を紹介した。彼の手際の良さに関心していると、治水工事の現場確認がありますのでと私に手を振って去って行く。
無駄のない彼の言動が好ましい。どこかの
護衛騎士が先導してくれた産婆の家というのは、古びた一軒家だった。屋根の瓦はところどころ剥がれ落ちていて、壁には蔦が絡まっている。
私は扉を叩き、産婆の名を呼んだ。家の中からは物音がしなかったので留守かと思い、踵を返そうとした時。
「ローザはわたしでございますが……」
庭の方から背中の曲がった老婦人が出てきた。
「貴女がリリアナの産婆?」
リリアナという名を口にした時、彼女はひどく怯える。私を警戒する色が目に浮かんでいたので名乗ることにした。
「ごめんなさい、名乗るのが先だったわね。私はバーバラ。リヒトのご母堂の事で聞きたいことがあってお忍びで貴女のもとに来たの」
「あぁ、王妃殿下……。こんな田舎町までお越しいただくなんて。何もありませんが、家の中へどうぞ」
産婆は軋む扉を開け、私達を中へと招いてくれた。家の中は埃っぽく、内装を見たところ、彼女だけで暮らしているようだ。
「貴女に聞きたいのは、リリアナのお産についてよ」
言うと産婆は震えだし、祈りの姿勢になった。
「お許しください、カトレア様……」
「なぜカトレアの名が出てくるの?」
「わたしはカトレア様のお母上の産婆でございました。お母上は子沢山な方でしたので何度も子を取り上げるうち、場数を踏んだ産婆になっておりました。その後は、カトレア様の乳母となり、宮廷へと入ったのです」
私は黙って彼女の話の続きを聞く。
「国王陛下の第二夫人となったカトレア様は大層喜んでおられました。幼い頃から王の妃になる事が夢でしたので。そして、次期国王の母になるという次の夢を叶えようとしておりましたが、なかなか子宝に恵まれず……焦っているところに第三夫人リリアナ様がご懐妊されたのです」
自分は子が出来ないのに第三夫人リリアナに子、ましてや男児だったらルシオの寵愛はより一層、リリアナに注がれるだろう。ただでさえ、リリアナはルシオに愛されていたのだから、子を切望するカトレアにとっては早急に片づけたい問題だ。
「カトレア様は悩んでおられましたが、わたしがリリアナ様の産婆になる事が決まった日、部屋に呼びつけて命じられました。お産のせいでリリアナ様が死んだと見せかけるように、飲み水に毒を混ぜて飲ませろと。そして、子が男児であった場合、首を絞めて殺すよう言われたのです……」
泣き崩れながら今まで抱えていた罪を告白する産婆に、私はかける言葉もなかった。
「リリアナ様には、トウゴマの種から取り出したリネンという毒の入った水を飲ませました。そして、取り上げたお子が男児だったので首を絞めようと思ったのですが、どうしてもできず、わたしはすぐに宮廷を去ることにしたのです……バーバラ様、どうかわたしを裁いてください。お願いします、何の罪もない方の命を、王太子殿下の大事なお母上の命を奪ってしまったのですから……!」
ほとんど絶叫に近い告白に私は一瞬、怯む。しかし、崩れ落ちる彼女の手を握り、目を合わせて宣言する。
「すべてを教えてくれてありがとう。過去に犯した過ちを悔いることなく、次の犠牲者を出そうとしている人がいる。本当に裁かれるべきなのは、あなたではなく、命令した人物よ。安心なさい、私は必ず止めてみせるから」
「王妃殿下……」
私は小さな背中を抱き締める。体が老いても、宮廷を去っても、なお罪の意識に苦しめられてきたこの人の心が開放されるよう願った。 ベアトリスから帰ってきた私に、リヒトは早速何があったか聞いてくる。
私は言えなかった。彼のお母さんがカトレアに殺されたという残酷な事実をどう伝えればいいのだろう。彼は大人びてはいるけれど、まだ八歳だし事実を受け止めるにも心が幼すぎる。本当の事を伝えて闇落ちしたら……。
次にカトレアが狙っているのは私達だ。どうやって立ち向かうべきかも考えなければいけない。
リヒトに伝えるべきか、カトレアにどう立ち向かうべきか悩んだ私はギルに相談することにした。
「という事なんだけど、ギルはどうしたらいいと思う?」
怪しまれないようこの間貰った女中の格好をして、宰相の仕事部屋に行く。出迎えてくれたギルは、仕事も残っているのに快く出迎えてくれた。
「後からどれだけ証拠を揃えても、国王陛下の性格ですから何だかんだ理由をつけて信じようとはしないでしょう。彼には自分の目で見てもらう必要があります。カトレア妃もバーバラ様達を罠にかけようと虎視眈々と狙っているでしょうから、こちらも利用すれば良いんです。まだ幼い王太子殿下には、全てが決着して時期が来たらお話するべきでしょう。自分の母が第二夫人に毒殺されたと知ってしまったら、小さなお心は崩れてしまいます」
「そう、だよね。うん、私もそう思う」
ギルは柘榴のような瞳を私に向ける。
「良い作戦を思いついたのですが……」
彼は私の耳元に顔を近づけると、囁くように話す。
「それ名案ね!」
ギルから作戦内容を教えてもらった私は、話を聞き、賛同する。とても良い案だと思った。
「本当に色々とありがとう。どうお礼をすればいいのか……」
「成功してから考えてください」
彼はお茶目に言うと微笑んだ。優しい眼差しに私の心臓がとくんと跳ねる。
「私は惚れた人の為なら何だって出来ますから」
ギルは言い、私の赤い髪の毛の先を手に取ると口づけを落とした。そのまま視線を上に、私の方を見る。
「えっ! あ、いや、その……まずは作戦実行しなきゃだね! じゃあ、当日よろしく」
自分でも分かるくらい顔が熱い。慌てて部屋を出た。
あのイケメン、とんでもない――。
◆ ◆ ◆
ギルバードは逃げるように部屋から出て行ったバーバラの背中を見て呟く。
「押しすぎたかな?」
苦笑を浮かべ、机上に散乱した書類に目を戻す。
彼がバーバラに初めて会ったのは、ルシオの結婚式である。彼に嫁いだバーバラは当時十四歳の少女。
花嫁衣裳に身を包み、夫となるルシオを期待と喜びに満ちた美しい紫色の瞳が印象的だった。これから始まる夫婦生活が待ちきれないという彼女の感情が体に直接伝わって来るようだった。
最初は美しい人だと思っただけ。だが、本番を直前にルシオから「俺はお前が嫌いだ、生涯かけて愛するつもりはない。俺の愛を求めるな」と言われた彼女が泣きそうになるのを見て、心がざわついた。その愛らしい瞳に大粒の雫を溢れんばかりに溜め込んでいて、せっかくの化粧も落ちてしまいそうだと思った。
しかし、結婚式が始まる鐘の音が響くとバーバラはキッと顔を上げ、笑顔を浮かべたのだ。
強く、強く、前を見据えて、王妃として正しくあろうとする彼女の覚悟と、踏みにじられても折れることのない気高さにギルバードは心を射抜かれた。外見という殻だけでなく、内面まで美しいのだと彼は感じた。
同時に彼は自分の心を彼女に捧げようと誓う。幼馴染の妻で、この国の王妃で、決して叶わない恋だとしても。
この身が滅びるまで尽くし続けよう。
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