第2話

「ごめんね、リヒト。私がもっと注意していれば……」

「い、いえ」

 あれから何分経ったのかは分からないが、彼にまだ症状は出ていない。間に合うかもしれない。


「貴方には申し訳ないのだけど、今から水を吐くまで飲んで欲しいの。さっき食べたクッキーには、トリカブトという毒が入っていて放置すれば死んでしまう。だから胃の中を洗い出すのよ。苦しいけど貴方を必ず助けるわ」

 私は不安そうに見上げる彼を抱き締める。

「僕はバーバラ様を信じます」


 私は純粋無垢な少年を黙って見つめた。馬鹿な子、ここは愛憎渦巻く王宮なのに。何があるか分からない場所なのに。

 他人からもらった食べ物を毒見もなしに食べてはいけないわよ、というお説教は後にしよう。


 水瓶を持って来た女中から器を受け取り、水を注ぐ。リヒトに渡すと、彼は一口でそれを飲んだ。

 水を注いでは飲むを繰り返していくうち、彼のお腹ははち切れそうなほどに膨らんでいた。嚥下するのすら気持ちが悪いのだろう、涙を浮かべながら水を飲んでいる。

 そんな彼の様子に心が痛くなりながらも、私は水の入った器を手渡し続けた。


 幼い頃から父に毒物の耐性を付けさせられたバーバラには、匂いと味覚で何の毒か当てる事が出来る。国王の正室にして自らの家を大きくしようとする父は、バーバラに幼少期から少量ずつ毒物を摂取させることで、王宮内での暗殺に備えていた。決して娘を守ろうという親心からではない。バーバラを政略結婚の道具として見ている父と娘の仲は冷え切っていた。

 今ではその知識がこうやって役に立つとは、バーバラも思っていなかっただろう。


 リヒトが口を押さえた。私は何も入っていない瓶を持ってきて吐かせた。食べたばかりのクッキーらしきものが出てくる。どうやら胃の内容物は全て出たようだった。医者に薬を処方してもらい、リヒトは様子見することになった。


「ごめんなさい、バーバラ様。迷惑をかけてしまって……」

 私はしゃがんで彼の顔を覗き込んだ。

「迷惑なものですか。貴方は何も悪くない、私の方こそ苦しい思いをさせてごめんなさい」

 彼を抱き締めると小さな手を背中に回してくれた。体が小刻みに震えている。怖いのだろうか、まだ苦しいのだろうか。このまま一人には出来ないと思い、今日は私の部屋に泊まるよう言う。


「何かあったら私が助けるから」

 不安にさせまいと言うと、リヒトは丸い瞳に雫を浮かべた。


 ◆ ◆ ◆


「カトレア様、報告がございます」

「えぇ、どうぞ」


 ルシオの第二夫人であるカトレアは、着飾る事が好きだ。部屋の内装も彼女の性格を表すように豪奢なものになっている。


 静かに入ってきた女中を招くと、カトレアは笑みを浮かべながら問う。

「で、どうなりましたの? うまくいったかしら」

 楽しげな主の声に女中は冷静に首を横に振る。

「王太子殿下と王妃殿下も口にされましたが、毒入りだと気付いた王妃殿下により、適切な処置が行われ大事には至らなかったようです」

 淡々と報告する女中とは対照的にカトレアは顔を歪めていく。


「あわよくば二人とも消えて欲しかったのに……なかなかうまくいきませんわね。バーバラが毒に敏感とは計算外ですわ。殺し屋を雇って寝首をかくか……ですが、足がつきやすくなるから避けたいところ。やはりここは、焦らずバーバラに気付かれず、葬れる毒を盛る方が良いですわね」


 一人で呟くカトレアは、いつも浮かべる優しい笑みとは対照的なおぞましい笑みを作っていた。


 ◆ ◆ ◆


 リヒトは体調が回復するまで私の部屋に泊まらせた。

「はい、リヒト。あ~ん」

 林檎をうさぎの形に切った一つをリヒトの口に持っていく。恥ずかしそうに彼は顔を赤くして逸らす。

「バーバラ様、もう自分で食べられますから……」

「あらそう? 遠慮しなくて良いのよ」

「え、遠慮は……」


 扉のノックする音で私とリヒトの楽しいひと時が終わった。扉越しに女中が「国王陛下がお呼びです。王妃殿下、王太子殿下」と声をかける。

 くそ、あいつのせいでリヒトきゅんの可愛い照れ顔を拝めないじゃないか。毒親め!


 私はリヒトと共にルシオの元へ向かった。

 彼を前にして形式通り挨拶をすると、いつものような冷ややかな声が頭上から振ってくる。


「何かあったようだな」

 顔を上げろと、言われた通りにする。今日はルシオの隣に黒髪の男性が立っていた。柘榴のように赤い瞳を持つ彼は、とても妖艶な微笑みを浮かべて私達を見ている。彼は、ルシオの幼馴染でありこの国の宰相ギルバート・モントだ。

 どうして彼もいるのだろうという私の疑問に、ルシオは答えるわけもないので黙っておくことにした。


「カトレア妃からいただいた菓子を食べたら、トリカブトの毒が入っておりました」

「毒入りならそれを食べたお前らは何故生きている?」

「私には毒の耐性がありますので。王太子殿下は迅速な対応が出来たおかげで大事には至りませんでしたが、王太子殿下への暗殺容疑があります。カトレア妃を調べてください」

 ルシオは鼻で笑った。

「毒に耐性があるなど嘘をつくな! お前が入れて王太子に食べさせ、カトレアのせいにしようとしているのだろう!」


 絶対、私の事は信用しないってことね――。


「菓子を調べてみてはいかがですか?」

 私の言葉にルシオは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「カトレアからサンプルを貰ったが、毒など検出されなかったぞ」

 そりゃあそうでしょうよ! 本人も素直に毒入りのクッキー渡すわけないじゃん!

 調べろっていうのはそういう事じゃなくて……あぁ、説明する気力も湧かない。


「カトレア妃からではなく、私の部屋や周辺も調べてくださいませ。一方の主張だけでは真実は見えてきませんもの」

「どうせお前に決まっている。カトレアに手を出したら正室であっても容赦しないぞ」


 ルシオは怒鳴ると部屋を出て行った。いつもキレてばっかりだな、思春期かよ。


 う~ん、どうしようかなぁ。厄介だ、なんて考えているとギルバードが近付いてきた。


「恐れ入ります。私めが王妃殿下に進言するのをお許しください」

 彼は丁寧に頭を下げると、真っ赤な瞳に私を映す。

「カトレア妃には十分お気をつけくださいませ」

「何か知っているのかしら」

「立場上、詳細をお伝えする事は出来ませんが、王妃殿下のお力になれる事があればいつでもお声掛けください」


 ギルバードは含みのある言い方をした。彼は一礼すると部屋を出ていく。


 残された私とリヒトは黙ったままだ。カトレアへの対応を考えなくてはいけない。まずは情報収集からだろうか、などと考え込んでいるとドレスの裾を控えめに引っ張られた。


「どうかしたの?」

 振り返るとリヒトが何か言いたげに私を見上げている。

「あの、今回の事で気になったことがあるんです」

「言ってごらん」

「お母様の死が不自然なんかじゃないか……って」

「おじいさまにお母様のことを聞いた事があるんです。明るくてとても元気で、針仕事より乗馬や狩りの方が好きな活発な人だったそうです」


 リヒトによると、リリアナは明朗快活で体力もあり、今まで一度も体を崩したことがなく、健康そのものだったと。彼を妊娠した時も、医師からは母子ともに無事でお産が出来るだろうと言われていたほどらしい。お産に絶対はないとはいえ、かなり体力もあるようなので亡くなるには少し疑問が残る。


「なるほど。これは詳しく調べたいところね。まずは、お産に関与した女中から話を聞いた方が良いわね」


 早速私は女中長を呼び、リリアナのお産について聞いてみた。


 彼女から得られた情報によると、リリアナのお産には経験豊富な産婆が携わっていたらしい。彼女はリリアナの死後、すぐに宮廷を去り故郷のベアトリスへ帰っていった。


 私は女中長に礼を言い、部屋を出る。

「まずはベアトリスに行って産婆に話を聞きたいわね。でも、どうやって行こうかしら?」

 王妃である私が田舎町に行けるわけがない。お忍びにしてもルシオが絶対反対するだろうし、こっそり抜け出すのはリスキーだ。


 うんうんと唸っていると後ろから妖艶な声がする。

「ベアトリスなら一緒に行ってみますか?」

「ギルバード! いつの間にいたの。というより、そんなことできるの?」

「ベアトリスで治水工事を行うので事前視察に行く予定がありまして」

 ギルバードは楽しそうに言う。本当に出来るのだろうか。


「う~ん、でも私は王妃よ? 簡単に動けないわ」

「影武者を用意いたしましょう」


 数日後、ギルバードの作戦通り、私は女中の格好をして部屋で待機していた。

「なんだか僕まで緊張してきました」

 リヒトはきらきらとした目で言う。私もスパイミッションみたいでワクワクしてきた。


「失礼いたします、殿下」

 ギルバードに入室を許可すると、一人の女性を連れてやってきた。

「こちら殿下の影武者を務めさせていただく、妹のギネットでございます」


 私は驚いて声も出なかった。何故ならそっくりなのだ。髪の毛も瞳の色も声も私なのだ。

「ギネットは変装の達人でして。影武者には最適です」

 このクオリティなら絶対バレないだろう。節穴ルシオなんて余裕で欺ける。


「それでは向かいましょうか」

 ギルバードの言葉を合図に私は頷いた。リヒトとはここでお別れだ。

 私達は抱き締め合い、数日の別れを惜しむ。


 宮廷の門前に用意された馬車へと向かい、乗り込もうとすると――

「バーバラ様、お手を」

 殿下ではなく名を呼び、私が馬車に乗りやすいよう手を差し出してくれた。なんて紳士的なんだろう。ルシオだったら絶対やらない。こんなことされたらドキッとしてしまう。


 馬車に乗り込むと対面にギルバードは座った。

「憧れのお方とご一緒出来るなんて幸せです」

「あ、憧れだなんて大げさな……」

「初めてお会いした時から私の心は貴女に釘付けですよ。あいつのお妃でなければ今すぐ求婚したいほどです」

 優しいイケメンに言われてときめかないわけがない。この旅、私の心臓持つだろうか。


 王都からベアトリスまで馬車で二日。道中、休憩がてら街によらせてもらった。

 王宮の外は見た事がないし、小説でも描かれていなかったからとても新鮮で楽しい。

「わぁ、素敵な髪飾り!」

 街には露店が道路脇に並んでいて市場を成している。その中の装飾品店に並べられた品に目を奪われた。


 青い色の硝子に繊細な文様が刻まれている。切子細工だろうか。とても美しくてずっと眺めていられる。

 欲しいけど無一文なんだよね、本当に残念だけど私はウインドウショッピングを楽しむと馬車へ戻った。


 宿は質素なものだった。お忍びなので豪奢なところには泊まれないが、私に危害が及ばないようギルバードお抱えの護衛を配置してくれるとのことだった。事細かい配慮が素敵イケメンである。ルシオだったら絶対やらない。


「本当にありがとう、ギルバード。貴方のおかげで貴重な経験が出来たわ。このお礼は必ずするわ」

 自室に案内され、扉の前で彼に礼を言う。

「では、今、いただいても?」

「構わないけど……」

 すると、彼は微笑みながら私の顔を覗き込む。イケメンの顔が間近にあると思うと、息ができない。

「二人の時はギルと呼んでいただけますか」

「わ、分かったわ……ギル」


 緊張のあまり、囁くように呼んだ名。それでもギルは嬉しかったようでにっこりと笑みを浮かべる。

 ゆっくりと近づいてきて、私の頭を撫でる。耳元まで彼の顔が近付くと、優しく囁くように、

「おやすみなさい、バーバラ様」

 と言った。突然のことに私の心臓は大きく跳ねた。鼓動の音が彼に聞こえるのではないかと思うほど、ドクンと脈打っている。


 ギルは満足そうに口角をあげ、一礼をして私の隣の部屋へと入っていった。

 私は腰が抜けてしまって地面に座り込んでしまう。頭が動くのに合わせて耳元で鈴が転がるような美しい音がする。手で触れてみると、髪飾りがつけてあった。


 青い色の硝子に繊細な文様が刻まれた髪飾り。

「これって私が市場で見てた品……」

 私が見ていたことを知っていたんだ。真っ直ぐ向けられる私への愛情に心が揺らぐ。


 ルシオあいつと結婚してなかったら! 既婚者である事をこれほどまで悔やんだ日はない。


 私は手に乗せた髪飾りを見つめ、彼の吐息を思い出しては赤面した。

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