悪女の星

十井 風

第一章

第1話

 私が目覚めると傍らに控えていたメイド服姿の女性が歓喜のあまり涙を流した。

「あぁ、バーバラ様! お目覚めになったのですね」

 バーバラという聞き覚えのある名にハッとする。


 自分が愛読していた小説『アンティギア王国記』に出てくる――バーバラ・ラーヴァグルート・デネボラ・ゴールドレイン。


 バーバラはアンティギア王国の国王ルシオの正室であるが、作中では悪役だ。親同士が決めた政略結婚を嫌ったルシオから憎悪されていて、彼の愛を求めたバーバラが暴走する。結果、彼の大事な人達が死ぬことになり、バーバラは処刑されてしまう。


「ご気分はいかがですか?」

 医者を連れてきてくれたらしい女中が心配そうに私を見る。

 私はにっこりと微笑み、彼女に答えた。

「大丈夫。ところで何があったの?」

 女中は口元を手で押さえ驚く。バーバラ様の記憶が失われています、と。状況を把握したかったのだが、言葉選びを誤ったようだ。


「バーバラ様はカトレア様とのお茶会後にお身体の調子が悪くなったのですよ。熱が数日も続いてどうなる事かと……」

 カトレアはルシオの側室だ。カトレア・パフィオ・ゴールドレイン。第二夫人にあたる。

「とりあえず、身体は健康ですが大事をとって安静になさるようお願いします」

 医者は私の様子を見て言う。医者を下がらせた後、私は鏡を見る。


 燃えるような赤い髪に宝石のような紫の瞳。間違いない、バーバラだ。私は本当に転生したんだ。


 となれば――。


 私が思い出すのと同時に扉が叩ける。返事をする前にずかずかと一人の青年が入ってきた。

 輝く金の髪に青い瞳。バーバラの夫であるルシオだ。相変わらずバーバラの事が嫌いらしく、これでもかと私を睨んでいる。


「カトレアとの茶会後に倒れたそうだな」

 冷たく言い放たれる言葉に心配する様子はない。

「そのようです」

 記憶がないのでそう答えると、ルシオは見下すような視線を私に向けた。

「その時に毒が入っているなどと喚きながら倒れたと聞いている。カトレアにありもしない罪をなすりつけて、王宮から排除しようとでも考えていたのか?」

 えぇ、なんだコイツ……。まずは心配しなよ、仮にも妻なんだからさぁ。思いやりってものがないのかね。

 バーバラは好きだったのかもしれないが、私はこういう男好きじゃないんだよなぁ。ため息をつきたくなるのも堪えて言った。


「違います」

「ふん、言葉ではどうとでも取り繕える。そこまでして俺の寵愛を受けたいのか? だが、俺はお前を愛するつもりはない。どう足掻いても無駄だ」

 そう言いながらルシオは部屋を出て行こうとする。頭に血がのぼった私は彼に吐き捨てるようにして言う。

「私も貴方を愛するつもりはありません」

 予想外の言葉にルシオは目を丸くした後、プライドが傷付いたのか、顔を真っ赤に染め上げ、乱暴に部屋を出て行った。ざまあみろ。


 まだ熱も下がりきっていなかったので、もうひと眠りすることにした。


 次に目が覚めた時にはもう夜になっていて、身体も随分軽くなっていた。ルシオへの苛立ちを鎮めるために、私は庭園へと足を運ぶ。王宮は広いけれど、ちゃんと看板と道中に地図があるから迷う事なく目的地まで来れた。


 夜風はひんやりとしていて火照った肌を撫でられるのが心地いい。


 ふと、視界にぼんやりと人の影が入った。よく見ると、まだ幼い少年だ。白銀の髪に透き通るような青い瞳。

 そう、彼こそが私の推しであるリヒト・サンネ・ゴールドレイン! ルシオなんかより断然素敵な男の子である。


「あっ、バーバラ様……こんばんは」

 人付き合いが苦手なリヒトは、おどおどした様子で私に挨拶をしてくれる。そんな姿も初々しくて可愛らしい。

 彼はルシオが最も愛した女性である第三夫人リリアナの息子で、王位継承権第一位の王子だ。リリアナは出産後すぐ亡くなってしまう。最愛の女性を亡くした悲しみから実の父親であるルシオに、冷たく当たられているという不遇の子だ。王から冷遇されているせいで周りからも見放され、いつも独りぼっちでいる私の推し。


「もう夜も遅いから早く寝なさい。子どもはこんな時間まで起きてはいけません」

 私が言うと、リヒトは視線をあちこちに向けながら言葉をゆっくりと紡ぐ。

「え、えっと……眠れなくて」

「眠れないなら私が隣で本を読んであげるわ」

 リヒトは真ん丸な目をさらに大きく見開くと、ふっとはにかんだ。

「王妃様って優しいんですね」

「そう? まぁ、とにかく寝なさいね。寝る子は育つって言うから」


 私は侍女を呼び、リヒトを彼の部屋まで送らせるよう指示をした。彼は小さく手を振っておやすみなさい、と言ってくれた。

 私は夜空を見上げる。鬱陶しい奴――ルシオ――はいるけど、推しを目の前で見られるなんて。


 この転生、悪くない!


✽✽✽


 医者からは大事をとって安静にするよう指示が出されているが、部屋にいてもやることがない。退屈すぎて叫びそうになるのでこっそり部屋を抜け出すことにした。


 向かったのは王宮内の書庫。ここには歴史書や政治の本もあるだろう。バーバラの記憶もあるとはいえ、即席王妃のままではいけないと思い、勉強しに来たのだ。

 書庫内には背の高い棚がずらりと並んでいて、どの棚も一番上の段まで書物がびっしりと詰まっている。


「よっ……」

 子どもの声が聞こえたので気になって見に行くと、脚立に乗って一番上の段から本を取ろうとしているリヒトがいた。慌てて後ろから彼が取ろうとしていた本を取ってあげる。

「あっ、バーバラ様……」

 背後からいきなり手が伸びていて驚いたのか、リヒトは勢いよく振り返った。


「危ないから次からは大人に取ってもらいなさいね」

 私は言った後にハッとした。そうだ、リヒトは他者から冷遇された期間が長いから、全部自分で何とかしようとするのだ。大人に頼ろうと思っても出来なくしてしまっている。

「何かあれば私を呼びなさい。助けてあげる。それこそ、本だって取ってあげるわ」

「王妃様にそんなことしていただけません……」

 リヒトは顔を赤く染めて答えた。私は彼が手に持っている本を見て聞いてみる。


「本が好きなの?」

 すると、好きな事を聞かれたのが嬉しいのか目を輝かせて答える。

「はい。本当は世界を見て回りたいんですけど、王宮の外には出られないから空想の中で冒険しているんです。本は僕を旅に連れて行ってくれるから大好きです」

 年相応の笑顔をみせてくれたリヒトが愛おしくて、つい頭を撫でてしまった。


「お、王妃様はお体は大丈夫なんですか?」

 熟れた果実のように顔を染めて彼は聞く。

「安静にしろと言われているけど、暇だから部屋を抜け出してきたの」

「……侍女達が大騒ぎすると思いますよ」

「それもそうね。でも、部屋に戻ってもつまらないし……。そうだ、部屋においで。お話しましょう」

 私が手を差し出すと、彼は上気した頬を緩めて小さな手を重ねてきた。


 リヒトと私の部屋に向かう途中、廊下で嫌な奴に出会ってしまった。

「国王陛下」

 私とリヒトは廊下の端に寄り、彼の進路をふさがないようにする。

 ルシオはリヒトに底冷えするような視線を向けた後、憎々しげに言い放つ。

「何を企んでいるのか分からんが、怪しい行動は取るな」


 なんだあいつ――!

「何が怪しいんですか?」

 承知いたしました。


 あっ、いけない。心の声と言わなきゃいけない声が反対に。


 覆水盆に返らず、ルシオは恐ろしいほど鋭い視線を私に向ける。その眼で射抜かれそう。


「リリアナの子とお前は親しくはなかっただろう。接点もなかったはずだ。今更何をしようとしている」

「側妃の子は私の子でもあります。共に過ごすことは何もおかしくありません。それより、父親の責務を果たしていない貴方に文句言われる筋合いはありません」

 言ってやった! その悔しそうな顔を絵にして飾ってやりたいくらいだわ。


「……お前とはやはり相容れない!」

 ルシオは青筋を浮かべて去って行く。今まで見下していたバーバラが反論したんだもの。さぞ悔しかろう。

 私はにんまりと笑った。



 ◆ ◆ ◆


 リヒトは生まれてからずっと独りぼっちであった。王宮にいる家族には会えないし、向こうも自分に会おうとしてくれない。母親は生まれた時からいないし、人の温もりを知らずに生きてきた。彼にとっては普通だった。自分が勉学、剣術をどれだけ頑張ったとしても、父は絶対に褒めないし見向きすらしない。誰からも興味を持たれないことにリヒトは慣れてしまった。


 だが、この赤毛の妃は違う。

「側妃の子は私の子でもあります。父親の責務を果たしていない貴方に文句言われる筋合いはありません」

 真っ直ぐに父を見据えて言い放った言葉が、リヒトにとってどれほど嬉しいものか、救われたか、彼女は知っているだろうか。



 私の子、と言ってくれた彼女の手をリヒトは握り締める。

 人の温もりとはこれほどまで温かいのだと初めて知った。


 ◆ ◆ ◆


「バーバラ様、お身体の具合はいかがでしょうか?」

 お茶会以来、初めてカトレアと顔を合わせる。栗毛の長い髪はうねっていて、黄色い瞳は眩しいほど煌めいている。

「お茶を飲まれてから倒れられたので、茶葉が合わなかったのかしらと心配でしたの。わたくし、身体が弱いものですから気分が良くなるよう薬草をブレンドさせているのです。健康なお身体のバーバラ様には合わなかったのかもしれませんわね……申し訳ございませんでした」

 カトレアはうるうると涙を浮かべて頭を下げた。


 小説ではあまり登場シーンも少なかったので、どんな人物かは分からない。私も結末を知る前に転生してしまったので、どうなったのかも分からないのだけど。


「お詫びに実家の領地で有名なパティシエにクッキーを作らせましたの。良かったら召し上がってくださいませ」

 カトレアは優雅に一礼をしてから部屋を出ていった。


 私は物思いにふけっていた。バーバラには何かあったはず、特殊能力のような。それが何だったのかが思い出せない。


「バーバラ様、入ってもよろしいでしょうか」

 可愛いリヒトの声が聞こえてきた。最近、私に懐いてくれた彼はよく遊びに来てくれるようになった。

 部屋で読書をしたり、二人でゲームをしたり、時には家庭教師に褒められたと花丸がつけられた解答用紙を見せてくれることもある。

「どうぞ」

 私は扉を開ける。中に入ってきたリヒトは、机の上に置かれているクッキーに気付く。

 美味しそうな甘い香りを漂わせるそれは、子どもの舌を刺激するには十分の代物だ。


 よだれが出るんじゃないかというくらい、興奮した様子で食べていいか聞くリヒトに私は笑って頷いた。

 クッキーでこんなに喜ぶなんて。年相応なところがあるんだなぁ。


 うん、待てよ。バーバラはカトレアのお茶に毒が入っていると言って倒れたんだったよね。

 確かバーバラって――毒を判別できるんじゃなかったっけ。


「待って、リヒト! 食べちゃだめ!」

 考えると同時に手が出ていた。私が伸ばした手はむなしく、クッキーは既にリヒトの胃の中におさまってしまった。


 私は青ざめた。バーバラは毒を判別できる。その彼女がカトレアのお茶に毒が入っていると言ったこと。そして、カトレアが持ってきたクッキーから嫌な匂いが漂っていること。

 私はクッキーを口に入れると、叫んだ。バーバラの体が記憶している毒物の名前を脳裏に浮かべてくれる。

「トリカブトの毒が入っているわ! すぐに医者とたくさんの水を持ってきて!!」

 傍に控えていた女中に指示を出しながら私はどうするか考えていた。


 バーバラの知識では、トリカブトには解毒薬がない。誤って服用してしまった場合は、胃洗浄を行わなければならない。耐性のある私ならともかく、10分もすればリヒトに症状が出てしまう。そうなる前に、水をたくさん飲ませ吐かせることで胃の内容物を出す。


 時間がかかればかかるほど、命の危険がある。私は女中に急ぐよう指示をした。

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