手の目(2)
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好きすー」
息継ぎ。
「ふわふわふわふわふわふわふわふわふわふわふー」
至福の時間。こんな気持ち、どこかの僕のメロディ。この世のすべては今、この時のためにある。僕の生も、歌舞伎町が落ちたのも、上から変なやつらが見下ろしてくんのも、全部全部全部、クダちゃんを吸うためだと思えば万事明るい。
「やめてほしいんだけど」
「クダちゃんの乗り物は喋るな」
「……なんでこんな人に拾われちゃったのかしら」
クダちゃんは管狐の一種だ。管狐は、上の人間が従える式神としては一般的な部類だが、クダちゃんはそこらの同族とは一線を成す存在だろう。だろう? 推定するまでもない。事実だ。一線を成す存在なのだ。まさに九尾の寵愛を受けた、むしろ玉藻の前の生まれ変わりともいえる、人を惑わすふわっふわ!
一本一本の毛は絹のように滑らかで、クダちゃんの魂を体現するかのように純白だ。しかしそれらが幾重にも集まると、天上のふわふわが顕現する。クダちゃんを両手に乗せると、包んでいるのは僕のはずなのに、まるで自分の体が包み込まれるような幸福に襲われる。重さなんて感じない。この手のひらの上にあるのは幸せという概念そのものなのだから。
ゴールデン街の一角にある我があばら屋も、数週間前にクダちゃんがいらしたことで、かつての皇居を彷彿とさせる神々の住まいへと昇華した。皇居見たことないし、乗り物がついてきたせいでひどく狭っ苦しいが。
当の乗り物はといえば、6畳一間に無理矢理増設したロフトを傍若無人にも占拠しており、今までの習慣が捨てきれないのか、冷めた目で僕を見下ろしている。正直、クダちゃんだけおいてどこへなりとも行っていただきたいが、クダちゃんは乗り物の式神であるからして仕方がない。
「あっ、クダちゃんそこは目だから。ちょっと刺さるというか……大丈夫! 全然気にしないよ! ゆっくり寝てね!」
「あなた仕事じゃなかったの?」
「ごめんねクダちゃん、君と触れ合っていたいのはもちろんなんだけど、今サボると僕死ぬから。この瞬間を犠牲にするけど、それは君との未来を選ぶためだから」
「あくまでも私はスルーするのね」
「クダちゃんとの貴重なふれあいタイムをお前との会話で消耗したくないだけ。クダちゃんはお眠りだ。僕がいない間、休む間もなく栄養補給して差し上げろ」
泣く泣く、クダちゃんを乗り物に返す。乗り物は首から提げた竹輪大の竹筒にクダちゃんを滑り込ませた。
「しっかり励めよ。お前の生気だけがクダちゃんのライフラインなんだ。大変遺憾だが、飯代を稼いできてやるし、寝るのも許可する」
「ねぇ、私との約束覚えてないでしょ? というか、私の名前も覚えられているか不安なんだけど」
「クダちゃんの乗り物」
「沙耶! あなたから一音減っただけなんだから、わかるでしょ!」
「遺憾過ぎる」
言って、元あばら屋現クダちゃん神殿から出る支度を進める。
「ちょっと、約束は——」
「ぴゃーぴゃーうるさいな、アイドリング中か? 喚かなくても、覚えているよ。連れてくさ」
「じゃあ!」
乗り物の顔が目に見えて明るくなる。甘い。だから地に落ちるんだ。
「いつかね」
ドアを閉める寸前、乗り物が固まっているのが見えた。
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