第8話
台風は予想よりも早い速度で沖縄地方を通過し、種子島は台風一過の快晴だ。打ち上げの中継を観ながら、わたしたちは火星ソーダの開発試験をしていた。
端的に言うと、酒盛りをしていた。
「いや、もう、なんていうか、地球最高れすね!」
手をバンバンと叩きながら顔を真っ赤にしたミュアルトゥファ。さっきはテレビの字幕が切り替わっただけで笑っていた。
完全によっぱらいだった。そして笑い上戸だった。
「スーパースーツにアルコールの代謝促進機能とか、ないの……?」
老廃物を吸収して循環するようなトンデモ服なら、そのぐらいの機能はあってしかるべきだと思うのだけれど。
「あるわけないやないれすか、だってー、火星人おしゃけのみましぇんし!」
「あー、なるほど……」
酩酊状態の人間に理にかなった反論をされると悔しいどころか悲しくなるのは何故か。
「そもそも、スーツは服れすよ! 上っ面れすよ! 内蔵じゃないのれす。わたしの体の中にはお肉が詰まってるんれすよ!」
ミュアルトゥファはぽんと腹鼓を打ち、一拍置いた後、またひっくり返って笑い転げた。
「うるさい……」
テーブルを細い指で叩きながら、ぼそりとアリカがつぶやく。完全に目が据わっている。不機嫌さを隠そうともせず、黙々とショウガとハチミツのカクテルに酒を垂らしていた。
「眠いの?」
「眠くない」
わたしはアリカの不愉快な表情に一切気を払わなかった。さきほどからうとうととして、目をこすりながらようやく起きているという状況だからだ。眠い中無理に起きていれば、虫の居所も悪くなる。
「葛葉さんはじぇんじぇん顔色が変わらないっすね? 素面、っていうんれすか?」
絡み酒の様相も呈し始めたミュアルトゥファ。というか、コミュニケーターで翻訳された言葉を話しているはずなのに、どうして酔っ払いのろれつの回らなさまで再現しているんだろう。スーツの機能かと思っていたけれど、ひょっとしたらナノマシンだとかそういう類だったりして。らりるれろ、らりるれろ。
「いやあ、火星くそくらえ! お酒を飲むのをやめちゃうなんて、ご先祖様は気がふれてまふね! だから火星くんだりまで出ていっちゃうんれすね! こりゃ納得」
飲酒という文化を廃した火星の開拓者たちに、わたしは心の中で敬意を表する。
「あ、小難しいこと考えてますね! ダメですよ、今は火星ソーダの作り方を考えるのに集中、集中れす!」
すっかりお気に入りになった赤ワインの瓶を抱えている人間のいうことなのだろうか。
幸い、彼女は一人で話して一人で笑っていられるようなので、極力取り合わないようにする。
この飲み会、もとい実験を始めるに際し、わたしたちは分担を分けた。アリカが蒸留酒、わたしがビール、そしてミュアルトゥファがワイン。チャンポンして味が分からなくなるより、一つのジャンルに集中した方が効率がいいだろうという判断だ。
結果、ミュアルトゥファは早々に実験を放棄してワインを鯨飲し、アリカは船を漕ぎながら沈まないように懸命に粘ることとなった。
わたしはと言えば、いたって淡々と、ショウガとハチミツとナツメヤシの炭酸水にビールを注いでいた。
実のところ、味からするとほぼ当たり、という確信を得ていた。
ただ、二人にはまだ伝えていない。微調整が先だ。断じて、ビールがおいしいからだらだら引き伸ばしているのでは、ない。
しかし、それとはあくまで無関係に、ビールはおいしい。火星ソーダにすると味が損なわれるのは本当に悲しいことだ。その悲しさを穴埋めするために、二回に一回は素ビールで口直しをしている。そう、舌をリセットしないと、味の見極めもできないし。
「……飲みすぎじゃん?」
とろんとした目をして、アリカが言う。
「火星ソーダでかなり嵩増しされているから、そのせいでしょ。大した量じゃないって」
「いや、缶がもう四本目なんですけど……?」
「なかなか厄介だね、これは。自分自身の体を酷使しないと、結果は得られないんだね」
「葛葉、好きなんだね、ビール。わたしは、言いだしっぺだから不誠実だけど、お酒はあんまり、もう、いいや……」
ほとんどうんざりといった表情のアリカ。
「あんた、隠れて火星ソーダ飲んだくせに」
潮崎先生に飲まれる前、わたしとミュアルトゥファが深夜のコンビニに繰り出す時にはすでに、火星ソーダの量は減っていた。当然、アリカが飲んだはずだ。
「え? 飲んでないよ?」
「ん?」
アリカの反応は演技には見えなかった。素で驚いているように見える。するとアリカは視線を泳がせて、取り繕うようにこう言った。
「あ、違う。うん、飲んだ。もう一回味見にと思って、飲んだね」
うんうんと頷き続けるアリカ。酔っ払いめ。
ミュアルトゥファはといえば、赤ワインを空のグラスに注ごうとして、空になったことに気付き大いに嘆いていた。完全に趣旨が失われている。
それを見て、ビールの誘惑にくじけかけていた使命感が再燃した。ビールを一口飲んでから、今度はちゃんと火星ソーダのテストに戻る。
「……もうちょい、濃い、か?」
こんなけったいな飲み物で、火星人は魔法を使う。本当に、まじないの世界だなと思う。
世界は結構はちゃめちゃで、いい加減にできている。
ミュアルトゥファが現れてから二週間近く。この間はじまったと思った夏の甲子園も終わった。
頭の中の整理がついていない。
ミュアルトゥファは火星人。火星ソーダが魔法の液体。エーテル。コミュニケーター。遮蔽魔法。
そういう前提を飲み込んで、行動してきてしまった。それがどういう意味を持つか、深く検討することなく。
楽しかったから。
終わりが近づいている。火星ソーダのレプリカを完成させて、ミュアルトゥファを見送る。たまりにたまった夏休みの宿題にいよいよ手をつけ、九月になればすぐ文化祭だ。それも終われば、受験勉強。ここのところ、最低限の問題演習しかしていない。せっせと予備校通いの受験生に相当差をつけられてしまった気がする。
なんにせよ、わたしはお決まりのコースを進む。それなりの大学には入って、卒業して、なんらかの会社に勤めて、恋愛をするかもしれないし、結婚をするかもしれない。
では、アリカは?
わたしにとってはひと夏の奇妙な体験で、いずれ思い出として風化していくだろう出来事。
アリカは何を思うのか。
酔った頭で、答えは出せない。
そうだ。わたしも立派な酔っ払いなのだ。そのことをようやく自覚した時、わたしの舌は正確に脳へと情報を届けた。
「……これだ」
舌が覚えた味と一致している。なんと表現すべきなのか分からないこの味。甘いような苦いような、濃いような薄いような、涼しくするような、熱くさせるような。
いつの間にかテーブルに顔をつっぷしているアリカと、ロケット打ち上げのカウントダウンに大喜びのミュアルトゥファに声をかける。
ぶつぶつ言っている二人に、半ば強引に火星ソーダを流し込む。
すると、酔いが覚めたかのようにアリカは姿勢を正し、ミュアルトゥファも目を丸くした。
「ユニバース」
アリカが意味不明なつぶやきをすると、
「本当にできちゃった」
ミュアルトゥファは意味深な一言。あまりその言い方はしない方がいい。
「まだだよ、ミュアルトゥファ、本当にこれで魔法が使えるか試さないと」
全て終わったような態度の二人だが、検証が終わっていない。これがエーテルとして機能しなければ意味がないのだ。
……果たしてそうだったろうか?
「え? ああ、これは失礼しやした」
へへへ、と頭をかきながら笑っている彼女を見て、おじさんのようだと思う。
「どうしましょう。何の魔法を使いましょう」
「また、認識遮蔽の魔法でいいんじゃない?」
「やあ、アリカさんには魔法使っても見えちゃうみたいれすから、なんか、ほかの」
そう言えば、アリカには効果がないのだったか。その原因はミュアルトゥファも分かっていない。
「サイコキネシス」
提案したのはアリカだった。
「ああ、いいれすね」
サイコキネシス、あるいは念動力。触らないで物体を動かす力だ。一目瞭然だ。
「何を持ち上げますか」
わたしはアリカの部屋の中をぐるりと見渡す。事故が起きても壊れたり傷がつかないものがいい。ビールの空き缶なんかよさそうだが、わずかに残ったビールが垂れてしまいそうだ。
「火星大王があれば」
そう言ってアリカが舌打ちする。確かにあのブリキのオモチャは既に壊れているけれど、万が一ひしゃげたりしたら取り返しがつかないだろうに。
「ああ、これでいいんじゃない?」
わたしはティッシュの空き箱を指差す。ミュアルトゥファも了解したようだった。
「さあ、お立ち会い!」
大見得を切って、ミュアルトゥファはテーブルに空き箱を叩きつけた。わたしは思わずのけぞってしまう。
「どこで覚えたの、それ」
日本人でも早々口にしない口上をまさか火星人が言うとは。
「BSの深夜番組で、談志の落語の特集やってて」
アリカが答える。本当にミュアルトゥファは何しに地球に来たんだ。満喫しているじゃないか。
「この箱を浮かせて見せよう、一枚が二枚、二枚が四枚……」
「ミュアルトゥファ、違う違う、蝦蟇の油になってる」
耳に届いているのかどうか、ミュアルトゥファはすっくと立ち上がり、廊下まで下がった。
「さ! このとおり、たたいて……いたいぃ……」
やはり落語とごっちゃになっているのか、自分の腕を反対の手で思い切りはたき、痛がっている。
「ミュアルトゥファ。急がないとロケット打ち上がるから。巻きで」
ぐるぐると手を回すアリカだが、巻きと言う表現は果たしてミュアルトゥファの辞書に入っているだろうか。
分かっていますよ、とばかりに大きく頷いてみせたミュアルトゥファ。仁王立ちで両手を前に突き出し、何事かを唱える。
「ごろうじろ!」
わたしはティッシュの箱ではなく、コップの中の火星ソーダを見つめていた。それが音もなく減っていく。早送りの映像でも見ているかのように。
「飛んだ!」
アリカが叫んだ。見ると、ティッシュボックスは確かに宙に浮いていた。
「成功だ」
わたしは呆然とつぶやいた。しかし、アリカが見ていたのはテレビ中継の方で、
「失敗だ」
と呻いた。次の瞬間、画面は白く点滅を繰り返した。
テレビ中継は炎に飲み込まれるなにものかを映し出し、スピーカーからは破滅的な炸裂音が響いた。
火星行きの積み荷を乗せたロケットは、ミュアルトゥファの念動力の発動とほとんど同時に打ち上げられたようだった。
ティッシュの箱は音もなく浮かび上がり、ロケットは轟音と共にその残骸を地表に落とすばかりだ。
言葉がなかった。
実況をしていたレポーターが、慌てた様子でロケット事故の失敗を繰り返し伝えていた。
わたしは振り向いて、ミュアルトゥファを見た。
顔を真っ赤にしたままのミュアルトゥファが、真顔で、言う。
「成功ですね」
そうだ。実験は成功だ。火星ソーダは完成した。しかし、まるで喜べない。わたしたちのちっぽけな成功とはまったく関係のないところで、途方もないものが失われたのだ。
言葉をなくしたわたしたちに、彼女は微笑んだ。
「さて、そろそろお開きにしましょうか」
気付くと、わたしはカーペットの上で大の字になっていた。ブランケットがかけられている。
頭が重い。喉が渇いた。今は何時だろう。
立ち上がると、ソファではミュアルトゥファが寝息を立て、アリカはベッドからずり落ちそうな姿勢でイビキを立てていた。
どうやら、わたしが最初に意識を失ったらしい。起こすのも忍びなくて毛布をかけてくれたのだろう。
台所に向かい、蛇口をひねる。流れる水に顔を近づけ、そのまま何口か飲み込む。
一息つくと、室内の惨状が目に映った。空き缶、空き瓶、お菓子の空き袋。見た目ほど物量は多くないだろうが、げんなりさせるには十分だ。
見栄えという観点から言えば、ミュアルトゥファがワインの空き瓶を抱き枕にしているのが一番ひどいが。
時計は五時を指していた。空は暗いが、朝のようだ。分厚い暗雲が空を覆っている。なるべく起こさないように物音には気をつけて、最低限の片付けはしよう。
空き容器をキッチンに運び、中身を水ですすぐ。水を切るために逆さにしてシンクに並べていくが、三人でどれだけ飲んだのか目の当たりにすることになり、なかなかつらい。火星ソーダの成功、あるいはロケットの失敗の後、目的を失ったわたしたちはひたすらに飲み続けたのだ。
思い描いていたのは、もっと明るい終わり方だった。
火星ソーダは大成功。総立ちになり拍手喝采、握手に抱擁、ねぎらいの言葉。
けれど、まるで表裏一体であるかのようにロケット打ち上げは失敗した。二つは最早分かちがたい出来事として記憶され、しかもどれだけ時が経っても、それがいつ起こったことなのか、公式の記録として秒単位まで残されるのだ。それを見るたび、この時間をわたしは思い出すことができる。
最後の缶をひっくり返し、わたしは可燃ごみをビニール袋に集めていく。
腰をかがめた拍子に、カラーボックスに体をぶつけてしまった。すると、カラーボックスと壁の隙間から、わずかに紙の端が姿をのぞかせているのに気付いた。
わたしはひざをついて、それを指で引き出す。
それは古い画用紙だった。一度丸められたのか、折れ跡やしわでぐちゃぐちゃになっている。右端には「四年三組 清津アリカ」と署名されていた。
振り返る。アリカもミュアルトゥファも、夢の中だ。
「寝てるよね」
興味本位。軽率だと思うが止められない。画用紙を裏返して、見る。
それは鉛筆で乱暴に塗りつぶされた、絵とも呼べない絵だった。筆圧が強すぎて、線ではなく傷になっている部分も散見される。
「……ん?」
わたしは黒鉛の線の隙間に、わずかに色鉛筆の赤色を認めた。
風ががたがたと窓を揺らした。ロケット打ち上げの背後で、台風は本州に上陸していたことを思い出した。
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