第4話

しばらくの間、火星ソーダの実験は生徒会室ではなくアリカのアパートで行われることになった。ミュアルトゥファを連れて歩いて学校まで行けば目立つ。反対に、ステルス魔法で隠れているミュアルトゥファに話しかけていたらわたしが目立つ。

その割には、アパートの脇にあるブランコしかない公園で、自転車の乗り方を教えていたりもするのだが。

「わ、わわ」

 アリカが廃品を改造した自転車にまたがり、右に左にハンドルを切るミュアルトゥファ。ふらつきは増していき、バランスを崩してひっくり返った。何度も転ぶだろうからと、普段使っている自転車ではなく、アパートの駐輪場に置いてあるばかりだった二号機を使わせたアリカの判断は正しかったようだ。

「……大丈夫?」

「難しいですね」

 傍目にはワンピース姿にしか見えないミュアルトゥファは、しかし何度転んでもすり傷ひとつ作らない。プロテクトスーツの擬態機能を使って、洋服を着ているように見せかけているだけなのだという。そう思ってみてみると、確かに不自然ではある。

「便利な服だよね」

「場所によって適切な服装はさまざまですからね」

「もしかして、空調機能もついてる?」

「ええ、それは……あ」

 ミュアルトゥファは自分の失言に気付いただろう。機能そのものは開示しても差し支えない情報なのだろうが、タイミングがまずかった。

 わたしもアリカも、滝のように汗が出る炎天下だ。

「大変失礼しました」

「誠意は言葉ではなく」

 アリカが両手を腰に沿え、尊大に言う。

「金額、行動、態度でしめさにゃ。さ、飲み物買ってきてごらん」

「え、わたしが、買い物ですか?」

「そこに白い縦長の箱が見えるでしょう。正面右側にスリットがあるからこのコインを入れる。そうしたら青いパッケージの下のボタンが点灯するから押す。機械の下部に取り出し口があるから、中の金属容器を回収する。これを三回繰り返す。さあ行け」

「はあ……」

 ミュアルトゥファは不安げに公園を出ていった。

「今、ちょっと不覚にも感動したんだけど。やるなあ、火星大王」

 こいつすげえ。十日市だけじゃなく、火星人も平気でパシリに使えるのか。

「火星大王って言うな」

「人間を躊躇なく使えるところ、うらやましいよ」

「他人にできることを自分がやる必要なんてないからね」

 おおよそ世間一般には通用しないだろう理屈を振りかざしたものだ。

「人間は支えあって生きているんだよ、葛葉」

「わたしがアリカに支えてもらったって経験、ないんだけど」

 尊大な物言いに呆れ果てているところに、ミュアルトゥファが駆け足で戻ってきた。胸の前にはロング缶を三本抱えている。

「買ってきました。これでいいですか?」

 ミュアルトゥファが持っているのはレモンスカッシュだった。自分では買う気にならないけれど、他人からおごってもらう分には嬉しいチョイスだ。

「よしよし。はじめてのおつかいは上手く行ったね。一休みしてごらん」

「わたしも飲んでいいんですか?」

「その飲み物が今の手間賃だよ」

 わたしが補足する。ミュアルトゥファも了解したようだった。

「ありがとうございます。では、いただきます」

 そういうとミュアルトゥファはベンチに座った。さっきアリカが無造作に座って飛び跳ねたところだ。太陽光線を吸収して焼けた鉄板のような熱さなのに、万能スーツが完全防御してくれるらしい。

「……? どうやって、飲めば」

 ミュアルトゥファはステイオンタブの開け方が分からないようだった。

「タブを押し込む。こう」

「ああ! なるほどです」

 無邪気に笑うミュアルトゥファを見ながら、わたしはあの夜のことを思い出す。


 わたしたち三人は魔法の触媒と開発中の火星ソーダの飲み比べを行い、三人ともが、似ているけれど何かが違う味、という結論を出した。

 決定的に違うのは、オリジナルだけにある、鼻につく匂い。ブドウのようでもあるし、みかんのようでもあるし、とても果物にたとえられない不愉快な悪臭とも感じられた。どこかで嗅いだような気もするのだが、思い当たる節がない。

「これが偶然の一致だと思いますか」

 火星人だと白状したミュアルトゥファは、心なしか興奮した様子だった。

「火星の名を冠した飲料が、我が母星の文明の根幹を担う液体と同じだとすれば。火星を震撼させる事実となります」

「ちょっと待って。火星ソーダって、ジョークみたいなネーミングなんだよ。苛性ソーダ、つまり水酸化ナトリウムの別名、それとひっかけただけで」

「そうなんですか、アリカさん?」

「うん、まあ。赤くて、炭酸だったのを覚えていたから、忘れないように、火星ソーダ」

ぽつりぽつりとアリカが言う。どこか歯切れが悪いのは、自分のネーミングをほじくり返されたからか。

「面白いですね。火星では、炭酸水を使った飲料というのは日常にないですから」

「自然に湧いてきたりするもんだけど、炭酸水」

「んん」

わたしのつぶやきに、ミュアルトゥファは言葉を濁す。

「詮索したらダメだよ、葛葉。いろいろプロトコルとかあるんでしょ」

「お気遣いありがとうございます」

「お決まりだよね。未開文明に情報を漏らすなって」

「なら、エーテルもダメじゃん」

「そこはなんと言いますか、伝えたところでどうしようもできませんから」

「へえ?」

「魔法は、火星人にしか使えません。その理由こそ話せはしませんが、あなた方がどう応用しても、不可能なものは不可能なんです」

 エーテルは火星人が自在に使うさまざまな魔法を発動するための万能の触媒だそうだ。液体を介して万物に干渉する。それがひょっとすると、アリカの作るけったいな飲み物の正体かもしれない。

 けれど、たとえそれ完成させたとしても、地球人には無用の長物というわけだ。

「実に興味深いです。もしよろしければ、ここに滞在させていただくお礼として、実験を手伝わせてはくれませんか」

「悪くない条件だよね」

 アリカはそういって笑う。

「わたしは滞在期間中の衣食を提供するし、ミュアルトゥファの言うエーテルを再現できないかの実験をする。で、ミュアルトゥファは試作品を使って魔法を使えるかテストしてもらう。使えれば完成。ダメでもともと」

「もし完成したら、サンプルに少量分けていただければ、その、やる気も出ます」

 自分から交渉を持ちかけたくせに、条件を詰める段になると随分と現金なことを言うものだ。

「決まりだね」

 アリカに不満はないようだ。にっ、と笑う。

「貴重なサンプルの残りはどうしよう?」

 わたしはグラスに残ったエーテルを指差した。

「……冷蔵保存?」

「さあ……」

 適切な保存手段は分からなかったが、真夏の室温はもはや常温ですらない。味見をしたエーテルの残りを密閉の保存瓶に移して、冷蔵庫にしまった。


そうして、わたしたちは火星ソーダを共同開発することにした。

だが。

 火星人の登場で劇的に進むかと思われた開発は、早々に頓挫した。何しろ、サンプルはあっても成分が調べられず、ミュアルトゥファも材料や製法についてほとんどと言っていいほど知識を持たないのだ。わたしも完成品の味が分かったぐらいで、何が鍵になるのか、見当がつかない。

 出会った翌日なんかは柄にもなく張り切って実験したものだが、三日も経てば決意もくじける。気付けばだらだらと、いつもの通りの遊び半分になっていた。

 ただ、全ての責任が地球側にあるとは思わない。

 口には出さないが、遅々として進まない原因の一つは、ミュアルトゥファの性格にある。 翻訳機を介して会話をしている彼女は、口調こそ丁寧だ。けれど、会話の内容から、実は相当にいい加減な性格であることがうかがえた。アリカの持っていたタブレットをいたく気に入り、半ば私物化して占有するほどだ。昨日なんかは、夜通し動画の定額配信サービスを利用して、火星をテーマにした映画の情報をかたっぱしから見ていた。

 火星人にも直感的に操作できるタブレットのプロダクトデザインにわたしは感動し、同時に火星にも他人の家に来て一人遊びにふけるような人間がいることに、呆れる。

「ほとんど寝ていないのに、今日は自転車の練習って、タフだよね」

 輻射熱に茹でられながら、わたしはレモンスカッシュをすする。

「あれじゃあ、いくら時間があっても、ものにならないけど」

 乗り方のコツを一向に掴む気配のないミュアルトゥファの特訓を眺めながら、わたしとアリカはだらだらと喋る。

「宇宙人なんだから、重力だとか、気圧だとか、身体感覚のズレっていうのはあるんだろうけどさ。根本的に、バランスが悪いんだ」

 そう言ってアリカは立ち上がる。片足を前に出し、体を斜めによじらせる。

「まあ、多少、動作が人間よりもペンギンに寄っている子とは、思うけど」

 林道ではじめて出会ったときも、歩く姿がお世辞にも上手には見えなかった。二足歩行の人間にはあまり覚えない感想だったので印象に残っている。

「地球の三分の一の重力下だとしても、あれは最適化されていないよ、運動音痴はどこにでも生まれるねえ。宇宙の神秘」

 片足で立ち、もう一方の足を直角よりもなお広く上げ、両手を広げて静止。バレエの、なんとかというポーズだ。

「……さまになってるじゃん」

 アリカの体躯には必要最低限の肉しかついていないし、そのくせ四肢はすらりと長い。音もなく立つその姿は、付け焼刃にはとても見えない。

「今でも練習してるし。ここのところは、サボりがちだけど」

 使わなきゃさびていくよなあ、と独りごちてアリカは体を戻す。なるほど、経験者か。わたしは高校より以前のアリカを知らないから、時折見せる過去の欠片に、彼女が血の通った人間であることを再認識させられる。生徒会の暴君なのは一面に過ぎず、実のところかなりミステリアスな女の子なのだ、アリカは。

「宇宙人にも、当たり前だけど、日常とか生活とか、あるんだよね」

 わたしにあるように、アリカにも生活がある。そして、ミュアルトゥファにも、彼女なりの日常が必ずある。

「ないと思いこむのは、わたしたちから見て宇宙が非日常で、宇宙飛行士は超エリートだからだ」

 なるほど、一理ある。宇宙飛行士に限らず、軍人だったり、アスリートだったり、学者先生も、何かを極めようとする人は、全ての時間を求道にあてているような偏見が、どうしてもある。

「ミュアルトゥファも、エリート?」

「どうだろ。どっちかっていうと、世間知らずのお嬢様って感じ?」

 意気投合した割には、ミュアルトゥファに対してアリカの評価は手厳しい。

 わたしは冗談のつもりで言う。

「炭酸水を知らないぐらいだし?」

「それについては、なんとなく、理由は分かるけど」

 アリカの声のトーンは、心なしか一段低くなっていた。

「火星に炭酸水がないって言うのは、火星文明が極めて人工的なものだから」

「文明はそりゃ人工的なものでしょ」

「そうじゃなく。火星という星で生命が誕生して、進化し、発展していったわけじゃなく、あるタイミングで、どこかの星から入植してきたってこと。火星の自然環境は彼らにとって生存可能だけれど最適ではないということ」

「はあ」

 唐突にはじまった火星生命論に、わたしは生返事を返すほかない。

「火星には地球の無人探査機も送られてる。なのに文明の痕跡はなに一つ発見できてない。なのに彼女は火星から来たといった。すなわち?」

「……もぐら型の宇宙人だ」

 単純な理屈だ。何千何万の人間がにらみ続けて、目をこらしている火星に足跡ひとつ見つけられないとするなら、住み処は表ではなく裏、地上ではなく地下ということになる。

「もぐらなら這い出る穴の一つは見つかるよね。それもないということは、意図的に地表に出ない、生活しようとしないってこと。火星の自然環境は苛酷だから、嵐に見舞われる地表をテラフォーミングするより、大深度地下に人工都市を建設したほうが、安全だよね」

 わたしはなんとなく、地下道をねぐらにするおじさま方の姿を連想した。

「……脳内設定喋ってない?」

 真面目くさった口ぶりなのでつい乗せられてしまったが、アリカの話に一切の根拠はない。

「火星文明は地球の文明を知っているし、地球側もまた、火星文明の存在を感知している」

「出たよ、陰謀論」

 もはやアリカはわたしの突っ込みを意に介していない。滔々と語り続ける。

「いかに学術的見地があるとは言っても、不採算事業である宇宙開発を、諸国がその予算規模を大枠は維持したまま継続するには理由がある。宇宙ステーションに人間を上げておきながら、月より先を目指す気がないのも」

「無人機は送ってるじゃん。今度も火星探査機を打ち上げるって、潮崎先生が」

 フィアナロケットと言ったっけ。週刊誌の特集記事を流し読みした限りでは、ずいぶん期待されているプロジェクトのようだった。

「人が直接訪れるということ、大地に立つということが、どういう意味合いを持つか」

 それはわたしへの問いかけのようでもあり、独白のようでもあった。

「コロンブス、かな」

 往々にして、未踏の地に到達した者は、征服者のごとき性質を持っている。がつがつしていなければ、そんなところまで辿り着かないとも言う。

 一方、土足で上がりこまれる方は当惑するばかりだ。不愉快でもある。いくら靴の汚れを落とせるのだとしても、履き物を脱ぐというプロトコルから逸脱した人間を、皆が許容できるわけではない。

 わたしは、半ば本気でミュアルトゥファに靴を買ってきて、履かせようかと思っている。スニーカーがいいだろう。ヒールの高い靴を履かせたら、足をくじいてしまいそうだ。

「価値観も文化も外見も、酷似しすぎている」

 アリカは、あえて主語を省いたのだろう。

 天然ぶって打算的で、野菜炒めをおかわりし、超絶美人の火星人。

「……実は、やっぱり、火星人じゃない?」

 実は天才マジシャンで、わたしたちの前で披露したのはイリュージョンだったり。それもかなり信じがたいごとではあるが。

「地球人と火星人は、日本人と中国人ぐらいの差しかないんじゃないか、ってこと」

「なるほど、そういうオチか」

 ちびちび飲んでいたつもりでも、気付けばレモンスカッシュはほとんど飲んでしまっていた。残った分をぐいとあおる。

 火星が先か地球が先か、順序はともかく、わたしとミュアルトゥファのミトコンドリア・イブが同一ではないか、という話だ。

 外宇宙に地球と瓜二つの惑星があって、生物が地球人類と同じような環境で進化したなら、ミュアルトゥファのような姿の人類が生まれてもおかしくない。けれど火星は、出来の悪いジャガイモだ。人の想像力がタコを住まわせるぐらいには、人間向きの世界ではない。なのに、ミュアルトゥファはそこからやってきた。

 仮説はいくらでも立てられるが、アリカの採った説はこうだ。すなわち火星文明は、そこまで遠くない過去に、地球人類史から枝分かれした社会。

「ムーの世界だね」

 がしゃんと音を立てて、ミュアルトゥファは何十回目かの転倒。下着が汗を吸って気持ちが悪い。そろそろシャワーを浴びたくなってきた。

「ナショナルジオグラフィックだよ」

 アリカは薄く笑った。

「どういう意味」

「ムーは沈んだ。火星には手が届く」

 海中深くに沈んだのはアトランティスではなかったか。どちらもだっけ。

「火星旅行の資金を貯めておかなきゃダメだよ、葛葉」

 生きているうちに宇宙旅行が実現するかもしれない。そんなお気楽なニュアンスとは到底思えない口ぶりだった。

 けれど、アリカの本心がどこにあるかは、まるで推し量れなかった。

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