第3話

 かくして清津アリカは身元不明の少女を自宅へ連れ込んだ。

 わたしは道路交通法で赤切符を切られず安堵した一方、未成年者誘拐で逮捕されないかどうか気が気でない。

 玄関で、少女はなにか戸惑っている様子だった。

「あれっ」

 よく見ると、彼女は靴を履いていなかった。全身スーツが足の先まで覆っている。

「部屋に上がる前に、足の裏を拭かないと」

「ああ。やはり、土足厳禁ですか」

 彼女は廊下に腰かけ、足を少し浮かせた。すると、靴底の部分が剥がれ落ち、脱落した部分が音もなく消え去ってしまった。

「……ハイテクですね」

「わたしが生まれた時にはこれが当たり前でした」

 どこの国の話なのだろう。舶来品には疎い。

「まあとにかく上がって。わたしが入れない」

 後ろに立つアリカが急かすので、靴を揃えて部屋に進む。

 銀髪の少女は、興味津々とばかりに部屋中を見渡している。わたしは押し入れから座布団を引っ張り出し、ローテーブルの前に置く。

「とりあえず、座って」

「どうもありがとうございます」

 日本人の容貌ではないのに、不気味なくらいなまりのないの標準語で彼女は言う。アナウンサーのようだ。

「なんだか妙なことになっちゃったけど。なんであんなところ歩いてたの?」

「そこに道があったので」

 彼女は真顔でジョージ・マロリーのようなことを言う。言葉は通じても、会話が成立するかどうか不安になってきた。

「葛葉、おしゃべりはいいけど先にお客さんにお茶出してよ。わたし晩ごはん作るから」

 アリカはいつの間にかエプロンをつけ、料理の準備に入っていた。こいつはひとまず、謎の少女と夕食をともにする前提で動いている。そしてわたしにホスト役をやれと言う。

「わたしはこれから拷問を受けることになるのでしょうか?」

 少女はとぼけたようなことを言う。キャラ作りなら大したものだ。自転車の往復で疲れていたし、ひとまず彼女の世界観に合わせて会話をした方がぐったりしなくて済みそうだ。

「場合によっては尋問はする」

 それらしい口ぶりで答えながら、冷蔵庫を開ける。ジンジャーエールがあったので、グラスに注ぐ。

「これは」

「ジンジャーエールだけど」

「飲み物なんですか」

 そこからか。わたしも高校に入るまでは飲んだことはなかったが、存在から知らない人間ははじめて見た。

 後ろでは、ジュージューと炒め物の音が聞こえる。さあ、どうしよう。なにを喋っていいのか見当がつかない。

「日本語うまいね」

「コミュニケーターの性能のおかげです。辞書的な話し方になっていると思いますが」

 出た。SF設定だ。翻訳こんにゃくみたいなものか。上手な日本語を話しているから、ここは花を持たせてやろう。

「そういう喋り方が一番無難じゃないかな。丁寧語だし」

「それはよかった。会話データは収集されて改善に反映されますから、気軽に話してくださいね」

 彼女はパソコンのフィードバック告知みたいなことを言って微笑んだ。

「じゃ、質問その一」

 中華ペーストをフライパンにぶちまけながら、アリカが会話に割り込んできた。

「あなたのお名前なんですか」

 アリカの問いは、思えばいの一番にすべきことだった。失念していた自分を恥じるが、

「×××××、です」

 どうしてか、わたしは彼女の名前を正確に聞き取ることができなかった。

「素敵な名前だね。ああ、わたしは清津アリカ。アリカ様、と呼んでね」

 どうやらアリカには聞き取れたらしい。もう一度教えてくれ、とは言いづらい。

「ありがとうございます。アリカさん」

 様をつけろと言ったアリカの要求を無視して、にこやかに笑う。

「スルーは傷つくなあ、ミュアルトゥファ」

 わたしの内心を見透かしたように、アリカが復唱してくれた。ミュアルトゥファ。確かにそんなような発音だったかもしれない。しかし、舌を噛みそうになる名前だ。どこの語圏だろう。

「ミュアルトゥファさん。わたしは、屋島葛葉です。ファーストネームでもファミリーネームでも、好きなように呼んでください」

「葛葉さんですね。どうぞ、よろしく」

「それで、わたしからも質問。失礼なのは重々承知なんですけど。それは、キャラ作り? それともメンヘラ?」

「葛葉、その質問は無粋だよ」

 脳みそにロマンしか詰まっていない女の言葉は無視する。

「すみません、辞書が古いみたいで。二者択一なのはわかったのですが、設問が不明瞭です」

 申し訳なさそうな態度につい、いいよ、と言いそうになる。だがこれは真面目な話なのだ。食い下がる。

「ミュアルトゥファさん、あなたは旅行者ですか? 興味本位でついてきたのかもしれませんが、親御さんとかからしたら冗談じゃすみませんよ」

「そこはご心配なく。単身での旅程ですから」

 スーツケースもバックパックもなく、一人で旅行? どこかに宿を取っているという風でもない。弱った。パスポートは持っているのだろうか。

 わたしが逡巡していると、アリカが問いを重ねた。

「質問その二。隕石? 彗星? それとも?」

「選択肢が増えましたが、今度は分かりますよ」

 ミュアルトゥファはくすりと笑う。さっきから思っていたが、笑い顔が妙に艶っぽい。

「宇宙船、です」

 丸みを帯びたソプラノで、彼女は答えた。

 話にならない。

 わたしは頭を抱え、アリカは、

「そうこなくっちゃ!」

 と、お玉を片手にガッツポーズを取るのだった。


 自称宇宙人のミュアルトゥファは、中華風の野菜炒めをいたく気に入ったようで、おかわりまでしていた。

 宇宙人だとするなら食事はペースト食のみだとか、そういう設定にこだわったりしないのだろうか。

「事故で宇宙船が墜落、途方にくれていたら現地民であるわたしたちに捕まった。そういうことだね」

 アリカが言う。一応、半ば強引につれてきたという自覚が彼女にもあって安心した。

「墜落ではなく不時着です。困ったことがないわけではないですが、山を降りたのは物見遊山のつもりで」

「ああ、ダメダメ。この街に見るものなんかないよ。パチンコしか娯楽がないんだ」

「パチンコとは?」

「地球人の脳を破壊するために設置された公衆洗脳装置。脳の報酬系に直接作用するんだよ」

「恐ろしいですね」

 おどろおどろしく語るアリカに神妙に頷いているが、おおむね間違っていないような気がするので訂正はしない。

「あの、ミュアルトゥファさん。そろそろ、設定と真面目な話、切り分けて話しませんか?」

 この頃になると、わたしはアリカにかつがれているのではないかと疑い始めていた。どうにも都合がよすぎる。隕石の落下は偶然としても、それに乗じてわたしを担いでいるのではないか。ミュアルトゥファは演技派の留学生で、アリカとは旧知の間柄、とか。

「荒唐無稽な話に聞こえるというのは承知しています。ですが、あなた方が納得するような整合性のあるストーリーを組み上げられるほど、わたしは地球の文化に精通してはいないのです」

 なるほど。宇宙人であるが故に、欺くことはできないと。筋は通っている。

 夕食の間に聞いたミュアルトゥファの話を要約するとこうだ。

 彼女はUFOで地球観光に来ていた宇宙人。ヒューマンエラーによる事故で操縦トラブルを起こし、あの小山に宇宙船を突っ込ませた。遮蔽シールドを張っているから見つかることはないが、落ち着くまで再離陸を待つことにした。せっかくだから偶然辿り着いた街を見物しようと山を降りる道を歩いていたら、わたしたちに声をかけられた。

 乾いた笑いがこぼれる。なんともファジー、なんとも大味。リアル志向のエスエフにあるまじき作りこみの甘さ! ただ、個人が気軽に宇宙旅行するような科学技術を有していて、技術の安全性を敷衍していった先に残るリスクは進歩しない人間のみというのは、いかにも寓話めいている。浅くはあるが、嫌いではなかった。

「現在、宇宙船は緊急着陸の対ショックモードになっています。再出航には、システムチェックと再起動を行わなければなりません。それ自体は問題がないのですが」

 ミュアルトゥファはお茶をすする。深刻さは感じられなかった。

「再起動の際に、ステルス機能が一度リセットされてしまいます。強行離陸は可能ですが、あまり目撃はされたくないです」

 UFOと騒ぎ立てられたら、ほとぼりが冷めるまで再び来られなくなりますから、と。

「警察の現場検証が終われば、あの一帯に人はそうそう立ち寄らないでしょう。ですから、数日待ちさえすれば、それでいいのです」

 こともなげに言うミュアルトゥファだが、話を聞く限り、喫緊の課題が一つある。

「……あの山、イノシシ出るって、警察が言ってたけど」

「イノシシ、とは?」

「えっとね。イノシシ、これね。地球の野生動物でね、結構強い。たまにタタリガミにもなる」

 アリカはタブレットでイノシシを紹介するページを開いて見せた。ミュアルトゥファはそれをしばし凝視して、

「体長170センチ、体重180キロ、ええと、単位換算すると」

 絶句した。

「その、宇宙船って設定が、あの山の中のキャンプだとしたら、絶対にやめた方がいいよ」

 素直に忠告する。自分より大きな動物に対して戦えるのは空手の達人ぐらいだ。鳥獣駆除は、銃を持っていたって危険を伴う。

「……そうですね。許可のないまま現地の動植物を殺傷するのは規則違反ですし、イノシシの死体が見つかれば、山に人が巡回しかねませんね」

 設定を捨てる気はなさそうだが、危機そのものは了解したらしい。どうしよう、と呟くのが聞こえた。

「困りました。通貨を持っていませんから、宿も取れませんし、食料品の調達も難しいです」

 持ち合わせがないのか。どこまで信用していいのかは分からないが、同年代と思しき少女がふらふらと街をうろつくのを、よしとはできない。

「それならうち泊まればいいじゃん」

 当然のいう口ぶりでアリカは言った。

「ここ、狭いけど。わたし一人暮らしだし。布団、もう一組あるし」

「……よろしいのですか? なにもお返しはできませんが」

「いやいや、わたしにもそれなりの魂胆があってね」

 餌をちらつかせておいて、食いついたら逃がさないのがアリカだ。

「隕石、本当は宇宙船だったわけだけど。わたしたちは見物できずに消化不良なんだよ。だからなんか、宇宙すごい、っていうのが一発で分かるやつ見せてよ。反物質とかそういうのでいいから」

「反物質、さすがにわたしの星でも実験室の段階です……」

 それはよかった。反物質を実用化している文明があったら、地球なんてあっという間に滅ぼされてしまう。

「そうですね」

 少し考えてから、ミュアルトゥファはパチンコ玉ぐらいの大きさの、赤褐色の球体を取り出す。それを空のグラスの中に落としてから、なにごとかを唱える。

 すると、赤い玉がその形を崩し、赤褐色の液体が溢れんばかりにグラスの中を満たした。

 わたしは口を半開きにして、呆然とする。

「質量保存の法則、完全無視だ……」

「アリカ、そんな時代遅れなことを言ってたら野蛮人だって笑われるよ」

 一緒に信じられないものを目撃したはずのアリカは、平然と笑っている。

「なに、わたしが間違ってるの」

「実用上、見かけ上はそうだから今も使われているだけで、質量保存の法則は自然の基底的法則じゃない。むしろ物理学全体から見たら、質量保存の法則が適用されるほうが、多いというだけでイレギュラーなの」

「……そうなの?」

「これは真面目な話。というか、青柳が授業で言ってたけど」

 わたしは科学分野の科目が全般的に、得意ではない。青柳教諭の授業の記憶を追想するが、何も思い出せない。大体眠っていたからだ。

「あのう。そろそろ、披露しようかと思うのですが」

「今のじゃないの!?」

 ミュアルトゥファの言葉にわたしは動揺を隠せない。今ので十分驚異的だったのに、前座だったというのか。

「あ、はい。これから、その、ええと」

「どうしたの」

「あの、翻訳に精度不足のアラートが出ているので、伝わらなかったらおっしゃってください」

 どうやら、これから行うことに対して適切な訳語が思いつかないらしい。前置きして、彼女は言った。

「これから、魔法をお見せします」

 軽いめまいがした。SFからファンタジーに急ハンドルを取られると、ついていけない。

「……やっぱり、伝わっていませんか?」

「ああ、大丈夫。葛葉は頭が固いだけだから」

 アリカは気楽に言ってくれる。自分は楽しければいいかもしれないが。

「分かりました。では、行きますよ」

 次の瞬間、ミュアルトゥファは忽然と姿を消した。

「いない!?」

 音もなく彼女はいなくなった。テレポート?

「いや、後ろにいるじゃん」

「えっ」

振り返ると、ミュアルトゥファが真後ろに立っていた。けれど、してやったりという表情ではなく、明らかに困惑の色が浮かんでいた。

「何故、見えたんですか、アリカさん」

「見えたもなにも、グラスの中の液体が減ったと思ったらミュアルトゥファが立ち上がって、葛葉の後ろに回りこんだだけでしょ」

 アリカの発言にわたしは耳を疑った。そんなはずはない。確かにミュアルトゥファは目の前から消えたのだ。

「……わたしは、容器に注いだエーテルを消費して、認識遮蔽の魔法を使いました。近づく人々に対して、そこにいる、という存在を失認させるというものです。山道を歩いている時も、使っていたのに」

 確かに、夕方に出会った時も「見えるんですか」と言っていた。

「ああ。だから、ついてきたの?」

「そうですね。そもそも、現地民との接触そのものが想定外だったんです。宇宙船と同様に、わたしも見つかりようがないんですから。なのに声をかけられて、とても驚きました」

 その割にはのりのりで二人乗りをした気がするが、しかし。

「認めざるを、えない……」

 わたしは常識を重んじる。オカルトを信じない。起こりうるべくもないことは起こらない。しかし、彼女は姿を消してみせた。これを否定すれば、わたしの認識能力に重大な欠陥が生じていることになる。絶望的なパターンよりは、超常現象が存在することをわたしは選ぶ。

「信じていただけましたか」

 その言葉に、わたしは観念して頷いた。

「うん。これは仕方がない。ミュアルトゥファ、あなたは確かに宇宙人なんだね」

 こうなると、おかしいのはアリカの方だ。わたしとアリカとで、世界の見え方が違う。

 わたしが訊ねようとした矢先、アリカが口を開いた。

「ところでさ。この液体、味見してもいい」

「え……」

 わたしとミュアルトゥファは、ほとんど同時にそう呟いた。

 アリカの視線はグラスの中の薄い赤色の液体に注がれている。半分ほどに量が減ったそれを、飲もうというのか?

「ええと。大丈夫でしょうか。飲んだ、という話を聞いたことがなくて」

 ミュアルトゥファも液体が何で出来ているかは知らないらしかった。

「……一口飲んだだけで死んじゃう猛毒だったりしない?」

「その、組成がなんだったかはわたしもはっきりとは。教科書には、植物由来の材料で古代に作られたと、あったはずなので、まあ」

「ミュアルトゥファさんって、あんまり学校の勉強、できない?」

「得手不得手がはっきりとは、しています」

 歯切れの悪い物言いに、わたしは共感を覚えた。得体の知れない少女だが、あまり成績が振るわないという点で同士であるようだ。

 鼻を近づけて臭いを嗅いでいたアリカだったが、

「まあいけるっしょ」

 と、グラスに口をつけてしまった。

「あっ、あー」

 どうしていいか分からずおろおろするわたしたちを尻目に、アリカはワインのテイスティングのように口を動かし、飲み込んでしまった。

 そのままうつむいて身じろぎひとつしない。

「死んじゃった?」

「いえ、呼吸してますよ。まだ」

 二人して立ち尽くしていると、顔を上げたアリカが、どこか陶然と、呟いた。

「火星ソーダだ……」

「ちょっと、それって」

 アリカの言葉にわたしは耳を疑った。ミュアルトゥファの魔法の触媒が、火星ソーダ?

「……わたし、宇宙から来たとは言いました。ですが、火星から来たって、言いましたっけ」

 ミュアルトゥファは小さく呟く。そして、沈黙が降りた。

 エアコンの排気音が、やけに耳障りだった。

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