第4話 微かに揺らめく心の灯火

 店内はレトロな雰囲気が漂う落ち着いた空間。これを更に引き立てていたものがクラシック音楽。カウンター席の横には、年代を思わせる古いレコードプレイヤーが置いてあった。そこから聴こえてくる曲は、なんとも繊細で心を惹かれるような癒しのある響き。


 この音色に包まれながら、二人は注文したメニューをゆっくりと待つ……。


「お待たせしました」


 ほどなくすると、声と共に注文した品がテーブルへ運ばれてくる。それはこの店で人気の一杯。マスター特製のブレンド珈琲と、妻が手作りしたシフォンケーキである。その香りよい飲み物を口に含む陽日はるひ


 ごくりと喉の奥が音を立てた瞬間――、思わず目を見開き声をあげる。


「――美味しい! こんな美味しい珈琲を飲んだのは初めてです!」

「でしょう、坊ちゃま。マスターが淹れる珈琲は特別なんです。それに合うのが、奥様が作られるケーキ。どちらも一度召し上がると、癖になるんですよ」


「ありがとうございます。そう言ってもらえると、頑張ってきた甲斐があるというものです。ですが……それもあと数日」


 智哉ともやの称賛に、マスターは照れ臭そうにお礼を言う。けれど、表情はどこか寂しそう。


「数日? マスターどういうことですか?」

「じつは……病気のため、今月いっぱいで店を畳もうと思っているんです」


 智哉ともやの問いかけに、店の閉店について語るマスター。以前から患っていた病気が悪化してしまい、無理はしないようにと医師からの診断を受けたそうだ。そこでマスターは思い悩み、この喫茶店を畳もうと決意したとのこと。


「そうだったんですね」

「ええ、私たち夫婦に子供でもいれば、店を継がせたんですけどね」


 マスターは、どこか遠くを見つめるように語り続ける。それはまるで、昔を懐かしむような眼差しだった……。


「おっと! こうしてはいられない。別のお客様に、注文を聞きに行かなければなりませんでした。――では西条さいじょうさん、ゆっくりしていって下さいね」

「はい、ありがとうございます」


 マスターは注文を受けるため、他のテーブル席へ水を運んでいく。そして再び、二人だけの時間を過ごす。そんな中――、暫くして陽日はるひが静かに口を開く……。


智哉ともやさん……実は、折り入ってご相談があるのです」

「相談ですか?」


 突然の言葉に、智哉ともやは不思議そうな表情を浮かべる。すると、陽日はるひは真剣な眼差しで話を続けた。


「はい。話というのは、これを智哉ともやさんの手で実現させてもらえないでしょうか」

「それは……USB?」


 陽日はるひ智哉ともやに手渡したのは、記録が保存された装置。この中には、彼が開発した最先端の医療技術と、AIのプログラム情報が入っているという。


「この技術があれば、きっと多くの命と科学の発展に繋がるはず。ですが……まだ開発途中の代物です」

「開発中?」


 USBメモリを手渡す陽日はるひは、懇願するように頼み込む。しかし、なぜ自分に託すのか疑問を抱く智哉ともや


「はい、僕が転送装置に時間をかけすぎたために、完成させることが出来ませんでした」

「それなら装置が完成した後に、一緒に取り組めばいいじゃありませんか」


 装置の開発に時間を費やした陽日はるひ。けれど、智哉ともやは完成してからでも遅くないと語る。


「だから言ったではありませんか、時間をかけすぎたと……」

「それは、どういう意味ですか?」


「僕はずっと、USBを持ち歩きながら渡す機会を窺っていました。いつ話せばいいか、いつ伝えるべきか」

「ちょっと待ってください。坊ちゃまは、さっきから何を言っているのですか?」


 話す内容が理解できず、智哉ともやは混乱した様子を見せる。この状況に、陽日はるひは相手の目を真っ直ぐに見つめながら、ゆっくりと口を開いた……。


「僕の命はあと僅か……末期がんなんですよ」

「末期……がん?」


 陽日はるひが発した言葉に対し、智哉ともやはショックのあまり項垂れてしまう。それもそのはず、医療の開発を先に進めていれば、最先端技術により助かったかも知れないからだ。


「ですから、僕には時間がありません。なので、最後のお願いを聞いてもらえないでしょうか」


 陽日はるひは手を握り、切ない想いを訴えかける。その託された言葉に、驚愕の表情を浮かべる智哉ともや。そこから窺えたのは、笑みを失い啞然と佇む姿であった…………。

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