灰被物語

里下鳥太幸

灰被物語

 さて皆様は、シンデレラ・ストーリーというのをご存知で御座いませうか?長らく境遇に恵まれずにいた女性が、最後にはシンデレラの如く素晴らしく幸福を手にする。こう云った話に御座います。此れより語らせて頂くお話も、丁度そういう類のお話となります。

 エェ、今は昔に御座います。此方シンデレラ、齢は三〇、OLにして入社八年目。彼の大戦の不景気にありながら、遂に内定を掴み取ったが悪いか、積み上がった書類の山、職場の其処此処から立ち昇る悲鳴・溜息・罵詈雑言。働けど働けどシンデレラの暮し向きは一向楽に成りませぬ。

 日附は十二月三一日の大晦日。シンデレラ明日は年に一度きりの休暇に御座います。マァ皆様であれば、旅行にいくだとか趣味に耽るだとか、お考えにもなりましょうが、嗚呼憐れなシンデレラ。此の女には、酒を呷る事より良い時間の使い方が、微塵も浮かばなかったので御座います。此の女のオフィスは繁華街に在りますので、呑屋も亦多く在るので御座います。シンデレラはタイムカードを切って退社をし、適当に近くの呑屋へ入って、安い麦酒を一本空ければ、平生麦酒など飲む暇も無いシンデレラの事で御座います。果たして直ぐに酔いが回って、アレが嫌だコレが非道い等と独り一頻り愚痴を吐くと、その儘グゥと眠って仕舞ったので御座います。

 酩酊泥酔のシンデレラ、酔いもまだ深い中に呑屋の店主に店を追い出され、取り出したスマァトフォンの時刻を見れば大体二二時の十分。さて此処でシンデレラ或る事に気附きます。シンデレラの住うニュータウンの最寄りの駅に在ります。そして其処に停まる最終列車の発車時刻、と云うのが丁度〇時なので御座います。加えてその列車に乗る為にも又、別の列車を使わなければならぬ、ときたもんだから、畢竟シンデレラはかなり急がなければなりませぬ。

 千鳥足のシンデレラが壁伝い、ユラリユラリ練り歩いて往くは繁華街。通行人に二度三度、ぶつかりながら何とか駅に辿り着きました。鈍行列車へ乗り込んで、空いたシートに身を委ね、サァもう之で一安心と忽ち意識は夢の中。・・・


 気が付くと私は、カボチャの馬車に乗っていたの。素敵なドレス、それにガラスの靴だって履いていた。私は馬車を降りて、辺りを見渡し歩いていたわ。そうしたら、突然視界が開けて、目の前にとっても大きなお城があったの!今日はそう、お城の舞踏会の日だったの。今までずっといじわるな姉達にイジメられてきた私。こんな私もかわいくおめかしをして、やっと今日シンデレラになれるのね!お城に入ると、ハンサムな王子様が私を待っていて、豪華なシャンデリアの下、二人は一緒にダンスを踊って、そうしてパーティーはクライマックスを迎えるの。そこで王子様は私の顔を引き寄せて。私はまるで世界から音が無くなったみたいに何も聞こえなくなって、そして、王子様と愛にあふれた熱いキスを・・・


 なぁんて筈は有りませぬ。戯けた夢から醒めたシンデレラ。その視線の先に在ったのはハンサムな王子様の貌などでは無く、中年の巡査の、頬の肉が垂れ下がった醜い面で御座いました。エェ、之がどういう事かと申しますと、駅で列車より降りた後、駅の前でシンデレラ昏倒致します。そして巡査に保護されて駅前の交番で目を醒ました。と、こう云う訳で御座います。背中にはびっっしりと寒い汗を掻いておりまして、斯様な恥ずかしい目に遭っていながらも、シンデレラの酔いは未だ醒めていなかったので御座います。容態を気に掛けて覗き込んでいた巡査を振り払って、ドッダダダと交番を飛び出してゆきます。

さて時刻は二三時半に御座います。シンデレラはもう顔を耳まで真赤にしまして、云数年振りに走る走る走る!誰が後ろから見ていても大笑いするほど一生懸命に駆けてゆきます。まあしかし履物がパンプスなのに加えて、少し前まで酔い潰れていた訳ですからね。突然立ち止まったかと思えば、電柱に突っ伏しました。

「おぇぇぇぇぇっっ!!」胃の中の物を何から何まで嘔吐しまして、そうして又甲斐甲斐しく走り出します。又嘔吐する。之を繰り返しなさいます。もう全身にアルコホウルが巡って仕舞ったから、ブロック塀に彼方此方ぶつかりながら走ります。この線路沿いの一本道を往けば、目指す駅に到着出来ます。

しかし此処でシンデレラ。とうとう力尽きて俯せに倒れました。

 視界はグワングワンと揺れて、涙に輪郭は滲んでゆきます。頭もさっきからずっと痛くって痛くって仕様がない。おまけに粘っこい唾液が口の中にどんどん溜って、それはもう形容し難い気持悪さが全身を侵してゆくのです。そうやって終いには、シンデレラは意識を復た失って仕舞ったので御座います。


 気が付くと私の前には、優しい王子様が手を差し伸べていてくれていた。私は王子様に手を伸ばした。ただ虚空を掴んだだけだった。そうね、最初から王子様なんて全部幻想だったんだ。誰も私を助けてはくれない。昔から生きにくかった。どれだけ私が頑張っても、人から褒められるほどの結果は出せなかった。誰も見てくれやしないのに、なんで走っていたんだろう。私は。こんな歳なのにお酒の所為で涙と鼻水が止まらない。どうして何も努力をしていない姉達は裕福に暮らしていて、私はこんなに惨めなの。どうして私は走っていたんだろう。酔いの魔法は覚めてしまった。〇時はもうきっと回ってしまっている。ああ、いつの間にか泣き叫んでいた。寒い。全身寒い汗でベトベトだ。きっとどこかで私も、幸せになれるはずだったのに。

 それでも、まだ諦めきれない自分がいた。ここで諦めれば、死ぬまで何も成し遂げられない気がした。これこそ幸せになる最後のチャンスなんだ。俄然、元気が出てきた。まだ〇時まで時間があるように思えてきた。走ろう。私は何とか立ち上がった。


 シンデレラは震える脚で立ち上がり又、前に進もうとしています。一寸ずつ勢いをつけて走り出します。そうして直ぐに遮断機が見えて参りました。この遮断機を越えれば駅は直ぐ其処で御座います。さあ今まで無為に人生を生きてきたシンデレラ。その哀れな人生もやっと此れにて救われましょう。

 フッ、と。此処で張り詰めた神経が緩んだシンデレラ。遮断機のカンカンと云う警告も、まるで世界から音が無くなった様に、何も聞こえなくなっております。悲しいことに、今更気が附いても停まれやしません。アスファルトの凹みに躓いて、勢いよくバッターーンとばかりに倒れこみますは遮断機の彼岸。

 ドッカーーーン!・・・

 シンデレラの肢体は、電車に弾かれ早、闇の彼方へ。そしてそんな事はつゆ知らず、あれ程求めていた列車は非情にも通過して往きます。その場にただ一つ残されたものは、遮断機の手前、シンデレラの転んだ時に脱げた、片足だけの煤けた安いパンプスのみ。それを拾う王子様などいる筈も無いので御座います。


 アァ可哀想なシンデレラ。結局最期まで幸福は手に入りませんでした。彼れほど苦労して苦しい苦しいと喚いてゐながら、其の実首を絞めているのは自分なのですから仕様がありません。自分が努力出来ていると勘違いをして、報われないと嘆いていらっしゃる。並大抵の努力もせずに、人並以上の幸福を得ようなど烏滸がましいにも程と云う物が御座います。

 さて物語と云う以上、主人公が死んで仕舞えば、たとい終いがどれだけ不幸で、亦中途半端だとしても、お決りの文言で終わらせねばなりませぬ。サァそれでは「灰被物語」、此れにて


 めでたし、めでたし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灰被物語 里下鳥太幸 @satogetori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ