第11話 真っ暗な部屋で2人


 どうやって記者を撒いてたのか覚えていない。気づいたら部屋にいた。

 涙枯れた。頭はモヤモヤし、鉛が置かれたように体が重い。

 隣には白沢がいる。今日は一人で泊まれると話をしたのにまだ帰らないでいてくれる。心配して一緒にいてくれているのだろうか? 白沢だって傷ついただろうに。本当に白沢は優しい。


 だけど白沢になんて声を掛けたら良いか分からず、避けるように力の入らない足でソファまで歩き、腰を落とす。必要最低限の家具の中に最近迎え入れられたうさ沢を抱きしめながらこれからのことを考えた。

 事務所は私のことを守ってくれると言っていた。だけど、ここまで夢中になるとは思っていない。

 感情に身を任せて沢山余計なことを喋ってしまった。

 これは仕事に支障が出ると言っても過言ではないだろう。


 どうしよう。どうすればいい。どうしたらよかった?

 白沢にお別れを告げられたときに頭が真っ白になった。

 一生の別れのように感じてつい感情的になってしまった。どうして今日で最後にしようなんて言ったの?

 一緒の時間を過ごして仲は深まっていったと思っていた。だけどそれは私の勘違いで、白沢は先払いに負い目を感じて付き合ってくれていただけだったのだろうか。


 ううん、白沢は悪くない。白沢はいい流れを作ってくれたんだ。

 私があの数分我慢して黙って聞いていればよかったんだ。

 最後にしよう、と言ったのは嘘だったのかもしれない。あそこで解散したあと連絡を取れば、また元の関係に戻れたかもしれない。ああ、私の悪手に失望してしまっただろうか。

 頭の中で取り留めのない考えがぐるぐると巡る。考えても仕方がないことなのに後悔しては次の後悔がやってくる。

 興奮で息が浅い。考えがまとまらないのは酸素が頭に回っていないことも原因だろう。


「電気、つけますね」


 何も喋らないで蹲る私に観念したのか、白沢が背中側から話しかける。

 返事をしようとしたが喉の奥に声が引っかかり通過できた息だけが出る。失礼な態度をとったことにまた嫌悪感が湧いてきた。

 電気をつけてくれたことで、うさ沢が防ぎきれなかった光が視界に入ってきた。なんだか明るさが現実を見るようで怖く感じ、なるべく暗いままでいれるようにと、うさ沢を抱き締める力を更に強くする。

 せっかく取ってもらったうさ沢が顔を押し付けたせいで化粧が付いて汚くなっていく。大切なぬいぐるみなのに。私は大切なものを汚くしてしまう存在なのだろうか。

 頑張って生きてきたつもりだった。だけど頑張りだけではどうしにもならないことが世の中にはたくさんあるんだ。


「もういいや」


 言葉にした途端、肩の力がすっと抜けた。

 一つ失ったなら、失っていない方を大切にしよう。過ぎてしまったことは仕方ない。考えたところで時間は戻ってこない。ならばまだ失っていない、目の前の大切なものに顔を向けるべきだ。


◇ ◇ ◇


 叶野さんは部屋に入るなり、電気も付けずによろよろと座り込んだ。元々華奢ではあるが今日はその背中がより小さく見えた。肩を震わせている。泣いているのだろうか。仕組まれたことだったとはいえ、当初の予定とは予想もしていなかった着地点となってしまった。


 私は何をすればいい?

 肩に手を添えて優しい言葉をかければいいのだろうか。優しく抱きしめて相手を安心させればいいのだろうか。しかしなんと声を掛けたら良いのだろうか。というかこうなったのも全て私のせいではないか?


「電気、つけますね」


 考えた結果、まず思いついた答えがこれだった。暗い気持ちのときには暗いところにいない方が良い。そう思った。

 いろんな選択肢がある中でこれしか実行できない自分の気の利かなさを呪いたい。

 叶野さんから返事はない。

 叶野さんの近くまで行き、しゃがんで叶野さんの背中へ声を掛ける。


「すみません。叶野さんの計画を台無しにして」


 当初の予定は「熱愛報道」だった。しかし私が話したのは、私がなんらかの事情を抱えており、叶野さんへ恋人の振りをしてもらっているという、「なんでもない関係」。

 好き勝手なことを言って叶野さんを傷つけようとする記者への態度が気に入らなくて、動かずにはいられなかった。


 お互いに黙り込み、静かな時間が流れる。


 沈黙を破ったのは叶野さんだった。


「しろさわ」


 名前を呼び、身体の向きを変え私の方へ向き合う形にしてくれた。

 叶野さんはぬいぐるみから顔を上げ、


「もう一回ちゅーしたら、また恋人になってくれる?」


 という。私のことを見上げるその瞳は赤く、少し腫れていた。身体の重心を前へ移し、叶野さんの方へ少し近づく。


「擦りましたか? 少し腫れてる……」

「しろさわ……」


 私の問いかけに答えることなく、ゆっくりと顔を近づけてくる。このままキスへと持ち込むつもりだろうか? 考え事が多すぎて判断能力が低下しているのかもしれない。気持ちは嬉しいが、私は――


「むぐぐ」


 寸前のところで叶野さんの唇を両手で塞ぎ未遂に終わらせる。

 途端に叶野さんの目に水滴が集まる。私の反応を拒絶だと考えたのだろうか。

 手を伝ってもごもごと叶野さんが何かを言っている振動が伝わる。明瞭に聞き取ることはできなかったが、どうしてと不安な言葉を吐いているのだろう。


 これは拒絶じゃない。


それだけをしっかり伝えなくてはいけないと思い、思っていることを目を見てしっかりと言葉にする。


「もっと自分を大切にしてください。そんなことしなくても私は、貴方のそばにいます」


 全て私のせいだ。私がろくでもない条件を提示したばかりに、叶野さんは対価を払わないと一緒にいれないと思ってしまっているのだろう。

 見返りはいらない。叶野さんが幸せなのがいい。だって


「叶野さんのことが、好きですから」


 叶野さんは目に溜めていた涙が溢れ出す。

 喜びなのか、安心からなのか、どういう理由かは分からない。


 * * *


 私が泣き崩れてから暫く経ち、ようやく落ち着いてきた。

 白沢は何も言わずに隣にいてくれ、時折背中を撫でるなどしてくれた。


 泣くことがストレス解消になると聞いたことがあったけど本当にそうで、涙を流してから頭のモヤモヤはどこかへと消え去った。

 この先がどうなるか分からない漠然とした不安はあるが、過去を振り返ってどこが悪かったかと原因を追及することはなくなった。原因が分かったところでやり直すことはできないし、考えたところで未来は変わらない。今は記事が公開されるまでの今までと変わらない日常を大切にする方が良いと結論付けた。

 とりあえず明日も朝にレッスンがあるため寝ることにした。


 狭いソファに

 二人で。


 明日は白沢も朝から予定があるため寝なければならない。前回のお泊りでも分かっていたようにこの部屋には一人が寝るための家具しかない。頑張れば床にクッションを並べその上で寝ることもできる。だけどそんなことを白沢にさせたくなかったし、白沢にも止められた。その結果、ソファで一緒に寝ることになったのだった。

 仰向けで眠るには狭すぎるためお互いに向かい合った態勢となった。さすが恥ずかしいので私の顔は白沢の顎と胸の間のちょうど引っ込んでいるスペースに収納している。

 腕は……成り行き任せに伸ばした。白沢の身体を抱きつくような態勢になっているが、これは狭いソファで寝るため仕方なくやっていることだ。そう、他意はない。……はず。


「不安ですか?」


 黙り込んでいる私を心配してか声を掛けてくれた。心配した様子ではなく、いつもの淡々としたしゃべり方だ。普段と同じ喋り方で却って落ち着いた。


「ちょっとだけ」

「叶野さんなら大丈夫ですよ」

「うん。ありがとう」


 白沢が優しく抱き締めてくれる。より近づいたことで白沢の体温を感じられ、より心のざわめきが鎮められる。


「ねぇ、白沢の好きってどういう好き?」

「一緒にいたいの好きです」

「一緒にいたいって? ファンとして? それとも」


 恋人として?

 声に出すのが恥ずかしくなり、言葉を濁してしまった。


 白沢には言いたいことが伝わらなかったようで「?」という吐息を頭の上で感じた。

 この状況は恋人の距離と言えなくもない。しかし女同士というのが厄介なポイントである。男女であれば恋愛感情がないと抱き合ったり、同じ部屋で一晩を過ごすということはしないだろう。だけど女同士であると同じ部屋で過ごすのは抵抗がないし、簡単に抱き着いたりし合える。だから確信することができなかった。


「永遠を誓いましょうか?」

「⁉」

「そういう意味の一緒にいたいです」


 恥ずかしいことを恥ずかしがることなく言う。白沢はこういうことを言うのに慣れているのだろうか? 誰かと付き合った経験があるのだろうか。それはちょっと嫌だ。私だけドキドキしているみたいじゃんか。


 少し寂しい気持ちを埋めるために、白沢への抱きつく力を強め、身体はより密着させる。私のことでいっぱいになってほしい。

 そこで私は鼓動に気づいた。自身の振動も速いが、デコルテあたりからも大きく、速い振動が伝わってくる。


「白沢、ドキドキしてるの?」

「…………」

「ドキドキ、伝わってくるよ。こういうの初めて?」

「大切な人はそう簡単にはできません」


 完全な否定はしない。つまり、初めてだという意味だ。その事実に寂しい気持ちは一瞬で消え、自然と笑みが溢れる。


「えへへ。お揃いだね」


 不安が消えるとすぐに欲が湧いてくる。


「じゃあさ、じゃあさ。もっとドキドキすることする?」


 密着しているため顔を見て言うことはできなかったが、顎を気持ち上に向け白沢へと問いかけた。


「しません」

「え」


 まさかの答えに心身が硬直した。白沢もそれに気づいたようで「いつかはします」と口を開き、補足をする。


「心の隙間を埋めようとしないでください。そういうことは満たされているときにするのがいいんですよ」


 満身創痍の今は手を出さないという意味だろう。


 「どんな結末になっても、ずっと貴方の隣にいます。だから今はこれで我慢してください」

「……白沢のいじわる」


 目先の欲へ気を取られていた自分が恥ずかしくなり、白沢へと当たってしまった。


「今はこれで、我慢してあげる」

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