第10話 終わりたくない
今日も白沢と遊びに出かけた。デートと呼ぶには程遠い、日用品の買い出しに付き合ってもらうような、そんなおでかけ。途中でいちごクレープを一緒に食べたり、ハンドソープを白沢に選んでもらったりと、白沢が一緒だから楽しかった。
今はその帰り道であり、もう少し一緒に居たいとわがままを言って白沢に送ってもらっている。
冬もそろそろ終わるというのにまだ温かさはやってこず、指先が悴んでいる。
日も落ちて辺りは暗く、周りに人はいない。暖を取るには絶好の環境だった。
「白沢。手、貸して」
「何でですか」
「寒いから。白沢で暖を取りたい」
私はカイロ代わりですか? と白沢は不満そうな顔をしているが勝手に手を繋ぐ。じわじわと温かさが伝わってきた。
「あったかい」
「代謝は良いと思います。私が末端冷え性じゃなくて良かったですね」
「ふふん。白沢の体温が高いことは知ってたんだよ」
なんで? と言いたいように不思議そうな顔をせる。仕方がないから説明してあげることにした。
「前に白沢の大学へ遊びに行ったときに、繋いだことがあって」
授業をサボると言い出した白沢に動揺してどうしたら良いか分からず動けないでいたときに手を取って教室を抜け出したときのことを話す。手を引っ張られたと言うのが正しいのかもしれないが、手を繋いだことには変わりない。
「あれはサボりではありません」
ムスっとサボったことを否定し、「よく覚えていますね」と言われたので
「仕事柄、記憶力は鍛えているので」
えっへんと胸を張りドヤ顔をした。
「白沢と一緒にいるようになってそろそろ1ヶ月だね」
「はい」
白沢は相槌を取る。最初は会話が終わるから苦手だった返事。
だけど白沢と一緒に過ごすうちに気まずい沈黙から安心する静けさへと変わった。それに白沢は会話を終わらせるために短い返事をするわけではない。ただただ会話をすることに慣れていないだけなんだ。
「色んなところ行ったよね。大学行って、カフェ行って、お家にも来てもらってー……」
「行きたいところは行けましたか?」
「ううん、全然。今度猫カフェ行こうよ」
勢いよくお願いすると、目を細めて優しい顔をする。いいよ、という表情だ。
「やった。白沢、絶対猫好きだと思ってたんだ」
「犬派です」
「そうなの? 白沢は猫っぽいのに?」
「猫はコミュニケーションの仕方が分からないので」
マイペースに寝たりうろついたりする猫。そこから離れたところで猫を見ずに飲食をする白沢。お互いに一歩も近づこうとしない姿が手に取るように想像できる。
「ふふっ、似た者同士ってことか」
想像しては笑いがこぼれる。
「犬カフェでもいいよ。私、ポメラニアンが好き」
「似てますよね」
私がポメラニアンに似てるってことは、私は犬っぽい。つまりそれって、
「凛々架派ってこと?」
「何を考えてそうなったんですか」
可愛く首を傾げて聞いてみたが、ばっさり切り捨てられた。
「私は白沢派だけどね」
「……もうこの話はやめましょう」
少し手の温度が上がった気がした。ちょっと照れてる?
「照れちゃったの? ……って、あ。そっか」
気づけば事務所が借りてくれた家の手前まで辿り着いていた。今日はこっちの家に泊まる日だ。
白沢がうさ沢をとってくれたお陰で、一人で過ごす夜も少しだけマシになってきた。なので、泊まってもらず一人で帰る予定になっている。
このまま帰るのが名残惜しい。ちょっとわがままを言っちゃダメかな?
様子を伺うように上目遣いで顔を見上げると「?」という顔をされる。だめだ、誘惑に負けそうだ。
「ううん、なんでもない。送ってくれてありがとう。暗いから白沢も――」
気をつけて、そう、あと一言だった。一言言えば、解散して家に入って今日が平穏に終わるはずだったのに。
「こんばんは、叶野凜々架さん」
私たちは見覚えのない、中年の男性に声をかけられた。名乗られなくても予感した。
「私(わたくし)、熱愛専門のネットニュースの記者をしております砂原と申します。どうぞ、こちら名刺です」
わざと感溢れる畏まった挨拶をし、片手で名刺を渡される。名刺には「記者」と書いてあり一気に現実に引き戻される。
いつの間にか忘れていた自分の使命を思い出した。私の楽しい日々はここで終わるんだ。
記者から白沢を遠ざけるために斜め前に一本踏み出した。緊張から手に力が入る。繋いだ手は解けなかった。
「いやぁ、最近ねタレコミがあったんですよ。推している地下アイドルのセンターに恋人が出来たっぽいって。……正直デビューもしていない注目度低めの地下アイドルの記事を書いたところで誰が見るんだって思ってるんだけど、さ」
敬語ではあるが馴れ馴れしい態度。言わなくていいをわざわざ言ってくる言葉選び。下に見ている相手へする喋り方だ。
「書いてくれたら『これ』弾むって」
親指と人さし指で丸をつくる。どうやら事務所は匿名でお金を積み、記者へリークしたようだ。
「太いファンが居て幸せだねぇ。……いや、もう降りたのか? 幸せなのはファン(そいつ)に目を掛けられた俺なのかもしれないな」
マシンガントークを繰り広げる相手に会話を挟むタイミングが見つからず、記者の独走状態となる。
「ということで、仕方なく君のことをマークしてたんだよね」
相手は私の目をしっかりと捉え、逃げられない精神状態へと持ち込む。
事前に準備していた台詞がある。一言言って、家に入ろうと計画していたが緊張して足が動かない。
「君のことを張ってすぐにそれらしい相手は見つけたよ。でも、さ」
厭らしい顔で私から白沢へ視線を移す。
白沢と目が合ったところで「ねぇ……?」と意味ありげに言葉を発した。
そして満足したように視線を私へと戻し気持ち悪い笑みを浮かべる。
だめだ。何が言いたいのか分かる。きっとこれから
「プライベートなことなので。失礼します」
準備していた台詞を吐く。緊張で弱々しい声になってしまった。
繋いだ手で白沢を引っ張り、建物のエントランスへと向かう。
しかし、記者は諦めてくれない。追いかけるように先ほどより大きな声で話かけてきた。
「凜々架ちゃん、女の子が好きなんだ?」
触れて欲しくないことを言ってきた。矛先は私だ。記者は白沢を傷つける意志はない。
息を吐き、気持ちを整える。このまま建物に入れば終わりだ。早く入ろう。
先ほどの発言を見る感じ、きっとこの人は前時代的な考え方をする人だ。同性愛者だと思われること、公表されることは別に問題ない。だけど、白沢が傷つくことを聞かせたくはなかった。
エントランス前までたどり着き、オートロックを解除のための鍵を取り出すため繋いでいた手を離した。
カバンから鍵を取り出し、建物の中に入る。いつもは簡単にできていることが今日は焦りと緊張のせいでバックの中に入れていた鍵を見つけることができない。
砂原はチャンスと思ったのか再び近づいてきて、煽るような言葉を背中から浴びせる。
「グループの中にも好きな子がいたの? そこから女の子が好きになっちゃってこと?」
私が返答しないことを肯定とみたのか、勝手に話を進める。話が飛躍しすぎていないか?
「色情が入り乱れたアイドルグループ。ファンの見る目が変わるねぇ」
記者の暴走は止まらない。好き勝手言われているストレスのせいで鍵は全然見つからない。
早く、早く中に入らないと。
「……! あった。すみません、私たちはこれで――」
ちょうどロックが解除され、中に入ろうと思ったタイミングで白沢が口を開いた。
「すみません。誤解があるようです」
「白沢……?」
振り返ると白沢は砂原と向かい合っていた。
いつも通り感情は表に出ていないが、声に力強さを感じる。
振り返った私の手を記者から見えない位置でもう一度繋ぐ。先ほどは違う指を絡める繋ぎ方だ。
「叶野さんは私のわがままに付き合ってくれているだけです」
「わがまま?」
「はい。恋人の振りをしてもらっています」
「君さぁ、言い訳にしては苦しすぎるんだけど。普通女の子から恋人の振りをしてほしいって言われて引き受ける?」
「叶野さんは特別な存在です」
「は?」
「とある困った事情があり、恋人の振りをお願いしました。これは期限付きのお願いで期限が来たら関係を解消する予定です」
白沢はペラペラと嘘の出来事を語る。
何やってるの?
「つまらない事実ですみません。ですが、依頼者のためにも記事は書いてあげてください」
何を言ってるの?
「叶野さんは恋愛はしていません、と。ここで叶野さん推しを降りてしまうのは勿体ないです。叶野さんは絶対にこの先も輝いていく素敵なアイドルなので」
記者は「はぁ」とため息を吐く。自分のペースを崩され、そして取材対象からつまらない事実を聞かされたことで興醒めしたのだろう。
「叶野さん、今までありがとうございました」
砂原に向けていた身体を私の方へと向ける。繋いでいた手は離された。
「もう今日で最後にしましょう」
「……え?」
何を言ってるの?
これは嘘? 本当?
頭の中が真っ白になる。恋人に別れを告げられた彼女というのはこういう気分なんだろうか。
現状を理解できない。視界がぼやけてきた。息も早くなる。
取材を受けたときとは比べ物にならない心痛がやってくる。
「全部嘘じゃん、わがままに付き合ってくれてるのは白沢でしょ」
「何言ってるんですか?」
強めの口調で窘めるようとする。
「これを最後にするって何? 白沢と会えなくなるの嫌だよ」
口を開くと抑え込んでいた感情が溢れてでてきた。感極まって涙も出てきた。
さっきまでつまらなさそうにしていた記者は水を得たように生き生きとしだし、話には入ってこないがパシャパシャと写真を撮っている。こんな姿見せたら、きっと面白おかしく記事を書かれてしまう。だけど黙って聞いているなんてできなかった。ここで否定をしないと、もう会えない気がして。
……あれ。この仕事が終わったら、元々お別れするんじゃなかったっけ?
白沢は事務所から課せられた仕事の手伝いをしてもらっているだけ。
後のことは考えていなかったがきっと「協力してくれてありがとう」なんてお礼を言って、今後関わることはなかっただろう。
今日、記者の突撃取材を終えたら白沢と一緒にいる理由がなくなる。白沢は他担だし、もう会う理由がないから誘っても断るかもしれない。
今日を分岐点として、白沢と私は別々の道を歩むことになる。
白沢は大学に通ってお家の事業を支えられる力をつけながら、ねむりを推し続ける。
私はアイドルとして成功することがいちばんの目標。
毎週ライブに通ってくれているファンに私を推していてよかったと思われる存在になりたい。
テレビに出て、全国の人に名前を覚えてもらって、大きい会場でライブをして、笑顔で歌う。
きょうだいはお金の心配をすることなく、自分の選んだ道を進める。お母さんにはもっと良い医療を受けさせてあげることができる。
そうだ。白沢は手段であり、これでいいんだ。
……これでいいのかな。
『……一緒に過ごすのは嫌いじゃありません』
『寂しくありませんか?』
『可愛いです』
今まで白沢と過ごした思い出が頭の中で駆け巡る。どれも大切な思い出でこの先、もっと増やしていきたい。失うなんて無理だ。
確かに白沢は熱愛報道のためだけの付き合いだと思っていた。だけど同じ時間を過していくうちに気持ちは変わっていた。
最初は淡白で私に関心はない冷たい人だと思っていた。だけど一緒に過ごしていくうちに、優しくてツンデレで喋り下手だけど付き合いが良いところを知れた。
白沢の知らない一面を知るのが楽しい白沢と過ごす時間が楽しい。まだまだ一緒に行きたい場所がある。話したいことも沢山ある。
ここでお別れなんてしたくない。
だから。
「私、白沢のことが好き」
ちゃんと気持ちを伝えよう。
「白沢だから一緒にいたい。白沢ともっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい」
この先も隣にいてもらえるように。
「だから終わりにしようなんて、言わないで」
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