第7話 大切なもの


 白沢と一緒に映画を見に行った帰り道のことだった。映画館から駅へ向かう途中にゲームセンターがあり、なんとなく、何の景品が置いてあるのか気になり、顔を左へと向けた。

 流行りのマスコットキャラクター、アニメキャラのぬいぐるみ、お菓子などが置いてある中、壁際の筐体に入れられた大きなパステルカラーのうさぎのぬいぐるみが目に入る。初めてみるキャラクターであったが少しやさぐれた表情が可愛くて、一気に虜になる。


「…………」


 欲しい。でも衝動買いは良くない。……というかこれは取れるかわからないものだ。素人の私がやったら大金を消費して終わりになるかもしれない。

 うん、諦めよう。この気持ちを決別し、足を動かす。うさぎに心を奪われていたためか、気づいたら足を止めていたようだ。

 隣にいないことに気づいた白沢は私に声をかける。


「ううん、なんでもない」


 この気持ちを悟られないように顔を元の向きに戻し、適当な返事をする。

 しかし私の抵抗は虚しく、あっさりと見抜かれてしまった。


「欲しいんですか? これ」


 欲しいと言ったら挑戦する流れになる予感がした。だけど嘘を吐くのは得意ではなく

「……いらなくは、ない」


 曖昧な答え方をしてしまう。


「やってみますか」

「え?」


 白沢はスタスタと店内へと入り、うさぎの前へと立つ。

 焦って追いかける。しかし、私が来るのを待つことなく、白沢はスマホの電子マネーで支払を完了させていた。


「ちょっと、いきなり五百円って!」

「五百円入れると一回サービスしてくれるんですよ。お得じゃないですか?」


 焦って声を上げる私に対して、なんでもないような態度で白沢は返事をする。


「お得……ではあるけど、取れるかわからないものにいきなりそんなに」


 詳しいことは分からないがアームの強度が任意に変更できお店によって取りやすい、取りにくいがあると聞いたことがある。まず一回やってみて調子を確認した方がいいのではないか、とあわあわしていると


「取るので大丈夫です」


 確定しているかのように口にする。

 手元のレバーをガチャガチャと操作をし、うさぎの丁度真上に調整できたところでレバーの横にあるボタンを押す。アームが開いた状態でゆっくりと降りていき、景品を包むように挟み込んだ。そのまま上昇するが、上がりきったところでアームと伸縮部がガタンとぶつかり、その衝撃で景品はアームから落ちていった。アームの力は弱い。長期戦になりそうだ。


「次の支払いは私がするから」


 前にバイトはしていないと白沢から聞いたことがある。となると今使っているお金も自分で稼いだお金ではない。つまり、親御さんのお金だ。

 誰が何のために使おうと勝手であることは分かる。しかし友達未満の関係である私へ使ってもらうのは気が引けた。


「私なんかのために使うなんて親御さんに申し訳ない」


 そう伝えると白沢は「……あぁ、そういうことですか」と納得したように呟く。

 ちょうど残りプレイ回数はゼロとなり、追加のお金が必要となった。ここで辞めても良かったのだが、白沢は当たり前の素振りでスマホを端末にかざし、プレイ回数の残機は増やす。


「ちょっと――」

「以前実家が太いと伝えましたが、うちは所謂家族経営というもので」


 文句を言おうとしたタイミングに被せて白沢が口を開く。顔も視線も変わらずクレーンゲームを捉えたままだ。


「家族経営?」


 聞きなれない言葉を口にすると、白沢が従業員の大半が家族で占める会社のことだと教えてくれた。


「家族経営の小さな会社だからか人が来ないんです。なので人手が常に足りない状態で。たまに手伝いをしています」


 そして手伝いをした対価としてお金をもらっていると教えてくれる。


「それでもダメですか?」


 ずっとクレーンゲームに向いていた顔がこちらへ向く。白沢なりに気に掛けてくれていたのだろうか。

 家族が経営している会社の手伝いをして、お金をもらっている。元手は親御さんとしても白沢の労働による対価。つまりバイト代のようなものになる。説明してもらいやっと胃のキリキリから解放された。


「……なんだ。全然、脛齧りじゃないじゃん」

「そうですかね」

「そう。働いてたならそう言ってよ。もー! 申し訳なさすぎで胃が痛かったんだから」

「すみません。そこまで気にするなら、伝えておいた方が良かったですね」


 いつの間にか景品のうさぎは落とし口の手前まで来ていた。景品の中心に合わせて掴んで落とす戦法からクレーンの勢いを利用して少しずつ横へ移動させ落とし口へと持っていく戦法に切り替えたらしい。

 躊躇なくスマホで決済をしているが次の三回目の決済を最後に獲得できる気がする。

 今度、取ってもらったお礼をしよう。


「もしかして、大学で経営……みたいなの勉強してるのって」

「はい。実家のために少しでも役に立てればいいかなと思いまして」

「偉いね」

「ありがとうございます。叶野さんも――」


 白沢が何か言いかけたところでドンと鈍い音が響いた。

 前を見ると落とし口の横にいたうさぎはいなくなっている。


「!」


 現状を理解しすかさず、しゃがみ込みぬいぐるみを取り出し口を見る。そこには頭が下になったうさぎのぬいぐるみがあった。


「白沢、取れた! 取れた、取れた」


 うさぎの両脇に手を入れ、白沢へ突き出しはしゃいで景品が取れたことを報告する。落ちたのだから当たり前ではあるのだが、ぬいぐるみを持ち上げた重みを感じると一気に気分が高揚した。


「知ってます」


 いつも通りクールな対応ではあったが、きっと内心は喜んでいることだろう。私には分かる。白沢にも心があるから。

 ぬいぐるみをくるんと向きを変え私の方へと向ける。可愛い。大きなぬいぐるみは昔からの夢だった。クレーンゲームでぬいぐるみを取る技術なんてないし、そもそもそこに使うお金もなかった。

 大人になって手に入れることができるなんて……。頬が緩む。今、すごく幸せだ。


「ありがとう、白沢!」

「これで寂しくなくなりますか?」

「?」


 白沢の言葉の意味がわからなくて首を傾げる。説明をしてくれることなく、


「いえ。なんでもありません」


 頭をポンと触り、優しく笑う。まるで恋人同士がするような仕草だ。

 耳が少し熱くなる。でもこれはこのやり取りにドキドキしたわけではないと思う。

 取れそうで取れなかった時間を経て、景品を獲得できた興奮。白沢が私のために動いてくれた優しさ。いろんな感情が混ざり合ってドキドキしてしまったのだと思う。

 それを誤魔化すように胸元で持っていたぬいぐるみの抱き締める力を強くして


「大切にする」


と呟くように伝えた。


 * * *


 明日のレッスンは朝早くないため実家に帰るのだが、一度事務所が借りてくれた家に寄ることにした。

 肩から下がっているショッパーの景品を置きに行くため。

 可愛いうさぎのぬいぐるみを家に置いたらきっと年少の妹たちは大喜びし、遊びの友となるだろう。しかしこれは実家ではなく事務所が借りてくれた家に置くことにした。

 今まで幸せを分け与えたいと思っていたのだけど、これは独り占めしたい気分だった。今日の思い出を閉じ込めておきたくて。



 ローソファーにうさぎを座らせる。ちょうどぬいぐるみが背もたれの高さのサイズと同じなため、このぬいぐるみ用のソファーのようにも見える。可愛い。

 ナチュラルブラウンのフローロング、アイボリーのローソファーとクッション、その2色しかなかった部屋に3色目薄ピンクのうさぎが追加された。1色追加されただけなのに、雰囲気は一気に明るく、居心地が良い部屋となった。

 次この部屋に入るときにはソファーにちょこんと座ったうさぎが私を出迎えてくれる。それを考えると、気持ちが少し明るくなった。


『これで寂しくなくなりますか?』


 ふと白沢に言われた言葉を思い出す。そうかあれはそういう意味だったのか。

 白沢にされたように、うさぎの頭をポンポンとしてお礼を言う。


「ありがとう、うさぎさん」


 うさぎさん。折角家に来てくれたのに他人行儀な気がする。


「せっかくだから名前を付けてみようかな」


 白沢にもらったうさぎだから――


「うさ沢? ……ふっ」


 声に出してみるとあまりのダサさに笑いが零れた。安直すぎただろうか? 白沢を彷彿させる名前を付けるにしてもモチーフ的なものを使えばよかっただろうか。


「しろうさ……いや、ピンクだし。ねむうさ? ううん、これは絶対やだ」


 候補は色々と思い浮かぶ。しかしどれもしっくりこない。


「やっぱり君はうさ沢だ」


 結局良い案を考えられず、うさぎさんの名前は『うさ沢』となった。二度目にしてもう聞きなれたのか今度は笑いがこみ上げてこなかった。ぬいぐるみもうさ沢としての自我が出てきたように、さっきよりも立派な姿で座っている気がする。

 次にここへやってくるのは来週となる。折角うちへ来てくれたのに暫く一人にするのは心苦しい。私の寂しさを埋めてくれるのに、うさ沢には寂しい思いをさせてしまうなんて不平等だ。

……など考えても、じゃあ実家に持ち帰るか? こっちの部屋に泊まる頻度を増やすか? など最善とは言えない代替案が思い浮かぶだけできりがない。

 ぬいぐるみだし、と割り切り


「一人にさせてごめんね」


 と自己満足のための謝罪を入れる。もちろん返事はないが、それでいい。

 ローソファーから立ち上がり、玄関へと向かう。電気を消す際に部屋へと振り返り、うさ沢へ挨拶をした。


「行ってくるね、うさ沢」

『いってらっしゃい、叶野さん』


 頭の中でうさ沢が返事をしてくれる。

 再生されたのは、白沢の声だった。


 * * *


 電車での帰宅中、懐かしい夢を見た。私が高校卒業後のことを考えているときだから、3年くらい前だと思う。


 学校で配られた進路希望のプリントを記入していたところを一番上の妹・紗花(さやか)がプリントを覗き込んできた。

 第一志望は地元の工場に就職。就職一本で考えていたため第二希望は空欄だ。

 私が高校へ入学する頃に母の入院が始まったため、この頃はすでに四人のきょうだいのみでの生活。幸いなことに実家は持ち家だ。母の医療費は保険で賄えるらしく、母の貯金と週に五回のアルバイトで苦しくはあるが生活費工面してこれた。

 しかし当たり前に大学に行くお金はない。多忙なことを理由にするわけではないが、勉強は人よりできないタイプだったため返還不要の奨学金制度を利用することも難しそうだった。特に勉強したい学問があるわけではないし、大学への進学を諦めることは簡単だった。

 この先の妹弟たちの将来を考えたとき、少しでもお金があった方がいい。進路を就職希望にしたのは自然な流れだったと思う。紗花もこうなることは予想できたと思っていたのだが、


「お姉ちゃんのしたいこと、しないの?」


 予想しない質問が投げられた。質問の意味が分からなかった。私は家の近くの工場に就職がしたい。したいことを書いているつもりだった。しかし妹は納得ができないという顔で私のことを見る。


「来年から私高校生だからバイトできる。だからやりたいこと無理しなくていいんだよ?」

「大丈夫だよ。勉強苦手だし大学行く必要もないかなーと思って」


 就職しても友達と遊べなくなるわけでもないし、と補足する。働くことは大変だと

思うけど、楽しいことがなくなるわけではない。週五日働くことで週2日は休むこともできる。

学校に行き、空いた時間をバイトに充てている今より楽になる可能性だってあるのだ。


「本当に?」


 険しい顔で確認される。だけど、怪しまれても困る。本当のことなんだから。


「本当に」

「アイドルは?」

「…………え?」


 想像もしていないかったことを突っ込まれ言葉に詰まる。


「夢に見てるの知ってるよ。お姉ちゃんは隠してるつもりなのかもだけど」


 かつてアイドルになりたいと公言していた時期があった。

 華やか服を着て、誰かを思った歌詞を愛しそうな表情で歌う可愛い人たち。一人一人が違うタイプの可愛さを持っていて、彼女たちが映るとテレビに釘付けになっていた。私も彼女たちのように眩しく人を惹きつけて離さない存在になりたいと思っていた。だけどこれは思うばかりで行動に移さなかったから漠然として夢だったのだろう。

 そしてその夢は母が入院することになったタイミングでどこかへと消えていた。現実を生き抜くためには夢から覚めなければならない。


「気づいてないかもしれないけど、アイドルが映ったときお姉ちゃん動かなくなるんだよ。

「それはただ好きなだけで、なりたいとは別の感情だよ」

「昔はいっぱい言ってたじゃん。『私はアイドルになる!』って」

「小さいときの話でしょ。紗花だって言ってたじゃん、声優になりたいって」

「この間、アイドルのオーディションが始まったってCM見たときに辛そうな顔してた」


 夢は覚めていなかったのだろうか。

 否定できなくて、


「良いの。私の夢はみんなが幸せに暮らすことだから」

「〝みんな〟の中にお姉ちゃんはいないの?」


 ずっと考えないようにしてきたことを突かれ、上手い返答が思い浮かばない。


「お姉ちゃんも幸せになってほしい。アイドルになってほしい」


 喉の奥が熱くなる。


「現実は甘くないよ。なれるかも分からないし、なれてもお給料なんてほぼないかもしれない。お金がないと皆の生活もままならない。私がやりたいことを優先したせいで、みんながやりたいこと諦めなきゃいけない未来がくるかもしれない。それは絶対、嫌だよ」

「やりたいことを諦めて欲しくないのは、お姉ちゃんにだってそうだよ」

 アイドルになりたい気持ちを認めると妹は厳しい顔を緩め、そして柔らかい声で優しい言葉を掛けてくれる。

「お姉ちゃんはお姉ちゃんだけど、先に生まれてきただけだよ。私たちのことを守る義務はないの」


 紗花の座る方に近かった左手がそっと握られる。


「私たちにもお姉ちゃんを支えさせてほしい。支え合うのが家族でしょ?」


 包むだけだった紗花の手に力が入る。信じてほしいと気持ちが温かい手から伝わってくる。

 ここまで思ってもらえたら、諦める理由がなくなってしまった。


「良いのかな、甘えても」

「良いんだよ、甘えても」

「私、……みんなに甘えるね」


 既に書いていた第一志望を消しゴムで消し、『アイドル』と書き換える。

 自分でも無謀だとは分かっている。これを提出したら先生は訂正するように指摘してくるかもしれない。

 その時はこう答えよう。「家族が応援してくれているので、頑張りたい」と。


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