うんこがしたい
むらた(獅堂平)
うんこがしたい
昭和六十年代。僕は小学生だった。
両親は共働きで、殆ど家にいなかった。親に代わり、僕の面倒を祖母がみてくれていた。
祖母は熱心に僕の宿題や勉強を教えていた。算数の九九も、彼女がいなければ覚えることができなかっただろう。
当時の僕には、日々の出来事を日記帳に書くという宿題があった。
いい加減な性格の僕は、もちろん真面目に書くはずがない。何度も祖母の校正が入り、大人顔負けの文章になっていた。
日記の内容で担任教師に怒られることは一度もなかったが、大人の手が入っていたのはバレていたことだろう。
ある日、僕は学校の帰り道に急激な腹痛に襲われる。大便が僕のお尻の弁をノックしていた。
僕の学校は集団下校を行うので、同級生たちと一緒に帰路につく。キュルキュルと腹痛で苦しんでいるそばで、同級生たちは道草を食って遊んでいた。
(早くしろ早くしろ早くしろ)
僕は心の中で唱えていた。願いは叶うことなく、彼らは無邪気に遊んでいた。僕の追い詰められた身体を知る由もない。
僕は耐えた。ひたすら耐えた。ただでさえクラス内のポジションは低いのに、大便を漏らそうものなら更に底辺まで落ちることだろう。
野糞をすることも一瞬考えたが、同級生がそばにいる状況で出来るはずがない。
(ああ、また、くだらないことで笑って遊んでいる)
当時、他の男子よりも大人ぶっていた僕には、同級生の男子はひどく子供っぽく見えていた。僕の中では大人の言葉は絶対だった。特に教師は数少ない信頼できる大人だ。
「道草せずに帰れ」
と言われていたので、それに従わない同級生たちに苛立ちを感じていた。
そこから僕の記憶はない。道端で同級生たちを忌ま忌ましく睨みつけていた記憶はあるのだが、帰宅の過程でどのようにして乗り越えたのか覚えていない。
漏らしていないのは確かだが、成長して大人になるにつれ、忘却してしまった。
問題はこの後だ。
僕はこの『うんこがしたい』心情を、つぶさに日記帳に書き殴った。熱に浮かされたような文体で、何かに取り憑かれたように書いた。
この奇抜な日記は、珍しく祖母の校正が入らなかった。呆れてしまい、修正するのも馬鹿馬鹿しくてやめたのだろうと、当時の僕は解釈した。
しかし、これが間違いだった。
日記『うんこがしたい』は教師に絶賛され、新聞に掲載されるという運びになった。
教師から「掲載してもいいか?」と聞かれた時、てっきり学級新聞か何かだと思っていた。僕はすぐに首肯したが、これが二つ目の間違い。
教師が打診したのは、学級新聞ではなく、地方新聞紙だった。しかも写真付きだ。
僕は小学生時代に何万人も見る新聞に生き恥を自ら晒していたのだ。
当時はインターネットなどなかったので、このような黒歴史を何万人という単位で晒したのは僕が初めてではなかろうか。
うんこがしたい むらた(獅堂平) @murata55
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