転落

 空中でムカデの頭が爆散し、脳漿とどす黒い体液がまき散らされる。


 衝撃で恋と透は離れ、それぞれ屋根に落下した。割れた瓦と一緒にそのまま滑り落ち、更に地面に叩きつけられる。



 べしゃり。



 ――あ、痛い。


 透はぼんやりとそう思った。虚世で怪我をするのは久しぶりだった。


 見開いた目の中で、恋が呻きながら体を引きずっている。……透はこの間、一度も目を閉じていない。


「ひええぇぇっ!お助けぇっ!」


 通りを逃げていた男が、空から降ってきたムカデの残骸に怯え、反対方向に逃げていく。


「ああぁっ……ぐああああぁっ…………!」


 恋の左の太腿があった所は空っぽになり、赤黒い血がどろどろと流れ出る――人形たちと同じ血の色。


 何度となく繰り返された、鮮やかなえふぇくと。


 透は一度も目を閉じなかった。


 宙を飛び交う雷鳴。糸。弓矢。人形。爆発。そして破裂したムカデの頭。


 まるで万華鏡のように、透の周りで世界が何度も廻った。


 ――ああ、やっぱりすごいな…………。


『脆い脆い!イーヒッヒッヒッヒッ……!さて、まだ息はありますかな!?』


 遠くから人形遣いの声が響く。


 角の向こう側から、先ほど逃げて行った男の断末魔が聞こえてきた。


「うっ……ふざっ、けんなっ…………!」


 恋は屋根に手をつきながら体を起こす。左足がぼこぼこと音を立て、自分の血とムカデの血を吸い取っていく……そして、元の正しい魂の形に、戻っていく。


 重傷を負わされても、すぐさま再び、敵に立ち向かっていく――その姿は、まさに小さな英雄。


「透、立てるか……?」


 恋は透に向かって手を伸ばす。


 元は不本意とは言え、透を守ることが恋の使命だ――それは同時に、夢喰いとしての矜持を守ることでもある。このまま使命を果たせずに死ぬなど、あってはならない。


「……うん!」


 透は初めて、恋に対して気の入った返事をする――恋はその声と、力強く握り返された手に奮い立たたされた。


 …………だが、恋には見えていない。


 透はさっきからずっと——


 人形たちの群れが街を覆った時も、百足獅子が捕らわれた時も、恋の足が爆風で吹き飛ばされたときも――


 ずっとずっとずっと――







                      ――仮面の下で、



「……悪ぃけどもうムカデは出せねぇし、逃げるしかねぇ。街から出るぞ!」


 恋は二頭だけの朱獅子を出現させ、そのうち一頭に飛び乗る。そいつは透を咥え上げて、もう一頭の背中に放り投げる。



 ――恋君は、すごい。



 すごく、すごく――――


『逃がしはせんぞ!夢喰いの餓鬼ぃっ!』


 屋根の上から人形遣いの声が響く。もはや上辺だけの敬語さえも取り去り、殺意をむき出しにしている。


 2人の背後に黒い穴が開き、再び操り人形たちが姿を現した。



 ——もっと。



「行くぞ!」


 二頭の獅子は宙を舞い、屋根の上に飛び乗る。背後で人形遣いが哄笑している。


 炎はどんどんと広がり、煙が月を覆い隠す。

 

 どこか遠くで、また悲鳴が響いた。



 ――もっともっと、



 もっとおもしろいの、観せてくれるかなぁ? 



 屋根の上にも人形たちが出現し、正面から獅子たちに突っ込んでいく。


 だが、恋にはそれらの相手をしている余裕はない。再び通りを飛び越えて、別の屋根に移る。通りには無数の死体が、血を流して倒れている。


 更に次の屋根に移ろうとしたとき、空中に何か、細いものが煌めいた。


 恋は金棒に電流を纏わせ、その網を突き破って着地しようとし『がしゃがしゃがしゃがしゃっ——!』


「——!?」


 左の方から、すさまじい勢いで迫ってくる……瓦が、割れる、音…………?


 振り返ったその時には、恋の眼前には血走った目の西洋人形と、その両腕の先に振り上げられた二つの鎌があった。


 恋はとっさに金棒でそれを防ぐが、鎌の質量に負けて獅子と共に地に落下する。


 ——まずい!


 後ろの屋根に、まだ透が残っている。


 再び飛び上がろうとしたが、その頭上を先ほどの鎌女の影が覆う。


『——麻里乃チャンッ!ドコ行クノオオォッ!?』


「人違いだよっ!死ねっ!」


 恋は金棒から空中に放電し、鎌女の神経を焼く……もし、本当に神経があるなら、だが。


『アアアアアアッ!』


 地面に落下する鎌女を避け、恋は通りを駆ける。


 更に屋根の上で並走している透の下にも、刺客が放たれていた。


 どこからともなく湧き出してきた、小さな人形たちの群れ――すべて、着物をまとった子供の姿をしている。


『にいさま、あそぼう?』『いっしょに、あそぼうよ。』『キャハハッ!』


 その小さな体からは想像もつかないほどの力で、獅子の肢に纏わりつき、這い上ってく――恋は彼らの危険さを直感的に理解した。


「透!こっちに飛び降りろ!」


 透は唯々諾々と身を投げ、獅子の背中に空中で受け止められる。


「おい馬鹿!頭から落ちてんじゃねーよ!」


「ああ、うん――」


 恋は屋根の上を振り返る——案の定、屋根の上の獅子は、小さな人形たちによって噛み千切られ、ずたずたに引き裂かれていくところだった。

 ……恋は獅子の回収をあきらめて、時間稼ぎのために放置することにした。


 ——クソッ!あとどれくらい戦える?


 恋は焦っていた。万が一、このまま街の外に出るのを阻まれ続けるのなら、霊行証が使えるようになるまで持久戦になってしまう……。


 ——それでも、やるしかねぇ。


 恋は金棒を握り締め、人形たちの群れに突っ込んでいく。


 

 —―だがそれより先に、上空から何者かが落下してきた。



『——シャアアアァッ!!!!』



 着地と共に大きく地面が揺れ、人形たちが血しぶきを上げながら薙ぎ倒される——


 

 その手に持っている大刀には、紫の、ひび割れのような文様が走っている。


 その全身は死者のような白い包帯と、闇よりも黒い襤褸布で覆われている。


 そして包帯の隙間から覗くのは眼球ではなく、武器と同じ紫色に光るだった。


 その光を見た瞬間、恋の視界に黒いノイズのようなものが走る。空気が、ぐらり、と歪む。


 恋は直感した。


 ——ああ。


 人形師など比ではないほどの、禍々しさ。


 人の形を纏った、修羅。一体だけで、この人形達の数十体など余裕で相手にできるだろう。


 恋は道中で、人形にされずに切り捨てられた死体がいくつかあったことを思い出す。


「まさかあいつが、辻斬りっ…………!?」


『——忌々しい人形共がっ!虫共がっ、群がりよって!ああ、虫ぃっ!腹の虫があぁぁっ…………!』


 包帯男は奇声を発しながら、人形たちを魚をさばくかのように切り刻む。


 だが唐突にピタリと動きをやめ、恋たちの方を振り返った。


「っ!!」


『…………お前か……お前の仕業かぁっ!』


 だが、彼の視線は恋たちには向いていなかった——その背後、屋根の上に立つ人形遣いに向かって、彼の呪詛と殺意の照準が絞られる。


『……やれやれ、これはまたずいぶんと厄介な——』


『——死ねええええぇぇっ!』


 包帯男は地面に穴をあけながら跳躍し、一瞬で人形遣いが立っていた屋根を吹き飛ばす。恋たちは仮面越しに、すさまじい風が通り抜けるのを感じた——それはもはや斬撃とすら言い難い、純粋な「暴力」そのものだった。


 だが、対する人形遣いも、そう簡単に傷を受けることは無い。


『——邪魔をしないでいただけますかな。ここはあたくしの狩場ですぞ。』


『黙れっ!貴様こそ拙者の邪魔をしよってっ!虫がぁっ!虫唾が虫唾が虫唾が走る!そのにやけた能面、たたき割ってやるわっ!』


 包帯男は再び大刀を振り上げ、人形遣いに飛びかかる——だがやはり、敵が黒い穴に逃げ込む方が速い。


 無音で別の屋根に降り立った人形遣いは、ため息をつきながら腕を下す。


『——やれやれ、仕方ありませんな。』


 人形遣いの手から離れた糸たちが、黒い穴に自ら還っていく。街中をさまよう人形たちも、次々と霞のように消えていく。


『戯れはここまで——全員、無間に堕ちて虚ろになるがよい!』


 人形遣いはそう言いながら四本の腕を使い、素早くいくつかの掌印を結ぶ。


『死ね死ね死ねっ!死ねえぇっ——』


 包帯男が宙に舞う。


「っ……ヤバ——」


 恋は獅子を跳ばそうとした……だがすでに、踏もうとした地面は消え去っている。


 そこには、ただただ「黒」だけが見えた。


 一切の光を吸い込む、辺り一面に広がる黒い「膜」が。


 まるで浸水するように這い登り——しかし音も抵抗も波立ちもなく、風船が膨らむように、ぬるり、と街を飲み込んでいく。


 包帯男が黒い膜を通り過ぎると、そこにはもう人形遣いの姿はない。


 そして、そこにはもう地面もない。


 黒い、ただの黒い——


  




  

                           ――底なしの、無。


 


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