人形遣い:<其の二>
『お待ちしておりましたぞ、獅子尾恋殿!』
その声に顔を上げてみれば、火の見櫓の屋根に、何やら歪な人影が立っている――そしてその影を中心に、ひときわ濃い赤霧が立ち込めていた。
――ひゅるん。
ひゅるん、ひゅるん。
ひゅるひゅるん、と。
その人物は四つの腕を巧みに動かしながら、数百の赤い糸を操っている。その糸達の蠢きが、赤い霧の体を成しているのだった。
そしてその糸の群れは、彼の頭上に――天空にぽっかりと空いた、奇妙な黒い穴につながっている。
『あなたが甘井殿を倒されたという夢喰いの方ですかな?』
「……ああそうだ!そういうお前は誰だ!」
老人は……いや、翁の能面をつけたその何かは、仮面越しに赤い複眼を光らせ、『笑う』。
『これはこれは、申し遅れましたな……ですが何、名乗る程の名前じゃございませんよ。あたくしは文字通り無名の怪異ですゆえ……単に『人形遣い』と名乗らせてもらっております。まあ、人形遣いにも、他に名だたる大物方が幾人もいらっしゃる訳ですが。』
「人形遣い」——恋も聞いたことがない名前だった。おそらく、本当に無名なのだろう。
だが、それにしては眷属の数があまりに多い。やはり糸によって得た力らしい。
「……お前、『偉大なる自然』保護協会の奴だろ!この街を乗っ取る目的は一体なんだ!」
『イヒヒッ!その名前も随分有名になりましたな、結構結構……!何、この度は目的と言う目的なんてありゃしませんよ。人の姿の時に申しました通り、ただの旅行のつもりでしてな。ああして時々人形たちを外の空気に触れさせてやらないと、魂がさび付いてしまうのですよ。……ですがまさか、夢喰いの方とお会いするとは!あたくしのことを捕まえようと意気込んでおられるましたので、どれ、この際正々堂々、正面から受けて立って差し上げようという訳ですよ、ヒヒッ!』
人形遣いは慇懃無礼に笑う。
「そうか……じゃあ、倒される覚悟はできてるって訳だな!」
恋は宙に向かって金棒を突きつける。
『イヒヒッ!なんとも威勢がよろしい!』
『『『 助けて…………助けて…………! 』』』
虚ろな人形たちが、恋たちに向かって合唱し続けている。
「——透、お前は先に逃げろ。俺もムカデで後からついてく。」
『それでは――』
「そしたら俺の後ろに乗れ!」
『――お手並み拝見!』
老人は、四本の腕で思い切り糸を引いた。
その瞬間、のろのろと動いていた人形たちが、突然がむしゃらに駆け出し始めた。
た す け て え え え え え え え え ぇ ぇ ぇ っ ! ! !
――赤い霧はたちまち津波に変わり、通りを呑み尽くしていく。
みち ごき ぐしゃ ぶちぶちぶちっ。
全ての人形が異音の重奏を奏でる。腕が肢が胴が、引きずられるようにねじれて、二人の方に突き進んでくる。
だが次の瞬間、先頭の人形たちは巨大な
透は言われた通り、その間に踵を返して走り出す。
『ほう、式神ですか……しかし龍にしては随分ちんけな――』
その龍もどきは口に人形たちを含んだまま、稲妻のような光を吐きだす。
人体の部位が無数にはじけ飛び、ばちゃばちゃ、と通りを更に赤く……否、黒く彩る。
『ほほう、なかなか現代的な技ですな、面白い!』
恋はムカデの上に飛び乗り、翻って透の下に向かう。
「――早く乗れ……!あぁ、提灯?そんなん捨てろよ馬鹿っ!」
透はまごつきながらも、ふわりと跳躍してムカデに飛び乗った。
「落ちんなよ!」
「あ、うん……。」
恋は百足の背中の毛を掴む。透は他にしようが無かったので、恋の背中にしがみついた。
後ろから人形たちがどたどたと走ってくる音がする。
恋は背中から重みも温度も感じないことに気づき、まさかと思って振り返る……だがそこには、ちゃんと透の黒い仮面があった。
恋は安堵して前方に向き直る。
しかし彼には、見えていなかった――――透の仮面の下の、その顔が。
ムカデは空中で再び旋回し、櫓の上にいる人形遣いめがけて雷撃を放つ。
その瞬間、人形遣いはゆらり、と闇に溶けて消えた。櫓だけが吹き飛ばされ、炎上する。
『――イヒヒッ!遅いですぞ!』
声のする方を振り返ってみれば、人形遣いは遠くの屋根の上に立っている。
「チッ!空間系か……!」
恋はさっきよりも速くムカデを駆り立て、人形師の下へと飛んでいく。
……だがムカデは突然、何かに引っ張られるように急停止した。反動で体節が大きくたわみ、恋たちは振り落とされそうになる。
「!?何だっ…………。」
進むことも、戻ることもできない――百足獅子は文字通り、空中に磔にされていた。
『イーヒッヒッヒッ!あたくしの糸にかかってしまいましたなぁ!』
雲に隠れていた月が再び、死にゆく虚世の街を照らす。あちこちで悲鳴が響き続け、櫓から家屋に炎が広がっている。
煌めく無数の赤い糸が、ムカデの体躯に十重二十重に絡まっている。
それは、予め張られていた罠……否、たった数秒の内に作られたようだった。
糸の出どころは、夜空に紛れた黒い穴。
人形師の卑猥な指の業は、空間の理を超えて少年達を死の罠にかけた。
更に無数の黒い穴が出現し、飛び道具を持った人形たちが宙づりにされる。背中から肩、指の先まで、恐らく持っているすべての糸を使って完全に制御されている。
「——討て。」
火矢が銛が銀弾が、暴れるムカデを鎮めんと一斉に放たれた。
それと同時に、ムカデは全身から光を放って糸を焼き切る。
「そう簡単にっ――」
だが、交わし切れなかった無数の攻撃が、ムカデの半身を大きく抉る。
『キイイィィッ!』
ムカデは悲鳴を上げ、バランスを崩しながらも天に昇る。
もう一度人形師の下へ……向かおうとしたその時、ムカデの頭上に何かが落ちてきた。
それはヒトのような形をしていた。着物に、髷――また新たな人形か。だが、他の個体とは何か様子が違う。
かきっ、こきっ、と音を立て、回った首が恋と目を合わせる――墨で描いた、感情のない目を。
それは他の人形たちとは違い、今まで一度でも生きたことのない、虚ろな魂。
「っ!?こいつ――」
パクパクと下顎が上下し、その奥で赤い光が点滅する。その点滅に合わせてかすかに響く、電子時計のような音――
――逃げる……落ちる?もっと低い所から。振り落とす。速く動けば。早く、早くはやくはやく
恋は地面に向かって急降下し――そして途中で、恋を抱きかかえて飛び降りる。他にどうしようもなかった。
その刹那、二人の背後で爆風が起こった。
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