人形遣い:<其の一>
『――あああぁぁぁっ!!!』『助けてくれぇっ!!!誰かああぁっ!!!』
階下から新たな悲鳴が響いて来た。
街の中心の方からも、悲鳴が響き続けている。いずれも単に怯えているだけとは思えない、苦痛に満ちた声だった。
「っ…………クソッ!」
夢喰いには、虚世の住人を助ける必要は、無い。
存在しているかどうかわからない者は、存在していないのと同じだ。
それに、彼らは殺されても生きていることもあれば、生きていると思っても死んでいることもある――そもそも命の法則に従わない者には、命の倫理は通用しない。それが当然ではないか。
それでも恋は、一瞬だけ迷った。
だが、庭に容疑者の姿が見当たらないのを見て、やむなく階下に向かうことにする――そう、あくまでやむなく。
恋は韋駄天の如く廊下を駆け抜け、階段の手すりを滑り降りながら、踊り場に置いておいたランプを拾い上げる。
その後を透が、言いつけ通りにぴったりとついて駆けていく。
恋に追いつくためには、階段を飛び降りつつ、かなり無理のある体勢で走る必要があった。それでも息を切らすことは無い――なにがおかしいことがあろうか?これは夢の中なのだ。
……そう、これは全て、夢の中の出来事だ。
確かに透は、世界のルールを守る。霊行証を取り返そうとする。恋の言うことにも従う――それが、しなければいけないことだからだ。
だがそれも全て、究極的にはどうでもいいことなのかもしれない。
これは、ただの夢なのだから。
けっきょく透達がやっていることは全て、単なるおとぎ話の上演であり、「怪談ごっこ」に過ぎないのだから――
――宿の中は、地獄と化していた。
『――いぃっ、痛いっ……痛いよおぉっ…………!』
「お前だけでも、逃げるんだっ……!早くっ!
「無理よ!そんなことっ……私たち二人でっ、故郷に帰ろう、って、約束、したのにっ…………!」
「何だこれ、呪い……?眷属化か!」
血の涙を流す人々。
赤く揺らぐ輪郭。
不自然な方向に曲がる手足。
赤い靄に呑み込まれ、同じように変貌していく客たち――
「アハッ、アハハハハハ…………!!!大丈夫さ、2人とも悲しむことなんでないぞ!みんな一緒になるんだからな!なぁんも怖いことなんてないさ!」
恋はこの非常事態に、焦燥に駆られている。それに、目の前の光景に得も言われぬ不快感と、自分が侮辱されるにも似た怒りを感じている。
……だが透はその全てを、ただただ平然と眺めていた。
なんか、いつもよりすごいことが起きてるな――と、それだけのこと。
そうとも。これはただの夢なのだから。
何やらごちゃごちゃとした展開と、喧しい声と、どろどろとした見た目と――ただのありふれた、安っぽいエンターテインメント。
透は今、何もできないし、何もする必要はないのだ。世界が混沌としている今、何も「正しい」答えなどないのだから。
ただ、目の前で起きるを何もかも、考えることなくすべて受け入れるだけで良い。
後は…………恋の指示を、待つだけだ。
「……あぁ、坊やっ!お願いっ、あの人を助けて!お願いしますっ!」
女性が恋にすがりついてくる。
「…………もう、無理だ……あんただけでも逃げた方が、いいんじゃねぇか……。」
恋は絞り出すように言いながら、その無意味さをわかっていた――逃げてもどうせ、助かりはしないのに。自分は、彼らを助けたりしないのに。
「いやぁっ!お願い!お願いだからっ!おねが、ゐ、ィイ…………。」
女性の声のピッチが、歪に揺らぐ。涙でおおわれた瞳を中心に、顔が歪に膨れ上がる。
「っ!逃げるぞ、透!」
――呪いが無くても、個疑人にはなりうる。
こいつらと会話するだけ無駄だ――そう思いだして、恋は完全に踏ん切りがついた。
「ヲ願いっ!助けてェッ!置いて行かないデ……オネガイッ…………!」
『助けてぇ、助けてぇ!』『助けてっ、お願いっ!』『そぉれ旦那さんとキッスだ!アハハハハハハハハハッ!』
――かくして、二人は宿から脱出した。
「―― 一階にもジジイはいなかった……やっぱりあいつで決まりだな!」
恋は走りながら言う。
容疑者を絞るのは簡単だった。
あの老人は、個疑人が最初に現れたのと同じ三階に泊まっていた――三階には、彼を含めて二名しか泊まっていない。
しかも、辻斬り騒ぎのせいで三泊以上も泊まる客がいない中、彼は悠々と一週間も滞在し続けている。
後は尻尾を出させるだけ……恋はそう思っていた。
だが敵は尻尾どころか、思いがけない巨大な全貌を披露してきた……まるで、こちらに向かって示威するかのように。
恋は通りを駆け抜けながら、提灯を持っていない方の手で、どこからともなく霊行証を取り出す。
そして、まだ次の便が遠いことを確認する――街からは自力で脱出するしかない。
『タスケテ…………。』『助け、て…………。』
恋と透の行く先に、個疑人達が立ちふさがった。
「チッ!透、これ持ってろ!」
恋は透に提灯を預け、地面を蹴る。
「どけおらぁっ!」
空中から金棒を振り下ろし、顔面を叩き潰す。更にその背中を踏みつけ、次の敵の頭部を横殴りにする。
恋が地面に降り立ったところに、別の敵が低姿勢で突進してくる――手には長い、刀のようなものを持っている。
「っ!」
恋は金棒でそれを弾く。
敵は滅茶苦茶に腕を振り回していたため、武器は明後日の方向に飛んでいった。……同時に、それを持っていた左腕も明後日の方向に捻じ曲がる。
だが痛みを感じている様子は一切なく、呻きながら右手でつかみかかってくる。……そして当然、無防備な顔面が金棒でとどめを刺される。
倒れたその姿を見てみれば、侍……ではなく、黒いスーツを着た西暦の人間だった。恋はそれを見て、何かに気づく。
「こいつ……まさか、個界部の…………?」
だがそうしている間に、建物の中から新手が湧き出してくる――十や二十ではない。いつのまにか通りのずっと先の方まで、うじゃうじゃと赤い霧で埋め尽くされていた。
敵たちとの距離が縮まり、透の持つ提灯がその姿を照らす。その中にはやはり、黒いスーツの者たちが無数に点在していた。
ある者は刃物を、ある者は弓を、そしてまたある者は、銃のようなものまで持っている。だが、飛び道具を使ってくる様子はない。それほどの知能が無いのか、あるいは手を器用に動かせないためか。
「嘘、だろ……まさか、行方不明になった奴ら、全員…………?」
恋が茫然としている間に、透が何かに気づく。
「……ねえ。あいつら、体から何か出てるよ。」
目を凝らすと、確かに彼らの腕や背中からは、赤く細い何かが伸びていた。
それは空中に向かってまっすぐ伸びているが、途中から先が消えてなくなっているように見える。
そしてそれは、個疑人たちの千鳥足に合わせるように宙を揺れている……否、むしろそれらが個疑人たちを操っているようだった。
「…………糸……?ってまさか、『糸』か!?あのジジイ、あいつらの仲間か!」
その時、空から甲高い声が降ってきた。
『――お待ちしておりましたぞ、獅子尾恋殿』、と。
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