個疑人:<其の二>

―― 一時間後。


 あれだけ怯えていたくせに、男は豪快ないびきを立てながら熟睡していた。


「……さっきの質問に答えてやる。こいつら虚世の人間は、お察しの通りもう死んでる――あるいは、ずっと前にこっち側に来て、そのまま戻ってこれなくなった奴らだ。」


「……『解脱』、ってこと?」


 解脱――魂が現世との交渉を失い、歴史から存在そのものが消えることだ。


「それとはちょっと違う。昔――江戸時代までは、今と違って現世と虚世の境目がガバガバだったんだよ。だから現世と縁が切れてなくても、こっち側に取り込まれる奴が多かった……いわゆる『神隠し』とか言われる奴だ。」


 恋はいびきを立てる男に対し、仮面の奥から冷ややかな視線を注ぐ。


「でも結局、こっちに来たからには現世との縁は薄れてく――それでこいつらも、自分が誰だったかとか、こっちに来る前のこととか忘れて、こっちの世界で当然のように生活し始める。でも、もしそのことを思い出したりしたら……なんて言うか、魂が不安定になって――」


「――壊れちゃう?」


「……そうだ。俺もよくわかんねぇけど、『自分の世界を取り戻そうとして、そのために自分の魂そのものを変形させちまう』ってことらしい。その結果、こいつらも個疑人になり果てる。」


「『世界』…………ああ、多分僕、それ見たことあるよ。」


「マジかっ、よく無事だったな!個疑人の方がそこらへんの怪異よりもヤバ――」


 そこまで言って、恋は固まる。


「……待て、まさかそいつ、のか?」


「うん。なんか、『おじさん、ここで首切られて死んだんだよね』、って言ったら、頭抱え始めて……それで、お化けに変身したんだ。」


「……それで、逃げられたのか?」


「うん、一回食べられたけど。」


「は……!?ああ、身代わりのことか。でも、だからよかったねって訳にはいかねぇんだよ。」


 恋は透の両肩を掴んで引き寄せる。


「……お前、マジで危機感なさすぎるぞ……逆恨みで地獄の果てまで追いかけてくる奴もいるんだからなっ。いいか、それ、二度とやるなよ!」


「う、うん。わかった…………ごめん。」


 透は少し迷ったが、謝ることにした。恋が自分のことを心配しているように見えたからだ。


「んごごごごごごっ…………!」


「……………………。」


「……………………。」


 二人が沈黙する中、男はいびきを立てつづける。二人の話も、自分の過去も、未来も知らずに。


 ――ただ一人、夢の中をさまよい続けている。

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