夢
「ったく、何が『この辺で一番いい宿』だよ!ボロいしサービス悪いし……。」
恋は座敷に寝転がって愚痴を言う。
長い鼻を持つ陰険な受付係に帳簿を見せてもらったが、宿の客は少なかった。曰く、この街はあまり栄えていないらしい。その上、最近はこの地域に辻斬りが出るとかで、旅人も一晩だけ泊まってそそくさと出ていってしまうとのことだ。
そのため、最近宿を出たということで二百面相らしき人物をあぶりだすことはできない。その上、怪しい人物がいなかったか受付係に尋ねても、『どの客も全然覚えてないよ』とのことで、あてにならなかった。
「少なくとも、そんなに遠くには行ってねぇはずだ……次に夢列車が来るまでは、だいぶ時間かかるからな。」
少なくとも、恋たちと入れ違いに同じ電車に乗った可能性はない。ホームから改札口までは一本道で、恋は電車が離れるまでずっとそこを見張っていた。
――大丈夫、俺は何も失敗してない!
恋は体を起こし、こぶしを握り締める。
「……必ずあいつに追いついて、捕まえてやる!いいか透、最後までちゃんとついて来いよ!」
「ああ、うん。」
それに対して透は、例のごとく淡白な返事を返す。
――恋くんはどうして、時々急に大声を出すんだろう。
『――お食事になりマス。』
襖を開けると、給仕係が膳を運び込んできた。……メニューもやはり貧相なものだった。一番大きな皿の上では、何かの生き造りのようなものがひくひくと動いている。
『イヒッ、イヒヒヒヒッ……。』
「げっ!人面魚…………でもまぁ、肉がないよりマシか。」
恋は箸を使ってその目を貫き通し、慣れた手つきでぐりぐりと中をかき回す。
『ギャッ!ア、アァ…………。』
魚は完全に沈黙した。
「クソまずくても、ちゃんと食わねぇと霊力が足りなくなるからな。」
「……いただきます。」『ニンゲンハドコヘイクノカイ?クワレル?キラレル?ソレトモクサル?イヒヒヒヒッ!』
一方の透は、キィキィとしゃべり続ける魚の頭部をそのままにし、身を淡々と食べ始める。
「お前……それ食べるの初めてじゃないのか?」
「初めてだよ。」
「マジか、よく食えるな……ていうかそいつ黙らせろよ。うるせぇだろうが!」
「ああそっか、ごめん。」
ぐさっ――『ギャァッ!アァッ!アァッ!アアァッ!』
――あれ、一回じゃ足りないか。
透は箸を引き抜いて、今度は連続で突き立てる。
ぐさっぐさっぐさっぐさっぐさっ――!
青い血が透の服と顔に飛び散ったが、透は瞬き一つしない。
「……これでいい?」
流石に恋も、少し引いた。
「……いや、そんなに何度も刺さなくていい、って言うか……お前さ、学校でもそうだけど、マジで不器用だよな。」
「……………………。」
――気が付くと、透は電車に乗っていた。
車内の照明は真っ赤だった。
外のトンネルも真っ赤だった。
左右の車両から、たくさんの人が入ってきた。
――助けて……たす、けて…………。
そんなうわごとのような言葉が、四方八方から浴びせられる。
……透はただぼんやりと、それらを聞き流していた。
――さて、ここでひとつ問うてみよう。
「虚世」と言うのは、夢の世界のことだろうか?
……答えは、否。
常識的には、「夢でない世界」こそが「現実」であり、その対偶として上記の命題が導かれたことだろう。だが、そんなものは結局ただのトートロジーだ。「現実」自体の性質が明らかでない以上、そうでないものをなんと呼んだところで、やはり単なる言葉遊びに過ぎないだろう。
それではなぜ、彼らは「夢渡り」と呼ばれるのか?
それはもちろん、彼らが「夢」を渡り歩くからだ――誰かが見ている、夢を。
例えば今まさに、透がそうしているように——
透の顔に腕に足に、赤い人たちの手が伸びる。
透はただただ、それをぼんやりと眺めている――そう、ただただ、観ているのだ。
いつも同じだった――すべてが、いつもと同じだった。
何もする必要はない。だって、何もしろと言われていないのだから。
ただ、一切が過ぎていくのを、眺めるだけ――さながら観客の如く。
――そう、だってこれは、そういう世界でしょう?
視界が無数の手で完全に覆い尽くされようとしていた。
赤色が無くなり、黒色、だけ、に――
「――おい、透。透、起きろ!」
透がぱちりと目を開けると、そこには獅子の面があった。
「お前も電車の夢、見たか?」
確かに透は夢を見た—―つまり、眠ることによってあの電車内の景色を見たのだ。そして今、目覚めたことによって恋の顔を見ている。
夢とは、そういうことだ。
「ああ、うん。……人が、いっぱいいた……。」
「あれはもう人じゃねえよ……ていうかお前、仮面外れてたぞ!もっと気をつけろ!」
「ああ、ごめん……。」
恋は透を立ち上がらせ、金棒を手に取る。
「俺たちの個界にまで入ってきたってことは、相当強い奴だ。近くに本体がいるはずだから、気をつけ――」
――うわあああああああぁぁぁ!!!
上の階から突然、大きな悲鳴が聞こえてきた。
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