盗人

 駅からひとたび街に出ると、そこにはおよそ電車などとは相容れない時代の景色が広がっていた。


 瓦屋根が連なり、着物姿の人影が行き交う。行商人の声が響く。夕闇の中、淡い提灯が一つ、二つとともっていく。 


 だが、この街は決して単なる時代劇の舞台ではない。


 人影のうち何人かは、近づいて見ると角や尾が生えている。あるいはもはや生物とも思われないような、流体の如き歪な体躯を引きずっている者もいる。


 人と怪異が入り混じる、歪な街――これが、虚世。現世の裏側、もう一つの世界。


 恋は慣れた様子で、透の手を引いてずかずかと歩いて行く。すれ違う異形たちから何度もぎょろり、と視線を向けられるが、それも無視する。


「——いいか、あいつらと目ぇ合わせるなよ。面倒なことになるからな。」


「うん、わかってる。」


 恋は手をつなぐなど恥ずかしいと思っているが、確実にはぐれないようにするためには、こうするしかない。

 恋の手はあたたかく、汗で湿っている。対して透の手はぬくもりが感じられないが、かといって冷たいと言う感じもしない――言うなれば、命の温度が無かった。恋の知っている母の手とは、全く違う。……だが恋はなぜか、それを少し心地いいと感じた。



「――あ、なんだあれ?」


 立ち並ぶ店の一軒の前に、なにやら人だかりができていた。

 その中心には、一様に笠をかぶった小さな人影が数人。人込みを縫って近寄ってみれば、彼らは魚や蛙のような顔をしている。そしてその手に持っているのは提灯と、いわゆる「十手」だった。


「――おい、お前ら!一体ここで何があった?」


『ナンダト、オマエ。随分エラソウナイイカタダナ!』


『餓鬼は引っ込んでな、てめぇには関係ねぇこった!』


 岡っ引きたちは気色ばむ。


「ふん、ところが関係大ありなんだよ。それに、偉そうで当たり前だ ――俺は、『夢喰い』なんだからな!」


『ナ、ナント!ソレハ大変失礼シマシタ!』


 岡っ引きたちは慌てふためき、手のひらを返すように口々におべっかを使い始めた。


「うるせぇ!それより質問に答えろ!ここで何があった?」


『へぇ、泥棒でございます。夢喰い様がお気になさるようなことでもねぇ、つまらない事件でさぁ。』


 リーダーらしきカメムシが前に出てきて、説明を始める。


『これがなんでも、『怪人二百面相』とかいう奴で、犯行予告状を送りつけてから盗みを働くなんて言う、ずいぶんと小生意気な——』


「ちょ、ちょっと待て!そいつは捕まえたのか?」


『え、えぇと、それがまだでして……。』 


「はあ?逃がしたのかよ!?犯行予告まで出てたのに!?」


『そ、それが……なかなかどうしてすばしこいやつでして、なんでも、数人がかかりで捕らえようとしたんですがね、全員返り討ちに——』


「そいつはどこに行ったんだ!?」


 恋はカメムシに詰め寄って言う。


『ええ、それが今調べてるとこでして——』 


 恋の剣幕に動揺したカメムシの体から、鼻が曲がるようなにおいが立ち込める。


「うげっ、クソッ、てめぇっ……!」


『す、すいません!』


「チッ、もういい!お前らじゃダメだ、うぷっ……!店主に直接聞く!お前らは帰れ!邪魔だ!」


 恋は戻しそうになるのをこらえながら、殺意を込めて怒鳴る。


「いいか、次は、奉行所に行かせてもらうからな……!あと、お前らの上司に伝言しとけ。『指名手配犯くらい確認して警戒しとけよカス』ってな!」


『ヒエェッ!お許しをぉ……!』『へぇっ、ほんとにすいませんでした……!』


 恋は犬のリードを引くように強引に透を連れ、店内に上がり込む。


「――おい店主!今の話聞こえてたかぁ!?」


「はぁ、はいはい。同じ話を二度もすんのかい。めんどくさいねぇ……。」


 骨董品の陳列棚の間で、店主は煙管をふかしながらつぶやく。禿げ頭に眼鏡――やや近代的な雰囲気の、ごく普通の人間の姿だった。


「あのね、言っとくけどあたしゃ、犯人のことなんて全くわかんないよ。あの夜はごろつき共二人に警護しててもらったんだけどねぇ、明かりは消えるわ2人とも気絶しちまうわで、何が起きてるかさえさっぱりだったんだから。」


「じゃあせめて、盗まれたもののことだけでも教えろ!」


 恋はカメムシの匂いのせいもあって、かなり苛立っていた。店主も臭いに鼻をしかめ、あからさまに話の終わりを急いでいる。


「盗まれたのは壺だよ。これくらいの大きさの、呪われたやつだ。なんでも、お家騒動で毒殺された主人が高価な遺産に紛れさせて、自分の魂を込めて遺したんだってさ。で、それを手に入れようとした家族たちも、全員呪い殺されて壺に取り込まれてった……それでどんどん呪いが強くなってって、しまいにゃ一家全滅。あれだね、最近で言うとこの、コトリバコみたいなもんだね。」


「また呪物か……呪物ばっかり集めてどうするつもりだ?」


「さあね。泥棒に聞いてみればいいんじゃないの。かなり強い呪いだし、元々の価値も高い逸品だから、異形さんに高く売れるはずだったんだけど……はぁ。」


「ていうか、お前……怪異に呪物をばら撒いてんのか?」


 恋は店内を見渡しながら言う。ほかにもいくつか、呪いの気配を感じる物がいくつか置いてあった。


「そうだけど何?文句でもあんの?」


「怪異の手に呪物が渡ったら、どう使われるかわかんねぇだろうが!」


「はんっ、そんなの知ったこっちゃないよ。こちとら商売なんでね。別にご法度っていう訳でもないし。大体きみ、『夢喰い』って奉行所の人でもないでしょ。全く、なんでそんなに偉い人扱いされてんのかねぇ。」


「なんだとっ、このっ……クズ野郎がっ…………!」


「はっ、何とでも言えば?ほら、質問が終わったならさっさと出て行った。商品に臭いが移っちゃかなわないからね!」


 店主はしっ、しっ、と手を振りながら、店の奥に退散していく。


「クソッ……!」


 恋が毒づきながら振り返ると、そこには透がたっていた。それを見て、恋は自分の役目を思い出す。これ以上、誰かに対して怒ってもしょうがないのだ……これ以上、できることはない。


「透、行くぞ。もうここに用はねぇ。」


「……行くって、どこに?泥棒はどこに行ったかわかんないんでしょ。」


「……………………。」


 野次馬たちがこちらを見てひそひそと話している――恋は馬鹿にされているような気がして、歯ぎしりした。だが実際、どうしようもないことに変わりはない。


 2人が立ち尽くしているところに、蛙の岡っ引きが近づいてきて言う。臭いがひどいカメムシの代わりらしい。


「あのぉ旦那……よろしければ宿の方を教えやしょうか?もう日も暮れましたし……。」


「……ああ、そうだな…………透、行くぞ。待たせて悪かったな。」


「ああ、うん。」


 透としてはただぼんやりしていただけなので、別に待たされても困ることは無かったのだが。


 恋は透の手を力なく握り、蛙の後について行く――今までの透への態度からは想像がつかないくらい、落ち込んだ様子だった。

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