赤い糸


「糸…………あかい、いと…………?」


「そう、それだ!」


 赤い糸。解けて、ぐちゃぐちゃになって、巻き取られる――


「……美術館にも、あった…………。」


 透はうわごとのように言う。


「そう!他にどこかで見たのか!?」


 だが、透にはもうその声は聞こえていない。


「糸……糸、糸、赤い糸、糸、糸、糸、赤い、あかい、アカイ……………………!」


 「俺」が溶けていく、溶け合っていく!糸の塊の中に取り込まれる。赤い、赤い「それ」の中に——


「お、おい……どうし」


「ヤダ、ヤダ、ヤメテ、ゴメンナサイヤメテ…………。」


 透はまるで乗り移られたかのように、「だれか」の言葉を再生し続ける——だが、そこには何の感情もない。ただの壊れた機械のように、ひたすら口だけを動かし続ける。


 恋もさすがに恐怖で言葉を出せなかった。


 ――そして、異変はそれだけにとどまらない。


 やがて、透が唱える言葉に従うかのように、周りの景色が段々と赤く染まり出した。

 

 肉のような、あるいは菌糸のような何かが、這い出し、蠢き、世界を覆っていく。


 天井が床がベッドが、肉の海に沈んでいく―—


「っ!クソッ、なんで今…………!?」


 我に返った恋は、パイプ椅子の上に飛び乗ってそれを避けた。


「トケチャウ、トケチャウヨヤダ、ヤメテ…………!」


 そこまで言って透は突然、天を仰ぐ。


 ――そして、張り裂けんばかりに口を開いた——つまり、「笑った」。


「そう!そうだよ溶けちゃうんだよ!あは、あはははははははははははははっ!これでずっと一緒だね!梅原くん、大好き!」


「っ……………………てめえっ、一体誰だ!」


 恋が吼えると、その手にはどこからともなくあの金棒が出現する。


 だが、透は恋のことなど見えていないかのように、目を動かさずに笑い続ける。


「クソッ、憑依……じゃねえのか?お前誰だよマジで!」


「…………私?私、は…………わた、し……違う……あいつ、はっ!」


 透の顔が、とつぜん無表情になる。


 それと共に、部屋の壁がガラスのように崩れ始める——






       ――その先の開けた地平には、赤い肉で覆われた洞窟が続いていた。



 骨でできた鍾乳石が上下に立ち並び、その間を無数の赤い糸が交差し視界を覆う。その赤くかすんだ空間を、無数の人影がさまよっている――どうやらその腕にもまた、あの赤い糸がつながっていた。


 恋は透の方を振り返る。


「…………ていうかお前、大丈夫か。」


 透の、真っ黒な目。


 そして、真っ赤な顔…………。


 え?


「っ!!?」


 恋は金棒を構える。


 人影——否、少年の形をした、赤い糸の塊。まるで、ミンチ肉をヒト型に組み直したような、歪な何か。


 下肢は足としての体を成しておらず、地面から直接。それは菌糸の集合体のように洞窟の底を走り、どこかへと向かっていた。他の子どもたちの糸とは明らかに違い、まるで意志を持っているかのように、どくどくと蠢いている。


『――あいつ。あいつが、あいつの中に、おれ、は…………。』


 次の瞬間、その肉の塊は地面に沈んだ。地面の菌糸がずるずると彼を引きずり、洞窟の奥に連れて行こうとする。


『嫌だっ!もうやだっ!助けてっ!助け——』


 恋は一瞬放心したが、仕方なく彼を追うことにする。


 透はどこに行った。


 なぜあの肉だるまと入れ替わったのか。


 と言うか、その前に一時的に現れた人格はなんだったのか。

 

「…………クソッ!一体どうなってんだよ!」


 訳の分からないことだらけだったが、今はこうする他ない。


 恋の行き先を、無数の赤い糸が阻む――触れようとすると、磁石のような反発が生じる。


「クソッ!邪魔だこの――」


 それはおそらく、誰かの縁をつなぐもの。第三者が触れることは許されない、神聖にして不可侵のものだ。

 しかし、恋にとってはそんなことはどうでもいい。金棒に電流を纏わせ、それらを容赦なく破壊していく。だがそれでも、目標に追いつくにはいささか遅すぎる。


「来い!ムカデ獅子じし!」


 彼の言葉に応え、獅子の頭に百の肢を持つ龍が現れた。


「――後のこととか知らねー!全部吹っ飛ばせ!」

  




                 ――紫白の雷鳴が洞窟を切り裂いた。

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