ほどける

 ——赤かった。


 視界のすべてが赤だった。


 壁も天井も、赤い肉のようなもので覆い尽くされている。完全な直方体ではなく、各辺が不自然に歪んでいる。部屋と言うよりは、まるで何かの腹の中だった。


 ここは、誰の部屋か。


 箪笥やカレンダーに加えて、写真のようなものも見えるが、人物の顔は赤く塗りつぶされていてよく見えない。


 正面には、これまたゆがんだ形の白いドアがある。


 少年はベッドの上にいた——ベッドも肉と骨でできていた。


 そして自分の手足が、肉に埋まって引きはなせないことに気づく。


「!?なんだよ、これ…………!」


 少年がもがく。だが肉はびくともしない。いや、というより、そもそも手足に力が入らない——



 ——がちゃり、と。


 正面のドアが、開かれる。

 

 扉の向こうの闇から、白く細い腕だけが突き出している。


「——くん。」


 それは、自分の名前を呼んできた。


「……だ、誰だ、お前…………。」


「——くん。来てくれてありがとうね。」


 的外れな応答と共に、扉がすぅっ、と開く。


 どこかで聞いたような気がする、少女のような声。



 だが、そこに立っていたのは————誰でもなかった。


 「それ」は誰でもあって、誰でもなかった。


 言うなればただの抽象だった。


 ——赤。


 全身が赤黒いノイズで埋め尽くされた、少女の輪郭。


 音もなく部屋に踏み入ってくる。


 「それ」の頭がドアをくぐると同時に、世界の遠近がおかしくなる。


 部屋のドアが、遠近線の終息する一点が、急速に遠ざかっていく。


 逆に「それ」の体がどんどん大きく見えてくる——いや、実際にそれは巨大化していた。


『——くん。——くん。——くん。——くん!!!』


 あり得ないほど大きな両手が、少年の顔に迫る。


 叫んでももがいても、何も変わらない。


 巨人は少年に覆いかぶさり、包み込んでいく。


 温かい、いや熱い。だが同時に死人のように冷たい、どろどろとした感触が下肢を包む。


「っ~~~~!!!」


 なんだ、この、かん、じ…………。


 少年はなぜか一瞬、抵抗を緩めてしまった。


 心地いい。意識が、遠のくような——




 だが自分の腹を見て、再び目を覚ます——絶望と共に。

 

 少年の腹は、とけていた。


 いや、溶けると言うより、解けていた——ほどけていた。


 皮が肉が腸が、ずるずると細かい糸となって解け、化け物と溶け合っていく。


「うわあああああああああぁぁぁっっ!!!」


 ずぶっ、ぬちゅっ、ぐちゅぐちゅぐちゅっ…………。


『あはっ、あはっ、あはははははははははははははっ!!!』


 化け物は大きく裂けた口を開き、高らかに嬌声を上げる。


 二つの赤色が異音を立てながら、絡み合い、のめり込み、融合していく。


「やだっ!やだっ!やだああぁっ!おかあさああぁんっ!!!!」


 少年の口から出る叫び声も、化け物の接吻に吸い込まれる。


 ——その一瞬、ノイズに満ちた化け物の顔が、はっきりと見えた気がした。

 だが、それが誰か考える暇などない。


 その顔の中へ、奥へ、ただただ沈んでいく——



 ぬちゅぬちゅっ、ごぽっ、ごぼごぼごぼごぼっ…………!


 世界の全てが赤色に溶け込み、何もわからなくなる。





『——くん、大好きだよ。これでずぅっと一緒だね——』





              ——真っ赤な水の底で、そんな声が響いた気がした。

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