かえりみちのとんねる:<其の一>

 ぴちゃん——


 ぴちゃん――


 真っ暗なトンネルの中、水たまりに水滴が落ち続けている。


 その水面を、青白い光が撫でていく。そして、その後に続く黒い革靴達に踏みつけられていく。

 黒いスーツ姿の男たちは、蒼く淡い火の玉に導かれ、墨に溶け込むようにして暗闇を進む。


 前方を歩く壮年の男は、火の玉と同じ蒼い光を放つ電子端末を眺めていた。


「チッ、この近くの座標でまた解脱者だってよ。連絡も間に合わねえとはな……。」


「もーなんていうか、最近多過ぎますよね……なんででしょう……。」


 若い方の男が、ため息をつく。


「別に珍しくもない。『こっち側』の変化に応じて不定期に増えるんだよ、割と。」


 その前をもう一人、同じくスーツ姿の男が行く。


「いや、確かに縁が弱くなりやすい昨今ですけど……それにしたって、侵入してくるイデアの量が多すぎませんか?」


「さあ、情報化とかじゃね?知らねーけど。」


 ぴちゃん――


 ぴちゃん——


「……それにしてもこのトンネル、どこまで続くんですかね?」


「さあな。少なくともナビの通りに進んでればいいんだ……ていうか、別に分かれ道もないしな。」


「……こういうのってよく、ループしてるとかあるじゃないですか。」


「心配し過ぎだ。ナビは正常に動いてる。それに、ちゃんと景色が変化してるかどうか確かめればいい——例えば、あそこの隅に通行止めのポールとか、郵便ポストとか……。」


「いやあ、頑張ってるんすけど、自信なくて……俺、夜目効かないし、記憶力悪いんすよ。」


「両方鍛えろ、馬鹿。未熟なままで生き残れるほど甘くないぞ。」


「……はい。精進します。」


 ぴちゃん――


 ぴちゃん——


「——ああほら、ちょうどでかいランドマークが来たな。」


 先輩と呼ばれる男は足を止め、天井の看板を指さす。


——『コノ先、対向シャ注意。』


「一段階進んだって訳だ。」


「ああ、なるほど……ところで、対向車、って——」


 最後まで言い終わる前に、先輩が腕を伸ばして後輩を制す。


 二人の視線の先、火の玉に照らされて、同じく青い人のシルエットが浮かび上がる。


 ——否、人ではない。


 一見すると、青いドレスにブロンドの髪の女性のように見える。


 だが、その肌はヒトのそれとしては、不自然なほどに真っ白。口の脇から顎にかけて、縦に黒い筋が走っている——いわゆる、マリオネットライン。


 その筋に沿って、ぱきゃっ、と下顎が開き、上体が、首が、不自然な方向に傾く。


 四角い口腔から、黒いタールのようなものがだらだらと流れ出し、美しいドレスを汚していく。


 その姿は完全に、打ち捨てられた人形そのものだった。だが、その瞳だけはやけに生々しく見える。ぬらぬらと光り、しかも、見間違えでなければ、血走っている——本物の眼球の如く。


「…………先輩、引き返した方が——」


「駄目だ。振り返ったらまずいって言っただろ。」


「でも」


「大丈夫だ。こちらから何もしなければいい。静かにしろ。」


 ぱきっ、ぱきっ――


 その言葉の通り、人形はよたよたとよろめきながら、二人の脇を通り過ぎていく。


 後輩が安堵しかけた時、突然その人形は、


「うげえええええぇぇぇっ!」


 ばちゃばちゃばちゃっ!


 水たまりが真っ黒に染まり、二人の姿をかき消す。


「っ…………!」


 二人は息を殺しながら、人形が通り過ぎるのを待つ。


 ぱきっ——


 ぱきぱきっ――






「…………よし、もう行くぞ。」


「はぁ…………。」


 忌まわしい関節音が聞こえなくなってから、二人は再び歩み始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る