第32話 行く当てもなく

 普段のオレならこんなことで噛みつくことはしない。

 

 学ランの男は驚いた表情をみせた後、唇の片方だけ吊り上げて微笑を浮かべた。


「へえ、気のつえー女だな……ってお前、あのときのハッカ娘か?」


 そういえば山田が落とした飴はハッカ飴だったな……。


「あ、あんたは……」

「わりい、俺が余所見していたみたいだ。大丈夫か?」


 そう言って手を差し出してきた学ランの男の手を握り返したオレは、反射的に上目遣いで学ラン男を見上げる。


「実は……あのときから、あんたのこと気になっていたんだ……(便所に落ちた飴なんて食べたから)」


「ッ!?」

 オレの手を握る学ラン男の動き止まり、僅かにたじろいだ。


「うまく言えないけどさ……なんていうか、ずっと心の中に靄がかかっていたっていうか……、あの日からあんたのことが頭の片隅から離れなくて……(あんなもん食ったからお腹を壊してないか心配で)」


「やべ……」と呟いた学ラン男は手の甲で口許を隠す。


 男の顔は異常なまでに紅潮していた。

 やはり便所に落ちた山田の飴を食べた影響なのか!?


「どうした?(やっぱり)具合悪いのか?」


 オレが顔を近づけると、男は隠すように顔を逸らしてしまう。


「い、いや……大丈夫だ」と正面から見つめるオレの視線から逃げるように男は言った。


「……そ、そうか? 安心したよ。今日は会えて良かった……(やっと胸のつかえが取れた)。それじゃあな!」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 学ラン男に呼び止められてオレは振り勝る。


「その……名前だけでもいいから……教えてくれないか?」


 学ラン男は真っすぐオレを見つめている。

 やはり、健康被害が出たときのために関係者の氏名を押させておきたいと思うのは当然のことだ。

 

 もちろんオレは逃げも隠れもしない。

 たとえ山田の不注意で病気になったとしても、飴を口に運ぶ彼を止められなかったのはオレの責任だ。


「七海だよ!」


 だからオレは堂々と名乗り、行く当てもなく再び駆け出した。

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