箱の中には誰がいる

市野花音

第1話

 「ねぇ、先生どこにいるか知ってる?」

 「それなら先ほど彼方に行かれましたよ」

 「……そう、ありがとう」

 彼女は上品な笑みを浮かべ、廊下を走ることはなく、名家の令嬢にふさわしい歩き方で歩いていく。

 ふと先程クラスで彼女が友人と話していたことを思い出した。

 『私の故郷の言葉にね、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花って言葉があるの。美人の例えよ』

 彼女の友人はそんなことを話し始めた。彼女に手向けた言葉だと言いたいらしい。

 僕は彼女は芍薬にも牡丹にも百合にも思えなかった。

 それは友人も同じ意見だったらしく、こう続けた。

 『常日頃から貴女を象徴する花ってなんだろうと思っているのだけれど、答えが出ないのよね。今日は上品、って印象だったからその花言葉で考えてみた』

 現代の女子の会話らしかぬ内容だ。

 『上品を花言葉とするのは、コデマリ、紫のスターチス、ドウダンツツジ、カノコユリ、ササユリ、ムラサキシキブ、ピンクのバラ』

 『へえ、どれが一番私にあっているかな』

 彼女は黒髪の三つ編みを揺らし、楚々と笑う。

 気に食わない。


 ……バラという単語に、たちまち目に浮かぶのは噴水の水が美しく輝くバラの花園で妖艶に笑う女の姿だ。


 一人廊下を歩いていると憎悪が溢れてきた。

 僕は彼女のことが嫌いだ。

 なぜならあの人の箱に図々しくも入るあの人に似てあの人でない薄気味な存在だから。

 生きているだけで僕の愛したあの人を汚してくる、殺意すら抱いた存在。

 所謂二重人格とでも言えばいいのか。

 あの人が自ら命を断ち、塗り替えられた記憶の末に生まれたのが彼女だ。

 だから、存在などしてほしくないのに。

 彼女が見えた。

 僕は彼女がいる方へと歩んでしまう。

 彼女は年上の男に絡まれて上っ面だけの安っぽい笑みを浮かべている。

 そのくせ、目だけはこちらへ助けを求める。

 ああ、死んでくれ。

 あの人は他人に縋る目をしない。

 けれど、僕は彼女に近づいていく。

 箱の中身は、もうあの人ではないのに。

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箱の中には誰がいる 市野花音 @yuuzirou

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