箱屋

那智 風太郎

1

 ふと何かおかしな気配を感じてその路地に目を向けると奥に朱色の灯りが見えた。

 夜更けの繁華街は人通りも少なく、賑わいがない代わりに足元に絡みつくような不穏さが残されている。

 不意に木枯らしが舞った。

 僕はその冷たさに誘われるように路地裏へと足を踏み入れた。


 灯りの正体はちっぽけな屋台だった。

 軒にぶら下げた提灯に大仰な墨字で『はこや』と書いてある。

 首を捻るとパイプ椅子に腰を掛けた小男が長机の向こうでいらっしゃいと掠れた声を出した。彼はインド人の如く頭にターバンを巻き、歪に笑う猿のイラストが大きく描かれた黄色いトレーナーを着ていた。そして糸のように細い目で僕を上目遣いに見る。


「はてさて、どんな箱をお望みですかねえ」

「どんな箱って……」


 戸惑いながらも視線を巡らしてみる。

 男の背後には確かに大小、色とりどりの箱が堆く積み上げられていた。

 とはいえ箱など興味もないし、特に入用でもない。

 そもそも箱だけを売る屋台など意味が分からない。

 不審な顔つきを浮かべたまま背を向けようとすると男が素っ頓狂な声を上げた。


「ああ、なるほどそうでしたか。あなた、そういうご事情でここに来られたのですね。承知いたしました。私があなたにピッタリな箱を選んで差し上げましょう」


 僕は立ち止まったものの、その意味不明な言葉に改めて首を傾げて屋台を後にしようとした。


「悔しいでしょうねえ。お辛いでしょう。はらわたが煮え繰り返るとはこのことだ。ええ、ええ、お察しいたします」


 僕の足が再び止まった。

 そして振り返り、怪訝な顔で男に尋ねる。


「それってどういう意味ですか」

「はて、どういう意味とは」


 男の目が丸く見開き、なんとも不思議そうな顔になった。

 

「なぜ僕の胸中が分かったのかと聞いているんです。そんなに顔に出ていましたか」

「顔に?」


 彼はひとしきり斜め上に目を遣り、それからパッと表情を明るくして片手を仰ぐように振った。


「いえいえ、そんなあやふやなものじゃありません。ちゃんと見えていますからご安心ください。信じていたビジネスパートナーに裏切られたんですよね。そしてベンチャー企業を起こすために貯めていた資金をそっくり持ち逃げされた。そうでしょう」


 呆気に取られた僕は言葉に詰まる。


「ど、どうして……」

「どうしてと聞かれても困りますね。見えるんですよ、箱屋ですから」


 答えになっていない。

 呆然と立ち尽くしていると男は指でなぞるような仕草をしながら積まれた箱に目線を引き、そのうちに下段の方から真四角で真っ青な小ぶりな箱を慎重に引き抜いてきた。


「これなんか如何でしょうか。頑丈な箱ですからあなたのお気持ちをしまっておくのにピッタリだと思いますよ」

「気持ちをしまっておく……?」

「ええ、そんな物騒な気持ちはひとまずここにしまっておけばいいのです」


 やはり何を言っているのかよく分からなかったが、差し出された箱に思わず手を伸ばしてしまった。

 受け取った瞬間、ふわりと心が軽くなった気がした。

 そして気がつくと僕は自分の家のベッドで寝ていた。

 夢だったのか。

 そう思って起き上がると枕元に真っ青な箱が置いてあった。

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