そのさん
「このタブレットにダウンロードしてあるこのアプリで家にいる僕のノートパソコンとビデオ通話が出来るようになっています。充電はしてありますが念のため予備バッテリーも持っていってください」
玄関で荷物の最終チェックしながら、大久保は少し古い型のタブレットを手渡して来た。
「魔除けのネックレスはしていますね。それとこれ、一応気休めの塩」
「気休めって」
「ヤバいと思ったら思いっきりぶちまければ良いんですよ」
「他人の家でも?」
「他人の家でもです」
大久保が余りに飄々とそう言うので、どこまで冗談かさっぱりわからない。
タブレットと共に持たされた塩は昨日昼に明石が買ってきた。スーパーのプライベートブランドの塩であの店に置いてある中では最安値の物だ。
その塩を前に大久保は謎の祝詞のような呪文を複数回唱えた後、そのままスーパーの袋に戻し「はい、どうぞ」と明石に渡して来た。
カワチとの待ち合わせはまた例のスーパーの駐車場。
前と同じく二分程遅れてカワチが窓を叩いた。多分あなたの腕時計、少しずれてますよと言いたかったが明石はそれを飲み込んだ。
「どうぞ」
窓を三センチ開けてそれだけ伝えると、カワチは小さく会釈して助手席側に回った。
カーナビに行き先を入力するように促すと、カワチはぎこちなく指を伸ばす。
今日のカワチはネイルも指輪もしていないし、なんなら指毛の処理もしていない。ハンドクリームは使っているのか微かに良い匂いがする。今日も地味なメイクに地味な服装でオドオドしている。そして地味な事務員のような服装に少し大きなリュックサックという出で立ちがなんともちぐはぐに見えた。
本当に遠隔徐霊なんかで彼女を、彼女の家を救えるのだろうか。
昔働いていた運送会社で、上司に苛められ鬱で退職した女子社員がいた。
カワチを見ているとその社員を思い出す。自分もそんな荒れた人間関係に疲れ、彼女の数ヶ月後に退職して派遣になったのだが。
カワチは霊のせいで不幸なのではない、何かもっと現実的な理由で不幸なのではないのだろうか。大久保の千里眼はどこまで彼女の事が見えているのだろうか。
一旦カワチが暮らすマンションの下で待たされる。忘れ物をしたそうだ。少し古いがそれなりに立派なマンションだ。数分で戻って来たカワチはお守りのようなものを左手に握り締めていた。その時ふと、カワチから不思議な匂いがしたように感じたがすぐに消えた。
「実家は車を止める場所がないのでそこの駐車場にお願いします。お金は勿論こちらで払うので」
明石は言われた通りにする。
車を降りて直ぐ、大久保に「到着しました」と連絡を入れた。すぐに「了解、先ず明石さんが話を聞いてからまた連絡して」と返事が来た。
カワチの実家は駐車場が歩いて二分程の場所にある住宅街の中の一軒家だった。
駅からもそう遠くはなく古い家と新しい建て売りが混在した一般的な住宅街だと感じた。
聞けば築三十年弱、カワチが子供の頃に一度建て替えてはいるが父方の祖父母の代からここに住んでいるのだという。
この実家に住んでいるのは五十代後半の両親と兄夫婦、まだ二才の甥っ子と生後九か月の姪っ子だそうだ。
子供がいるからだろうか、雑然とした居間に通されカワチの母にお茶を出してもらった。母親は何度も「すいません」を繰り返していてこちらが恐縮してしまう程だった。
しかしこの家は全体的に汚れている。
どの部屋も汚い。正直客を呼べるような状態ではない。
兄嫁と甥っ子、姪っ子は今は親戚の家に避難しているらしい。カワチの兄マサツグがそう言った。
そのため明石の前に座っているのは依頼人のカワチユリエ、その両親、兄マサツグの四人だった。カワチも兄も、どちらも母親に似ている。父親は細く、やはり影が薄いタイプの中年男性だった。
「改めてご相談を伺います」
明石がそう声を掛けると最初に口を開いたのはマサツグだった。
先ず昨年から兄嫁が体調を崩す事が増えた。
両親との同居で知らず知らずに負担を掛けているのかと思ったがそれは関係無く、子宮の病気が判明した。今は通院でなんとかなっているが悪化すれば入院だと言う。
そして三才の長男がおかしな事を言うようになった。
最初は家の外に人がいてピンポンを押したと言い出したが、大人は誰もその音を聞いていない。そして誰もいないはずの風呂場やキッチンに人がいると言い出した。一才の娘もグズる事が増えた。二人共、保育園から家に帰るのを嫌がる事が増え、虐待を疑われた事もある。それに今度は両親も夜中に物音を聞いて目覚める事が増えた。強盗か何かかと思って見てみても何もない。
思えばここ数ヶ月、やはり体調が芳しくない。
音は大体一階の水場、つまり風呂場やトイレ、キッチンからしていることがわかった。
キッチンでは突然包丁や鍋が床に落下したりするので危なくて仕方がない。
そういえば水回りには霊が出やすい、なんて話あったよなあ。
明石はそんな事をぼんやり考えながら話を聞いていた。
「お兄さんは何かおかしな事はないのでしょうか」
明石は素早くメモを取りながら目の前にいるカワチの家族と居間の観察をする。
今まで事務の派遣を長くやってきて、会議の議事録を散々作らされた。その経験がまさかこんなところで生きるとは思わなかった。
「実は自分も睡眠不足で………変な夢を見るんです」
「どんな夢ですか」
質問は手早く的確に。先輩にそう教わった。マサツグは酷くイライラしている。顔には出さないようにしているが、貧乏ゆすりが余りにも酷い。
「起きると大体忘れてしまうのですが、妻が言うにはかなりうなされているらしくて。暴行を受ける夢が多いのはなんとなく覚えています」
そのマサツグの声は酷くぶっきらぼうだ。しかし明石はここで負けてはいけない。
「いつから」
「強盗騒ぎの頃からなので二ヶ月程前かな」
「思い当たる節は」
「うーん………妻が体調崩す前に出張で長期間家を開けたんですよ。その時にちょっと色々とあって」
「具体的にお願いします」
「トラブルというほどでもないんですが古い友人が取引先の現地にいて………でも亡くなってしまったんですね」
「帰ったら改めてメモを見せますけどどうしますか」
廊下に出て大久保に電話をする。大久保はしばらく悩んだ後「タブレットでキッチンと風呂場、お手洗い?一先ず危ない所を中心に家の中全体の様子を見せて」と言ったので明石はアプリを立ち上げた。
ビデオ通話越しに見るお面姿の大久保は、人間に見えなかった。正直カワチの家族には見せたくないなあと思った。
その状態で一度居間に戻り、カワチ家の人々に「上司がビデオ通話でこの家の中を見たいと言っています。案内して頂けますか?」と了解を取る。
主にカワチが主に家の中を案内してくれた。カワチの両親と兄はタブレットを持った明石の後ろをゾロゾロと着いて来るのみだった。
先ずキッチン。狭いがそれなりに片付いていて導線は悪くない。
「天井の方と小窓のところもよく見せてください」
タブレットの向こう側にいる大久保の言う通りに明石は動く。
次はトイレ、洗面所、風呂場の順に回る。あと念のために物置。一階はこれでほぼ終わり。後は二階の寝室だ。寝室は完全なプライベートゾーンだ。見られるのを嫌がる人も多いから、話の切り出し方に気を付けて、と昨日大久保が言っていた。
「もしそちらがお嫌でなければ二階も見せて頂きたいのですが。無理は言いませんが、もし可能でしたら」
明石がカワチ家ひとりひとりの顔を見ながら丁寧にそう聞くと、兄が「廊下だけで良ければ」と言った。
階段にはベビーフェンスと言うのだろうか、ゲートのような物がついていた。
「右側の手前が両親の寝室で奥が僕達夫婦と子供達の寝室です。左の手前が客間です。奥はユリエがこの家にいた時の自室で今は物置のようになっています」
「明石さん、とりあえず廊下の一番奥まで行って、そして戻って来て。出来るだけゆっくり」
大久保の指示に従う。タブレットを持ってゆっくり歩く明石を、カワチ家の人々が無言で見ている。なんともシュールな風景だと思った。
「オッケー明石さん。居間に戻って。ビデオ通話は切らないでね。僕から皆さんにお話しますから」
「お兄さん、お友達が亡くなった時の話を詳しくお聞かせ下さい」
タブレット越しに大久保が問い掛けてくる。
カワチの兄………マサツグはしばらく俯いた後、絞り出すように話し始めた。
三か月前、海外出張でとある東南アジアの工場を視察した時の事。
ホテルで偶然中学時代の友人に遭遇した。あちらから声をかけてきて驚いた。
彼は三島という男で、卒業後も他の旧友を交えて年に一~二回呑みに行く仲だった。
三島は親戚の経営するメーカーの倉庫で長く働いていたのだが、そのメーカーが経営不振で倒産してしまい職を失った。
それが三年前の事でその後何をしているのかは誰も詳しくはわからず、突然インドに旅行に行ったという噂を最後に一切の行方がわからなくなっていたのだという。
皆心配している、と声を掛けたのだが、三島は曖昧に笑うだけだった。
翌日の夜、上司と観光がてら屋台を回っているとまた三島に会った。
その時、彼の結婚指輪を渡され「元妻にこれを渡して欲しい、彼女の手で捨てて貰いたい」と言われた。
最初はそんな事は出来ない、と断ったのだが押しきられた。上司の手前、あまり揉めるのも気が引けたから。
「指輪、どうなさったんですか」
明石が聞くと、マサツグは無言になる。
「お兄ちゃん、もしかしてまだ持ってるんじゃないの?」
カワチが恐る恐るそう口を開く。両親も無言のまま兄を見つめている。その顔は真っ青だ。
「少しお待ちください」
マサツグは一旦部屋を出ると、新聞の切り抜きを持って戻ってきた。
「これ、二ヶ月前の新聞記事なんですけど」
それは東南アジアで旅行中の日本人男性が事故で亡くなったという記事だった。そう言えばニュースで見た覚えがうっすらある。余り良い内容ではなかったのでその時は目を止めて見たのだろう。
「あいつのあの時の様子を思い出すと、自ら亡くなった可能性が高いと思います。死にたくてわざと危ない場所に行ったのではないかと。それでもお骨は無事日本に戻って来てあいつの家の墓に入りました」
マサツグは苦しそうに、しかし淀み無く話した。
「………指輪は葬式の時に彼の親に渡しました。どうしていいかわからなくて」
明石は改めてタブレット越しに「どうするべきですか」と大久保に聞く。
「新聞記事をよく見せて」
指示通りにタブレットのカメラをテーブルの上の新聞記事に向ける。
「カワチさん、明日もう一度出直しても構いませんか?今夜、私と明石で対策を練ります。明日の朝九時、今日と同じ待ち合わせ場所にカワチさんとお兄さんの二人で来て頂きたい」
大久保は強い口調でそう言った。
「………わかりました」
か細い声でカワチは頷いた。マサツグも渋々と頷いた。
「明石さん、渡しておいた塩を風呂場の排水溝の辺りと玄関の外に撒いておいて。大量じゃなくても良いから、明石さんの気の済む量を撒いて」
「了解しました」
風呂場は特に陰気に見えた。電気をつけても薄暗い。排水溝に塩を撒き、戸を閉める。あんまり良くないんじゃないかなあと思いつつ撒いた。その時不意に蓋を閉めた風呂桶の中から物音がしたように感じたが明石は息をつめたまま気付かない振りをしてそっとそこから離れた。
気のせい、気のせい。
カワチをマンションまで送ろうとしたが「今日は家族が心配なので実家に泊まっていきます。滅多に帰っていないので積もる話もありますし」と言われ、明石は一人で車に乗り込む。発車する前に「今から帰ります、何か必要な物はありますか」と大久保に電話を掛ける。
「入浴剤と石鹸がなくなりそうです」
「入浴剤は固形のブクブクする奴ですよね、石鹸はなんでも良いんですっけ?」
明石がそう聞くと、大久保は指でOKサインを見せた。
「そういえば明石さん、長田さんに聞いたけどフォークリフト運転出来るんですよね?」
「はい」
「では明日もよろしくお願いします」
なんでいきなりフォークリフトなんだよ、と突っ込む隙さえ与える間もなく彼は電話を切った。
「家の印象はどうでしたか」
明石のメモを読みながら大久保はそう聞いてきた。
「ビデオ通話で僕も少し家の中を見ましたし、明石さんに霊感がないのは知っています。でもそういう人の率直な感想も馬鹿に出来ないんですよ」
兎に角色々な人の意見を聞く事が大事なんです、と大久保はよく口にする。
ずっと山奥の狭い世界で生きてきたからこそ、思考が偏らないように意識を極力外に向けていたいのだそうだ。
「うーん、単純に汚いなと思いました。いわゆるゴミ屋敷、という程ではないんですけど、人を呼ぶには汚過ぎるというか。風呂場もカビが酷かったし、玄関も全く掃き掃除とかしてないんでしょうね。廊下も埃っぽかったし台所も雑然としていてシンクはぬめっていました。建物が古くなるのは当たり前だし小さいお子さんもいるから掃除が行き届かないのもわかるんですけど。しかしそれを差し引いても暗い印象がありました。何年か前に外装のリフォームをしているらしいんですけど、とてもリフォームしたようには見えませんでした。純然たる築三十五年の家、って感じです。むしろ築五十年と言われても信じてしまいそう」
「なるほど、他には?」
「あとご両親の影が薄いと言うか、お兄さんがあの家の長なのかなと。かなり良い大学を出て良い会社に勤めてるそうですしね。あの家で一番偉いのかなと思いました。ご両親は随分と無口ですね、霊現象に合っている割には余りお祓いに乗り気じゃないのかもしれません」
「多分お兄さんは嘘をついています、というかあの家族に大きな問題があるのかもしれない」
「そうなんですか?」
「タブレットで新聞記事を見せて貰った時に、お兄さんの手が映りました。その時見えた結婚指輪が例の三島さんの指輪なのではないかと」
「………でもなんでそんな事」
「それはきっとこれからわかります」
大久保は明石のメモ帳をちゃぶ台に置くとしばらく無言で考え込む。
「実際怪奇現象はお兄さんの持ち帰った指輪………三島さんに原因がある、それは映像で見てすぐわかりました。三島さんの強い思いがあの家に怪異を呼び込んでいる。女性の婚約指輪ならまだしも、男性の結婚指輪でシンプルなデザインとは言え石がついているのは少し珍しい。石には思いがこもりやすいんですよ」
例えば明石さんのオパールにはお祖父さんとお祖母さんの明るい思い出と絆が詰まっています。そしてお祖父さんとお祖母さんは孫の明石さんをとても可愛がっていた。だからあのオパールは明石さんを守ってくれるんですよ。
その説明を聞いて明石は成る程と納得した。
明石は父の仕事の都合で、高校生の頃両親と離れ祖母の家で暮らしていた時期がある。祖父は幼い頃に亡くなったが、祖母曰く初孫の泉ちゃんをとても可愛がっていたのよ、と。
「お兄さんの奥さんとお子さんは自分の実家に避難しているとのことです」
「詳しくはわからないけど、なんとなくそこは縁が切れそうになっている、ように見えるんですよね。なんだろう」
「そういえば風呂場に塩撒いた後、なんか変な物音がしました。怖かったので確認はしませんでしたけど」
「明石さんは祓う能力はないですし、おかしいと思ったら逃げるのは正解です。些細な事でも報告だけはちゃんとしてくだされば構わないので」
「………そういえば家をおいとまする時も外に出て歩き始めたらカワチさん家からピンポン、て鳴った気がするんですよね。人なんてほとんどいなかったのに、誰が押したんだろう」
不意に思い出して背筋が凍る。
「もしかしたら明石さんも僕のそばにいることで少しづつ霊とチャンネルが合って来ているのかもしれません。今夜はちゃんと部屋の鍵を掛けて枕元にオパールを置いて寝る事。良いですね?」
明石は首振り人形のように高速で頷いた。
明石は変にずぼらな所があるので昨夜は部屋の鍵を閉め忘れて寝てしまった。大久保は勿論女性相手に不義理な事をするつもりは一切ないけれど、実際呪いの余波を受ける可能性もあるからこそ気を付けて欲しい、と言う。成程、鍵にはそういう意味もあるのか。
「今夜は急な雨になりそうなので、早めに雨戸を閉めましょう」
二人がかりでも家中の雨戸全てを閉めるのは一仕事だった。雨戸だけは古く、立て付けが悪かった。
雨戸が酷くガタガタ揺れているのがわかる。春の雷雨だ。
その日の夢見は本当に最悪で、明石は風呂場で男に首を絞められていた。
その感触は余りにも生々しく、どれだけ強くもがいてもその男は離れてくれない。首を絞められているので声も出せない。なんとか手を振り回して男の髪の毛を掴む事が出来たが、その髪は強く引っ張るとごっそりと抜け落ちた。
目を開くと自分を襲っていたのは腐敗した死体だった。
翌朝、目にクマを作りながら起きて来た明石を見て大久保は困った顔でお祓いをしてくれた。スーパーの塩に祝詞を唱えた時と同じように簡単な物ではあったが、念のために神棚と庭の社にも手を合わせてから家を出るように言われた。行き帰りに事故でも起こしたら幾ら丈夫な明石でも確かにただでは済まないだろう。
敢えて砂糖を入れない珈琲で眠気を吹き飛ばした後、大久保の言う通りに庭に出た。昨晩の嵐が嘘のように、今朝は清々しい程の晴れだった。
もしかしたら山道を降りる時に木が倒れているかもしれないので気を付けて、と大久保に送り出された。しかし実際道を塞がれていたらどうしようもないではないか。明石はただスピードを出し過ぎないようにだけ気を付けながら山を下りた。
大きな障害物は運よく無かった。ただ猫の死体を見つけて少し不愉快な気持ちになっただけだ。
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