そのに
急いでスーパーで買い物を済ませて車に戻る。頻繁に買い物に行ける状況でもないため、結構な大荷物になってしまった。
大久保に指定された時間の十分前から車の中で客を待つ。十一時半を二分過ぎた時、コンコンと窓を叩かれた。
そこに立っていたのは黒髪ショートカット、薄いブラウンのスプリングコートの女性。
明石が窓を少し開け「お名前をお願いします」と聞くと、女性は「連絡していたカワチユリエです。大久保さんの所の方ですよね?」と微笑んだ。
カワチの顔立ちは少し地味で、その上化粧が余り上手ではなく服も身綺麗にしてはいるがイマイチ垢抜けない。
とは言え有事に対応できるように動きやすい服装という事でジーンズにジャージを羽織っている明石が人の見た目を言えた義理でもないのだが。
それでも明石はカワチの事を漠然と「幸の薄そうな人だ」と思った。
今まで明石は占いなどやったこともやってもらったこともない。
友達はそういう物が好きな子が多かったが、明石は朝のニュースの占いコーナーも良ければラッキー、位にしか思っていなかったしお金を払ってまで占いに行くとか考えた事がなかった。子供の頃にこっくりさんさえ参加した事が無い。ホラー映画は時々ストレス発散で見る事はあるが、基本的に霊感とも呪いとも無縁の鈍感な女である。
しかしそんな明石が見ても何故かカワチは不幸そうに見えた。
多分ずっと俯いて喋っている、というのもあるのだろうが。
助手席に座ったカワチにうっかり失言をしてしまわぬよう、明石は逆に喋らない事に決めた。
昔の自分は余計な事をペラペラ喋ってトラブルばかり起こしていた。それはもうやってはいけないのだ。大久保にも「お客さんの話は一先ず聞く事に徹して下さい」と指示されていたのもあるけれど。
家に着いてカワチを居間に通す。
なんとなく何かにビクビクと怯えているようにも見える。挙動不審。彼女に対するモヤモヤとした感情は一言で言うならそれなのだろうか。
今まで占いなど大して興味も無かったが、こんな特殊な場所にある占い師の元に訪れる人は皆こんなものなのだろうか。興味深い。
大久保は二階にいるはずだ。
階段の下から大きな声で「大久保さん、お客様を連れて参りました」と叫ぶ。
大久保はすぐに降りてきた。勿論お面をつけたまま。手には書道道具と同じ位の大きさの箱を持っていて、その中に占いの道具が入っているのだという。
彼は廊下からチラリと居間に座るカワチを見る。お面をしているので表情まではわからないが、少し躊躇うような、そんな空気を感じた。
「明石さん、お茶をお願いします。ただ占いの間は居間に入らないように。必要があれば呼びますので、それまで台所で待っていてください。あとさっき明石さんの荷物が届いたので部屋の前に置いておきました」
「はい」
明石は言われた通りにお茶を出した後は台所で軋む椅子に座っていた。
大久保の妹は読書家だったそうで、本棚に残していった文庫本は自由に読んで良いとメモが貼られていた。
なんとなく手に取ったミステリーを読みながら、今日の夕飯について考えていた。
大久保は特にアレルギーや好き嫌いはないそうだ。ただし図体の割には少食。それは昨日の夕飯と今朝の朝食でわかっている。
一時間もせずに大久保は明石を呼びに来た。
「すいません、僕もカワチさんもお昼ご飯を食べていないのです。トーストとマーガリンだけでも良いので持ってきて貰えますか」
そこで明石自身も読書に熱中して昼を食べていない事を思い出した。
カワチは泣きながらトーストを齧っていた。明石がおかわりを焼いて持ってくると、やはり無言で泣きながらトーストを口に詰め込んでいた。
彼女は帰りの車の中でも泣いていた。でも車を降りる時にはきちんと「ありがとうございます」と言ってくれた。少し声が大きくなった、と思った。
明石はガソリンスタンドで給油をしてから大久保の家に戻る。
夕飯は焼き魚とカボチャの煮付け。味噌汁はレトルトのが安く買えたので足りなければ自分でやってください。お湯は電気ポットに沸かしてあります。
明石が一息でそう言うと、大久保は「わかりました」と苦笑した。
しかし大久保は明石に早々に気を許してくれたようで、占いの客が来た時以外は既にほとんどお面をせずに過ごしている。明石もすぐに傷跡には慣れた。
大久保は聞いたことにはすぐ明快に答えてくれるので、明石の方もこの上司は仕事がやりやすいなあと思っている。
ここに来てからずっと観察しているが、大久保は全く生活能力がないわけではない。
今時ネット環境さえあればこの山から出なくとも食料や日用品の手配は出来るはずだし、恐らく占いという自営の仕事でさえなければわざわざ明石が住み込んでまであらゆる世話を焼く必要もないだろう。
大久保は一人で暮らすのが寂しいタイプなのだろうか。山奥にいて身寄りも少ないのなら孤独死の不安もある。
それにこの家は広い。
掃除だけでも確かに骨が折れる。一人で全て掃除をするのは億劫だ。
大久保曰く、呪いのせいでむしろ家を綺麗に保たなくてはならないとのことだ。
呪いのせいですぐにカビたり電球が切れたりするんですか?と聞くと「いや、綺麗好きなだけだと思います」と言われた。潔癖症の悪い奴に呪われてこの山から出られないなんて、嫌な運命にも程がある。
カワチの訪問から数日。その間に送迎した占いの客は二人。一人は若い女、もう一人は年配の男。どちらも帰りはスッキリとした顔で帰って行った。明石が買い出しをして帰宅すると、大久保が深刻そうな顔で電話をしていた。新たな依頼だろうか。意外と占い師は忙しいのだなと思いながら明石は台所に入った。
「明石さん、明日僕の代わりにお客さんの家に直接行って貰えませんか。家の方でおかしな事象が起きているらしくて祓って欲しい、と相談されたんですよ。今日の風呂掃除は僕がやるのでお願いします」
夕食が終わるなり大久保はそう言って頭を下げて来た。
「私、占いも除霊も出来ませんよ。それと風呂掃除は私の仕事なので私がやります。お給料は発生しているので」
そう淡々と答えても大久保は頭を上げない。
「そこをなんとか。必要な指示は電話でしますから」
「………遠隔除霊ですか」
それはちょっとネタとして面白そうだ。不謹慎なのはわかっているが、一瞬そんな考えが脳裏を掠める。
「明石さんくらい落ち着いた人なら安心して任せられるんですけど。それに明石さんなら取り憑かれる事はないと思います」
「根拠はなんですか根拠は」
暗に鈍感である、と言われたようで明石はちょっとムッとした。大久保は取り繕うように早口で言った。
「多分明石さんの守護霊お祖父さんなんですよ、めちゃめちゃ強そうです、めちゃめちゃ太腿ががっしりしてて蹴られたら痛そうです」
「それは父方の祖父だと思いますよ、私が子供の頃に早死にしたけど元陸上選手なんで」
父はよく祖父の話をしてくれた。学生時代の祖父はそれはそれは良い選手だったそうだ。
「それなら明石さんも逃げ足早いですよね」
「はい、隔世遺伝したので走る事だけは得意です」
明石の一番の取柄は体が丈夫な事だ。これは自慢である。
「もし心配なら一番大切にしているアクセサリーを身につけて行ってください。宝石のついているやつ。魔除けになります」
「死んだ祖父が死んだ祖母にプレゼントしたオパールのネックレスを私が持っているのをなんで知っているんですか」
とは言え大久保が明石に届いた荷物を勝手に見たとは思えない。開くのも大変な位がっちがちに梱包した段ボール二箱だったから。
「僕が占い師で千里眼だからです」
「………私は多分妹さんの代わりにはなれませんよ」
「わかっています。でもさっきも言ったでしょう、明石さんなら安心して任せられるって」
大久保に教えられた行き先はカワチの実家だった。
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