そのいち

 それはとても特殊な仕事の募集だった。


 一年間、山奥の家にわけありの同居人と共に住むこと。更新もあり。


「表向きは家政婦及び管理人代理という事で給料は支給される」


 明石は大阪で派遣社員をしていた。


 しかし二年以上派遣されていた会社が突然の業務縮小を発表し、人員削減の影響で派遣会社丸ごと切られてしまったのだ。ほんの数ヶ月前には担当者から「次の契約更新もしますんで、よろしくね」と言われていたのに、急転直下の展開だった。


 では新たな派遣先を、若しくは腹を括って正社員に、と考えていた矢先。


 派遣会社の担当から「ちょっと特殊な仕事なんだけど、他にやりたいって人がいなくて。県外の仕事なんですけど。明石さん、アパートもボロアパートでもうすぐ取り壊されるんでしょ?この仕事なら期間限定とは言え立派な家に住み込めるからさあ」と言われたのだ。

 それならば、と荷物をまとめた。

 今不必要な物は捨てるか実家に預けるか。

 選びながら急いで準備をした。


 明石泉、二十七才の春の事だった。


「車の免許は?」

「あります、なんなら原付もフォークリフトも運転出来ます」

 大学を出てすぐ事務として正規採用されたのが運送会社で、最近は女性でも現場仕事ガンガンこなすんだよ、事務のあなたでもフォークリフト位運転出来て損はないよ、と社長の口車に乗せられて免許を取った。

 結局その会社は一年ちょっとで退職してしまいフォークリフトを運転する機会はほとんどなかった。

 そしてその後しばらく自由を求めて派遣をやっていたのだ。

「軽ではあるけど一応新しい自動車と電動式自転車があるそうなので、必要ならそれを使ってください」

「わかりました、ここにサインすれば良いんですよね」

 明石はペンを取る。


「荷物はそれだけ?」

「これは最低限です。後は友達に預けていて正式に入居したら送って貰う事になっています」

「準備が良いですね、安心して仕事をお任せ出来そうです」

 不動産屋の主は安心したような顔で頭を掻いた。


 山の麓にある街の不動産屋が仕事の仲介をしてくれる、と派遣会社に言われ、古びたビルの二階の戸を叩いたのは三月の終わりのことだ。


 明石を迎え入れた不動産屋の社長は六十過ぎの白髪混じりの男性で長田と名乗り、何度も「本当に良いんですか?」と聞いてきた。


 はい、わかっていて受けました。


 そう答えるしかない。こちらも生活がひっ迫しているのだから。


 住み込み家政婦及び建物の管理。わけありの同居人付き。


 それが私の新しい仕事だ。


 相手は男性だが、諸事情により女性に手を出すことは無い。変わってはいますがとてもきちんとした方です。性格も素行も身元も全く問題無い方です。嫌なら断る事も出来ます。


 何度も念を押されたが、家と給料を貰えるなら多少のことは構わない。そしてそれだけ言われるということは恐らくゲイなのだろう、と勝手に判断した。これはとても失礼な話なのはわかっているので口にはしなかった。


 トラブルがあれば派遣会社に契約上の問題があったと訴えれば済む事ですから、と明石が言うと、長田は「あなたくらいしっかりした方なら多分大丈夫でしょう。困った事があれば私にも相談して下さいね」と頷いた。


 外に出ると春の匂いがする、というよりは花粉症が辛い。これは花粉の匂いだ。


 これから山の中に住む。マスクを百均でありったけ買いだめしておいて良かった。


 長田の運転する車に乗せられ山の中腹で一度車を止める。


「ここからそこの横道に入って歩いて五分位です。あちらの敷地の都合で車を何台も止められないので一先ず私の車はここに止めて行きます」


 明石はリュックを背負い、小さなトランクを片手に長田の後ろを着いていく。

 もうひとつ、大きいトランクは長田が持ってくれた。恐らく明石の父よりも少し年上のはずだが、長田さんは驚く位元気な初老男性だった。

 山奥、と聞いてはいたが、大きいが緩やかな山と大きな森、といった印象だ。


 一応道はある程度整備されていて、これなら実際軽自動車や電動式自転車でも然程問題なく生活出来そうだ。

 雪が降る季節だけ気をつければなんとかなるだろう。


「着きました」

 数十分歩くと、鬱蒼とした木々の中に突然立派な古民家が現れた。

 軒先に置かれた軽自動車がまるで玩具のようで、そこだけ浮いて見えた。

 長田が呼び鈴を鳴らし「大久保さん、長田不動産です。先日連絡したお手伝いさんの件で参りました」と大きな声を出した。


 ガラリ。


 しばしの間を置いてからゆっくりと引き戸を開けたのは見上げる程に背の高い猫背の男だった。


 ただし、その顔は不思議な形のお面に覆われている。


「こちら、住み込みで働いてくださる明石泉さん」


 長田に促され、明石は「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「明石さん、こちらが雇い主の大久保泰三さんです」


 改めて明石はお面の男を見上げる。


 身長百六十センチの明石が思い切り反る位に見上げる程の大男だ。百八十以上はあるだろう。しかし背は高いがガリガリで、それ程威圧感はなかった。

 大久保、という男は小さな声で「………了解です、よろしくお願いします」と言い、明石達を家に招き入れた。


 大久保の淹れてくれたお茶は不味くはないが薄かった。


 明石の目の前で長田の持ってきた書類に目を通しているお面を被った謎の大男は、声と体つきだけ見ればそれ程老いているとは思えない。


「ではこれが明石さん用の鍵です。それとこの周辺の地図。車にカーナビは着いてるそうですが、アナログな地図もあって困ることはないですから。では、あとは大久保さんお願いしますね」


 長田はちゃぶ台の上に鍵を置いて笑顔のまま去っていった。


 大久保はあまり人と接するのが得意ではないが、占い師を生業としているという。

 占いはほぼ、先程お茶を出された居間で行うのだそうだ。なんなら食事も。

 運動を兼ねて山の中を散策する事もあるが、基本的に彼は日常のほとんどをあの居間で過ごすのだそうだ。

 インターネットを使った占いもやっているそうで、居間にはノートパソコンが置いてあった。自室にも一台デスクトップが置いてあるそうだ。


「明石さん、パソコンは使えますか?」


 そう聞かれたので「ずっと事務の仕事をしていましたし人並みには使えます」と答える。自分用のノートも一台持参して来ている。


「時々メンテナンスを頼む事もあるかもしれないので、よろしくお願いしますね」


 彼はそう言って立ち上がる。

 家の中を案内すると言う。


 台所や風呂場、お手洗いなどの場所を教えられた後に奥にある六畳間に通される。


「ここが明石さんの部屋です。僕の寝室は二階です」


 彼はずっと妹と一緒に暮らしていて面倒を見て貰っていたのだが、妹が結婚して街に住むことになったのだそうだ。

 明石の部屋は妹の使っていた部屋で、きちんとクリーニングしてあった。戸は古いが大久保が念のために鍵を取り付けておいてくれたという。安心して寝起きして欲しい、という配慮なのだろう。お手洗いもお風呂も、改めて鍵をつけ直してくれたらしい。主に妹と長田の指示ではあるが、大久保はきちんとそれを受け入れたそうだ。


 仕事ではあるが一応男と女である。これは信用出来る雇い主だな、と思った。


「失礼ですが、何か持病でもあって独り暮らしが難しいのでしょうか?もしそのようなことがあれば早い内に教えて頂けるとありがたいのですが。むしろそれなら私のような派遣の何でも屋ではなくヘルパーさんなどを頼むとは思うのですが」


 部屋にとりあえず荷物を置いた明石は極力事務的な口調で聞いた。

 一年間二人で暮らすのだ、気になる事は多少不躾でも早い段階で質問して解決しておいた方が得策だ。


「………僕は呪われているからこの山から降りられないんですよ」


 明石は思わず「はぁ?」と声に出してしまった。その不躾な態度に不愉快な態度を見せる事なく、大久保は躊躇いながらそっとお面を外す。


 彼の顔には大きな傷があった。


 思いの外酷い傷を目の当りにして明石は驚きで声を失いかけたが、辛うじて絞り出すように「すいません」と言うことだけは出来た。


「いえ、おかしな仕事ですいません。何も出来ないわけではないのですが、そういう山の外に出られないという事情で不便も多いのでお手伝いさんが必要で。占いのお客さんの送迎とかもお願いしたくて。僕は車が運転出来ませんし。それに来る時にわかったと思いますが、車を止めるスペースも無限ではないし山奥なのでお客さんに自力で来て頂くというのも簡単ではなくて」

「余りわかりやすい場所でもないですしね」

 つい先程、長田に連れられてやってきた道を思い出しながら明石は納得した。

「それと一応自営業、という形になるので事務の事を一通りわかっている人がそばにいてくれた方が安心なんです。最近仕事が増えて来たので大変で」


 大久保に案内されて家の外に出る。


「山道を歩きます、大丈夫ですか?」

 スニーカーを履いて明石は「大丈夫です」と大きい声で答えた。


 一時間近く大久保に続いて山道を登る。明石は体力に自信はあるのでそれ程辛くは無かったが、薄暗い道を行くので不安は拭い切れなかった。そして大久保はその細い脚からは信じられない位スタスタと進んで行く。恐らく息ひとつ切れていないだろう。


 山道を途中で逸れた獣道の果てに、突然真っ赤な鳥居が現れた。


 その先に続いていたのは古びた小さな神社だったが、大久保が「これがこの山の中心、呪いの中心だと思ってください」と言ったので明石は思わず背筋を伸ばした。


 促されるままに丁寧に参拝する。


 風が冷たい。


 しかし綺麗な空気だった。気持ちが良い。これが本当に呪いの元凶なのかと思う位に。


 一応昨日、大久保の妹が来て掃除をして最低限の食料品を買い込んでおいてくれたらしい。


「今日の夕飯は台所の使い方を教えたいので一緒に作りましょう」


 大久保はそう言って台所へ向かった。


 この夕食作りがとりあえずの研修であり入社試験のようなものなのだろう、と明石は解釈した。


 居間で共に夕食を取りながらふと庭を見ると、古い井戸と小さな社が鎮座しているのが見えた。この古めかしい家に似合い過ぎる装飾だ。どこのオカルトだ。


 呪い。


 その二文字が脳を過る。先ほどの山の中の神社をふと思い出す。


 成る程、これは本当に少し面倒な仕事なのかもしれない。大久保が女に迂闊に手を出せない事情というのもやはりそこにあるのだろうか。


「庭掃除の際にはやはりあの井戸とお社には触らない方が良いのでしょうか」


 明石がそう問いかけると、大久保は「庭だけは僕が掃除します、これは先祖代々の決まりなので」と答えた。勿論庭には自由に出てもかまわないし、出来ればこまめに社に手を合わせて欲しいというのが大久保の希望だった。


「明石さんには家事以外の仕事を頼む事も多いと思います。よろしくお願いします」


 夕食をつつきながら、大久保はぽつぽつと呪いについて話してくれた。


 先祖代々、大久保の家系の男に呪いが掛けられる事が多い事。


 元はこの地域一帯を取り仕切る豪農だったのだが、ある時分家の者が山の神を怒らせた。そしてそれ以来山の神はこの一族からランダムに男を選び生贄として山に閉じ込める事を約束させた。それを守らないと山だけでなく下の街全体にも災厄が降り掛かるのだと言う。


いつ誰が選ばれるかはわからない。


ただ該当する男は十歳の頃になると大きな病気をして背中に痣が浮き上がる。それが生贄の証なのだそうだ。


 この家はいわゆる生贄と山の神との中継地点のような物だそうだ。家というよりはあの庭の社がその役割を果たしている。神の本体は夕方に行ったあの山の上の神社なのだが、あの通り獣道の果てで行くのが簡単ではないので毎日参るわけにも行かない。そのためこの庭に分社を作った、というわけだ。


 そして顔の怪我とその痣は全く関係ないらしい。意外な話で驚いた。


「大久保さん、学校はどうしていたんですか?今の日本はなんだかんだで法治国家ですよね」


「義務教育については表向き登校拒否扱いです。だから学歴も中卒からの通信高校での高卒認定試験を受けて、そして大学は通信制を卒業しました。家庭教師はずっとつけられていたので勉強はしていました。まあ他にする事もないですしね」


「ずっと山に籠らなきゃいけないって大変ですね………」


 自分は都会で高校まで公立でのびのびと遊び回っていた。明石はそれが普通だと思っていたのだが、それは案外恵まれている事なのかもしれない。


「明石さんがお昼に車でここに来る時、山と街のギリギリの境目に小さい分校があったのわかりますか?あそこなら一応通えなくは無かったので小学校も中学校も時々顔は出していたんですけどね。高校もたまに通ったりしないといけなかったんですけど特例でその分校に先生に来てもらったりしていて。ほんと色んな人に迷惑掛けて大変だったんですよ。大学は一切の通学の必要のない通信を選んだのですけど卒論だけは直接出しに行かないといけなくて」


「どうしたんですか」


「年に二回の夏と冬の祭の日だけは短時間なら外に出られるのでなんとかその日に合わせて」


「大変ですね」


「でも一度、祭では無い日にどうしても大学に行かなくてはならなくて。父が呪いの事を過去の事だとそれ程本気で信じていなかったので、車で街に下りたんです。大学の用事だけは無事に終わったんですけど、帰りに事故ってそれでこの顔の傷です。父も骨折してしまって。命に別状はなかったんですけどね」


「なるほど最悪じゃないですか」


 だが正直なところ、どうせ生涯山から出られないのならそこまでして学歴にこだわる必要はあったのだろうか。


 明石が不躾とは思いつつその事を敢えて聞くと、むしろこの時代知識があって損をする事はないから出来るところまで頑張ってみよう、と親が大分頑張ってくれたのだそうだ。


「………でもこれから子供が減っていけばあの分校もなくなると思います、だから僕の死んだ後に生贄になる男子はもっと大変だろうなって。勉強の楽しみさえ無く一生山で暮らすなんて退屈で仕方ないし出来る仕事も減ってしまうでしょう」


 そう呟く大久保の顔は寂しそうだ。大久保はこの山の中、勉強をしたり本を読んだりする事で呪いから気を逸らしながら生きる事が出来たのだ。


 何せこの山は壮大だ。実際体力だけでなく頭も使わないと太刀打ち出来ないに違いない。


「………でも五十年後には教育改革が起きて案外なんとかなるかもしれませんよ」


「明石さんは面白い事を言いますね」


 そうだろうか?希望的観測かもしれないが、明石はそうあって欲しいとずっと願っている。


「今までの生贄の皆さんもやはり大久保さんみたいに特殊な仕事をしていたのでしょうか」


「私の前に生贄だった親類の男性は林業で生計を立てていたようです。それこそ私が生贄に選ばれる直前に事故で若くして亡くなったんですけどね。その前は絵描きだか陶芸家だったか」


 大久保は恐らく三十代半ばといったところだろうか。

 今日の印象では大分穏やかな人間だなという事がわかった。

 思っている事をはっきり口にしてしまいがちな明石の事も「仕事の質問や報告をこまめにきちんとしてくれる人は楽です。余り人付き合いも得意ではないので明石さんくらいわかりやすい人はむしろやりやすくて良いですね」とほほ笑んでくれた。

 山の中腹とは言え街も近く観光地も遠くないからだろうか。

 一応電話は通っているし部屋によってはWi-Fiも繋がる。

「少し前に山の麓の一部を国に売ったのもあってか、色々整備されてはいるんですよ」

 そう彼は言う。

 古い家の割りに家の中にある電化製品は新しく、そこがなんともちぐはぐで不思議な家だなと明石は思った。

 最初この家の外観を見た時は土鍋で米でも炊かされるのだろうかと身構えてしまったから。風呂も五右衛門風呂やかまど焚きではなく、一般家庭にあるような快適な物だった。


 皿洗いをしていると風呂から上がって来た大久保に声を掛けられる。

「早速なんですけれど、明日頼みたい仕事があります」

「はい、なんでしょう」

 明石は襟を正して彼の方を見る。

「午前中、スーパーに買い物に行くついでにお客さんを拾って来て欲しいのです。午前十一時半、MOスーパーの駐車場で待ち合わせとなっています。あちらにこちらの車種とナンバーは伝えてあります。もし駐車場が空いていれば出来るだけ端の方に止めてください。カワチ・ユリエさんという三十代の女性で、薄いブラウンのスプリングコートを着た黒のショートカットの方だそうです」

「すいませんメモを取らせて下さい」


 今のところ、かなり特殊な仕事ではあるがブラック企業ではない、という判断を明石は下した。


 それでも山の中の孤立無援の家。ずっと都会で暮らしてきた明石に取ってこの家で眠る最初の夜は緊張に満ちた物だった。

 なかなか寝付けずに布団の中でゴロゴロしていると、突然ドアを叩く音がして飛び起きた。


 ドアの向こうで大久保が「すいません!すいません!良いですか!」と叫んでいる。


 この人、大きな声出せるんだ。


 明石は何よりその事に驚きながらドアを開けた。


 この家に来て最初の大きな仕事は大久保の寝室に現れた大きなゴキブリを退治する事だった。


 学生の頃からボロアパートで暮らし、汚い飲食店でバイトしていたこともある明石に取ってゴキブリの一匹や二匹潰す位は屁でもなかった。大久保はでかい図体の割に結構繊細だということがわかった。


「明石さんが冷静な人で助かります」


 その大久保の声は震えていた。山の中は虫だらけだろうに、よくこれで生きて来られたなと思った。

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