そのよん
ガソリンスタンドを出て、真っ直ぐ道を進む。
「三島さんの働いていた倉庫、潰れたけどまだ更地にはなっていないんですよね」
明石がマサツグに聞くと「はい、ただ今は廃墟のようになっていると聞きました」と答えた。少しぶっきらぼうな喋り方だ。機嫌が悪いのだろうか。それともただ疲れているのか。
その廃墟は町外れにあった。
明石とカワチ兄妹がカーナビに頼りながらそこになんとかたどり着くと、先客がいた。
なんとなく見覚えのある若い男。
確か不動産屋で会った、長田の息子だ。のんびりした長田と比べ、息子はとても溌剌とした青年だった。
「大久保さんの頼みでフォークリフトのレンタルしておきました!」
爽やかな笑顔で手を振って来た彼に駆け寄ってヘルメットを受け取る。
「ありがとうございます」
明石は頭を下げてフォークリフトに歩み寄った。これを運転するのは何年ぶりだろうか。
倉庫の構内は荒れに荒れていた。
なかなか土地と建物の権利者と連絡がつかず、更地にも出来ずにずっとこのままなのだという。
明石は大久保の指示通りにところ狭しと雑然と積まれたパレットや箱台車をフォークリフトで大急ぎで片付ける。
そうしてようやく奥にあった扉に辿り着いた。
長田の息子は「表の扉とシャッターは鍵が掛かっていました。でも中のドアとかは多分鍵が掛かってないんじゃないですかね」と言った。
明石は汚いとは思いながらも床に落ちていた軍手を右手に嵌めてドアを開ける。立て付けは悪くなっていたが、少し力を入れれば開く事が出来た。
事務室は埃の匂いでくしゃみが出る。
「神棚も崩れてますね、嫌な場所です」
長田の息子はハンカチで口を塞ぎながら眉をしかめた。
事務室の更に奥に従業員用のロッカールームがあった。
名札がついていたのですぐに三島のロッカーは発見出来た。
「開かない」
明石が言うと、カワチが「事務所に鍵の束がありました、ここに合鍵がないでしょうか」と走り寄ってきた。
三つ目の鍵で運良く開いた。
そこには作業着とヘルメット、そして分厚い手帳があった。
カワチの兄は真っ青な顔で、無言のまま立ち尽くしていた。
長田の息子に持たせたタブレット越しに「大久保さん、これですか探し物」と聞くと、大久保は大きく頷いた。
その時、廃墟にパシン、という音が響いた。
何事かと振り向くと、マサツグが妹の顔を何度も平手で叩いていた。
「お前が………お前がいきなり帰ってきて霊能者に相談しようとかおかしなことを言わなければ!言わなければ良かったのに!」
更にもう一度手をあげようとしたところで明石があわてて止めに入った。
三島の手帳には自分の妻がマサツグと浮気していた事。離婚した事。自分の妻が元妻となりその半年後にマサツグと再婚した事。結婚式に呼ばれたが断った事。その直後に会社が傾いている事を知らされ鬱となった事が書かれていた。恐らく会社が倒産した直後に失踪を選んだのだろう、ということがわかった。
手帳に挟み込まれた写真。
それは恐らく三島と思われる男と別れた妻………マサツグの今の妻とのツーショット写真だった。しかしほんの数年前の写真のはずなのにまるで三十年前の写真のように色褪せていて、その淵の部分は焼けたように黒くなっていた。
「妹が突然久しぶりに家に来て、家の様子がおかしいから頼れる占い師に見てもらおうとか言い出して………」
苦虫をかみつぶしたような顔で項垂れるマサツグと言葉を失ったままのカワチを車に乗せ、明石は一先ずカワチの家に戻る事にした。倉庫とフォークリフトの後始末は長田の息子に任せて。
「マサツグさん、奥様に指輪の話はされたんですか?あなたが今してる指輪、三島さんのですよね。昨日あなた、嘘つきましたよね指輪はあちらの遺族に渡したって」
その明石の直球な問い掛けに、マサツグは項垂れたまま「妻は何も」とだけ小さく答えた。
「宝石とか石って気持ちがこもるって私の上司が言ってました。その指輪をなんとかしないとあなたの家のおかしな事象は止まらないんじゃないでしょうか」
異様に早口に、しかしキツい口調になっているなと自分でわかった。でも明石は溢れ出てくる感情を押さえられなかった。
「もしかして、奥様達を実家に避難させてるというのは嘘で二階の部屋に閉じ込めてるんじゃないですか?だから私に廊下しか見せなかったのでは」
「それはないです、昨夜私が客間に泊まったので二階でおかしな事があればすぐに気付きます」
カワチが顔をあげてマサツグの代わりにそう答えたが、バックミラー越しに見る彼女の顔はとても不安そうだった。さっきの威勢が嘘のようにマサツグはカワチに向かって萎れた声で「ごめんな」と言い、改めて腹を括ったように前を向いて話し始めた。
「………本当は何ヵ月も前に不仲になって実家に帰られたんです。それで余りに部屋が汚くなっているので通したくなかっただけです。妻は人に部屋に入られる事を嫌がって………私の親やユリエさえも」
正直あの家は二階だけでなく、一階だって大分汚れていた。二階はもっとひどい惨状だということなのだろうか。
「何故三島さんの指輪を遺族にさえ返さなかったんですか」
「………高そうな石がついてるから金になるかと思って。まだ俺の妻に未練があるのかと思ったら腹が立ったので換金位してもいいだろうと。あいつ、俺より安月給だったくせに随分良い指輪にしたんだなって。それで、なんとなく指に嵌めてみたら何故か抜けなくなってしまって」
なんだその無茶苦茶に不愉快で下らない理由は。
「石鹸使えばいいんですよ石鹸!」
明石がそうキツく言うとマサツグはまた無言で下を向いてしまった。
そういえば昨日帰りがてら買った入浴剤と石鹸をまだトランクに積んだままだ。
石鹸はお徳用の複数パックのを買ったのでそれを使おう。
「兎に角!これで!外れるはずです!頑張れ!兎に角頑張れ!」
明石はカワチ家に着くなりマサツグに石鹸をひとつ投げ付けるように渡した。
マサツグは一瞬ムッとした顔を見せたが、明石の勢いに押されたのか大人しく言うことを聞いた。
その間にまた大久保の指示を仰ぐ。
「お兄さんは言いたがらない気がするからご両親に奥さんの居所聞いて、ついでに可能なら連絡も入れてもらって。近場なら明石さんが指輪持って行ってね。お願いします」
「………大久保さん、時給上げてください」
「無事終わったら考えます」
車にはカワチだけを乗せ、マサツグの妻………つまり三島の元妻が今住むアパートに向かった。
彼女はマサツグと別居となり一時的に実家にいたそうだが今は新しい仕事を始める関係で安アパートを借りたばかりだそうだ。子宮の病気もカワチの家を離れた事で悪化せずに済んでいるらしい。
カワチが玄関先で彼女と話し込んでいる姿を明石は離れた場所から見ていた。
どちらも似たような幸の薄そうな女だ。お互い何度も頭を下げながら何か話している。
十分程してカワチが戻ってきた。
「指輪は彼女から三島さんのご両親に渡すそうです。あの手帳も。彼女も三島さんのご両親には色々と迷惑を掛けたから会って謝れるなら謝りたいって。門前払いされるかもしれないけど、って」
そしてカワチは逆に茶封筒を渡されていた。恐らく兄への離婚届だと思います、とカワチは小さく笑う。義姉さん、バツ二になるけど仕事は出来る人だからどうにかなるはずです、看護師なんですよ、と付け加えながら。
ただ二人の男を翻弄し、そして翻弄された女でもある。
時折いる、そういう色恋でうまく立ち回れない女。
「手帳も指輪も三島さんの遺族に受け取り拒否されたらあそこのお寺に持って行くように伝えましたか?」
それが大事なポイントなので改めて確認すると、カワチはハッとした顔になり慌てて車を降りた。再びアパートの呼び鈴を鳴らすその後ろ姿を明石は遠目から見つめていた。
やはり見ていて心配になる女だ。
車の中で明石と二人きりきなると、カワチは堰を切ったように自分の家の事を話し始めた。
兄は子供の頃から頭が良く口が達者で体の成長も早かったため、暴君だったこと。
友達の誘いで中学から柔道部に入り、先ずその時から妹の自分は力で逆らえなくなった。
良い大学に受かった辺りから両親さえ逆らえなくなったこと。
正直両親が体調を崩したのは呪いというよりは兄のせいで鬱になったか自律神経をやられたんだと思う、とカワチは言った。
自分は意を決して就職を機に家を離れたけれど、母から相談を受け久しぶりに家に戻ったら今回のような事になっていた。
カワチも風呂場の窓の外に白い影が何度も行き来するのを見てこれはただ事ではないと思って大久保に相談したのだそうだ。
今まで兄の家族とは余り関わって来なかったのもあり、三島さんの件は全く知らなかった、という話をカワチは泣きながら続けた。
兄夫婦は相手がバツイチだということで式も上げなかったそうだ。兄夫婦が入籍した翌年の正月に食事会をして、その時初めて兄嫁に会ったのだそうだ。
もっと兄の奥さんとコミュニケーションを取っておけば、親の事もほったらかさずにもっと気にかけていれば良かった。
自分だけ兄から逃げていた。
カワチはそう言った。
明石はその深刻すぎる身の上話にどう反応して良いかわからず、適当に相槌をうちながら缶コーヒーを啜っていた。
こういう不幸を救い取るのが占い師という稼業なのだろうか、それは精神科医やソーシャルワーカーとはどう違うのだろうか、とうすらぼんやり考えながら。
カワチはひとしきり喋ると気が済んだのか、一回大きな深呼吸をすると「すいません、謝礼もお渡ししないといけないのでまた実家にお願いします」と言った。
今までで一番大きな声だった。
「………たかが大久保の助手の私が差し出がましい事とは思いますが」
明石は運転しながら助手席のカワチに声を掛ける。
「はい、何でしょうか」
「あなたも、お兄さんも、ご両親も、しかるべき場所で治療した方が良いと思います。多分、もう占い師がどうこう出来る所じゃなくなっているのではないかと」
「………そうですよね、逃げないでもっときちんと問題と向き合わないといけないですね」
離婚届をマサツグに渡し、明石は謝礼を貰い、改めて家に塩を撒いた。
マサツグは離婚届を手にすると膝から崩れ落ちた。
大久保には「多分あとは気持ちの問題。指輪の行き先さえ明瞭になれば少しは上向くはずです。でもあちらは気にするだろうからまた明石さんの裁量で塩でお清めのフリをお願いします。掃除も手伝えるなら手伝って来て欲しいけど、それは明石さんの体力に任せます。それから先方に領収書渡すの忘れないで下さいね」と言われていた。
晴れていたから先ずは車の洗車と庭掃除を手伝い、明石の両親と少し世間話をした。
下らない世間話を。
誰か、外にいる赤の他人と話すこと。それだけで多分少しだけ何かは変わるはずだ。これは大久保の指示ではなく明石の意思と判断だ。
家族総出で家中のゴミを捨て、明石は風呂掃除をした。
車に乗り、タブレットで大久保に繋ぐ。
「今からカワチさんをマンションに送ってからスーパーに寄ってそっちに帰ります。今日の夕飯は私が疲労困憊でいかつい肉を欲しているのでハンバーグにしますね。ハンバーグにしますよ」
「わかりました、ところでカワチさんは隣にいますか?」
「います、挨拶しますか?」
明石がタブレットを隣のカワチに向けると、カワチは困ったような笑みを浮かべて小さく会釈した。
「………カワチさん、お兄さんだけでなくあなたも隠し事してますよね?」
大久保の言葉に明石は思わず「はぁ?」と大きな声を上げてしまう。しかしカワチは動揺する事なく笑みを浮かべたまま頷いた。
「………大久保さんにはいつかバレるかなと思っていました」
「そういうわけで明石さん聞こえてましたか?スーパーの前に○○にある警察署に寄って下さいね。場所はカワチさんが知っていますから」
「警察署?なんで?」
「大切な事なので、急いでください」
大久保は強い口調でそう言って、ビデオ通話を遮断した。
わけのわからないままカワチのナビで警察署の前で止まる。するとカワチは躊躇わず車を降り、明石に深々と頭を下げて警察署に入っていった。声を掛ける間もなかった。
その時。
カワチの背中にまっ黒な影がおぶさっているように見えた。
驚いて瞬きをしてる合間にカワチは警察署の中に入っていってしまった。
おかしい。この仕事に関わって突然今まで縁の無かった心霊現象に見舞われるようになった。これはやはり大久保のそばにいるからなのだろうか?
「………もしかして、ブラック企業なのかも」
明石は混乱に見舞われたまま、スーパーを経由して急いで帰宅する。
大久保に改めて電話をしても「あとで説明します、今は落ち着いて帰宅してください。疲れてるでしょうから安全運転で」と繰り返されるだけだった。
「どういうことなんですか」
スーパーの袋を持ったまま居間に座っていた大久保に詰め寄る。大久保は長い前髪をかき揚げる事もなく明石を見上げた。
「先ず夕飯作りましょう、夕飯を食べながらお話をします」
今日は珍しく「夕飯を食べながらテレビを見ましょう」と大久保がリモコンを手に取った。基本的に大久保は食事中はテレビを見る習慣が無かった。明石もテレビはニュースとスポーツ中継をたまに見る位だったので気にした事がなかった。
国営放送の七時のニュース。
「………カワチ・ユリエ容疑者、三十四才が同居する男性を殺害したとして本日夕方過ぎに最寄りの警察署に出頭しました………××市内にあるマンションの風呂場からシミズ・ヨウタさん三十二才が死亡した状態で発見され………腐敗が進んでおり………DV………別れ話のもつれによるもの………」
テレビに映し出されたのは昨日立ち寄ったカワチのマンションだった。
「マジかよ」
明石は思わず箸を落とした。
「マジですよ」
大久保は表情を変えずに視線だけテレビに向ける。
「最初は恋人の事で悩んでいる、という相談から始まったんです」
「………なんで、こんな事に」
「たまにあるんです、これは私の力不足です」
明石は落ちた箸を拾う事も出来ず、ただご飯茶碗を左手に握り締めたままテレビを見つめていた。カワチとは全く関係のないローカルニュースになっても動くことが出来なかった。
折角彼女の実家の、三島の指輪の問題が解決に向かいかけていたのに。それなのにこれではなんの意味も無いではないか。カワチ家からは謝礼として分厚い封筒を貰っていたのに。
しかし明石はそこでふと気付く。
マンションから戻って来た時に明石から少し不思議な匂いがした。
あれはもしかしたら彼女の部屋に満ちている死臭だったのだろうか。
「指輪の呪いのせいでしょうか?」
明石は覇気の無い声でそう問い掛けた。大久保は「最初にこの家に相談に来た時は間に合うと思っていました。でも間に合わなかった」と静かに答えた。
こんな時に限って彼はお面をしている。表情が全くわからないのはずるいではないか。
「僕は彼女のような人を一人でも減らすために占い師をしています。呪いのせいで困った事が沢山あるからやはり嫌な事で困ってる人を助けたいとずっと思っていました。でも外で医者やソーシャルワーカーや学校の先生とかにはなれないからここで占い師になる事を選んだ。しかし時にこういう悲しい事からは逃れられないんです」
翌朝、明石は敢えて大久保に「本日は半休を頂きます。夕食までには戻ります」と宣言した。大久保は「構いませんよ」と答えた。
車を借りてドライブに出掛けた。あとで給油さえしてくれれば、レシートさえちゃんと貰ってくれればこの車は明石さんが自由に使って良いんですよ、と大久保は言った。
大音量で音楽を掛け、大声で歌いながら高速に乗った。
サービスエリアで少し我に返り、饅頭を二つ買って帰ることにした。
途中、何故かふと思い立ってコンビニで車を止めて大久保に電話を掛けた。
「はい、何かあったんですか?」
電話の向こうの大久保は明らかに不審がっている。
「大久保さんは山の中なら自由に動けるんですよね」
「はい、そうですよ」
「今度頂上まで案内してくださいよ」
「いいですよ」
「車はどこまで入れるんでしょうか」
「舗装された道だけです」
「頂上まで登るのは大変ですか?」
「………僕と一緒にゆっくり行けば安全ですよ」
明石は電話を切ると、車のエンジンを掛けた。
これから恐らく自分が直接的に相談者の闇に触れる事も多いだろう。
それならば、私が人を救う。
救ってみたい。
帰宅すると大久保は庭の掃除をしていた。井戸の水を汲み、それで社を綺麗に磨いている。庭に植えている花にも水を与える。庭は恐らく四季折々を楽しめるように、色々な草木を育ているようだった。
明石は「ただいま帰りました」と言って、大久保に買って来た饅頭を見せた。
「お茶を入れます」
そう言うと、大久保は小さい声でありがとうございますと言って居間に上がった。
この人の呪いを解く事は出来ないのだろうか。
ふとそう思ったが、それは恐らく簡単ではないだろう。
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