エピローグ 星冠を戴く者

一.誓いに蕾

 炎芽月えんがづきの二十三日が巡ってきて、十四の年を数えた。

 今は遠くに暮らす妹姫たちと妃様方からも、兄上にエルヴィラ様からも、そしておじい様にハイスレイ公家に連なる者たち、友たるカサンドラ殿からも、仕え人たちから連名でまで、何より——ヘマからも、誕生日を祝う贈り物をもらえて、私は本当に幸せ者だと実感する。

 一年前までは王家とハイスレイ家以外からは贈り物などもらったこともなく、まして母上が亡くなった後は、来年は寂しい誕生日を迎えるに違いないと思い込んでいた。これほどまでに愛してもらえるとは思ってもみなかった。

 ジルケとヤスミーン様からはペンを。真面目で控えめな彼女たちらしい、普段使いできるよい贈り物だ。アルマとカーリン様からはミレネアの街で流行っているという男ものの金の首飾りを。ちゃっかり王宮での宣伝役をさせられている気がする。兄上からは乗馬服の一式を。少し背も伸びたので、見てくれているのだと嬉しくなった。エルヴィラ様からはティエビエン語の本を。モウェルから越してきた王妃にふさわしく、ティエビエンに嫁すことが決まった私を気づかってくださったのだろう。おじい様たちからはハイスレイの画家の作品だという絵を贈られた。カサンドラ殿は応援している商会の品だという菓子を。騎士たちからは髪を固める油を、侍従たちからはたくさんの花を。皆私の趣味をよくわかってくれている。

 ヘマは、彫刻の施された銀の腕輪を贈ってくれた。先に私が贈った、我が瞳の色の髪飾りの意趣返しだろうか? だとしたら嬉しすぎて頬がゆるみそうだ。彼女の瞳と同じ、白灰の色の腕飾り。派手すぎぬから好きな時につけられるのもよい。

 料理長が腕によりをかけて作ってくれたご馳走は、私の好きなものばかりで本当に楽しい晩餐だった。兄上とエルヴィラ様と、三人だけのひそやかな宴だったけれども、私はひどく満足だった。何せ、その日は出会う者皆祝いの言葉を贈ってくれたので。

 返礼の手紙を書く、忙しくも嬉しい作業に追われ、数日が経った頃、ついにその時はやってきた。


 ヘマと私の婚約の話はあれから着々と進められ、様々な約定が定められて、日取りが決められた。

 形としては、ティエビエンの聖地たる白の塔の司書で、王猫の巫女であるヘマに、ユースフェルトの王子たる私が嫁ぐことで両国の友好を示すものとしての婚姻だ。結婚して後は生活拠点をティエビエンの方に移すことがあちら側からの条件で、こちらからの条件は私がユースフェルト王族としての身分を失わぬまま結婚することだった。

 このために王弟の称号は実際とても役に立った。私がユースフェルト王族としての立場を確立していれば、私自身の地位は揺らがない。生まれる子はガートの跡継ぎとなり、ティエビエンの子として育てられる。ユースフェルト王家の血統は次の継承には関わりないものとして扱われることになる。

 実際の婚姻は双方が成人して、私が仕事をできるようになってからということになった。ユースフェルトにおける成人年齢は十六だが、王家に生まれた者は十六、七を学術研究所や騎士団などで自らを研鑽して過ごす。十八になるまでには国の中で生まれによるだけではない職を得て、それからはそれを仕事とするのだ。

 兄上は学術研究所で政治を学び、先王の補佐として文官と同じく働いていた。あの男とて騎士団長の座を得ていたのだ。しかし、仕事をできると言えるまでには、十八になってからも数年はかかるかもしれない。道のりは長いのだ。

 こちら側の要求だから、私が文句を言うわけにもいかん。婚姻までの期間を短くできるかは、私の努力にかかっているというわけだ。目標ができた、と思うことにしよう。


 ティエビエンの一行は聖曜日に王宮を訪れた。

 兄上が玉座に腰を下ろされ、私も王弟としてその横に立っておらねばならぬというので、手順を聞いただけだが、我が国は彼ら一行を丁重に歓迎したらしい。門はなめらかに開かれ、玄関には騎士隊が並び一行の歩みを守り、従者たちが荷物を預かって、とすばらしい段取りを経て彼らは謁見の間に到着した。

 ペルペトゥア様とイサアク殿は礼服に身を包み、数人の侍従と護衛を連れて、国の正式な使者としての格好をなさっている。こちらも最上礼を尽くす正装での出迎えである。

 そしてヘマは、いつもの通り王猫の巫女にふさわしい白のドレスで、しかしいつもよりも上等で目立たずとも細かな刺繍がふんだんにあしらわれたものをまとっていた。肩下で揺れるふわりとした白金の髪も、しとやかに伏せられた白灰の目も、薄く頬を染めた白い肌も、何もかもがうるわしく、私はどれほど見惚れていたか定かでない。

 公の場で、しかもユースフェルトの国王とティエビエンの次期国王の主導で執り行われる契約だ。私もヘマも余計なことをするのは許されず、互いに目を見交わしたほかは、それぞれの主の後ろで大人しくしておらねばならなかった。

 まずは兄上とペルペトゥア様が儀礼上のあいさつを堂々となさるのを見守る。お二人とも生まれながらの王としての風格があるというべきか、立ち居振る舞いに威厳があるので、出番がなくとも見応え充分であった。

 続いてオイゲンと数名の文官たち、イサアク殿と従者たちが此度の契約を確認し合う。内容は何度も聞かされたので暗記してしまった気がするほどだ。何か間違いがあったとは感じられなかったゆえ、よしとしよう。

 そしてとうとう、私とヘマが広間の中央に呼ばれ、署名をする段になった。

 イサアク殿が運び込まれた飾られた小卓に文を広げ、簡単なジョルベ語でにこやかに促してくる。

「殿下、ご署名を」

 完成された契約書と、これも飾りのついたインク壺と、新しいペン。ペンを受けとり、ちらと横に立つ彼女に目をやると、ヘマはいたずらっぽく目を細めて、幸せそうに笑った。

 ——これでよい。

 何のためらいもなくそう思えた。ペンの先を黒い液体に浸し、我が名を表す文字を記す。

「では、巫女。ご署名を」

 微笑んで、イサアク殿がヘマに顔を向ける。ヘマはそれはもう、どうにかして記憶に刻み込んで置きたいほど美しく微笑んで、私からペンを受け取ると、さらりとそれを走らせた。

「では、ここにお二人の婚約が成り立ったことを、宣言いたします」

 高らかにイサアク殿の朗らかな声が告げると、広間は一気に穏やかな空気になり、ティエビエンの一行は優雅に一礼して退出していった。後は夕餉をともにする約束があるばかりだ。

「緊張したか? ヴィン」

 玉座を立ち、私の背に手を添えて退出を促しながら兄上が問うた。からかうような声音に、少し頬をふくらまして答える。

「しないわけがございましょうか」

 言ってから、ふともっとよい返しを思いついた。

「兄上も同じことをせねばならなくなったら、きっと緊張なさいますよ」

「ふ、……それはそうかもな」

 おかしくてならない、というようにくつくつとのどを震わせて笑い出した兄上をにらみつけながら、連れ立って広間を後にする。


 緊張感のあった昼間とは異なり、夕餉は終始和やかに進んだ。兄上がペルペトゥア様に年代物の美酒を出したので、お二人はユースフェルト語を使って楽しげに談話している。

「こんなよい酒を隠し持っておられるとは、陛下にも悪いところがおありだこと」

「そうおっしゃらず。殿下の隠し酒のことは内緒にしておるのですから」

「まあ、鋭いお方」

 話を聞くに、どうもお二人は親しい間柄のようだ。

「お二人は以前から親交がおありなのですか?」

 好奇心に負けて問うてみると、

「一応は友人のようなものかな。ペルペトゥア殿と、など恐れ多いがね」

「もっと若い頃に親しくしておりましたのよ。あれはわたくしが二十歳になった頃のことだから、もう七年は前なのかしら? 嫌だわ、時が過ぎるのの早いこと!」

 兄上は苦笑し、ペルペトゥア様は時の流れを嘆いて酒杯をあおる。

 その傍らではエルヴィラ様がイサアク殿を相手に、ゆったりしたジョルベ語で言葉の通じない国に訪れる苦労を語り合っていた。

 優しい夜だ。

 大人たちが皆、私たちをからかうでもなくそれぞれに交流を深めているようなので、かえって大胆なことができる気になる。

 空になった干し果物の皿を前に食器を置いて、私はそっと隣に座るヘマに耳打ちした。

「庭に出ないか? 今夜は月が細くて残念だが、きれいな花の蕾がついているのだ」

「すてきね、今すぐ行くわ!」

 ヘマは目を輝かせてついてきてくれる。

 廊下に出て侍従に外套を持ってきてもらい、まだ肌寒いな、そうね、と言い合いながら少し歩く。食堂の灯りが茂みの向こうに見えるベンチにヘマを座らせて、私はその後ろから指を差した。

「あれなのだが、見えるかな?」

 闇の中でもぼんやりと白い珠のような蕾が枝の先に見える。

「きれいだわ、月明かりで光っているのかしら。もうすぐ春になるわね」

 ヘマが嬉しそうに笑う。つられて笑んだ私に微笑みかけて、そうだわ、とヘマが外套の中に手を入れた。

「ねえヴィン、前に言っていたことだけれど、贈り物があるのです。見てくれる?」

 紺の布地でおおわれた小さな箱が、ヘマの細い手に包まれて私に差し出される。

「……ありがとう」

 一瞬声を忘れて、すぐに手を伸ばす。片手に収まった軽い箱は、私の胸を高鳴らせるのには十分すぎるものだった。

「実は私も持ってきたのだが、一歩遅れてしまったな」

 くすりと笑って、私も上着の懐から白い小さな箱を取り出す。まあ、とヘマは目を丸くして、指でその蓋をなぜると、はにかんでほんのり頬を染めた。

「ありがとう、ヴィン。今開けていい?」

「もちろん。私もいいか?」

「もちろんです。どうぞ!」

 弾んだ声で言う彼女に従って、そっと箱の蓋を開く。

 中に入っていたのは、銀の小さな輪に草花の模様が彫り込まれた、美しい耳飾りだった。

 きらめきに魅入られて動きを止めると、わあ、とヘマの感嘆の声が聞こえる。

 彼女へ贈ったものは、金に模様が彫り込まれた小ぶりな耳飾りだった。今さらながら恥ずかしくなって、寒さを心の中の言い訳に首をすくめる。

「あの、少し恥ずかしいのだけれど……私、今日まで何度も想像したのですよ。考えていたどれより、ずっとすてき」

 けれどヘマがはにかみながらそんなことを言ってくるものだから、頬が熱いくらいになった。

 耳飾りは、手仕事の多いヘマを気づかって指輪はやめにした私たちが、手紙で話し合って決めた婚約の贈り物だった。普段身に着けていられるものがいいと私が言って、ヘマが二人とも耳飾りはいつもしていると言うから、互いに贈り合うことにしようと語ったもの。

「貴方こそ、こんな美しいものを……贈る相手が私でよかったのか?」

「お前だから贈ったのですよ、ヴィン?」

 ありがたいなどという言葉では足りないと、ついこぼした言葉にヘマはむっとして、私をじっと見つめると急に笑顔になった。

 何だ怖い。

 思わず茂みに後ずさりそうになった私にヘマはベンチから身を乗り出して、

「いいことを思いついたわ、ヴィン! 今つけてあげましょうか?」

「え⁉」

 慌てる私を意に介さず、ヘマはかがんで、と手招きして、ベンチの背もたれに腕をついた私の耳もとに手を伸ばす。

 自身でもつけているだけあってあっさりと両耳の銀に光る水晶の耳飾りを外し、手に乗せたそれらを代わりに青い箱にしまって、くすくすとヘマが笑う。

「変なことを言ってもいい?」

「何だ?」

 冷たい金属が薄い耳たぶに通される感覚に身を固くして、不思議なことを言い出したヘマに問い返す。反対の耳も同じようにして、留め具を通し、ちゃんと両耳に銀の輪が飾られたところで、彼女は愛おしげに私に向かって目を細めた。

「思った通りだわ、よく似合ってる」

「ありがとう……」

 気恥ずかしくて首筋に手を当てる私に、ヘマはたえきれないといった困り顔で笑い出した。

「ごめんなさい、おかしくて……ふふっ、あのね、私、これを選んだ時」

 小さな笑い声を落としながら、すっと指で伸びた金の髪の先をなでる。

「どうしてもお前に私の色を身に着けてほしくて、ずるいって思っていたのです。でも、お前も同じことを考えていたみたいだから……」

 ヘマに一番似合う色は、本当は金ではなくて銀なのだ。だから私は、ヘマの色と言えば白と銀だと思っている。けれど、私の色を身に着けていてほしくて、金を選んだ。

 ——同様に、ヘマも、私の髪と同じ単純に合いそうな金色ではなくて、己の銀色を選んだということで。

 わかってもらえた、受け入れてもらえたという歓喜と、見透かされたという羞恥とで顔に熱が昇る。今にも息が止まりそうな私に比べて、彼女はずいぶん余裕そうで、何かしてやりたいという気持ちばかりが大きくなる。

「……貴方にもしてやろうか」

 と手を差し出すと、ヘマは笑うのを止めて、とても嬉しそうに箱を渡してくるものだから、そんな気も失せてしまったが。

 手や肩を触れ合わせたことは幾度もあるが、繊細で弱いところに触れるのは、正直婚約書類に署名するよりも緊張した。指が震えぬように気をつけながら、その耳もとに金を飾ると、想像の中よりもずっと、彼女によく似合っていた。

 まじまじとそれを見つめる。

 ふと気づくと、まつ毛が触れそうなほど近く、彼女の白灰の瞳があった。ぱちりとその目が瞬いて、温かな灯りを映す。冷えた頬を温かな吐息がぬらす。

 そっと顔を寄せて、私はヘマの唇に唇で触れた。

 思ったより乾いていて、思っていたより柔らかなそれが、短くも長い一瞬の後に、優しく離れる。

 目を合わせると、ヘマは口もとに手を添えようとして、すぐにその手を胸もとに握り微笑んだ。

 ふふ、とどちらからともなく笑い出す。

 豊かな髪の下で金の輝きがきらめく度嬉しくなる。ヘマもそうだといい。彼女の色をまとえる以上の幸せがあるものか。

 楽しい気分のまま、明るい望みを口に出す。

「今夜は王宮に泊まってゆくのだろう? 明日の朝も会えるな、嬉しいよ」

 ところが、そう言うと彼女は困り顔をしてみせ、

「そうね。でも、私は本当は明後日だって会いたかったわ」

 もう、ヘマには一生勝てぬに違いない。これで何度目か、内心でそう呟いて、冷えきらぬうちにと彼女を室内へ誘った。


 夏にはティエビエンに私を招待する、国王陛下を説得してみせる、と息巻いて、ヘマはペルペトゥア様に連れ戻されていった。それまではあちらからユースフェルトを訪ねる、と言い残して。

 会いたいのは私だってそうなのだが、ヘマが叫んでくれるので私はすることがないのだ。

 夏にティエビエンに行くならティエビエン語の強化に教師でもつけるか、となぜか私より先に私の予定を決めておられる兄上の後を追いかけながら、私は初めての口づけのことは二人だけの秘密にしておこうと決めて、こっそりと笑った。

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