十八.駆け引き

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 小高い丘の上に館があった。黒光りする屋根に白亜の三階建て、鉄柵が庭と建物とを囲っている。丘をぐるりと取り囲んで街があり、更に高い壁が街を囲む。

 その館の最上階の広い会議室に、三人の男が座っていた。一人は焦げ茶の髪を後ろに流し、茶の瞳を鋭く輝かせた精悍な顔つきの男で、円卓に足をかけふんぞり返っている。高い鼻と薄い唇に浮かべた冷笑が人目を惹く若者である。

 一人はカーテンを閉じた窓枠に、片膝を抱え腰かけている。長い上衣は頭巾から足もとまで真っ黒であり、黄や赤らしい薄汚れた糸で縁取りがしてある。頭巾の影で目もとは隠れているが、赤い唇ににやにや笑いを浮かべ、何事かかすかな声でささやいている。他の窓から光の差し込む中、この痩せぎすの青年の周囲だけ暗く見えた。

 今一人は白髪混じりの黒髪をうなじで括った老年の男であり、凝った刺繍の衣を着ていながら、それがよれるのも構わず円卓で一番立派な椅子に身を沈めていた。疲れた様子で長く息を吐く。

 三人はそれぞれ離れて座っていた。同じ部屋で一つのことを話しながら、まるで違う立場にいるかのように。

 若い男が、先程から何度もしている話題をまた口にする。

「何かの間違いではないか。あの兄上が玉座に座るなどという大胆な真似をできるものか」

「恐れながら、間違いではござりません。何人もがそう言っております」

 老侯はふくれた手の中の便箋をかさかさと鳴らした。彼が王宮の祝祭にやった密偵役の貴族たちからの手紙だ。

「あり得ん!」

 第二王子はいきり立って踵で机を叩いた。落ち着かれてください、と侯爵は太った手を穏やかに振って、

「互いの面識のない者同士も、同じことを書いてきとります。彼らが全員示し合わせて裏切ったのでもない限り、このことはまことでござります」

 と辛抱強い口調で言って聞かせる。

「では仮にそれが本当だとしてみよう」

 王子は足を下ろすと机に乗り出して、冷ややかに、

「どうしてそんなことができたのだ。王でもない者が玉座に座るなど、夜会に集まった諸侯が認めるはずがない」

 それも先程から申しておりますが、とは言わず、候は同じことを繰り返した。

「星姫様がおられたのです。星姫様が認められたとあれば、諸侯も追随いたしましょう」

 ふん、と王子は鼻を鳴らした。両腕を組み椅子の背にもたれ、半ばまくり上げられたシャツの下のたくましい腕を露わにする。ベストだけの礼儀には適わぬ格好だが、誰も咎めない。

「ならば、俺が正しかったわけだ」

「何です?」

「さっさと星姫を攫ってくればよかったのだ、ごたごた抜かさずに。そうすれば本物の星も手に入った」

「無茶です、星姫様を拐かしたとあれば重罪ですぞ! 王位の正当性を失ってしまわれます。貴方様は一の王子の失策を批判することで主張を成り立たせとるのですから、失策をなさってはならぬのです」

 候は慌てて腰を浮かせて反論する。王子は眉をしかめ、

「わかっている。だが、星がまことに使えればロワンガルトも楽しめように。なあ、ロワン?」

 声を大きくして呼びかけると、窓際の男が呟くのをやめ顔を上げる。

「星? ……そうだな」

 掠れた声だった。声を出すのさえ久しくしていないとでもいうのような。男は赤い唇をにやりと歪めて、

「星というと、おれの星はどうなったんだ? まだ回収できねえのか」

 言うと、調子外れに高い旋律を歌い出す。候は耳障りな音に顔をしかめ、王子はどん、と机を拳で叩いた。ぴたりと歌がやむ。

「やめろ、ロワン。お前の星はまだだ」

「はいよ」

 答えるとロワンは静かになる。またうつむいて何事か呟き出すまじない師を見やり、候は声を落とした。

「殿下、あれを止めてはいただけませぬか。まじない石を回収するのは無理というものです、これから数日は馬車がひっきりなしにあの辺りを通るでしょうし、一度使った石がどれかなど、まじない師や殿下のようなお力がなければ見分けられません」

「諦めるのか? それもロワンガルトの研究の一部、探してやるがよい」

 王子は取り合わない。それよりも、と険しい顔に戻り、

「問題があるのはロワンの術ではなく、貴様の策の方だろう、ヤネッカー候。貴様の策はどれも中途半端なのだ、後一歩のところで勝ちを逃しおって!」

 と候に指を突きつける。

「ロワンの星も、確実に発動させるために騎士隊の中に人を紛れ込ませることができておれば、あやつの身を傷つけられたはずだ! あやつはこちらが星を持っていると確信し、譲歩を言い出しただろう。そうして我らが再び出会った時があやつの終わりだ、俺に罪を被せたとして断罪し、父上がされたように牢獄に閉じ込めてやる! そういう計画だった……だのにこのずれはどうしたことだ⁉」

「殿下、一の王子めは王宮騎士を用いなかったのでござります。第一騎士団は人数も多く、新兵も多く採りますし、我が手の者を紛れさすのも簡単でござりましたが、近衛は一の王子に絶対的忠誠を誓った者だけで構成されており……」

「言い訳は聞かん!」

 二の王子は拳で机を叩いた。

「それだけではない、父上をお救いすることも叶わなかったではないか! せっかく俺が父上の囚われているのは獄の塔だと確認してきてやって、一週間も準備をさせてやったというのに、あやつが塔に通う様を見てすぐに無理だと判断するなど! 貴様の兵の脆弱さは何なのだ、あやつが己が罪人と呼んだ者のもとへ通ったとあればそれも批判の材料になるというのに! 対策を考え出しもせぬばかりか、その証拠もしっかりと握らずに帰ってきおるとは……」

 過去の悔しさを思い出し歯軋りする。ヤネッカー候は身を縮込めるばかりだ。

「先王陛下が、罪人として投獄されたのも全て一の王子の策略だと宣言なされば、今の王宮の内部も引っ掻き回してやれようものを……その上、あやつが王ぶって豊穣祝祭など開く前に行動を起こそうという第二の計画はどうなった⁉ 貴様が信頼しているなどと申した諸侯の仕事の遅いことよ。呆れ返るわ」

 怒気と嘲笑に晒された老侯は、たるんだ顔に冷たい汗を流す。

「クルモルン伯領の山道が土砂で塞がってしまったのですから、遠回りにもなりますしその分時間も」

「たわけ! それで祝祭まで待って何ができた⁉ 貴様の求める糧秣や武具やらの基準に達せぬまま、夜会に潜り込ませた諜者が送ってきたのもあちらの吉報とは!」

 王子は怒鳴りつけてから、低い声で言う。

「さっさと打開策を立てろ。地眠月に入る前にな。いい加減にせねば、俺は自ら兵を起こす」

「それは……!」

 候が顔色を変え身を起こしかけた時、戸がすっと開いて若い男が入ってきた。

「どうかその辺で、ゲレオン様」

 王子よりも年若く、高い背に細い体をしていてその主とは対照的だ。真っ直ぐな黒髪と青い目に白い肌をして、銀の眼鏡を光らせている。脇には書物を抱えており、賢く冷たげな印象を受けるが、口もとの笑みがその鋭さを薄めていた。

「フェリクスか」

 呼ばれたゲレオンは候に圧力をかけるのをやめ、軽く両手を組んで聞く姿勢を取る。二の王子にあっさりと受け入れられたフェリクスは少し頭を下げ、

「父も悪気があってしたことではございません。どの策も我ら三人頭を揃えて話し合い、何度も調整を繰り返した上実行いたしましたものです。殿下は失敗とおっしゃりたいようですが、その都度何が足りぬのかわかって、改善することができたではございませぬか」

 とかすかに笑いながら主を説得にかかる。ふん、とゲレオンは鼻であしらったが、その唇に微笑が浮かんだ。

「例えばそう、まさに殿下が指揮していらっしゃる我らが兵のように。もともとヤネッカーは文官の一族、領は険しい山谷や深い森もなく魔物が少なく、輩出した武官の一人でも頂上へ上り詰めた者はございません。しかしながら、一族の文官は幾度も宰相指名の候補に躍り出て参ったもの。父もわたくしもその血を濃く継いでおります。それが故に、殿下が一族の悲願を果たさせてくれるとあって、この力をお貸ししようと決めましたのです」

「わかっておる。事が成った暁にはお前たち一族を宰相家にしてやろう。約束は忘れておらぬぞ」

 ゲレオンが笑んで約す。ありがたきお言葉、と一礼して、フェリクスは話を続けた。

「国の宰相に匹敵するわたくしどもと、軍才に長けられた殿下。この二者が手を組めば王と宰相となるも必定というものです。こう考えてごらんになってください、食料や衣服の手配が滞ったのも、貴方様が御身にふさわしい軍隊を作り上げなさる時間を、神々がくださったのだと。殿下の訓練のおかげで我らが兵も見違えるようになりました」

 仰々しい言葉にゲレオンは満足してうなずくが、

「第六騎士団の力がなくとも、上手くいきましたでしょう?」

 フェリクスの次の言葉に眉間にしわを寄せる。

「そう、それも痛手だった! 何故俺の配下どもはこの館へ参らぬのだ、あれ程目をかけてやったというのに!」

 激しやすい主にも青年は穏やかな声を保つ。もう慣れているのだ、二、三年しかゲレオンのもとにはいなかった彼の元騎士団とは異なる。

「一隊長が副団長に裏切りをそそのかしたのです。あの夜会の後そのまま貴方様に付いて参るはずだった騎士団を、予定より早く休暇入りと称して解散させたのでございます。残念ながら第六騎士団の者どもは、貴方様の覇道を共に成すには臆病すぎたのでございましょう」

「お前はそう言うがな、俺はあれらを許さぬぞ」

 第二王子は腕を組んで言い放つ。フェリクスは微笑みのまま、

「もちろんでございます。まずは王とおなりあそばし、その後で彼らを罰しなさればよろしい」

 まだかつての部下の裏切りに怒り冷めやらぬらしい王子に、更に付け加える。

「それに、お忘れですか? 貴方様の秘策はまだ表に出ておらぬようですぞ。祝祭に出た者たちも、王女たちには変わりなし、一の姫は大きな首飾りをつけているようだと書いております」

 そうか、とゲレオンは顔色を喜色に変えた。

「では俺が王宮へ一度戻ったのも無駄にはなっておらぬわけだ。ふはは、候よ、貴様の策よりロワンの術の方が役に立っておるようだぞ!」

 高笑いする王子にフェリクスは苦笑した。

「そうおっしゃらず。これまでの策はいずれも惜しいところまでしか届かなかったのはまことですが、裏を返せば限りなく成功に近かったということでございます。我らには既に成功に至る実力はあるのです。後はどちらに星が輝き、水の豊神が微笑むかというところですが、殿下なら心配はございません」

「何故そう言い切れる?」

 王子がまた眉をひそめる。フェリクスはその笑みを、影を落とす類のものに変えた。

「この私と父とを味方につけたのですぞ。これ程の豪運、貴方様以外は持ち得ますまい」

 ふっとゲレオンは笑い出した。

「ははははっ、お前のその自信、好ましいぞ! よい、フェリクス、父親と新たな策を練れ。冬が来る前に全てに片をつける、そのための出陣だ!」

 ひとしきり笑うと立ち上がり、椅子の背にかけてあった上着を取って大股に部屋を出てゆく。

「俺は兵どもを見てくる。お前たちはどこへなりと行って、策を作り上げるのだ」

 かしこまりました、とフェリクスは腰を折って見送る。王子の足音が遠ざかると、老侯は声を抑えて、

「助かったぞ、息子よ。お前は本当に優秀だ」

「いいえ、父上。早く策を立てませねば、冬が迫ってきてしまいますよ。ここはユースフェルトの中でも北方の地、雪が道を覆ってしまえば兵も食糧も動かし難くなるのですから……各段にね」

「わかっとるよ。さあ、場所を移そうかね。ここは少々冷えるのだ」

 候は手を擦り合わせて立ち上がる。先に出てゆこうとする二十歳を少し過ぎたばかりの息子の背を安心した目で見つめ、

「本当にお前がいてよかったよ。あるいはお前を遅く授かったのも、豊神の采配かもしれぬな。マティアスがあんなことになった時は、家もついえるかと思ったが」

 フェリクスは父に背を向けているのを幸いと、ひどく顔を歪ませた。目立ちはせずとも整った顔立ちが見る影をなくす。彼は父に兄のことを口にされると、いつでもそうだった。よく口の回る彼が、説明できぬ感情を持て余す。

 兄ほど邪魔な存在はいなかった。彼の人生においても、そして彼の主の人生においても。その点において、彼と二の王子とは共通していた。

 父候は気づかない。ただ幸せそうに言う。

「お前のおかげだな。この年になって消えぬ野望を叶えられようとは。私が宰相となり、お前が後を継いで、そしてお前の子にも引き継がれれば、我が家は安泰だ。ようやっと表舞台に立てよう」

 フェリクスは表情を消した。白い紙のような無表情になって、部屋を出るとさっさと歩き出す。

「む、フェリクスよ? 戸を閉めねば……せっかちだな、うちの天才さんは」

 候はくすくす笑って、内開きの戸を閉めようと手を伸ばした。その耳が掠れ声を捉える。

 黒いまじない師が歌っているのだ。赤い唇で呪い歌を紡いでいるのだ。

「わるい王さまのかんむり割れた。二の王子さま戦を起こし、従わない子の首はねた。首はねた、ひとぉつはねた、ふたぁつはねた。三の王子さま宝をうばい、宝石ころころ落っこちた。宝石はねた、ひとぉつふたぁつみぃっつはねた、一の王子さま星をみつけた、星をお空にかざしたら、たくさんはねた、首はねた、たくさんたくさん首はねた……」

 候は足がそこに根を下ろしたように動けなくなった。たわいない子どもの数え歌のようなのに、内容はただただ不吉で恐ろしい。このまじない師は、星の魔術をその手で作り出してしまうほど星に取り憑かれている、と言った王子の言葉を、候は思い出してしまっていた。

「父上? 何をなさっているのです?」

 既に階段を下り始め、やっと振り返ったらしい息子の声で我に返る。候は振り向いて息子が天窓の光の下小首を傾げているのにほっとして、さっと扉を閉めた。

「不気味なまじない師め……」

 気味悪げに首をすくめ、動くようになった短い足をせっせと動かしてフェリクスを追う。

 扉の中では、誰もいなくなったのをいいことに、まじない師が調子外れで耳障りな甲高い大声で、同じ歌をところどころ歌詞を変えて歌い続けていた。


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 祝祭の翌日、勉強に戻る気になれずぐずぐずして、片付け途中の大広間をながめていると——舞台は取り去られ、侍従たちがエルヴィラ様の監督のもと兄上の王の紋章を丁寧に取り外している。エルヴィラ様は後片付けまで手を抜かぬのだ——オリヴァーがやってきた。

「よかった、殿下、こちらにいらしたのですね。昨夜はとうとう時間も取れずじまいで……」

 と見つけて安心したといった顔を見せる。そういえば何か言われておったような。

「そうだったな。どうかしたのか?」

 首を傾げると、オリヴァーは私を手招きして人気のない廊下の隅へ呼んだ。ついてゆくと、彼は身をかがめ耳打ちして、

「……つるぎのことです」

「例のか?」

 思い当たった。このハイスレイ公が預かっている継承の剣だ。兄上に足りぬものは王冠だけではなかった。

「何かあったのか。事故でも?」

「いえ……その、似たようなことが。第一王子殿下が祝祭までに用意してほしいと望まれたので、細工師をせっついたのでございます。すると、柄の緩みだけでなく、内部にひびが入っていたとか強度が足りぬとかいった報告が続々と……」

 と公は苦々し気な顔をする。

「柄は木製でございますから、替え時なのかもしれません。先代の即位の折の修復がちゃんと記録に残っておらず、もしかすると不十分だったのかもと……いえ、過去に責任を求めても詮無うことでございます」

 さらに深々とため息。就任早々仕事が多いな、この男も。

 オリヴァーは茶の髪をかき上げて、話を続けた。

「ともかくそれ故に夜会には間に合わなかったのです。できる限り早く新しい頑丈な柄を仕立てると、一の殿下には約束し申し上げたのですが」

 話が長い。

「それで、なぜ私にまでその話を? 祝祭はすでに済んだのだから焦らず作ればよいではないか。宝具は兄上の即位までにそろっておればよい」

 口をはさむと、彼は暗青色の瞳をきらめかせ、

「いいえ殿下、実をいえば修理自体はじきに終わるところなのです。しかし、私は冬が来る前に領内を回って、新しい体制が行き届いているか確認したく、要するにちょっとした旅になりますので、剣を捧げに登宮するまで手が回らぬのでございます」

 ふむ? 秋だからな、税制の確認など必要なのだろうか。

 つまり、とオリヴァーはいっそう身を寄せて、

「殿下に剣を迎えに来ていただきたいのです」

 脳裏に嵐の日の彼の姿が浮かんだ。

「——あの話か⁉」

 ぽかんと口が開く。呆ける私にオリヴァーはとうとうと、迎えといっても王領とハイスレイ領の境に行って剣を受け取るだけ、兄上が迎えにというのでは恐れ多いしそもそも目立ちすぎる、私ならば道も知っており遠乗りもできるとわかっている……と語った、否、説得した。

 だから話が長い!

「わかった、わかった! どうせしばらくのうちに遠乗りに出ようと思っておったのだ、行くとしよう。こっそり持って帰って兄上にお渡しすればよいのだな?」

 降参して了承する。オリヴァーは顔を輝かせた。

「ありがとうございます、殿下! 詳細は追って手紙を出します故」

 笑顔になって一礼すると、せかせかと廊下を戻ってゆく。忙しい身の上は本当らしい。それにしても王子たる私の扱いが雑だな……父子共にずうずうしいやつらめ!

 そろそろ戻らねばその父親の方に叱られそうだな。またあんな特訓をされてはたまらん。

 執務室へ向かうと、そちらから人の来るのが見えた。星姫様のご一行か。立ち止まって一礼してみせると、歩いてきた星姫様は微笑んで、

「ごきげんよう、殿下。祝祭では大活躍だったわね」

 ……どの辺りを見られていたのだろうか。

「あ、ありがとうございます……」

 でよいのか? 内心首をひねるが、星姫様は笑う。

「一の殿下もよい演出をなさったことね。玉座にああいうふうに腰かけるとは思わなかったわ」

 演出、なるほど。今日各々の領へ旅立つ諸侯は、帰ったら留守番の家族や一族の者にも兄上の輝かしいお姿を伝えるだろうな。

 ……そう考えると、剣もあってほしかったか。確かに早めに兄上の手もとにあるようにすべきだな。よし、エッボに今日……は諸侯の馬車の出入りなどあって厩の辺りも慌ただしいだろうから、明日以降相談しよう。

 つらつら考えていると、星姫様は銀の瞳を笑みの形にして、

「私たちはもう帰るわ。ユーズ伯ったら、私を伯領の代表にして、今年は痛む腰を馬車で苦しめなくてよいなんて言ってるのですもの、帰って殿下方の麗しいお姿を伝えて悔しがらせなくてはね」

 欠席のユーズ辺境伯はそんな理由だったのか⁉ ……舞台裏を見た気分だ。

「お送りいたしましょうか?」

 もうお帰りになってしまうとは、何となく寂しい。廊下の先を片手で示すも、星姫様はくすりと笑うだけだった。

「他の者たちについてゆくから迷わなくて済みそうよ。ありがとう、殿下。姫様方によろしくね」

 私は一礼して道を譲った。

 歩き出そうとした背に明るい声がかかって、

「殿下、今度はユーズにもいらして頂戴!」

 振り返ると星姫様はひらりと手を振って背を向けた。私は何だか嬉しくなって、星姫様の長い金の髪と、騎士たちのユーザルの紋様のマントが揺れるのを、見えなくなるまで見送った。


 鐘後は(オイゲンの、というかハルトの視線が怖かったので)大人しく資料室にこもった。継承の剣の資料を開いてみると、五、十、十四、二十一代目の王の即位に際して、柄を替えたとか刃を鍛え直したとかが書き残してある。本当に替え時かもしれんな。兄上が即位なさったら二十六代目国王となるだろう……。

 夜に手紙を書くことにした。今年の祝祭は本当に色々あった。ヘマの方でもおもしろい話が聞けるかな。

 まずは、初の正式参加で、あいさつを受ける役をどうにか果たしたこと。ジルケと踊ってみせたこと。あの子は本当に上手なのだ。ヘマは踊りは好きだろうか? きっと妖精のように軽やかに舞うのだろうな。そして、兄上が玉座に座られたこと。星のことは書けぬが、王となったあの方が想像できたことは伝えたい。私の文はつたないが、ヘマなら多くの考えを遊ばせてくれるのではないか?

 だが一番おもしろい報せはカサンドラ殿のことだ。ヘマが賢く興味深い返しをしてくれるから、優しくいつまでも会話が続きそうになるのに対し、彼女の返しは投げた玉を即座に打ち返してくるようで、特に意味もない話が弾むのだ。しかし、二言目には婚約者殿を自慢してくる! 何者なのかとてつもなく気になる。ふと、ヘマも一緒に三人で話ができたらどんなにおもしろいことになるだろうかと考えた。またカサンドラ殿に会えたら言ってみようか? 私としては、まだ婚約も成らぬ身なのに、私のためにヘマを自慢するようなことはあまりしたくないのだが……少しくらいは話してもよいかもしれん。

 これで十三通目。……約束の十五通目まで、後少しだ。


 などと考えていたためだろうか、思ったよりずっと早く再会が訪れた。

 朝、ヘマへの手紙を出し、エッボのところに寄って遠乗りに行きたいという話をして戻ると、兄上に少し早い昼食にしようと言われた。そこで、

「今からトヴェイン候とクローデル候と話し合うのだが、クローデル嬢がお前に会いたいと言っているそうだよ」

 と言われたのだ。

 侍従に案内され、父君の後について応接間の並ぶ廊下へ入ってきたカサンドラ殿は、飾りの少ない焦げ茶のドレスに、くせのある豊かな赤髪を高い位置で結んでいた。

 クローデル候に目礼し、横をすり抜けてカサンドラ殿の方へ歩いてゆく。彼女は私を見るとぱっとそばかすの散る白い頬を輝かした。

「ヴィンフリート様! よかったわ、今日は会えないかと思っていましたの」

「ようこそ、カサンドラ殿」

 私もにこりとして見せる。

「今日は飾りけのないドレスだな。そちらが本当の貴方の趣味か?」

 言うと、彼女はなぜか胸を張って、

「あら、おわかり? そうですとも、今日は普段着よ。着飾っても見せたいお方はいないのですからね」

「これが対応の差というやつか……」

 わかりやすい人だな。

 クローデル候は娘を見下ろし、

「カシー、殿下にご迷惑をお掛けするなよ」

「わかってますわ、お父様」

 カサンドラ殿はかわいらしい笑顔を作って軽く手を振る。候は侍従に先導され歩み去ったが、その背は疲れているように見えた。気のせいか顔色も悪かったような……。

「候はまだ具合が悪いのではないか?」

 後ろ姿を見て言うも、カサンドラ殿はすまして言い放つ。

「二日酔いが三日目まで響いていたとして、どうしてわたくしが気にして差し上げる必要があって?」

「手厳しいな」

 私は苦笑して、すぐ傍の扉を開けて彼女を通した。小さな応接間で、白いクロスを掛けた小さな円卓があって、椅子が二つ並べられている。白壁に紅で花を描いた模様があり、椅子の赤いクッションとよく合っていた。

 カサンドラ殿に窓側の椅子を譲り、それぞれ腰を下ろす。侍従が菓子の皿と紅茶の瓶を持ってきてくれ、私たちは礼を言って受け取った。

「それで、私に会いたいとは何の用だ?」

 問うと彼女は小さな手提げ鞄を開けて、真っ白できちんと折りたたまれたハンカチを取り出した。

「お約束通り、お返しに参りましたわ」

 と彼女は自慢げに胸を張る。

「なるほど。……律儀だな」

 くすりとして受け取り、懐にしまう。返さずともよいと言ったものを。

「あの時はありがとうございました。ずっと泣き虫だけは治らないのよ、嫌ね、お父様を笑えなくなっちゃう」

 とカサンドラ殿は細く息を吐く。私は笑って、

「そうけなさずとも、見目麗しく立派な父君ではないか?」

「見た目だけよ! 夜会で酔いつぶれてしまうような人なのに、どうして寄ってくる女の人は途切れないのかしらねえ」

「他に欠点をおおう魅力があるのだろう」

「そうかしら? あんな小心者!」

「小心者?」

 首を傾げると、彼女はやれやれと首を振った。

「決断を下すのが苦手なの。いつも逃げるのよ。お仕事でも、女性関係でも……途切れないなんて言ったけど、続かないだけですわ。そこに新しい人が寄ってくるのよ」

「ふーむ……そういう人では侯爵の地位は重そうだがな」

「それよ!」

 思ったままを言うと、彼女はずいと身を乗り出して、

「全くそうなの。わたくしいつでも心配になって、そのせいでわたくしに任せてくれたらよいのになんて思ってしまうのですわ。実は今日ついてきたのだって、途中で馬車の行き先を変えてしまわないか心配になったからですの」

 お父様には内緒よ、と小さく微笑む。

「もとから不幸体質というか、幸薄い人なのだけれど、お母様に振られたのが運の尽きよね。あそこで怖がらないで追いかけていたら、今だってとっとと一の殿下にお従いなさい、と蹴り出してもらえたかもしれませんのに」

「……そうだったのか」

 悔しがる彼女に一拍、言葉に詰まる。奥方の姿が見えぬとは思っていたが……。

「あら、気になさらないで」

 カサンドラ殿は私の顔を見てふっと笑った。

「お母様はご実家の子爵家にお帰りになっただけですもの。お父様はもちろん立ち入り禁止だけど、わたくしは好きに会いにゆけるわ」

「……日々会えぬことをつらいとは思わぬのか?」

 問いを口にすると、彼女は笑んで、

「思わないわ。わたくしはお父様の唯一の嫡子ですもの。候領はわたくしのものになると約束されているのよ。わたくしはクローデルの地が好きなの。お母様に会えなくても住まう地の全てがわたくしの支えになってくれますのよ。寂しいからと家を出て、領を捨てることになってはもったいないと思うの」

 きれいな笑みだった。思わず手に取った紅茶の器を持ち上げるのを忘れる。しかし彼女は続けて、

「それに侯爵にならないとあの方をお婿にもらえませんし! きゃーやだ言っちゃった! でもお母様ならお父様のことよりわたくしの恋の方を応援してくれますもの!」

 勢いに押されて黙る。なるほど幸せな人だ、と茶を一口含んだ。

「……あっ、でも」

 ふいに彼女は真面目な顔になって、

「そういえば、殿下は母君を亡くされたのでしたわね。ごめんなさい、お気遣いもできず……。ふとした時にお会いしたくなる気持ちは、わたくしもわかりますわ」

 と悲しげな目をして言う。

 私は目を丸くして、それから——笑い出した。

「えっ、な、何ですの⁉」

 カサンドラ殿が顔を赤くする。

 何と素直な人か。くつくつと笑いながら考える。心地よいほどの自分勝手、それでいて人を思いやることのできる優しい心を持っている。己で言うだけあって、確かに彼女は長や代表といったものに向いた人なのだ。

「いや、本当におもしろい人だな、貴方は。話していて飽きぬよ」

 やっと笑いを収めて、盛り上がるか冗長になるか、賭けに出て気になる話題を振った。

「そんな貴方にそれほど愛されるとは、幸せな人だろうな。いったいどんな男なのだ?」

 カサンドラ殿はぱっと顔を輝かせて、聞いてもいないようなことまで話してくれた。なかなかおもしろかったので、盛り上がりに欠けたなどとは誰にも言えまいな。

 お相手はツェラー公の次男で、彼女より二才下らしい。

「その年では、いくら貴方が恋い慕ってもまともに反応せぬのではないか?」

「そっ……そんなことはありませんわよ!」

 幼い頃からの付き合いで、幼少の折は彼がカサンドラ殿の手を引いて冒険に連れ出してくれるような〝勇者様〟だったそうだ。とても仲が良く会う度に将来の約束をする間柄だったので、親同士が内々で婚約を結ばせたのが四年前のこと。

 幼馴染みなどいない私には想像もつかぬ関係だな。

「で、でも……もしわたくしみたいな重い女が嫌だとかなったらどうしましょう……⁉」

 とカサンドラ殿はおろおろとしていた。しばらく会っていないらしい。

「なぜ祝祭に現れなかったかはわかったのか?」

 問うてみたが、王都の屋敷にいると思って手紙を出したら都にはいないと返されたという。公領に留まったのだろうか。

「公の奥様はいらっしゃらなかったし、お体の弱い母君を気にかけてお二人で残ったのではないかと思っているのだけど……」

 カサンドラ殿が頬に手を当てて悩み始める。

「大変だな」

他人事ひとごとだと思って! ヴィンフリート様だって祝祭にも恋人を誘えなかったのでしょう!」

 おっと飛び火が。

「私はそもそも、まだ公にもしておらぬ仲だからなあ……」

「そうなんですの?」

 何だか秘密を知っているお友達みたいでいいですわね、とか謎のことを言われる。ついでに色々聞き出されてしまった。

 隣国ティエビエンの賢者の姫君であること。彼女はティエビエン王家と親交があり、その関わりで知り合ったこと……。機密に属するものがある上、白の塔の名を簡単には出せん。あまり話し続けるとぼろが出そうなので、適当なところで切り上げることにした。

「私なんぞを相手に恋の話ばかりではつまらなくないか? 他にそういう話をする友はおらぬのか」

 聞いてみると、彼女はそうね、と首を傾げて、

「女の子のお友達なら何人かいますけれど、何人かで集まっておしゃべりする仲間なんですの。そういうところだと、わたくしは自分で話すより、会を仕切ったりする方に回ってしまいがちで……」

 とおかしそうにくすりとする。

「確かに、殿方とのがたを相手に恋愛の話ばかりはいかがなものかしらね。男の方って女の子ほど恋愛話に食いついてきませんもの。でも、殿下って聞き上手よ、もしかするとその辺の女の子と同じか、それよりも!」

「それは、ほめ言葉の中でも初めて言われたな」

 普段は私が一方的にしゃべりかけているからな。相手の話をじっくり聞くなんて、ヘマや母上や、兄上くらいにしかしたことがないかもしれん。

「私が聞き上手なのではなくて、貴方が上手く話すのだろう。よくそんなに語ることがあるな」

 半ば感心、半ば呆れて言う。

「ま、いつものご自分のおしゃべりを棚に上げて」

 彼女がわざとらしく嫌味っぽい流し目を寄越すので、私は吹き出してしまった。よくわかっておるではないか。

 彼女は許嫁殿にどう手紙を出そうか悩んでいたので、幼い頃からの仲なら事情があるのだろう、あるいは久しく会っていなくてお相手も気恥ずかしく思うところがあるのかもしれぬぞ、と応援してやる。

「男の方にこういう相談ができるなんて新鮮ですわ! お父様は参考にならないし。候領に戻っても、こんな相談とかおもしろい話とかをお手紙してもよくって?」

 ときらきらした笑顔で言われたので、うなずいた。

「もちろんよいぞ。どうせなら、なぜ婚約者殿が来なかったのかの謎を解明して送ってくれ」

「もう、こちらは真剣に悩んでるんですのよ!」

 とカサンドラ殿はむくれていたが、再会を約束して帰っていった。紅茶のポット一杯とクッキーを何枚も費やしてもまだ話していられそうなくらいだった。もっとも、彼女は菓子よりおしゃべりに夢中になることが多かったが。

 新しいすてきな文通相手ができた、と彼女と父君の乗った馬車を見送った私は上機嫌だった。


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 夕刻の王宮の廊下を歩く二つの人影は疲れて見えた。一方はげっそりとした顔で高い背を丸めており、もう一方は中肉中背で杖をついていながらも、まだ人を気遣う余裕を見せていた。

「そう気を落とされるな。貴殿の意に沿わぬ兵の動員といえど、この決定で此度の混乱もじきに決着を見ましょうぞ。第一王子殿下は意志の強いお方故」

 わずかに髭を生やした顎を杖を持たぬ方の手でさすり、微笑むトヴェイン候に、クローデル候は恨めしげな目を向ける。

「そうおっしゃる貴殿こそ、あれでよろしかったのですか」

「あれとは?」

 薄い髪と同じ黒目を細めるトヴェイン候に、クローデル候は一拍詰まって、

「お隣のクルモルン伯を……いえ、何でも」

「見捨てるのか、と?」

 ためらって言わずにおいたことをあっさりと覆され、クローデル候は知らず息を飲んだ。

「よいのですよ。あの伯爵は忠義者です。親の代の誓いを未だに忘れられぬ。私が非情とそしられようとも、それであの男を救えるなら結構なことでしょう」

 トヴェイン候は微笑みを消さず淡々と言う。クローデル候は卑屈な横目でその横顔を盗み見、うつむいた。

「貴殿にも救いたい者の一人や二人、おられるでしょう。その方のことを考えられてはどうです?」

 しばらくして続けられた優しい声にそっと顔を上げる。通路の先では、赤い光に照らされ、王子と戯れるように口喧嘩するようにして、対等に渡り合う娘がいた。

 同じように夕日の光が似合う赤い髪をしていた人のことを、ほんの一時思い出す。

 クローデル候の唇が紡いだ名は、誰にも聞かれることなく消えた。


 ◦◦◦◆◆◆◦◦◦


 表面上は何事もない日々に戻ったかのような日が続いた。資料室で学ぶべきことを見つけ、オイゲンかハルトを質問攻めにして困らせたり、エッボに馬術を鍛えてもらい、騎士たちに体術を見てもらっては兄上にそれを報告して、笑われたりといったような。

 ヘマからの返信は、樹曜日に届いた。

『大好きなヴィン、

 豊穣祝祭の話、とてもおもしろかったわ! 姫君と踊って、おもしろい子と会ったなんてとてもうらやましいです。こちらはそれほど愉快な出来事はなかったものですから。ともかく、大役も果たせて、祭りも楽しめたようでよかったわ。お前ががんばっているのを聞く度、私も嬉しくなるもの、本当よ?

 こちらでも再生祭が終わったわ。例年通り酔っ払いのお酒をすすめてくる魔の手から逃げ回るのは何ら変わりませんでした。あれを見ると、早くお酒を飲めるようになるのがよいのか、それとも一生飲まないでいた方がよいか、などと考えてしまうのです。どちらがよいのかしら。

 いつもと違ったのは一つだけ、姉様が断酒宣言をしていたことです。どんどん飲んで顔を赤くなさった国王陛下の向かいで、姉様がしらふのまま議論をふっかけているのを眺めていたのはおもしろかったけれど。あれは長期戦を覚悟というやつではないかしら。あまり長引かないとよいのですけれど。

 祭りの間中、お前に伝えられる楽しいことはないか探したのですけど、どうも難しいわ。この祭りの何が楽しいって、行事そのものより雰囲気なのですもの。ヴィンがいてくれたらいいのにと思ったけれど、あの混迷の中に呼ぶのもちょっと心配です。お前の話を聞いて、むしろそちらの祝祭に参加したくなりました。姉様が許してくださればそうするのに、でも、今は無理でしょうね。

 大きな行事が終わると、手紙も短くなってしまいそうで寂しいわ。新しい友人ができたということですから、古い友人の話でもしない? そうしてくれたら、私も次の手紙では同じことを書きます。

 愛を込めて       

 ヘマ』

 相変わらず心の込められた文に、にやにやして何度も読み返した。長い手紙を続けようとしてくれている彼女も、私と同じように送られた封筒を数えてくれているのだろうか。

 日々を重ね、特別な数字を待っている。

 二人の仲は進展しているのか変わっておらぬのかわからぬが、きっともうすぐ変わるのだ。

 そういえば、あの公認の仲のくせに進展の見えぬ二人はどうなったのだろうか。

 王都の一大行事にも関わらず祝祭に遊ぶことは叶わぬ仕え人たちだが、そのために祝祭に前後して逢い引きする恋人たちが多いと聞く。アリーセにそれとなく問うてみると、

「祝祭の前に二人ともどこかへ出かけていたようですが、どうしていたのかはさっぱり……まだ周りにはばれてないと思っているようなのですが、私なんか勝手に応援してしまってるんですけどね」

 と暖炉に薪をくべながら言う。寝室に持ってゆくろうそくに火を移していたエーミールも熱心にうなずく。私は笑って、

「二人を知る者なら、皆そうではないか」

「そうかもしれませんね。貴方はどう、エーミール?」

 身を起こしたアリーセに唐突に問われたエーミールは、肯定と否定のどちらをすべきか迷ったらしくおかしな方向に首を振り、ろうそくの火を小さくしてしまった。

 えっとえっと、と先輩への気づかいと正直さとの間で揺れているらしい少年の態度に、私もアリーセも軽やかな笑い声を立てた。

 かわいらしいことだ、私の仕え人たちは皆。モニカとカスパーのことも、私たちで見守ってやれるとよい。

 色々なことが、流れの中で止まってただよっている気がした。誰もが何かを待っている。たまった様々なものがふくらんで、弾けてしまう時が来るのを、恐れながら望んでいた。

 それが正しいことだったのか、私にはわからん。


 ◦◦◦◆◆◆◦◦◦


「何故まだ届かぬのだ! もう一週間も待った!」

 声を荒げ、ゲレオンが会議室の円卓を叩く。

「お、落ち着かれてくだされ。トヴェインとクローデルの候らが、我が領周辺の交通を邪魔し出したのです」

 老侯はおろおろと、ふくれた両手を無闇に振って同じ報告を繰り返した。第二王子は歯噛みして、

「トヴェイン候めが! 裏切りおって……!」

 円卓に広げた地図を睨む。

「王領に隣接したクローデルはともかく、トヴェインまでもが引き込まれるとは……」

 ぎり、と奥歯が鳴る恐ろしい音に、ヤネッカー候はもとから白い顔をもっと白くした。

 そこへ慌ただしい足音と共にフェリクスが入ってくる。少し乱れた黒髪の下、銀の眼鏡を光らせ、片手に持った数通の手紙を見せて、言う。

「父上、ゲレオン様……悪い報せです」

 卓を囲んでいた二人は顔を上げ、確執を忘れて目を見交わした。これ以上の悪い知らせがあってたまるものか、という心情ばかりは共有している。

「クルモルン伯が、山道を修復してもトヴェイン候の兵が境に配置されており、鎧を届けるのは無理だと……」

「何だと⁉」

 ゲレオンは激して机を拳で打った。フェリクスは悔しげに、

「……山道を迂回するならもう二週待っていただきたいと申しております。護衛兵を調達し、谷と崖とを行かねばならぬと」

「それまで待っておれるか!」

 誰にともなく怒鳴り、王子は腕を組んで唸る。

「何のためにクルモルン伯に依頼したと思っておる、その防具の評判を信頼したたためだぞ! 父上が俺にくださった金だ、下らぬ品を買うものではないと思ってやったのに」

「殿下」

「何だ!」

「問題はそこではございません。これまでも少なくとも三公と王領が我らへの食糧輸出を制限するなど嫌がらせじみたことはしてきておりましたが、こうなっては食糧不足が現実のものとなりかねません。ヤネッカーに近い大道のほとんどが封鎖されたようなものでございます。このままでは騎士隊の維持も適わず、領民の今冬の食までも……」

 声を抑えたまま冷静さを保って語る優秀な臣を、しかし王子は遮った。

「領民の食事が何だと⁉ 隊を保てねばこちらの負けだ! そんなことを気にしている場合か⁉」

「殿下、」

 フェリクスが小さく息を飲む。それに二の王子は彼と目を合わせて、

「何を優先すべきか覚えているだろうな? お前の王が危機にあるのだぞ。これを救うのがお前の務めであろう、フェリクス」

 王、という言葉に黒髪の青年が反応した。満足げにうなずき、安心したように答える。

「はい、ゲレオン様。ですが……このようになったこと残念でなりません。年を数えるほど前から入念に準備してきたものが、慎重に行ったことが裏目に出てしまい……」

「謝るなよ、フェリクス。お前の失態ではない」

 ゲレオンはどさりと卓に腰かけ、足を組んだ。自信に満ちたその様に、若い臣下はいっそう傾倒し、主を信じて隠していた失敗を告白する。

「いいえ、これは私めの失策です」

「……何だと?」

 ゲレオンが眉を潜める。フェリクスは一度軽く唇を噛んで、

「交易路で行われているのは食糧輸送の制限だけではなく、我らが注文した武具の回収もあったのでございます。すべては数年来の計画により、必要なものは味方の所領に隠し置き、こうして事が成った際には最短で届く手筈でした。それが……クルモルンの事故など予想外のことが多く、その上、トヴェイン候の裏切りで、追従した男爵めが輸送路を第一王子方に漏らしたのです」

「何……⁉」

 候が愕然として立ちすくむ。それはつまり、

「武具の一部を回収されてしまいました。これ以上の調達も不可能かと思われます……申し開きもございません」

 頭を下げる部下に王子も目を見開いた。

「今知ったのか? ならば、何故取り戻さない!」

「お忘れですか? 全ての手の内の兵は、殿下に訓練を施していただこうと領内に集めておりました。今更兵を小出しにして荷を追っても、領を囲むあちらの兵に逆に追われることになり、兵力を失うのみです。あまりに続けばこちらが攻撃される恐れもございます。……我らは手を打ち違えたのです」

 三人は沈黙し、それぞれ目線を床に落とした。頭の中では三者三様の考えがぐるぐると回っている。

 ヤネッカー候は劣勢の状況に怯えながらも、やっと掴みかけた栄光を手放すまいと逃げ道と打開策を同時に考えた。二の王子は、敬愛する父王からもらった大金を費やした戦準備の形にならぬことを心残りに思いつつ、育ててきたとはいえ弱い兵力で何ができようかと思考を巡らせる。

 フェリクスだけがしばしの後顔を上げ、地図を見つめた。地名や地形よりは道の表現に重きを置いた地図。普通は商人が持つ、貴族の持ち物にはふさわしくないものだったが、この会議には役に立つ。

「……一つだけ、道がございます。王領の境にもはや名ばかりとなった砦がございまして、そこへ通じる寂れた道は見張りもなく、通商路とは思えぬものとして放置されているようです」

 フェリクスが指差した先を見やり、ゲレオンがうなずいた。

「砦か、そこならば俺も知っている。わずかな人数でも占拠できるもろい城だ」

 三人は顔を見合わる。

「……俺はどうするべきだ、答えろ」

「これ以外の手はございません」

 主の低い声に、フェリクスも重々しくうなずいた。

「兵にご命令を、我が君。——出陣いたしましょう」


 ◦◦◦◆◆◆◦◦◦


 聖曜日に姫たちを訪ねたが、後宮も特に変わりなく、穏やかだがかといって心安まるというのでもない時が流れていた。

 アルマがせがむので庭に出てまり遊びの相手をしてやった。それからジルケと二人でアルマに絵本や詩の一節を読み聞かせてやり、また紅茶と菓子を供にとりとめもない話をする。

 久々に楽しい思いができたのであろう、祝祭の話が尽きなくて、私は笑って姫たちの話を聞いていた。他家の令嬢の物語性のあった刺繍のドレスのこと、一番目立っていた花飾りをあしらった髪形のこと、横から見ていて誰のどんな踊りがすてきだったかということ。

「他の方のおどりもすばらしかったけれど……お兄様とおどったのが一番楽しかったですわ。夢のようでした」

 とジルケは未だにうっとりと言っている。

 よほど叶わぬ夢とでも思っていたのだろうか。私としては、ジルケの踊りが会場中で一番空の女神の御心に適おうと思っているのだが。

「あねうえさまのおどりってわくわくするの。わたしもやってみたいです! でも、またドレスをふんじゃうかも……」

 とアルマは喜んだり沈んだり忙しい。

「まだ練習が足りぬのだな。一曲踊れるようになったらお前とも踊ってやろうか、アルマ」

「ほんとうですか⁉」

 わあい、とアルマは飛び上がって、姉姫の手拍子に合わせてくるくると舞い出したが、結局転んで母君に泣きつきに行った。抱き留めたカーリン様がおてんばね、と苦笑する。ヤスミーン様もこの日は具合がよく、私たちの会話に短い間参加していった。

 ジルケが気にしたので、新しく友人になったカサンドラ殿というのは、いつでも恋人のことを気にしている情熱的でおもしろい人だ、ということを教えてやる。恋の話を聞きたがる一の姫に覚えていた限りのことは話してやったが、詳しいことは私もわかっていない。代わりにカサンドラ殿の強気な発言を引いてくると、ヤスミーン様もくすくすと上品に笑って、

「赤毛の娘は気が強い、と昔から言いますものね。案外当たっているのかもしれませんわね」

「ならお母様、こげ茶の髪の娘は?」

 ジルケが無邪気に母君を見上げて問う。

「さあ……それは聞いたことがないわ」

 とヤスミーン様は澄んだ笑い声を立てた。

 母子の姿は愛にあふれて美しく、私はいつまでも見ていられようと考えた。いつまでも見ていたいと思っていた。


 手紙の相手が多くなったので、とうとうモニカに

「最近届くお手紙の数が増えましたわね」

 と言われてしまった。

 ヘマだけでなく、カサンドラ殿、それにハイスレイ公からも来ているからな。少し前にはナターリエからも届いていた。頻度が上がったと思われても不思議ではない。

「兄上が、宮の外の者とも関わることをすすめられるのでな。連絡をくれる相手も増えるというものだよ」

 と笑むと、モニカも笑む。

「それはようございます。わたくしも郵便官の方なんかとお話しする機会が増えまして、嬉しく思っておりますわ」

「誰か気になる者でも?」

 ちょっとからかってみる。するとモニカは顔を赤らめて、

「まあ、そんなこと。わたくしの気にするお方は違うところにおりますもの……って違いますわ! 何でもございません!」

 と逃げていった。いつになったら交際の報告を得られるのやら。

 ヘマとの手紙には、問われた通り古い友人の話をし合った。私の古い友人などというものは、ジルケやアルマを見ていればわかるように、一時のもので続かなかったことがほとんど。母上がまだハイスレイ公領に里帰りしていた幼い頃、地方の下級貴族の子と遊んだことや、珍しく参加を許された祭りや夜会で少し話して、母御同士に連れられて数度会った者もあったが、遊び相手はもっぱら妹たちだった。それと教育係に、家庭教師が話し相手。兄上もまだ成人なさらぬうちは後宮を月に何度か訪ねてくれて、今姫たちが私を待つように心待ちにしたものだが、王太子の責務を負われてからは足が遠くなっていってしまった。

 こうして振り返ってみると、何と小さな世界に生きていたことか。やはり姫たちも閉じ込められるだけでいるべきではあるまいと思うのに。

 こんな話ではつまらぬだろう、と書き添えて送ったが、ヘマはこちらも似たり寄ったりだから、と書いてきた。

 ヘマは両親が亡くなり白の塔に入るまでは、街の子らと遊んでいたそうだ。外遊びより本をめくるのが好きな子だったと……ふふ、彼女らしいな。

 白の塔では王猫や祖母君など目上の者が話し相手で、ペルペトゥア様とイサアク殿も気にかけてくれたが、やはり寂しい時もあったという。まれに塔の客人には同年代の子どもを連れてくる者もおり、仲良くなった子らの中には、今も文通を続けている者もあるとか。

 ここ一、二年は王猫の子猫たちの世話でそれどころではありません、と文は結ばれていた。なるほど、友のことを知ると相手のことをより知った気になるものだ。彼女がどんな人間を好んで付き合ってきたのか、何となくわかる。これからもそうした話を伝え合えるとよい。

 その件で今最も気になるカサンドラ殿は、思ったよりも短い手紙で、すっぽかし事件の真相(といえそうなもの)を送ってきた。

 許嫁殿は、とあるいたずらをやらかしたことで父君に外出禁止を言い渡され、祝祭に連れていってもらえなかったそうな。その上風邪で弱気になるところのある母君に看病を命じられ、伝達を忘れていたと弁解の手紙が来たらしい。カサンドラ殿は次に会う約束が記してあったゆえ許したそうだ。人騒がせな……とりあえず仲違いの報せでなくてよかったと言うべきか。しかしカサンドラ殿はそれでよいのか?

 ……これが惚れた弱みというやつか。ナターリエも再び夫と同居できるようになってどうとか、惚気ばかりだったしな。

 そうした手紙とは一線を画すのがオリヴァーからの文である。というよりこれこそ伝達だ。剣は修理が完了し、境に運ばれたそうだ。受け渡し場所はまた連絡を、とある。

 これはこれで、事務的な文などめったに受け取らぬからおもしろい。

 さて、たくさん手紙をもらえるのは人気者になったようで嬉しいが、返事を考えねば。

 ハイスレイ公の方には承知した、日取りを決めてくれと送ればよいとして、カサンドラ殿にはどうするかな。

 ヘマの手紙は、特別だ。どうせならとびきり喜ばせるようなことをしたい。もうすぐヘマの誕生日でもあるし、早めの祝いでも送れたらよいが……何が欲しいかと尋ねてしまっては驚かせられぬしな。

 惚気がむかつくので、こちらの恋路も手伝ってもらおうではないか。ヘマは先に十四になるのだし、カサンドラ殿が同じ年の少女の視点で答えてくれるなら、相談しても無駄にはなるまい。

 兄上に頼んで、都の商館に注文の支度もしてもらう。

 特別を待ち受けて、用意はすっかりできていて、続いた平和な日々に浮かれていた。それほど早く壊れてしまういとまだとは、思っていなかった。いや、見て見ぬふりをしていたのだろう。


 ——第二王子によって領境の砦が占拠されたと報が入ったのは、皆休日に入ろうとしていた地曜日の夕刻だった。

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