二.探し場所

 屋根を叩く雨の音に、本から顔を上げ聞き入っていた。

「お前は詩集も好むのだな、ヴィン」

 穏やかだが凛とした声に振り返ると、本棚から巻物や本を抜き出しながら、兄上が私の手もとを見ていた。

「はい、兄上」

 兄上は書物をたくさん抱えてこちらに来ると、私の座るソファの向こうの机にそれらを置いて座る。

「もう二冊目か? 速いな」

 と兄上は言うが、私はあまりものはないが居心地よい部屋の壁に取りつけられた五つもの本棚を見上げ、言う。

「読書家の兄上には敵いませんよ」

「そういうものかな」

 兄上は柔らかく笑った。

 流葉月りゅうはづきに入ってすぐの夜のことであった。よく雨が降る時期になり、仕事が少し落ち着いたのか、夕食後兄上のお部屋に誘われることが多くなった。

 兄上の部屋は、執務室と同様本に囲まれている。読んでみたいと言ったら、快く貸してくださった。そのため時々お邪魔しては、本を眺めながら話すのがこのところの習慣になっている。

「資料室の勉強、少しは進んだか?」

「ええ、はい……二十分の一ほどは」

「お前は本を好んでくれるからよいな。あれなどはすぐに勉学を放り出し、宮までも飛び出してくれおったが」

 兄上があれ、などと呼ぶのは二番目の兄以外にはいない。あの男には長らく会っておらんな。この前会ったのは一年半は前か?

「宮までも、でございますか?」

 その時は何とはなしに尋ねたのだが、単純な一言が人生を変えることも多々ある。兄上はこう答えたのだ。

「ああ、隠し通路を見つけては抜け出してばかりでな。一つしか年の変わらぬのに、何故こうも意見が違うかと頭を抱えたものだ」

 二の兄上への文句はいつものことだが、今聞き捨てならぬことを。

「隠し通路? 本当にあるのですか?」

「そうだ。知らなんだか? 勘づいておる者も割合に多いようだがな」

 何と、まさかこの宮にそんなものが実在していたとは。物語には数多出てくるが、ユースフェルトにもあるとは知らなんだ。

「まがいのうわさと思えるものしか、聞こえたこともなかったので」

「お前も探してみてはどうだ? 有事の際、王族には特に役に立つ。私は粗方知っているが、仮にも秘すべきもの故、口では教えられんな。勝手に宮の外にさえ出なければ、試してもよいぞ」

 なるほど! おもしろそうだ。だが、難しそうでもある。

「ですが兄上、普段過ごしていて見つからぬのですから、何の手がかりもなしに見つけるのは大変に思われます」

 考えつつ言うと、兄上はくすりと笑った。

「では一つだけ、助言してやろう。まずは調べるというのは、物探しの定跡だぞ」

 ほほう……。

 私は目を輝かせ、こっそりと頼みごとをした。

「兄上、明日、図書館へ行ってもいいですか?」

 兄上もいたずらっぽく微笑んで、

「よいぞ。だが、朝は勉強して、昼からにしなさい」

「はいっ」

 私は勢い込んでうなずいた。

 雨の続く間、どうせ馬術もするのは大変になるのだし、少しぐらい冒険に挑戦してもよいと思わんか?


 次の鐘後、王宮図書館へ出かけた。図書館は書棟の向こう、玄関の隣にあるたくさんの書物を集めて作った建物で、イングリットという女性が司書として管理している。

 文官たちの声を途切れ途切れに拾いながら回廊を駆け抜けて、大きな扉を開けると中はひんやりとしていた。ほっと息をつく。図書館の静謐な空気は好きだ。ぱたぱたと歩み入ると、本棚の列の影から、黒髪を引っ詰めて硬い布地の紫のドレスをまとった女性が現れた。

「あら、第三王子殿下でしたの。調べ物ですかしら?」

 私は唇に指を当て、秘密、という仕草をしてみせた。

「少し邪魔する、イングリット」

「いくらでもよろしくてよ」

 イングリットは優美に微笑み、片眼鏡をかけ直すとしとやかに入口の方に去っていった。

 よし、行動開始だ。

 ぶらぶらと歩いて、目的の棚まで行く。クライの著作の中から、日記的作品を取り出した。三代前の王に仕えた宰相なのだが、日記をつけるのが趣味だったようで、色々な書き遺しがあるのだ。

 中央辺りを開き頁をめくると、目当ての記述はすぐに見つかった。

『今宵は王と酒を酌み交わした。我が王は私をからかうのが楽しみなようで、今夜の話題は宮のことだった。

 王は問うた、「余は度々、月を望むため塔へ登る。塔の戸はいつも閉めてあるが、余は登ることができる。何故だと思うか」と。

 私は抜け道でもご存じなのではと言った。王は鋭いと言ってお笑いになった。またしばらくしてこうも言った。「余のこの宮の一番の気に入りは、井戸の横の小屋から通ずる道だ。其方そなたがかの道を見出したならば、茂みは街をのぞく窓となろう」

 小屋への道はあるがそこから通ずる道など存じ上げぬと伝えると、王は大笑いされた。またもからかわれてしまったようだ。だがとても興味深い話であるので、忘れぬよう書き留めておこう。』

 何とも怪しい話だ。だが、本当に隠し通路が存在すると言う兄上を信じるならば、王の虚言は真実だったということになる。塔、というのは裏大路の横の古い塔だろう。だが確かにあの塔の戸は閉められている。これは大変そうだから……試すなら井戸か。

 私は紙に情報を書きつけようとして、思い留まった。仮にも隠すべきもの。簡単に読めるようではまずそうだ。

 考えて、ユースフェルト語の単語を一部分セゼム語に置き換えて、一文を鏡文字で書いた。これならうっかり失くして拾われたとしても、並の者なら読む気を失くすだろう。

 では、井戸に行ってみるか。井戸は二つあるのは知っているが、隣に小屋があるのはもう使われていない古井戸の方だな。

「邪魔したな、イングリット」

 入り口横の受け付け机で本を読んでいたイングリットに声をかける。彼女は微笑んで優雅に手を振ってきた。それに振り返して、また回廊を駆け戻る。

 ふわりと湿った風が吹いて、いくつかの声を運んできた。

「次の会議は九刻から……」

「一の君が先日、騎士にお声をかけられたそうだが」

「そうか、なるほどなあ」

「また長官殿が茶器を……」

「近衛の団長殿が殿下に呼ばれたらしいな。またどこか……」

 ダーフィトのやつ、また茶器を落としたのか? くく、割っておらねばよいのだがな。そそっかしいやつだ。

 兄上のおられる執務室と裏大路との間にある回廊を行く。この戸を開けたところが訓練場の端につながっていたかな?

 うむ、当たりだ。

 戸を開くと、曇天の隙間からわずかに差した光が飛び石で造られた道を照らしていた。飛び石伝いに歩き、ちらと振り返って宮を見上げる。例の塔が鎖で閉ざされた扉を持ってそびえていた。少々悔しいが、まずは小屋の件を果たしてみせようではないか。

 厩の裏の壁が見える辺りまで来て、小屋と古びた井戸の前に立つ。井戸は木板でおおわれていた。中はのぞけそうにないな。

 かがんで木板に手をついた時だった。

「にゃーん」

 猫の鳴き声がして、ずっしりと肩が重くなった。

「白いの? また来たのか」

 いつの間に? 肩に乗ってきたのは初めてだな。

「お前も来るか?」

「にい」

 白いのは機嫌よさげに鳴いた。何故私が一人で外にいる時だけ現れるのか、相変わらず謎だ。

 白いのを肩に乗せたまま、井戸の隣の木造の小屋に回る。戸を軽く押すと、きしむ音を立てて簡単に開いた。中は暗かったが、開けた戸と窓おおいの隙間から差し込む光で事足りた。どこも古くてぼろぼろだ。一歩歩くだけで床もきしむ。がらんとした中、壁に備えつけられた机の上に黄ばんだ日誌のようなものや、壁に張り紙だけが残っていた。

 小屋から通じる道、か。

 きょろりと狭い部屋の中を見回す。張り紙に近づいてみると、『素振り百五十回、腹筋運動百回、訓練場二十周 我らが身と心はユースフェルトの為に』と書かれていた。昔の兵士の訓練目標だろうか。

 壁はそれほど太くもない木だし、通じる道など……では床か? 見当たらんが。

 日誌らしきものを手に取ると、裏表紙に何か書いてあるのが読めた。

『保管庫警備日誌 星暦五〇五~五〇六』

 三十年ほど前のもののようだが、保管庫とは?

 急にとん、と私の肩を蹴って白いのが飛び降りた。床をぐるぐる歩き回ったかと思うと、机の下に潜り込んで何やら嗅いでいる。

「何をしておるのだ?」

 机の下をのぞき込み、かがんで白いのに近づくと、風を感じた。空気? ということは……。

「これか!」

 不自然に切れ目の入った床板に手をかけると、すっと外れた。大人の男二人分くらいの大きさの穴。梯子がかかっている。

「薄暗いな……」

 地下へ行くには、視界が心もとない。

「来い」

 白いのに声をかけると、子猫はまた肩に乗ってきた。一度戻るとするか。

 人目を避けて自室に戻った。衣装棚の奥から小袋を取り出す。白いのは何故か内宮には入らないで裏大路を少し入ったところで丸まっていたが、私が回廊を戻り出すとついてきた。

 再び床板の穴のところへ戻る。小袋から紐のついた石を取り出すと、石はほんのりと光を発した。首に紐をかけ、小袋は懐に入れる。白いのが興味ありげに、石に鼻先を近づけてきた。

「珍しいか?」

「みゃお」

 言ってみると、白いのは上手く返事をした。

「これはまじない石というのだ。ユースフェルトの海岸や、その横の岩渚クイシェでは、白い岩の中に混じってよくこの石の塊が落ちている。まじない師といって、魔力を持つものに言うことを聞かせる力を持つ者がこの世にはいるそうだが、彼らがこの石に何か命じると、壊れぬ限り永遠にその命を守る石なので、そう呼ばれるのだ。石は削ればいつくもの欠片になる故、まじない師さえいれば何種類でも作ることができる」

 教師ぶって講釈してやって、私はふっと笑った。

「このまじない石はな、暗闇を照らす光となれという命を受けていて、便利だろうと母上がくださったのだ。幼い頃、燭台を持ち歩くのは怖いと言ったものでな……」

 くすくすと笑みを零すと、

「にゃあ」

 白いのが答えるように鳴く。私は満足して、梯子に足をかけた。気をつけて下った先は、何もない広々とした、宮の一室程度の空間だった。土の床に壁。壁にはものを引っかけるための留め具らしきものが並んでおり、床はでこぼこしている。これは、

「昔は保管庫だったのか」

 わん、と声が響いた。私も驚いて目を見開いたが、白いのは驚かされてしまったのか飛び降りて駆け出し、何と部屋の奥へ消えてしまった。

「待て……っ」

 慌てて追いかけると、通路があった。走っていく白いのの毛並みが、薄暗い中でも見える。

 これが道か?

 白いのを追って走る。少し下っていくようで長く感じたが、じきに終着点が見えた。

「……窓?」

 土壁にガラス戸がはめられていた。ガラス戸は外の草に四方から覆われていたが、ちょっと傾いていて風が入ってきていた。

「にゃーあ」

 楽しそうな白いのに続いてガラス戸に顔を近づけると、屋根と道が見えた。

 街だ。

 王宮の建つ台地の裾に広がる、王都の街並み。赤や黄がかった屋根瓦、馬車を御す男、紺の頭巾を被って籠を抱えた女、追いかけ合っている幼子たち。

 やはり本当だったのだ! こんなに近く、街を望める窓があったとは。

 白いのの鳴き声を耳にしながら、私は飽きもせず、街の様子を一刻は眺め続けていた。


 参った。

 降の一刻になってしまったことに鐘の音で気づいて梯子を上り、小屋の戸を開けた途端、辺りは水でできた銀糸の降り注ぐ世界へ変わってしまっていた。

 白いのが怯えた様子で足にまとわりついてくる。猫は水が嫌いなのだったか?

「来い」

 片手を差し出したが、飛びついてこない。仕方なくかがみ込んだ。

「こちらへおいで」

 声をかけると、白いのは上着の懐の中に飛び込んだ。穴は塞いだし、あとは宮へ戻るだけだ。

 急いで戸を閉め、細い雨の中に駆け出した。袖で目を守り、白いのを抱えて走る。

 屋根のある回廊へ入ると、白いのはすぐ私の腕の中から飛び降りた。体を振って水滴を弾き飛ばしている。同じように衣や髪についた雨粒を払っていると、一番会いたくなかったやつに出くわした。

「ヴィン様! 何故こんなところに?」

「ジーク?」

 兄上に許可をもらっていたとはいえ、鐘後の勉強を怠けていたのがばれてしまったではないか。こうなったら話をそらすしかあるまい。

「お前こそ、兄上の護衛はどうしたのだ」

「アレク様は会議中ですので、近衛の団長の書類整理を手伝っておりましたら、ここにお姿が見えたものですから」

 それなかったな。

 こやつは真面目すぎて時々具合が悪い。そこが兄上の友となれた所以ゆえんなのだろうが。

「お一人でおられたのですか?」

 とジーク。

「いや、白いのが」

 言って気づく。白いのはどこかへ消え去っていた。この雨の中一体どこへ……?

「白い? 何です?」

 ジークは不審そうに眉をひそめる。

「白い猫だ、先までおったのだが」

「猫、ですか? 私は見ませんでしたが……まさか人のないところへ行かれてはいないでしょうね?」

 行ったな。

「別に、何も悪いことはしておらんぞ? 兄上に許されたことだし、猫だが連れもいた」

「そういう問題ではございませんよ! ヴィン様も近頃いたずらっ子になってきましたね……」

 とジークにため息をつかれる。

「兄君のもとへ戻りましょう」

 ジークに追い立てられて執務室に入ると、兄上は秘密めいた微笑みを寄越してくださったので、私もこっそり成功の合図に指を立てたら、ジークに見とがめられてまた叱られてしまった。ジークも最近、私にも遠慮がなくなってきたな。



 聖曜日になって、妹姫たちを訪ねた。

 二人はだらだらとままごとをしているところだったようで、侍女に案内されて私が顔を見せると、嬉しそうに立ち上がって飛びついてきた。

「お兄様!」

「あにうえさまっ」

 毎回恒例の重みをしっかりと抱き留める。

「元気にしておったか?」

「わたしはげんきでした! でもあねうえさまが、こうようび光曜日におせきをしていましたっ」

 アルマが私の服の裾を引き、告げ口するようにジルケを目で示す。

「アルマったら、もう治ったのに」

 ジルケが不満そうに言う。

「今は何ともないのか?」

 問うと、

「ええ。季節の変わり目は雨が多くてお外へ行けないし、かぜも引きやすくて、つまらなく思いますわ」

 と頬に手を添えてため息をついてみせた。アルマも姉に同調して、私に力強く抱きつくと、

「そうです! 雨はきれいですけど、おにわでまりをできなくてつまらないのですっ。あにうえさま、あそんでください!」

 私はくすりと笑った。

「きっと退屈しておるだろうと思って来たのだ、正解だったようだな」

 先週はヤスミーン様の誕生日に当たり、私も祝いの花など用意させたが、彼女も具合を悪くしていてあまり騒げなかった。この長雨の時期の楽しみなどささやかな宴くらいのもので、その小さな楽しみでさえはしゃぎつくせなかったのだから、くすぶっているかもと思っていたのだ。

「今日はおもしろい話がある、皆でお茶にしないか?」

 姫たちが喜んだので、白の間で茶の時間になった。もちろん、土産話は王宮の隠し通路の話だ。

「……それで、その戸は近衛の騎士長の部屋の裏口だと言うので、慌てて帰ったのだ」

 一つ、外へも通じる道を見つけてから、宮の各地でうわさ話を拾ったり、探検したりして、いくつか本物も、まがいものも探し当てた。

 姫たちに話そうと思ったのは、この時期後宮では私も退屈していたので、己でもちょっとした冒険譚のように思えるこの楽しい話をしてやろうと思ったのが一つ。事実よりもほんの少しだけ派手に、小説のように脚色して話すと、宮を見て回っているだけなのにおもしろおかしく話せた。

 騎士や衛兵たちの『恐怖の扉』という話を追って見つけたのは、うっかり開けると近衛騎士団長の執務室へつながっていて、こっぴどく怒られるというしょうもないものだったという話だけで、二人は笑い転げている。

「ひどいですわ、そんなまじめなお顔で恐怖の扉だなんて言ってらしたのに、騎士様ったら、そんなお部屋の戸だっただけなんて……!」

「おっかしーい! わたし、大まおうのでてくるとびらかとおもっちゃった!」

「そうだろう?」

 ここまで楽しそうにしてくれるなら、もう一つの目的も果たせよう。隠し通路というものの存在を、冗談めかしてでも教えるというのは、この宮の秘密を知らせる——つまり敵より一段優位に立てるようにするということ。

 王宮を探るために、私はこれまで以上に自覚的に風を使って声をたどった。世間話の中に隠し通路の手がかりという宝が隠れていることもあれば、隅での暗い陰言に、不穏なうわさが紛れていることもあった。

 どうやら、兄上にとって、私はまだ子どもでしかないようだ。公にはひた隠しにされている、王家と政に関わる問題を、私ははっきりとは知らされていない。

 私は知らねばならん。来週は国の仕組みを資料室で調べなくては。歴史や地理、文学など好きなものばかり手に取っていては、現状に甘んじることになってしまう。

 後宮にいた間は、知らないでいればよかった。そうすれば安全だった。だが、一度外に出たからには、できる限りのことを知っておかねば間違う。兄上の忙しそうなのが落ち着いたようで慢心していた。このままでは何の覚悟もないうちに、何かが起こってしまおう。

 姫たちは未だ後宮の者だ。だが、少しでもいい、身を守る術を与えておかねばならん。王宮の隠された道の話を覚えていてくれたら、少なくとも逃げのびることはできるだろう。

 ——何から?

 それは、まだ姿を現しておらぬゆえに、わからぬが。

「ねえお兄様、これって本当のことですの?」

 ジルケが笑いの余韻をたたえたまま問うた。

「さて、どうだろうな。私の作り話かもしれんし、先に伝えた建築学者の地下通路の話も、うそかまことか知れんぞ」

「そんなあ、きっとあるわ! だってとってもありそうだもの、いどのおとなりの道とか!」

 ごまかすと、アルマが不服そうに叫ぶ。それでひらめいたのか、ジルケがぽんと手を打った。

「そうだわ、アルマ、後宮にもあるかもしれなくてよ。今から行きませんこと? どうせお外へは出られないのだし、お部屋をたくさん回るのって、きっと楽しいわ」

「すてき! いきましょう、あねうえさま!」

 二人が元気よく立ち上がる。

「お兄様もごいっしょなさいませんか?」

「あにうえさま、はやく!」

 私は笑って、姫たちが駆けてゆくのについて歩いた。

 どうか二人ばかりは守られるように……空の女神よ、どうかこの可愛らしい花たちに愛を。

 結局日が暮れるまで様々な部屋を見て回り、時にはヤスミーン様やカーリン様のおられる間に入り、雨の音を聞いて、発見できたのは埃を被った古い家具の物置だけだったのだが、姫たちは帰り際、探し当てた人形の服などを抱えて嬉しそうに手を振ってくれた。



 思い通りに行くこともあるし、行かないこともある。政治の体系は、兄上にも色々質問して学べたし、隠し通路も二週間で四つ発見した。

 そろそろ雨の日々も終わり、日が差す夏の日々がやってくる。上着も薄手のものに変えた。訓練場へ行くのを再開する前に、どうしてもあの、始めに見つけたクライの手記の謎だけは解きたい。

 そういったわけで、私は流葉月の終わりの一週、件の塔の周辺に張りついていた。手には金属に反応するという不格好なまじない石の棒がある。これは先日兄上に見つかってしまったのだが、

「ヴィン、何を持っておるのだ?」

 兄上は不思議そうにしていた。それもそのはず、昼食の相手がでこぼこした石としか見えぬ棒を手にしていたら、視界に入るのは自明の理だ。石が指輪に引かれるのが気になって手の中でもてあそんでいた私が悪かろう。私は仕方なく、

「これはその……先の聖曜日、姫たちにもらいまして」

「何の石だ?」

「金属に反応するのだそうです。実は姫たちも、雨続きでは暇だというので宮を探索するのにはまっていて、それで、古い物置からこれが出てきたそうなのです。後宮中試し回って、飽いたので私に使わないかと言って」

 笑われた。

「相変わらず愛らしいな、お前たちは」

「最近何をしておられるのです? よくお姿が見えなくなりますが」

 とジークが問うてきた。そんな、私は白いのではないぞ?

「そうだな……」

 口もとを袖で隠して、私はしばし考えた。大っぴらに隠し通路を発見しようとしているなどと口にするのは、馬鹿のすることだろう。

「探し場所、かな」

 探し物ならぬ。

「……場所……ですか。どのようなところです?」

 ジークのおもしろいところは、驚きはしてもすぐに復活するところよな。

 確かに、私は一つ、探していた。私の生まれ持つ能力を、存分に使えるようなところを。

 後宮で裏庭が気に入りだったのは、ごうごうと吹きすさぶ風の音に、一人になって包まれていられたからだ。あの頃、世界の全てが気に入らなかった。言うことを聞いても心までは従わぬ使用人たちに、己の態度をかえりみることもないまま、八つ当たりして。後宮だけで、母上のもとだけで生きてゆくことに息が詰まって、だが外を知ろうとは思わずに。

 決して己を見つめることもなく、周りがいけないのだと甘えていた。だから、一人になりたかったのだ。

 だが今は……母上を亡くし、独りになった私を支えてくれたのは、幼い頃から共に過ごしてきた妹たちに、兄上、そして持てる誠意をもって接した仕え人たちだった。内宮に出てきてから、新しく出会った者もいる。心を傷つける事実さえも、正しく学ぶためには必要なこともあると、今はもう知っている。

 今探しているのは、

「新しい、気に入りになれる場所だ」

 内宮へ越してきた私の、気に入りの場所というものを見つけたい。にこりとして言うと、ジークは興味深げに私を見下ろしていた。


 さて、目の前に謎の扉がある。若い文官たちが裏大路の出口のすぐ横の小部屋でたむろしていたので聞いたのだが、飾り扉のようなものらしかった。

 ここ数日探り当てられなかった塔への扉。ここに違いない。まじない石も扉に引かれているようだ。

 取っ手を回すと簡単に開いた、が。

 これは、壁か? 戸の向こうに出口がない。白い漆喰塗りの平面が広がっているばかりだ。

 ……ここかと思ったのに。飾り扉なんて何のために作ったのだ!

 少々苛立ちながら白壁に近づく。と、手の内のまじない石がより強く反応するようになった。やはり何かあるに違いない!

 石を近づけてみる。下の方に強い反応を示しておるな……。しかし床と壁の間は石積みが……?

 しゃがみ込むと、果たしてそこにそれはあった。

 石積みの土台が露出したような一列に、一つ外れそうな石があったのだ。指を差し入れ引くと、あっけなく外れた。その奥に部屋らしきものが見えた。そして一本の鉄の棒がこの戸を閉ざす閂となっているのも。

 鉄棒を押し上げ、壁を押してみる。

 飾り扉の枠の内側が開き、私はその向こうへ立ち入った。

「これは……」

 中には螺旋階段が上へと続いていた。壁は四角く、とても高く見える。私はとりあえず石をはめ直し、飾り扉を閉めた。

 何だかわくわくする。どこへつながっておるのだ?

 踊る心に急かされるままに、階段を駆け上がる。頂上は見張り台になっていた。

 上空の風が穏やかに吹いている。空は抜けるように青く、白い雲がよく映えていた。王宮の青い屋根がとても近く、いつも出ている中庭や、兄上の執務室らしき部屋も見え、王宮全体が見渡せる。遠く、宮壁の向こうには街も見える。

 何と心地よい場所か。これは古き王の気に入りだったというのもうなずける。

 だが、転落防止か、少し高い壁が無粋だな……。

 そう見回して、裏大路の上だろう屋根に出られる木戸を見つけた。これ幸いと屋根の上へ乗って、執務室を右斜め下に見下ろせるところへ腰を落ち着ける。

 日が温かい。青い屋根瓦が白い光を反射するのが目にまぶしく、私は足もとへ目線を落とした。

「みゃお」

「!」

 いつの間にか、足もとに白いのが嬉しげに座っていた。

「白いの⁉ ……そうか、お前、いつもどこにいるのかと思っていたら、このような高いところにいたのだな!」

 私は得心して、白いのを抱き上げた。白いふわふわした毛の中で、円い濃い青の宝石のような目が、私を見上げる。

「にいい」

 白いのは不思議そうに鳴いた。私は笑って白いのを下ろしてやった。

「ここはお前の気に入りか?」

「にゃーご」

 白いのが楽しそうに返事する。ふっと笑みが零れた。日の温もりに、私は少しだけと思って目を閉じた。

 すると、風がよく音を拾ってくるのに気がついた。

「……ですよ、アレク様」

 ジークの落ち着いた声。執務室の窓が開いているのだろうか。

「そうか、では聞いてみるか」

 これは兄上だな。凛とした声はいつ聞いても快い。きい、と戸のきしむ音。

「ヨルク・ベルズ?」

「はっはい!」

 ふ、慌てておるわ。

「今度近衛の人事もあるのだがな。お前も受けてみんか」

「は、私がですか⁉」

「そうだぞ?」

 兄上の笑いを含んだ声。

「私めでよろしいのでしたら……」

 とヨルク。

 騎士の配置換えのようなものがあるのか。これは出世か?

 ヨルクはあれ以来きちんと挨拶を返してくれるようになったから、約束通り兄上に言ってみようと扉番のことを話題に出したことがある。兄上はヨルクに信頼を置いているといったことをおっしゃっていたため、結局特に何も申し上げなかったが。

 つまり、階級上昇だとしたらヨルク自身の手柄だ。正式にわかったら声をかけに行かねばな。

 ふっと風向きが変わって、背に風を受ける。濃い金の髪が揺れて顔にかかった。

「ねえアリーセ? わたくし、何か忘れていないかしら」

 アリーセの名、これはモニカか?

「あらそう? でもタオルは持ってるでしょう? 私も新しいお花を持ってきたし……」

 ということは、これはアリーセだな。

「それ紅枝垂べにしだれでしょう? お洒落な選花ね」

「丁度時季だもの。それで、何か忘れたの?」

 ふむ、部屋に戻ったら見られるな。紅色の美しい花は部屋を明るくしてくれるだろう、楽しみだ。

「それが、何か忘れているような……何だったかしら……あ!」

「わかった?」

「そう、そう、先日お返しし損ねた、あのハンカチよ!」

「あら、カスパー殿の? そんな、恋の幸運守りだって言ってたのを忘れてしまったの、モニカ?」

 ……む?

「ええ、やだ、どうしましょう……あら、わたくしったら、タオルも一枚ないわ! ついでに取ってくるから、少し待っていてくださる?」

「いいわよ、気をつけてね」

 何と……知らぬ間に恋愛話が持ち上がっていたとは。私にはまだ縁遠いものかと思っておったが、こんな身近にあったとはな。

 もう少し聞いてみようか。

「……パー殿、今の聞いてらした?」

「は? いえ、モニカ殿が慌ただしいご様子で戻ってゆかれましたが、何かあったので?」

「何だ、聞こえてなかったんですね」

「えっ、何かありましたか」

「いいえ、何でもありませんよ? 頑張ってくださいね、カスパー殿」

「は、はあ……?」

 これは、アリーセは確実におもしろがっているな。そっと見守ってやろうではないか。

 む、また風向きが。まあ、これ以上は余計な詮索というやつか。

 右側からの大きな風……訓練場の方だな。剣戟を振るう音が運ばれてくる。少し風が強くなった——馬の鳴き声——話し声もしてきた。

「これ、この間生まれたやつ?」

「……じゃ。大きゅうなったろう」

 少し聞こえにくいが、イグナーツにエッボではないか! こうして二人の声を聞くのは初めてかもしれん。

「お前はまた……りおって。騎士服が泣くわ」

「そーゆうなって、じいさん」

「全く、こやつのように弱くて幼かったお前を拾って……上げてやったのは誰じゃと思っとる」

「わかって…るって。俺、これでも感謝してんだぜ? いい職にもありつけなくてさ、腐ってたあん時、『馬だけは見る目があるようじゃの』って、……てくれたの」

「ふん……まあよいわ」

「こいつ、いい馬に育ちそうだな! そう思わねえ?」

「そうじゃな、ほんにお前は馬だけは……があるの。育ったらお前さんが乗ってもよいぞ。儂は跡継ぎは持たんし、持てなんだが、この子らは……世話してやりたいのう」

「……なあ、じーさん?」

「なんじゃ」

「跡継ぎ……って、一体何の跡継ぎさ? 馬番の?」

 ぴちゅちゅ、と鳥の鳴く声。

「ほっほっほ……そんなら儂くらいの年になったら、お前さんがなってみい」

「ええー……まあ、じじいになったら考えてみてもいーぜえ」

 ……イグナーツもエッボも、優しいやつだな、やはり。

 頭上に雲の影が差したのを感じて、目を開けた。白いのがあくびをしている。辺りが少し薄暗くなった……一雨来そうだな。長雨の最後の抵抗というところか。

「下りるか?」

「にゃあ」

 声をかけると、白いのは軽々と肩に乗ってきた。時々、こやつは人語を解している気がしてくる。

 塔を下り、隠された道をもとに戻した。小さい部屋の戸を開けた時、男の声が聞こえた。

「おい、知ってるか、アウレール?」

「何だ」

「また第二王子殿下が帰都を拒んだってよ」

 心臓がどくりと嫌な音を立てて跳ねた。慌てて白いのを上着の懐に入れ、戸の影にうずくまる。

「何? 今度は何だ……」

 呆れたような問われた方の男の声。

「出城の一つで崩れかけの箇所が見つかったから、部下の安全が確認できるまで帰れませんってよ」

 先ほどの男の声。小馬鹿にした調子だ。

「もう何度目だ」

「覚えてる限りじゃ四度目だぜ。そりゃ俺もさ、王様が獄行きになったって聞いた時ぁ、宮中荒れたし、あっちも国境兵鎮めんのに手間取るってこたわかると思ったよ。一の君が国王代理って決まってよお、ありゃいつだっけかな……」

「裁きが開かれて二週は経っていたな。王に仕える文官の身でありながらこんなことを言うのは罰当たりかもしれんが……後宮から調度が持ち出されるのを見た時は頭が沸騰しそうだったよ」

「そうその頃よ。んで二度目はとんぼ返りならまだしも、夏の帰都の選兵もできてねえのに急に数週間滞在は無理っつーから、まあ許したわけよ」

「お前……」

 文官らしい男が嘆息する。

「僕らはその辺りで既に疑いを持ってたぞ。国の大事に、危機にあっている親のもとにも帰れませんって、あるか、普通? 無理にでも旅程を捻出するだろう。それだから駄目なんだよ、この筋肉だけ野郎」

「ああ⁉ 騎士なめんなよ、こちとら軍備の専門家だぞ? よっぽどの緊急時、魔物の大群が来たとか、そうでもなきゃ今や跡目の有力候補になっちまったおーじさま守って大軍で帰都ってのぁ厳しいんだよ。ま、お前の言うこともあってっけどな? そん時の俺ぁ、二の殿下は事を荒立てたくねえんだろうなって思っちまったわけよ」

 騎士らしき男も大げさなほどのため息をつく。

「さすがに三度目となっちゃ、どうも怪しいってのはわかったけどな」

「知れ渡った、と言うべきだろう。第一王子殿下も何故強制召喚なさらぬのか。まさか王太子位が空席になるとは夢にも思わなんだが、二の殿下も戻られて話し合いの場が持たれねば、次の王さえ決まらんではないか!」

「そうだよなあ。……あ、そうだ! お前の方が詳しいだろうから聞いていいか?」

 と騎士の男。

「何だ」

「ほらあれ、宰相殿よ。二の殿下への催促、……邪魔してるって聞いたぞ」

「ああ。噂に過ぎんが、武棟の方まで伝わってるか……仮にも上司故、僕からは何も言えんが、個人的には嫌いだね」

「お前の感想は聞いてねえよ? お前得意だろ、ほれ、客観視ってやつ」

「客観ね……。情報が欲しいのか? だが僕らの方でも推測に過ぎないんだ。あの宰相は亡くなったっていう第三妃の兄だ……といって、それだけで何か言うのは早計だろう」

 唇を噛みしめた。

 この二人の会話、これに類似するものを、裏大路でよく耳にする。使用人が忙しなく通る通路であるために、暗いうわさも口にしやすいのだ。

 二人の話していたことこそが、今、ユースフェルトの抱えている大きな問題だった。

 一つはとても近くさえある。母上の結婚のどこが政略だったのか、それは、ハイスレイ公爵家が宰相家であったという点だ。

 三代前の王から、宰相位にはハイスレイ一族の者かその推薦者が就いている。私の祖父ハイスレイ公も、八年前まで宰相を務めていた。今は公爵として領地を管理し、その息子——私にとっては一応は伯父——である男が宰相になっている。

 こうしたうわさを耳にして、私が調べたのは文官の官位だった。文官長のダーフィトは、長官とも呼ばれ、文字通り文官たちの長だ。では宰相は? 宰相は王の相談役にして、文官長と相反する命令はできずとも、同程度に文官を従えることができる立場だと本には書かれていた。だが、兄上の周りにいても、現宰相の姿は見えん。謎は深まるばかりで、何もできない。

「くそっ、進展なしかよ。あーったく、何つーの、もやもやすんなあ」

 同感だ、名も知らぬ騎士よ。

「そうだな。表面上の平和では、いつ崩れるか気が気ではない」

「本当になー……あーあ、今年の夏こそ可愛い恋人作って遊びたかったのに」

「お前というやつは……。 確かにこの夏が勝負ではあろうがな、二の殿下も夏になれば正当な騎士団赴任の期限も切れ、勧告も無視なされなくなるだろう。その無駄な筋肉全て使って一の君の御為おんために励め、そうすれば来年にはお望みの可愛い恋人の一人でも持てるだろうよ。……さ、そろそろ戻ろう。休憩は終わりだ」

「うわ⁉ 愚痴で終わっちまった、最悪!」

 二人はぎゃいぎゃい言いながら離れていった。ふうと身体の力を抜く。

「……どう思う? 白いの」

 顔を出した白いのをそっとなでる。白いのは私には興味を失ったように、すんすんと鼻を鳴らした。そしてとん、と床に下り立つと、身軽に歩いていく。

「……? どこに行くのだ?」

 何となくついてゆく。白いのは裏大路を出て、登った塔とは反対の出口へぱっと走り出した。すぐにどこへ行ったかわからなくなる。

 少し残念に思いながら真っ直ぐ歩いてゆくと、来たことのない場所に出た。重そうな大きな箱の置いてある、敷石のされた地面。そこに、一人の男が膝をついていて、男の肩越しに白い毛の薄紅の耳が見えた。

「あっ」

 白いの?

 思わず声を上げると、白い服を着た男が振り返った。耳の正体はやはり白いので、乳の入った皿に顔を突っ込んでいる。

「おや」

 男は驚いた顔をして、次いで私を認めて目を細めた。男は壮年で、白い頭巾で覆った髪は白髪混じりの黒で、恰幅がよく、藍の瞳の目もとには、優しげな笑いじわがあった。

 私はじっと男を見上げて問うた。

「貴方がその猫の主人なのか?」

 男はいやいや、と首を横に振る。

「この子は日に二回ほど、私の前に現れては餌をねだるのです。私はここの厨房を預かっておりましてね。野良猫かと思って、世話をしておりまして」

 ほほう。

「なるほど、こやつはここで食わせてもらっていたのだな。貴方は料理長なのか? この白いのはどうやって食っているのか気になっていたのだが、貴方なら確実だろうな」

 笑って言うと、男は短い顎髭をなでながら、

「おや、ばれてしまいましたな。実は猫が好きでしてね、つい餌をやってしまいまして」

「そうなのか」

 私はふふ、と笑った。人好きのする男だ。

「実は、私は貴方以外にこやつと会った者を知らぬのだが、料理長は知らぬか?」

「そうなのですか?」

 料理長は意外そうな顔をする。

「実は私もです。厨房の若いのは騒がしいのばかりだから、それでかと思っていましたが、あまり人に慣れぬのですね。私は食べ物をくれるからと懐いてくれているのでしょう。坊ちゃんはどうでしょうね? 子どもだから気に入られたのでしょうか」

 にこにこして言われる。坊ちゃんとは、私のことか?

「それはわからぬが……そうだ、今日屋根の上に白いのがいるのを見たのだが」

「白いの? そういった名なのですか?」

 食いつくところが違うと思うのだが。

「いや、私も飼い主ではないゆえ。ただ毛並みが白くて豪華だから、そう呼んでいて」

「ほう、私も白とかちびとか勝手に呼んでしまっていましてねえ。ああ、それで高いところにいたという話ですが……」

「にゃあ」

 白いのが皿を空にして、機嫌よく鳴いた。その時、風が急に吹きつけて、私は目を疑った。

 子猫が宙に浮いていた。というか風に乗っていた。どうしたことだ、これは?

 白いのはそのまま空高く舞い上がり、当然という顔で青い屋根に着地すると、自由に歩いていってしまった。呆然としている私に、料理長が告げる。

「あの通りなのですよ。私も初めて見た時は心底驚きました」

「そ……そうなのか」

 私はあいまいにうなずいた。飯を食べている場所と神出鬼没のわけがわかったが、人前に現れぬ理由と移動手段の不可解さの謎が増えてしまったな……。

「また白いのを見に来ていいか?」

 尋ねると、料理長は顔中を微笑みにして、

「ええ。坊ちゃんのような猫好きの方は、いつでも大歓迎ですよ」

 そしてお土産に、とクッキーを持たせてくれた。

 料理長とは猫友達になれそうな気がする。……ところで、彼は私が王子だということには気づいておらぬのだろうか?

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