第49話 大胆な嘘の結末


「君は僕に、恥をかかせたいのかな?」


 似たようなことを、この女性も言っていた気がする。

 今、口を挟んでそんなことを言う勇気は、全くもってないけれど。


「わ、私は決してそのような……っ」

「じゃあどうして僕の大事な客に、こんなことを?」

「そ、それはその……し、知らなかったんですの……」

「僕の客を、君が知らないのは当たり前だろう?なのに僕に確認もせず、勝手に判断してやったの?」


 女性は非常に狼狽えている様子だが、責め立てる皇太子殿下は容赦がない。


「皇太子の客が、皇太子宮で、危うく火傷させられるところだったなんて、とんだ醜聞だよね?」


 金色のキラキラと輝く髪を、皇太子殿下がかきあげる。

 普段なら美しいと感じるだろうその仕草でさえも、今はただただ怖い。


「それも、相手は、招かれざる客だなんて、ね?」

「ええっ!?」


 驚きのあまり声が出てしまって、私は慌てて口を両手で押さえた。

 けれど、驚いているのは私だけではなさそうだ、一緒にお茶会をしていただろう女性たちも、非常に驚いていらっしゃる。


「ジーク様、あの方、皇太子妃になられる方なんですよね?」

「いや……」


 私はできるだけ小さな声でジーク様に聞いた、つもりだった。

 けれど、それはしっかりと皇太子殿下に届いていたようで、皇太子殿下がこちらを向いてへぇと呟いた。

 それだけで、なぜか何かすごく言ってはいけないことを、言ってしまったような気分にさせられる。


「僕の客に、そんな嘘までついてたんだ?」


 う、うそぉ!?

 危うくまた声をあげそうになったのを、必死に耐えた。

 やっぱり、驚いているのは、私だけではなさそうである。

 まさか、そんな大胆な嘘をついているなんて、誰だって夢にも思わないだろう。


「伯父上にはお世話になっているし、特に害があるわけではないから、と君を自由にさせすぎてしまったようだ」


 そう言った皇太子殿下が、女性に一歩近づく。

 本能的なものだろうか、女性がその分一歩下がった。

 大きな肉食動物が今にも小動物を捕食しようとしている光景に、ちょっと似ているかもしれない。

 いや、そんな光景、ちゃんと見たことないのだけれど。

 なんというか、そんな風に、まるで獲物を追い詰めるかのように、皇太子殿下の瞳がギラギラとしているような気がしたのだ。


「君の魂胆はこうだろう?定期的に皇太子宮でティーパーティーを開き、いかにも君が僕の婚約者に内定しているかのように見せることで、社交界で注目を得て支持を集めること」


 これがはじめてではなかった、ということなのだろうか。

 皇太子殿下は、招かれざる客だとおっしゃっていた。

 つまり、皇太子殿下の許可なく、何度もパーティーを開いたのだろうか。

 それはそれで、なかなか勇気のある方だな、と思ってしまう……


「現にこうして、君を支持する令嬢も増えてきたようだしね」


 皇太子殿下が、女性の後方にいらっしゃる女性たちを見た。

 女性たちもまた、恐怖に震えているような気がする。


「そんな時に、君の知らない令嬢が僕の庭園に現れた。もちろん君に招かれたあの令嬢たちは、君に聞いたんだろ、彼女は誰かと」


 まるで、その場を見ていらっしゃったかのようだ。

 たぶん間違ってはいないのだと思う、女性の顔色はどんどんと悪くなっていくようだから。


「君は当然知らないのだから、答えられるはずがない。けれど、正式に僕に招かれている客であるなら、僕が庭園を使用する許可を与えた婚約者が、知らないはずはない」


 ね、とまた一歩、皇太子殿下が女性に近づいた。

 とてもばつが悪そうな女性を見る限り、やっぱりこれも間違っていなさそうな気がする。


「つまり、リディア嬢が僕に招かれた客であることが、君には都合が悪かった。だから、令嬢たちの前で、リディア嬢に許可なく侵入したと言わせたかったんだろ?」


 私が恥をかかせたと言われた理由も、目の前の女性を怒らせたという理由も、私は今この時になってようやく理解した。


「普通に考えて、そんなこと、できるわけないじゃないか。皇太子宮の警備は、そんなに緩くない」

「で、ですが、私はいつも簡単に……」

「言っただろう?伯父上の手前、黙認していたにすぎない。しかし、結果として大事な僕の客が傷つけられるなら、話は別だ」


 本来は、誰でも入れる場所ではなかったんだ。

 だからあの時、皇太子殿下もジーク様も私のことを笑ったのかもしれない。

 けれど、目の前の令嬢は許可がなくても入ることができた数少ない人、だった。

 だからこそ、ご自分以外にも皇太子殿下の許可なく入った人間がいると、本来ありえない事を考えてしまったのだ。

 私は手の中にある、皇太子殿下から預かったブローチを見つめた。

 これも、本来は必要のないものだった、でも私を安心させるために皇太子殿下はわざわざ貸してくださったんだ……


「グレイシア・ハインミュラー公爵令嬢、皇太子アレクシス・リンデンベルクの名において、今後皇太子宮への一切の立ち入りを禁ずる」

「そ、そんな……っ」


 まさに皇太子、といった堂々たる宣言が響いて、女性は力を失ったかのようにその場に崩れ落ちた。

 けれど、目の前の皇太子殿下も、後方にいらっしゃる他の女性たちも、それを心配する様子は微塵もない。


「これで、君が皇太子妃になる未来も、なくなったね。皇太子宮に入れない皇太子妃など、ありえないのだから」


 ぺたんとその場に座り込んだ女性の耳元にでそう言った後、皇太子殿下はそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべている。

 こちらとしては、とてもそんな楽し気な雰囲気ではいられないけれど。


「さて、自分の足で出ていくのと、警備兵につまみ出されるの、どちらがお望みかな?」


 皇太子殿下がそう言うと、女性は悔しそうな表情を浮かべながらも立ち上がり、ご自分の足で出ていかれた。

 途中すれ違う際に、ものすごく睨まれたような気がしたけれど、すぐにジーク様が私を隠すように移動させたのでほんの一瞬の出来事だったため確かではない。


「そこのご令嬢たちも、ハインミュラー公爵令嬢が招かれざる客である以上、僕からすれば招かれざる客なんだけど、ご自分の足で出ていってもらえるかな?」


 皇太子殿下の笑顔が怖い、というかどす黒いような……

 先ほどの女性に招かれてティーパーティーを楽しんでいたのだろう女性たちも、怖かったのだろう。

 何かに怯えるように、というか皇太子殿下に怯えてだろうけれど、皆すごい勢いで、ここから立ち去っていった。






 ***


 リディアと離れ、場所を変えて茶でも飲もうとしていた時だった。

 一人の衛兵がようやく見つけた、とアレクの元へと走ってきたのは。

 忙しい割になかなかじっとしていないアレクを見つけ出すのは、なかなかに大変だったのだろう。

 あちこち走り回ったのか、寒い時期だというのに額から汗が流れ落ちている。


「まずいな……」


 衛兵の報告を聞くや否や、アレクが顔をしかめた。

 どうやら、あまりよくない報告だったようだ。


「どうした?」

「ハインミュラー公爵令嬢が来てる」


 それだけ言うと、アレクは一目散に駆けだした。

 おそらく、リディアがいるだろう、庭園の方へ。

 その一言で俺には伝わる、とわかっているからだろう。

 実際それだけで、俺も事態の悪さは察し、慌ててアレクを追いかけたのだから。




 せめて2人が出会っていなければいいという願い虚しく、2人が出会うどころかリディアはまさに公爵令嬢から理不尽な怒りをぶつけられようとしているところで。

 令嬢がかけようとしていた湯気のたつお茶が、リディアにかからないよう慌ててその身体を自分に引き寄せて庇ったつもりだった。

 だが、熱々のお茶は俺にもリディアにもかかることはなかった。

 代わりにかぶってくれたアレクが振り返った瞬間、ああ、こいつ、防ぐことも可能だったのにあえてかかりに行ったのだな、と思った。


 その後のアレクは、珍しく怒っていることを隠す様子もなく、どす黒いオーラをまき散らした。

 その怒りの矛先を向けられているわけではないリディアでさえ、恐怖に何度も身体を震わせ悲鳴をあげたほどだ。

 向けられた公爵令嬢や取り巻きの令嬢たちは、逃げられるものならすぐにでも逃げ出したいと思ったはずだ。

 残念ながら、恐ろしいほどの笑顔が、それを簡単に許してくれることもなかったが。


 全て終わって、アレクがこちらを振り返った時、リディアはまた小さく悲鳴をあげた。

 だが、アレクからはもう、先ほどの怒りを感じることはなく、良くも悪くもいつも通りだった。


「ごめん、怖がらせちゃった?」

「い、いえ、あの……」

「怪我、してないかな?」

「わ、私は大丈夫です。それより皇太子殿下は……」


 リディアはまだ怯えた様子であるものの、アレクのことを心配しているようだ。


「大丈夫だよ。お茶はかかる前に、少し魔法で温度を下げたんだ。だから熱くなかったし」

「そんな暇があったのなら、お茶がかからないよう防ぐ方法もあっただろう」

「いや、かかってあげた方が、おとなしくなるかなって。現に真っ青だったでしょ?」


 やっぱりな、と思う。

 そりゃあ、あの令嬢といえど真っ青にもなるだろう。

 皇太子に熱いお茶をかけてしまって、冷静でいられる令嬢などなかなか居ないはずである。


「おまえ、性格悪いな」


 リディアは、火傷しなくてよかった、とほっとしている様子だが、俺はリディアのようにすんなりとそう受け取ることもできない。

 思わず出た一言に、アレクはただ、笑うだけだった。




 アレクは濡れてしまった服を着替え、俺たちは皇太子宮の中の応接間へと通された。

 俺だけであれば出されるのはお茶だけだっただろうが、今日はリディアもいるためか様々なお菓子が積みあがっている。

 別荘でリディアがお菓子を食べていたのを見たから、こういったものが好きだろうと思ったのだろう。

 だが、あまりにもたくさん用意されたそれに、リディアは喜びをあらわにするのではなく、ただただ唖然とした表情を浮かべていた。


「好きなだけ食べていいからね」

「は、はい……」


 リディアの心を代弁するならば、そんなにたくさん食べられるわけない、といったところだろうか。

 明らかに戸惑いの表情を浮かべている。


「他のお菓子がよかったかな?」

「い、いえ、そんな……」


 あまりの種類と量のため、どれを選ぶべきか迷っているのだろう。

 だが、なかなか手を出さないリディアを見て、アレクは好みのものがないと判断したようだ。


「遠慮せずに言って?さっきのお詫びも兼ねてるし、いくらでも他のものを用意させるから」

「ほ、ほんとに大丈夫ですっ!」


 これ以上追加されては困る、と思ったのか、リディアは慌てて一番近くにあったお菓子を手に取り口へと放り込んだ。


「あ、おいしいっ」


 ふわっとリディアの表情が緩む。

 それを見て、アレクも非常に満足そうだ。


「口にあってよかった。うちのシェフに作らせたんだ。たくさんあるから、よかったら余りは持って帰って」

「いいんですか?」

「うん、俺はそんなに食べないしね」


 リディアもそんなにたくさん食べるわけではないんだがな、とは言わないでおく。

 お菓子は好んで食べるが、相変わらずそんなに量を食べられるわけではない。

 そのリディアは、まるで伺うかのように俺を見た。

 どうやら、持って帰るには、俺の許可も必要だと思っているようだ。


「せっかくだから貰って帰ろう。皇太子宮のシェフの菓子など、なかなか食べられるものではないしな」


 そう言うとリディアは、嬉しそうに笑った。


「さっきはごめんね。彼女が来てるとわかってれば、1人で庭園を見てくるようには言わなかったんだけど」

「い、いえ、そんな……皇太子殿下のおかげで、私は何もなかったですし」

「何も、ね……リディアちゃんは優しいね。彼女もそれくらいの優しさがあればよかったんだけど」


 確かにあれを何もなかった、とはなかなか言えないかもしれない。

 だが、リディアは本当にそう思っているのだろう。


「ま、聞いててわかっただろうけど、彼女は婚約者でもなんでもないんだ。ただ、昔婚約の話が少し出たのも事実でね。その所為で、いつかは俺の婚約者になると勘違いしちゃったみたいでね……」


 その勘違いも、今日で消え去っただろうということは、さすがにリディアも理解したに違いない。


「でも、その、よかったんでしょうか……」

「うん、いいんだよ、これで。むしろ、今まではっきりとさせて来なかったのが、悪かったんだ」


 その所為で嫌な思いをさせてしまった、とまたアレクが謝罪する。

 何度もアレクに頭を下げられ、リディアは恐縮しまくっているようだ。


「明日の社交界は大騒ぎだろうな」

「まぁ、貴族の半数くらいは、公表されていないだけで、彼女と俺の婚約が内定してると思っていただろうからねー」


 彼女がいずれ皇太子妃になると期待し、彼女に取り入っていたものたちは一気に彼女から離れていくだろう。

 もう、社交界で、今までのように大きな顔をできなくなってしまったはずだ。


「伯父上……ハインミュラー公爵には、きちんと謝罪をするように、俺から連絡しておくよ」

「い、いえ、私はそんな……」


 おそらく近日中に正式な謝罪が何かしらあるだろう。

 ハインミュラー公爵は娘とは違い、どんな下位貴族相手でも礼儀正しく接し、決して威圧的態度を取ることのない人だ。

 非常に申し訳なさそうな態度で、深く頭を下げて謝罪する姿は想像に容易い。


「そ、それより、何かご用があったのでは……」


 この空気に耐えかねたのか、本題を切り出したのは俺でもアレクでもなく、リディアだった。

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