第48話 皇太子宮


 よかった、今日は馬車で移動なんだ、と馬車から見える景色を眺めながらそう思っていた時だった。


「今日は馬車で安心したか?」


 隣から、まさに今の私の心情を見透かしたかのような言葉が聞こえてきて、ドキッとする。


「いえ、あの、えっと……」

「なかなか馬には慣れないみたいだな」

「ゆ、ゆっくりなら、ちょっとは……」


 ジーク様が走らせるような速度は、やっぱりなかなか恐怖が消えてくれないけれど。

 ゆっくりと歩く馬の上で見る景色は、悪くはなかった、と思う。

 魔法での移動では、得られないものだ。


「また、機会があれば乗ってみるといい。必要なら、おまえ用のもう少し小さい馬を買ってもいいだろう」

「い、いえ、そこまでは……」


 自分の馬なんて用意されたら、いよいよ自分で馬に乗って移動しなければならないような気がする。

 たまに、この間のようにジーク様に馬を引いてもらって歩くくらいならいいけれど、遠くまで1人で移動するのは非常に心もとない。

 また、できることなら、また馬に乗る時もジーク様と乗りたい、と思う自分もいる。


「そうか。俺は馬を走らせるの、結構好きなんだがな」

「え……?」

「頭が空っぽになるし、速く走ると気持ちがいいからな」


 ジーク様は、お1人で乗りたいのかもしれない。

 私を乗せて移動しないといけなかった所為で、せっかくの乗馬の機会を楽しめなかっただろうか……

 きっと、私と一緒だったから、思うようにスピードも出せていないはずだ。


「ご、ご迷惑にならないように、練習します……」

「は?」


 何を言っているんだ、というような顔をされているような気がする。

 私は何か、おかしなことを言ってしまったのだろうか……

 怖くても1人で乗れるように頑張らないとという決意が、早くも揺らぎそうだ。


「別に、無理をする必要はない。せっかくなら、いつか楽しめるようになればいいと、思っただけだ」

「ですが、私が一人で乗れないと、そのジーク様もお一人で乗ることができないですし……」


 そう言うと、なぜかジーク様は笑いだしてしまった。


「何を心配しているかと思えば……一人で乗りたければ、おまえがいない時に一人で乗ればいいだけだ」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 どこか遠くへ行く時以外、馬を走らせてはいけない、なんてことはないのだから。

 でも、せっかく遠くへ行く用事がある時も、やっぱりお一人で乗れた方がよかったりしないだろうか。


「それに、おまえを乗せて走るのも、それはそれで楽しんでいる」

「へ?」

「毎回、飽きずに震えているおまえも、なかなかおもしろい」

「うぅ……っ」


 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、馬が速く走っても怖がらなくて済むようになりたいと思った。




「うわぁ、おっきい……」


 建物もお庭も、ジーク様のお邸よりずっと大きいような気がする。


「ここは皇太子宮だからな、皇宮のほんの一部にすぎない」

「ええっ!?」

「そうそう。ここはあくまで俺の宮だからね。他にも皇帝が使う皇帝宮や、皇女の皇女宮なんかもあるよ」

「こ、皇太子殿下!?」


 今いる場所が皇宮のほんの一部だとジーク様から聞いて、非常に驚いたばかりだと言うのに、突然現れた皇太子殿下に私はさらに驚かされることになった。


「他にも皇后宮もあるにはあるんだけどね、母上は父上と同じ宮を使ってるから、今は使われていないんだー」


 皇太子殿下は、驚いた私を気にする様子もなく、説明を続けている。

 どうやら、私たちが到着したという報告を受けて、出迎えに来てくださったようだけれど、もうちょっと心臓に優しい登場をしていただきたい。


「あれ?皇女宮……?皇女様も、いらっしゃるんですか?」

「いるよ、俺のかわいいかわいい妹が。最も、今はアカデミーに通ってるから、皇女宮にはいないんだけど」


 いたら紹介したかったんだけどね、と言った皇太子殿下はとても優しい表情だった。


「ごめんね、突然呼び出して。ちょっと皇宮を離れただけで仕事が山積みでさ、どうしても手が離せなくて、来てもらうしかなかったんだよ」

「だったらこんなところで油売ってないで、さっさと執務室に戻ったらどうだ?」

「俺だって、ちょっとくらいは休憩入れないと!」


 今のこの瞬間は、皇太子殿下にとって休憩、になっているのだろうか……

 ジーク様曰く、本来皇太子殿下自ら、こんな風にお出迎えしてくれるわけではないそうで、使用人の方に皇太子殿下のいらっしゃるお部屋まで案内してもらうのが一般的なのだそう。

 けれど、皇太子殿下はわざわざ門のところまでいらしてくださり、私たちは現在皇太子殿下の案内で皇太子宮に足を踏み入れている。


「わぁ、きれい……」


 中に入ると、また見えなかったいろいろなものがよく見える。

 ジーク様のお邸とはまた違ったお庭は、見たこともないお花もあって興味を惹かれる。


「よかったら、好きに見てきていいよ?」

「え、でも、何かご用があるのでは……?」

「先にちょっとジークと2人で話したいなって思っていたところなんだ。だから、少し庭園の見学でもして、時間を潰しててくれると助かる」

「か、勝手に見てまわって、その、誰かに怒られたり、しないでしょうか……?」


 皇太子殿下のお申し出はとっても嬉しいのだけれど、今日はじめてここに来た私がうろうろしていたら、警備の人に怪しまれて捕まってしまわないか心配になった。


「あははははっ、大丈夫だよ。俺の客なんだから」


 そういう、ものなんだろうか……

 でも、皇太子殿下のお客様だなんて、一目見てわかるものではない気がするのだけれど。


「アレク、笑いすぎだ」


 ジーク様が大笑いする皇太子殿下を止めてくれているけれど、そういうジーク様も少し笑っているような気がする。


「もし誰かに声をかけられても、俺の許可を貰ってるって言えば大丈夫だよ。そうすればまず、俺に確認が来るはずだから」

「な、なるほど……」

「でも、それでも心配だったら、はい」


 皇太子殿下は胸につけていたブローチをはずして、私の手に乗せた。


「それ、皇族の紋章が入ってるから。それを見せるといいよ」

「えっ!?それって、すごく大事なものなんじゃ……」

「大丈夫、大丈夫、他にも持ってるから」


 そう言いながら、皇太子殿下は、まだちょっと笑いが治まってないような気がする。


「じゃあ、あの、お借りします」

「うん。楽しんできてね」

「はい」


 私はお借りしたブローチを落とさないようにしっかり持って、気になったお庭の方へと駆けだした。

 気のせいだろうか、また皇太子殿下の笑い声が聞こえたような気がした。






 ***


「あーはっはっはっ、もう、リディアちゃん、かわいいなぁ」


 よほど楽しみだったのか、一目散に皇太子宮の庭園へと駆けだしたリディアを見送って、アレクは治まりかけた笑いがまた湧き上がってきたと言わんばかりに、腹を抱えて笑いだした。


「だから、笑いすぎだと……」

「ジークだって、少し笑ってたじゃないか」

「おまえほどではない」


 確かに笑いたくなる要素はたくさんあった。

 まず、皇太子宮で警備の者に捕まれば、怒られるというレベルではすまないだろう。

 しかしながら、そもそも皇太子宮の警備を潜り抜け、あのように小さな令嬢が忍び込んだと考える者はまず少ない。

 今のリディアはどこからどう見ても貴族の令嬢という格好でもあったし、いきなり不審者扱いされず、まずは宮の主である皇太子に報告されるのが普通だ。

 貴族令嬢は簡単に警備の者に怒られたりすることはないのだが、リディアの想像は随分と違っているようだ。


「ああいう、貴族令嬢らしからぬところが、魅力なのかもね」

「かもしれないな」


 アレクではないけれど、かわいらしい発想だと思ったのもまた事実である。

 他の令嬢であれば、アレクに許可を貰った時点で、警備の者に声をかけられようとも堂々と皇太子に確認しろと言ってのけたはずだ。


「で、用件は?」

「あーごめん、わかってると思うけど、ジークと2人で話したいことは、特にないんだ」

「やっぱりか……」


 先に2人で話したいといったタイミングが、おかしいとは思っていたのだ。

 おそらく、あまりにリディアが庭園に興味津々だったから、見せてやりたくなったのだろう。


「で、俺とリディアへの用はなんなんだ?」

「それ、先に言っちゃうと、面白くないだろ?」


 とりあえず、リディアが庭園を見終えた頃に、話が終わったと迎えに行くことにし、俺はそれまでアレクの息抜きに付き合わされることになった。






 ***


「あなた、ここで何をしていますの?」


 お花を見るのに夢中すぎて、周囲に人がいることに全く気づいていなかった。

 きれいな彫刻も置いてあって、それを取り囲むように配置された色とりどりのお花はまるで1つの芸術品を作り上げているようだった。

 どこを見てもきれいで、目移りしながら移動していたから、危うく目の前の女性にぶつかってしまうところだった。


「えっと、お庭を見学させてもらっています」


 この方はいったい誰なのだろう。

 私と同じように、皇太子殿下に許可をもらってお庭を見ているのだろうか。

 そう思っていると、その向こうにテーブルと椅子が見えて、他にも女性が数名いらっしゃるのが見えた。

 テーブルにはティーカップも見えるし、お菓子もたくさん置いているようだから、お茶会の最中だったのかもしれない。

 だったら、突然きょろきょろとお庭を見ている私が現れて、お邪魔だったかもしれない。

 お邪魔にならないよう、見る場所を変えた方がよさそうだ。

 他にもお客様がいるか、行かない方がいい場所があるか、ちゃんと聞いておくべきだった。


「ここがどこだか、わかっていますの?子どもがうろうろしていい場所ではなくてよ」


 子ども……きっと見た目の所為だろう。

 15歳だとは思ってもらえていない気がする。

 けれど、相手はそれよりも大人な気がするから、もしかしたら15歳に見てもらえても、やっぱり子どもと言われたかもしれない。


「あ、あの、皇太子殿下に、お話の間見ていてもよいと言っていただいて……」

「嘘はいけないわ。アレク様がそのようにお許しになるような令嬢、私は存じ上げませんもの」


 ほら、やっぱり、一目見てお客様だとはわかってもらえないのではないか。

 少しだけ、大笑いした皇太子殿下を恨めしく思った。

 相手は高貴な方だから、それだけで不敬だと言われてしまいそうな気もするから、本当にほんの少しだけだったけれど。


「いえ、本当です、皇太子殿下から……」

「そんなこと、あるはずがないと言っていますの。あなた、私が誰かご存知なくて?」


 皇太子殿下からお借りしたブローチをお見せしようと思ったのだけれど、言葉を遮られてしまった。

 当然ながら、私は目の前の女性にはじめてお会いしたので、誰だか知っているわけない。


「ごめんなさい、知らないです……」

「そう、特別に教えてあげるわ。私は、アレク様の婚約者、つまり次期皇太子妃ですのよ」


 皇太子殿下に、婚約者がいらっしゃるなんて知らなかった。

 でも、高貴な方だから、いらっしゃっても不思議ではないのかもしれない……


「つまり、私の知らない客人が、ここをうろうろしているなんて、ありえませんの。おわかりに、なりますわね?」

「え、あの、でも私は……」

「ものわかりの悪い方ですわね。私がありえないと、言っているんですのよ。私に恥をかかせたいんですの?」


 よくわからないけれど、目の前の女性を怒らせてしまったみたいだ。

 落ち込んでいると、テーブルの方に居た他の女性も笑い始めた。

 なんだか今日は笑われてばっかりだな、と思うと、つい私まで笑ってしまった。

 けれど、それが、さらに女性を怒らせてしまった。


「あなた、今、私のことを笑いましたの?」

「い、いえ、違います、そうじゃなくて……」

「もう、許せませんわ。私にこれほど恥をかかせるなんてっ」


 女性はそう言うと、怒ったようにテーブルの方へ戻っていく。

 怒らせてはしまったけれど、ここから離れたということは、とりあえず終わったのだろうか、と淡い期待を抱いたけれどそんなことはなかった。

 女性はテーブルでティーカップに湯気のたつ熱いお茶を注ぐと、それを持ってこちらへと戻ってきた。

 これが、ここで飲むためのものではないことは、私でもわかった。

 お茶を飲みたいのなら、そのままテーブルで飲んでくるはずだ。

 きっと、そのお茶は私にかけられるのだろう、そう思って身構えてぎゅっと目を閉じた。

 同時に誰かにぎゅっと抱きしめられるのを感じて、それからパシャっと液体が何かにかかった音がした。


「熱く、ない……?」


 おそるおそる目をあけると、私を抱え込むようにしているジーク様が見えた。

 けれど、ジーク様にもお茶がかかった様子はない。


「間に合って、よかった……」


 ほっとしたようにそう言ったのは、私でも、ジーク様でもなかった。


「皇太子殿下!?」


 そこには私たちを庇うように立ち、熱々のお茶をかけられてしまった皇太子殿下のお姿があった。


「アレク……」

「大丈夫だよ、そんなに熱くなかったから。火傷もしてないし」


 ジーク様が声をかけると、皇太子殿下はいつものようににこにこと笑ってそう仰った。

 でも、なぜだろう、笑っているのに、笑っていらっしゃらないような気がする。

 むしろ、ものすごく怒っているような……


「ごめんなさい、私のせいで……」

「リディア嬢のせいじゃないよ。ね、ハインミュラー公爵令嬢?」

「あ、アレク様……」

「あれ?僕はいつ君に、そんな呼び方を許可したのかな?」


 なんだろう、いつも通りにこにこと笑みを絶やさず応対していらっしゃるのに、声のトーンも変わっていないように思うのに、周囲の空気がもの凄く冷たくなった気がして、思わず身震いをしてしまった。

 いつもと違う、僕という一人称もまたそれを助長させる要因になっているようだ。

 ものすごくどす黒いオーラが、皇太子殿下の周囲に渦巻いているような気がする。

 いや、実際にそんなものが見えているわけではない、あくまで気のせいにすぎないのだけれど。


「彼女、僕の客だって、言ってなかったかな?」


 その言葉は、決して私に向けられたものではない。

 わかっているはずなのに、ひぃっと思わず悲鳴をあげて、ジーク様にしがみついてしまった。

 たぶん、この人、怒らせるとジーク様よりずっと怖い……

 笑っているのに笑っていないと感じる笑顔って、怒った顔よりもずっと怖いのだと、私はこの日実感した。

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