第47話 旅の記念


 朝起きると、皇太子殿下のお姿はどこにもなかった。

 お仕事があってお忙しいらしく、朝早く、先に帰ってしまわれたそうだ。

 起きるのが遅かった所為でご挨拶もできず、申し訳ない気持ちになる。


「ジーク様は、お仕事、大丈夫なんですか?」

「ああ、少しゆっくりするくらいの余裕はある」


 私とジーク様は、もう少しここに滞在するのだそう。

 皇太子殿下が、せっかくだからもう少しいるようにと、言ってくださったそうだ。


「食事の後、少し出かけないか?」

「は、はいっ」


 封印が終わったら、すぐに帰るのだと思っていたのに、少しこの辺を見てから帰れるみたいだ。

 嬉しいお誘いに、私は喜んで頷いた。




 どこに行くのだろう、ととても楽しみにしていたのだけれど。

 今はちょっとだけ、ほんの少しだけ、後悔しているかもしれない。

 移動はやっぱり馬になって、別荘から少し離れた景色のよいと言われているらしい場所に来た。

 そこは確かに広々として解放感もあり、遠くの方には海も見えて、景色もとても素敵だった。

 馬での移動は相変わらず怖かったけれど、こうして連れてきてもらえてよかったと、確かにそう思ってはいたのだけれど。


「こ、こわいです……」

「大丈夫だ、ほら、背筋を伸ばして」


 せっかくこれだけ広い場所だから、となぜか私は今、たった1人で馬に乗せられている。

 いつものように横向きではなく、しっかりと前向きに座らされ、当然いつものようにジーク様を掴むこともできない。

 馬はジーク様が引いてくださっていて、非常にゆっくりと歩いているだけだ。

 それでも、怖いものは怖いし、落ち着かない。


「ジーク様、もう……」

「下を向くな、もっと遠くを見てみろ」


 一刻も早く降りたい、と思うけれど、なかなか降ろしてもらえない。

 怖くてつい俯いてしまうたび、何度も何度も顔を上げるように言われ、ちょっとずつ前を向いていられるようになってきた。


「馬上からの景色も悪くないだろう?」


 少し慣れてきたのかもしれない、そう思えるようになった頃、ジーク様がそう言った。

 連れて来てもらった時、素敵だと思った景色は、馬に乗った状態ではまた少し違って見える。

 これはこれで、素敵な景色かもしれない。

 ジーク様が根気強く付き合ってくださったおかげで、ようやくそう思うことができるようになったみたいだ。


「慣れてきたなら、このまま少し走らせてみるか?」


 その言葉には、私は慌てて首を振った。

 確かに慣れてきた、こうして馬に乗ってゆっくり進む程度なら、景色を楽しめる。

 けれど、1人で走らせるとなると、想像するだけでとっても怖い。

 ジーク様はそんな私の反応を見て、くすくすと笑った後、ようやく私を馬から降ろしてくれた。


「膝が、笑ってる……」


 1人で馬上にいるというのは、思った以上に力が入ってしまうようだ。

 足はがくがくと震えているし、全身がカチカチに固まっているような気もする。


「少し休憩するか」

「ひゃっ」


 ジーク様は軽々と私を抱き上げ、大きな木の傍の芝生の上に私を降ろしてくれた。


「このまま、寝転がったら気持ちよさそう……」

「確かにな」


 そう言うと、ジーク様がすぐ傍でごろんと寝転がった。

 はしたないから、実際にはやってはいけないかな、と思いながら言った言葉だったのに。

 ジーク様がやっているなら、大丈夫だろうか、そう思って寝転がると高い空が見えた。

 空気がとても澄んでいて、本当に気持ちがいい。

 私たちはそのまま、特に何かをするわけでもなく、暗くなるまで、寝転んだり、起き上がったり、おしゃべりしたり、お散歩したり、また馬に乗ってみたり。

 ただただのんびり過ごすだけの、とても贅沢な時間を過ごした。

 暗くなると、高い空にはきらきらと星が輝いて、それもまた寝転がって見るのはとてもとてもきれいだった。




 翌日にはもう帰るのだろう、と思ったけれど、翌日はのんびりと近くの街を見てまわることになった。

 首都の街とはまた違う雰囲気で、この地域の特産品がたくさん並びとても活気のある街並みは、見ているだけでも楽しかった。

 さらに、この地域で有名な焼き菓子というのを買ってもらって、少しお行儀が悪いかも、と思いながらもジーク様と歩きながら食べたりもした。


「オルゴール?」


 立ち寄ったのは見慣れない雑貨が並ぶ、小さなお店だった。

 特徴的な紋様の木彫りの箱は、この辺りの有名な工芸品らしい。

 そして、私がかわいい、と思わず手にとったそれはただの箱ではなく、箱をあけると音楽が流れる仕組みになっているオルゴールだった。


「ええ、オルゴールですが、ここに小物も入れられるんですよ」


 やさしそうな年配の女性の店員さんが、丁寧に説明してくださる。

 こういった木箱がこの辺の工芸品だと教えてくれたのも、この女性だった。


「素敵ですね」


 オルゴールの音色も、かわいらしい木彫りの紋様とよくあっている。


「それが、気に入ったのか?」

「あ、いえ、素敵だなって思っただけで……」


 欲しいとか、買いたいとか思ったわけではない、そう言いかけて慌てて口を噤んだ。

 もちろんこのまま私が欲しいと言ってしまうと、ジーク様が買ってしまうだろうからそんなことを言うつもりはないけれど、欲しくないというのも、説明してくださった女性に失礼な気がして。


「欲しいものがあれば、遠慮せずに言え」

「あら、優しいお兄さんね」

「あ、いえ、お兄さんでは……」


 そこまで言って、でもお兄さんみたいなものなんだろうか、と少し考えてしまう。

 おじ様は、従兄だから兄のように思うといいと言っていたし、同じく従兄にあたるユースお兄様に至っては、兄と呼ぶようにとまで仰った。


「そんなことより、欲しいものはないのか?」


 兄かどうかという話は、ジーク様はあまり気にしていないようで、それよりも私に何か買わせようとしている。

 私が気になったものを買おうとするお姿は、一緒に街へ出かけた時を思い出させる。


「見ているだけでも、十分楽しいですから」

「せっかくだから、記念に何か買うのも悪くないだろう」

「記念……」


 記念に、そう言われるとちょっと何か、と思わなくもないかもしれない。

 それなら欲しい、と思うものがふと浮かんだ。

 けれど、それを言うと、わがままだと思われてしまいそう……


「何か、あるのか?」


 私が何か思いついたのを、気づかれているような気がする。

 以前、一緒にお買い物をした時もそうだった。

 今もあの時のように、顔に出てしまっているのかもしれない。


「あの、わがままかもしれないんですが……」

「言ってみろ」

「ジーク様と2人で同じものを買いたいです。物はなんでもいいんですけど、ここに来た記念になるような、それ見ることで、今日のことを思い出したりできるような……」


 そして、それを見て、ジーク様にも時々今回の旅のことを思い出してもらえたら、今日のことを楽しかったって思って貰えたら嬉しいと思った。

 さすがに、そこまでは強要できないから言えないけれど、でも同じものをジーク様も持っていてくだされば、今後思い出してもらえる可能性くらいはあるかもしれない。


「ふむ……何がいいだろうな……」


 ジーク様はわがままだと仰ることも、呆れることもなく、店内を見渡しはじめた。


「あの、いいんですか……?」

「ああ。別にそれくらい、わがままでもなんでもない」


 ジーク様の言葉にほっとした時、先ほどの女性店員さんが、何かを持ってきた。


「では、こちらはいかがですか?」

「えと、本、ですか……?」


 困ったな、私、まだ字はあんまり読めないんだけど……

 そう思いながら受け取ったそれは、字が書かれている本ではなかった。


「この辺りの景色が描かれた画集なんですよ」


 店員さんのおっしゃる通り、ページをめくるときれいな景色の絵が次々と現れる。

 見たことない景色もあるけれど、さっき街を歩いた時に見た景色もあった。


「あ、これ……」

「昨日見えた海か……」


 同じところから見て描いた絵かもしれない、と思うくらい、昨日見えた海にそっくりだ。

 これなら、文字が読めない私でも、楽しむことができそう。

 それに、きっと絵を見るたび、昨日行った場所のことや今日のことを思い出せる。


「これを2冊もらおう。……で、いいんだな?」


 店員さんに言った後、確認するようにジーク様が私を見た。

 2冊……ちゃんと私の希望を叶えてくれた。

 胸が暖かくなるのを感じながら、私はこくこくと頷いた。


「あと、このオルゴールも」

「え、あの、それは……」

「これも、いい記念になるだろう」


 ジーク様がそう言うと、店員さんは私によかったですね、と声をかけて本2冊とオルゴール1個を包んでくれた。

 結局また、買ってもらうことになってしまったようだ。

 店員さんから受け取った包みを見つめながらそう思っていると、ジーク様の手が私の頭に乗った。


「おまえがそれを大切に使っているのを見れば、俺も今日のことを思い出すだろう」

「た、大切に使います、絶対!!」


 ぎゅっと包みを抱え込みながらそう言うと、ジーク様がくすっと笑った。

 そして、頭に乗っていたはずの手は、まるで当たり前のように私の手を取って歩きはじめる。

 そうして再び、ジーク様と街を見てまわり、その翌日、私たちはようやくお邸に戻った。






 ***


 街で買ってきた本を、部屋の本棚へしまおうとして、ふとリディアとこれを買った時のことを思い出す。

 オルゴールをとても気に入った様子だったリディアは、それでもオルゴールを強請ることはなかった。

 そんな中、わがままかもしれないと言いながらようやく口にしたのは、わがままとは程遠いかわいらしいお願いで、そのくらいであればいくらでも叶えてやりたいと思う程だった。

 本をしまうのを止め、開いてページをめくってみる。

 リディアと見た景色の絵が現れるたび、自然とページをめくる手が止まった。


「悪くないな」


 リディアの目論見通り、これを見るたびにあの街で過ごしたことを思い出しそうだ。

 そして、リディアもまた、同じ本を見ては同様に思い出してくれることだろう。

 先ほども嬉しそうにルイスやミアに本を見せながら、見てきたことを話している様子を見たばかりだ。

 同じものを持ち、同じ思い出を共有しているのだと思うと、それだけで気分がよいように思う。

 よい記念になった、そう思いながら、今度こそ本を閉じ本棚へとしまった。




 戻った翌日、俺とリディアは久々に庭園を散歩した。

 最近めっきり寒くなってきたので、散歩の後のお茶は部屋の中にしようと思ったが、リディアは今まで通りを望んだ。

 そのためか、ミアは防寒対策にとリディアが丸くなりそうなほどにしっかりと着こませており、テーブルに並んだスイーツも暖かいものが多かった。


「おいしい」


 リディアは寒さなどまるで気にしない様子で、幸せそうにスイーツを頬張っている。

 最近はなかなか見られなかったこの光景が嬉しいと感じているのは、決して俺だけではないはずだ。

 朝も朝食をおいしそうに頬張るリディアを見て、多くの使用人たちが安堵の表情を浮かべていたのを知っている。


「ジーク様も食べてください」


 焼きたてのアップルパイをお皿に乗せて、リディアがにこにこと差し出してくる。


「熱いから、気をつけてくださいね」


 スコーンをリディアの手から直接食べた一件以降、リディアなりに学習をしたらしい。

 最近はこうして、俺に食べさせたいものは、必ず皿に乗せてから手渡してくるようになった。

 揶揄うことができなくなったのは非常に残念だが、俺が受け取って食べるだけでリディアが嬉しそうに笑うことは知っているので、差し出された皿を受け取る。

 フォークで切り分け、一口食べれば、ね、おいしいでしょう?とリディアが笑うのが見えた。


「旦那様、皇宮から使いの者が……」


 突如割り込んで来た執事の言葉に、リディアがほんの少し身体を強張らせた気がした。

 また、何かあったのではないか、と心配しているのかもしれない。


「急ぎの用事か?」

「いえ、皇太子殿下からの伝言だけで、お返事だけすぐに持ち帰りたいと」

「内容は?」

「急ぎではないが、近日中に皇太子宮に来て欲しいとのことです、その……お嬢様も一緒に」

「わ、私、ですか!?」

「はい、それで、お日にちを、と……」


 伝言から察するに、急を要するものではないのだろう。

 だが、リディアが必要だというのが、どうにも腑に落ちない。

 瘴気の件であれば、特に必要な報告など、もうないはずなのだが……


「リディア、明日でもいいか?もう少し後にするか?」

「わ、私ならいつでも大丈夫です。特に予定もないですし、ジーク様のご都合のよい時で」

「そうか。明日の午後に行く、と使者に伝えておけ」

「かしこまりました」


 伝えに来た執事が、使者に伝えるために駆けだした。

 それを見送るリディアは、どこか落ち着かないようである。


「大丈夫だ、あの様子なら急ぎの用件ではないから、何かあったわけではないだろう」

「そう、なんでしょうか……」

「ああ。あいつのことだ、急いでいる場合は自分で来るか、今すぐ来いと伝言を寄越すはずだ。そうでないということは、たいした用ではない」


 むしろ、ものすごくくだらない用件で呼び出されていないかの方が心配なほどである。

 そう伝えると、リディアはほっとした表情で、また目の前の菓子に手を伸ばした。

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