第46話 封印
「で、どうすればいいんだ?」
視界の端に映る、具合の悪そうなリディアを気にしつつも、俺はフィーネに訊ねた。
もう少し離れた方が楽になるだろうに、どうやらこれ以上距離を取るつもりはないらしい。
『剣は?』
「ここにある」
アレクに用意してもらった剣を、フィーネに見せる。
この1回しか使わないなんてもったいないほどの、よい剣だった。
『それをまず、瘴気の真ん中に突き立てて』
「こう、か?」
『で、その剣に瘴気を集める』
どうやって、と聞く前に自分のものではない魔力が流れ込んでくる。
人間のものとは違うからか、ものすごく違和感を感じるそれは、優しく導くようだったリディアの時とは違い、俺の代わりに無理矢理俺の魔力を使うかのように強引に術へと導くようだった。
「くっ、はぁぁぁっ!」
『そう、そのまま、もっと力いれて』
フィーネの魔力はとりあえず、瘴気を剣に集めて力でねじ伏せて抑え込め、とでも言ってるようだった。
強引に導かれるままに、それに従っていると、リディアの不安そうな表情が見えた。
安心させるためには早く終わらせなくては、そう思うと自然と力が入り、気づけば封印は終わっていた。
「終わった、のか……」
ふっと息を吐き出せば、瘴気が出てこなくなったおかげで動けるようになったらしいリディアが、パタパタと駆け寄って来る。
「ジーク様、大丈夫ですか?」
「ああ。おまえは?もう平気なのか?」
「はい。ジーク様が封印してくださったので、なんともないです」
先ほどのような顔色の悪さもなく、どうやら本当に大丈夫そうだ。
リディアは俺が封印を施した場所を、興味津々な様子でまじまじと眺めている。
「すごい、これなら50年とは言わず、100年くらいは持ちそう……」
「それは心強いね」
いつの間にか、アレクも傍に来ていたらしい。
予想外に長く持ちそうなのは良いことかもしれないが、結局そんなに必要ないという話ではなかっただろうか。
『ねぇ、早く戻して欲しいんだけど』
そう言ってフィーネが睨むので、石に触れないように気をつけながらリディアの首へとかけてやる。
すると、やっと解放されたと言わんばかりに息を吐き、そのままフィーネは姿を消してしまった。
「お疲れ、ジーク」
「ああ」
ぽんっと、俺の肩にアレクの手が乗せられ、ようやく任務が終わったのだと実感する。
「じゃあ、帰ろっか」
アレクのそんな一言で、俺達は来た道を戻り始めた。
「リディアっ!?」
行きと同様に、帰りもしっかりとリディアの手を引き、急な下りに気をつけながら進んでいたのだが、急にリディアの身体が前方へと傾くのが見えて、慌てて支える。
「ご、ごめんなさい……っ」
慌てて謝ったリディアは、はぁはぁと荒い息を吐いている。
俺に凭れ掛かったままになっているのを気にして、自力で身体を支えようとしているようだが、足に上手く力が入らないようで失敗している。
「顔色、悪いね」
「い、いえ、大丈夫です、少し疲れただけで……」
リディアはそう言うと、また足に力を入れ、一瞬1人でちゃんと立てたかのように見えた。
だが、すぐに力が抜けていき、膝から崩れ落ちそうになったので、慌てて抱えなおすように支える。
「ごめん、なさい……」
「気にしなくていい」
登りからかなり急で、険しい道のりだった。
よくよく考えれば、この状況で疲れない方がおかしいのかもしれない。
思い返せば、リディアのことを気にしつつも、結構な速度で山道を登ったような気がする。
一緒にいたのがアレクだったからあまり気にしていなかったけれど、もしこの山道を登るのを騎士たちの訓練に使っていた場合、あの速度で進めば遅れをとるものいたはずだ。
そう考えると、手を引いていたとはいえ、ただでさえ疲れやすいというのに、行きだけでもかなりの無理をさせてしまった。
「歩くの、無理そうだね」
「い、いえ、少し休めば……」
そうは言うが、リディアはそれだけ言うと、また辛そうに荒い息を吐いている。
アレクを見れば同様のことを考えているのは一目瞭然で、これはすぐに動くことはできないだろう。
「アレク、リディアを少し支えていてくれないか?」
「いいよ」
アレクはよいしょ、と言いながらリディアを抱えるようにして俺から奪った。
リディアは申し訳なさそうにしているものの、結局上手く力が入らないらしく、されるがままだった。
「ほら、リディア、負ぶってやるから乗れ」
「い、いえ、そんな……」
リディアが乗りやすいように、とリディアの前にしゃがみ込んだが、リディアは緩く首を振るだけだった。
「ただでさえ、歩くだけでも大変な道なのに……」
それを聞くだけでも、リディアにとっては相当大変な登り道だったということがわかる。
「大丈夫だよ、ジークは騎士だし、鍛えてるから。騎士は大の大人を抱えて、険しい山道を移動しないといけないこともあるんだし」
「で、でも……」
「いいから、いいから、甘えちゃいなよ」
アレクの強引さが、この時ばかりは非常にありがたい。
言うや否や、アレクはリディアを持ち上げて、俺の背中に乗せた。
リディアはやはりされるがままの状態で、すんなりと俺に背負われる形になる。
「重く、ないですか?」
「問題ない」
むしろ、まだまだ相変わらず軽すぎるくらいだ。
「ご迷惑をおかけして……」
「別に、迷惑ではない」
再び進み始めた俺たちに、まだ荒い息を吐きながらも、リディアは申し訳なさそうにしている。
だが、そもそもはもっと早く気づいてやれなかった、こちらのせいである。
俺もアレクも、行きは特に気が急いていて、つい必要以上に速いペースで進んでしまったことを否定できない。
きっと、リディアは、そんな俺たちの足を引っ張らないようにと無理をしたのだろうことは明らかだ。
それでも、事が終わるまではリディアも気を張っていただろうから、なんとかなっていたのだろう。
全て終わって気が抜けてしまった今、動けなくなったとしても、リディアが気に病むことなど何もないのだ。
「リディア嬢のおかげで、この帝国が救われたんだ。胸を張って」
「わ、私は何も……」
「そんなことはない、俺たちだけではここに来ることも、封印することも不可能だった」
「そうそう。だから、ゆっくり休んでていいんだよ。お疲れ様、リディアちゃん」
アレクが、リディアの頭を撫でているようだ。
リディアからゆっくりと力が抜けるのを、背中で感じる。
そのまま、リディアはぐったりと俺に身体を預ける形になった。
しかしながら、その後時間が経っても、はぁはぁという苦しそうな息遣いだけはそのままで。
それが、自然と俺とアレクの歩みを速めていった。
「医者、呼ぶ?」
「大丈夫です、本当に少し疲れただけですから」
ようやく別荘に戻った俺たちは、最初に通された応接間で一息ついた。
リディアも少しは落ち着いたようだけれど、まだどことなく顔色が悪いような気がする。
それでも、必死に大丈夫だとアピールするように笑っている。
「あとで、メイドにマッサージしてもらうといいよ」
「い、いえ、そんな……」
「いいから、いいから。たくさん歩いて疲れたでしょ?」
「それなら、お二人の方が……」
「俺やジークはほら、こういうの慣れてるから、ね?」
やはり、こういう時のアレクの強引さはありがたいと思う。
結局、強引にアレクが決めてしまって、食事の後、リディアはしっかりとマッサージを受けることになった。
食後、リディアはマッサージを受けたまま眠ってしまったと報告があり、自然とアレクと2人だけで話す時間ができてしまった。
「明日、俺は朝一で戻るつもりだけど、2人はゆっくりしていっていいよ」
「俺はおまえの護衛を兼ねてるんじゃないのか?」
「そんなの建前だって!そんなに危険もないよ」
アレクの剣術の腕前はよく知っている。
うちの騎士が数人で飛びかかっても、勝ち目はないほどだ。
その上、今の帝国は平和そのものなので、皇太子の命を本気で狙いにくるような者もなかなか居ないだろう。
確かにそう危険なことはないのかもしれないが、やはり一国の皇太子が護衛なしだというのはあまりにも不用心な気がしてならない。
「大丈夫だよ。ほら、前回は魔獣討伐の後、結局ゆっくりできなかったんだろ?」
だからリディアのためにも、と言われると、確かにリディアは少しここでゆっくりしてから帰る方が喜ぶだろうと思う。
「……わかった。気をつけて帰れよ」
俺がそう言うと、なぜかアレクは声をあげて笑いだしだ。
特に笑うような話はなかっただろう、とアレクを睨んだところで、あまり効果はない。
「ごめん、ごめん、そう睨まないでよ」
「おまえが突然笑い出すからだろう」
「いやぁ、やっと自覚したんだなぁって思ってね」
笑いすぎたためか、アレクは目尻に溜まった涙を拭っている。
こいつにはバレているのだろう、とは思っていた。
この別荘に着いてすぐ、アレクとリディアがくだらない謝罪合戦をはじめた時、早く終わらせたくてついリディアの手を引いたのも。
アレクから貰った服に喜ぶリディアを見て、つい不機嫌になってしまったことも。
おそらくこいつは、しっかりと気づかれていると感じていたから。
だが、ここまで笑われなければならないようなことだっただろうか。
「で、彼女にはいつ?今のところ、向こうはジークの気持ちなんて、知らなそうだけど」
「少なくとも、今はまだ伝えるつもりはない。少しでも、精神的に負担になるようなことは避けたい」
「負担かどうか、わからないじゃないか」
「とにかく、今はダメだ」
やっと落ち着いた、けれどやっぱりまだ不安定なのではないか、そう思うと伝える気にはならない。
そもそも、伝える必要性さえ、感じてはいない。
ただ、リディアが笑って、幸せに過ごすことができれば、今はそれで十分だ。
それ以上、望むことなど何もない。
「俺より、おまえはどうなんだ?」
これ以上この話を引っ張りたくなくて、話題を変えようとそう言えば、アレクは痛いところをつかれた、といった顔になる。
「そろそろ、皇太子妃を迎えてもいい頃だろ?」
「ジークだって知ってるだろ、最有力候補だって言われてる公爵令嬢の話」
もちろん、この帝国の貴族なら、皆知っているだろう。
皇后の兄であり、目の前にいる皇太子アレクの伯父にあたり、そしてこの別荘の持ち主でもあるハインミュラー公爵。
その長女がちょうどアレクより2歳下であったことから、身分も年齢も釣り合いが取れている、と早くからアレクの婚約者候補として名があがっていた。
しかし、まだ婚約者にすらなっていないはずの公爵令嬢は、幼い頃から、勝手に自分がもうその座に決まっているかのように振る舞い、あちこちで傲慢な態度を見せている。
その態度を最も良く思っていないのが、彼女の叔母でもある皇后陛下で、彼女はすぐに別の令嬢を考えようと提案したそうだ。
しかし、皇帝陛下は皇后の実家でもあるから無下にはしたくなく、いつか改心するかもしれない、と様子を見ることにした。
だが、結果、ハインミュラー公爵令嬢の傲慢な振る舞いは酷くなっていく一方で、皇族としてはやはり皇太子妃に迎えるには相応しくない、という結論に至っているようである。
「他の令嬢の候補を、考えないのか?」
「いや、そうは言ってもさー、ちょうどよさげな令嬢はだいたい、もう結婚してるか婚約者いるだろ?」
確かに、皇太子妃、となると高位貴族であることが求められる。
必ずしもそうではないし、過去には男爵令嬢が皇太子妃となったこともあったようではあるが。
高位貴族の令嬢で、アレクと年齢的にも釣り合いが取れそうで、さらには皇太子妃に相応しい人格者、と考えると、確かにほとんど結婚もしくは婚約を済ませていそうである。
「あーあ。リディアちゃんが、ジークのお父上の養子になってたら、候補に上がっただろうになー」
そんな気はないだろう、と思っているが、それでもついアレクを睨みつけてしまう。
今思えば、自分が用意した選択肢の1つだったけれど、叔母上の方に決まって本当によかった。
父上に決まっていれば、アレクにその気はなくとも候補として名前が上がった可能性は、十分に考えられる。
最も、この帝国についての知識があまりに乏しく、字すらまともに書けないリディアでは、最終的にはやはり皇太子妃に相応しくないと判断される可能性の方が高いけれど。
「思ってもいないことを……」
「まぁね、親友の大事な女の子、横から掻っ攫う気はないから、安心してよ」
「で、皇太子妃はどうするんだ?」
「んー……他国のお姫様にでも来てもらうことに、なるんじゃないかなぁ」
少なくとも、このままハインミュラー公爵令嬢と婚約という流れはありえない、ということか。
リディアが聞いていれば、大好きな人と結婚すべき、だと言うのだろうな……
「ひょっとして、今、リディアちゃんのこと考えてた?」
「うるさい」
そうしてまた、アレクの笑い声が響いた。
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