第45話 瘴気の近くへ


「こ、怖かった……」


 ようやく地面についた足は、まだがくがくと震えていて非常に頼りない。

 皇太子殿下から剣の準備ができたとご連絡があって、ジーク様と3人ですぐに出発することになった。

 移動はもちろん今回も馬で、ジーク様同様馬には慣れていらっしゃるご様子の皇太子殿下とは違い、私はやっぱり今回もジーク様の前に乗せられて、心の中で悲鳴をあげまくりながら移動をした。

 私を気遣ってか、途中お2人は何度か休憩を挟んでくださったものの、今日中に目的地にたどり着きたいということで、前回よりも1日の移動距離が長かった。

 出発は朝早かったのはずなのだが、ようやく今回滞在するという別荘にたどり着いた今、すっかりと日は傾いてしまっている。


「慣れると、馬に乗って走るのも楽しいんだけどねー」


 皇太子殿下はそんなことを仰っているけれど、慣れる日がやって来るような気がしない。


「落ち着いたら、まずは馬に乗ってゆっくり歩かせるところからはじめてみるか」


 ジーク様曰く、速い速度で移動するから怖いのだろう、ということで。

 馬を走らせるのではなく、歩かせるくらいの速度の状態で乗ってみれば、怖くないかもしれない、とのこと。

 だから、どこかで時間を見つけてやってみよう、と提案されたのだけれど、残念ながら今のところあまりやってみたいと思えてはいない。


「皇族の方は、たくさん別荘をお持ちなんですね」


 私は話を変えたくて、そんなことを言ってみた。

 今回の別荘は、この前滞在させてもらった別荘とは別だけれど、今回も皇太子殿下が手配してくださったそうだ。

 前回とはまた違うけれど、今回も素敵な別荘で、こんな素敵な別荘をいくつもお持ちだなんてすごいなと思ったのだ。


「あー、これは皇家所有の別荘ではないんだ。他にも別荘は確かにいくつかあるんだけど、そんな都合よく毎回目的地付近にあったりもしないから」

「へ?」

「ここは俺の母の実家が所有している別荘でね、場所的に良さそうだったから借りたんだ」

「お母様の……」


 なるほど、さすがの皇族でも行く先々にそう都合よく別荘なんてないみたいだ。

 それでも近くにご親戚の別荘ならあって、それを借りることができた、というだけでも十分すごいだろう。

 皇太子殿下のお母様は、どんな方なのだろう、そう考えてあれ、と思う……


「皇太子殿下のお母様って……」

「あー……、うん、一応皇后だよ」


 にっこりと笑って皇太子殿下が教えてくださった。

 皇太子殿下の母親、なんだから普通に考えたらそうだろう、なぜ繋がらなかったのか。


「父上は側妃は迎えていないからね。現皇帝の子どもは、全て皇后の子だよ」

「側妃?」

「あれ?リディアちゃんの世界ではそういうのなかった?この帝国は一応皇帝は側妃を持てるんだよ、確実に後継ぎを残すのも皇帝の大事な仕事だから」

「つまり、奥様が2人……?」

「場合によっては、もっとたくさん、かな」


 想像がつかない世界だと思った。

 だって、結婚は一番大好きな人と、ずっと一緒にいるためにするものだって教えてもらった。

 それがたくさんいるなんて、ありえないし、おかしい。

 でも、私が知っているのは、元の世界でも私の居た国のことだけだ。

 正直外国のことはあまり詳しくない、外国には確か貴族や王族がいるような国もあったはず。

 だから、もしかしたら、1人の男性にたくさんの奥様がいるような国もあったのかもしれない。


「正妃の子か、側妃の子かって意味で聞かれたわけではなかったみたいだね……」


 その発想は、全くなかったな、と皇太子殿下のお言葉を聞きながら思う。

 ただ、すぐに皇太子の母親が皇后である、と上手く繋がらなかっただけだ。

 側妃かもしれない、なんてところまで考えが及ぶわけもない。


「早とちりしちゃったみたいで、なんかごめんね?」

「あ、いえ、私の方こそ、その……」


 皇太子殿下に謝られてしまって、なんだか恐れ多くて。

 もはや自分で何に対して謝っているのかもよくわからないけれど、とりあえずぺこぺこと頭を下げた。


「ほら、行くぞ」

「あ、ジーク様……」


 皇太子殿下は、私が悪いわけじゃないから、と言ってくださり、でも私も考えが及ばなかったから、という気持ちもあり、なんとなくしばらく謝罪合戦かのように謝罪が続いてしまって。

 それに終止符を打つように、ジーク様が私の腕を掴んだ。

 ジーク様はそのまま私を引っ張って、別荘の中へと向かっていく。

 この別荘を借りてくださった皇太子殿下より先に、私たちが入っていいのか不安になって皇太子殿下を振り返ったけれど、皇太子殿下はただにこにこと笑っていらっしゃるだけだった。




 中に入ると、やっぱりこの別荘にもお世話してくださる方がたくさんいらっしゃった。

 とりあえず応接間に通された私たちは、温かいお茶を出してもらって一息つく。


「今いるのがこの辺り。で、今回の目的地がここら辺かな」


 皇太子殿下が地図を広げて、説明をしてくださる。

 フィーネに瘴気の吹き出し口を探して貰う時に、ジーク様に出してもらった地図とは違って、ここの周辺だけに絞られていて、より詳細な地図みたいだ。


「とりあえず、明日この辺までは馬で移動して、そこからは馬を置いての移動になるかな」


 明日も馬に乗らないといけないようだ。

 けれど、馬で行けるのは途中までらしい。

 馬に乗る時間が短くて済むのは、個人的には非常にありがたい。


「ここからは結構急な山道になるから、なかなか大変かもしれないけど……」


 だから馬では行けない、ということなのだろうか。

 お2人の足を引っ張るようなことだけは、ないようにしなくては……


「あ、そうそう、リディア嬢にはこれ!」

「お洋服、ですか……?」


 差し出されたそれは、私の膝の上にぽすんと置かれた。


「そう、よかったら、明日はそれ着てもらえる?」

「え、えっと……」

「それ、騎士団の正装なんかと、同じように作らせたものなんだ。何かあった時のためにも、そういう服の方がいいかと思って」


 つまり、先日ジーク様が着ていた正装と同じような効果があるお洋服、ということなのだろうか。

 そんな貴重そうなお洋服、私が貰ってしまってよいのだろうか……


「助かる。俺はそこまで気がまわってなかった」

「いやいや、こっちの事情で巻き込んでるし。ジークもリディア嬢も前回の魔獣の一件から、ほんの数日でまた引っ張り出すことになっちゃったからね」


 これくらいは、皇族が当然準備するべきだ、と皇太子殿下はおっしゃった。


「本当は、前回の魔獣討伐の時、用意できてたらよかったんだけどね」


 その時は思いつかなかったのと、時間も足りなかったのだ、とまた皇太子殿下に頭を下げられて恐縮してしまう。


「いえ、そんな……」

「じゃあ、それ、受け取ってもらえるかな?」

「は、はい……」


 なんだか、上手く受け取らざるを得ないような流れに、持っていかれたような気がする。

 決して受け取りたくない、と思っているわけではないからよいのだけれど。

 恐る恐る膝に置かれたそれを広げてみると、とても動きやすそうだけど、かわいらしいお洋服だった。


「気に入ってもらえたかな?」

「は、はいっ、とても素敵です!」

「それはよかった」


 皇太子殿下は相変わらずにこにこしている。

 けれど、気のせいだろうか、ジーク様は少しだけ不機嫌そうなお顔をした気がした。






 翌日、私は皇太子殿下にいただいたお洋服を着て、ジーク様、皇太子殿下とともに瘴気の吹き出し口があるだろう場所を目指した。

 馬に乗っての移動も大変だったけれど、今登っている山道はそれくらいたいしたことなかった、と思わせるくらい険しくて歩くのが大変だった。

 それでも、登り始めた時から、ジーク様がしっかりと手を引いてくださっている。

 ご自分もきっと大変なのに、ジーク様も皇太子殿下もことあるごとに私を気遣って、声をかけてくださる。

 そんなお2人のためにも、ご負担にならないように、1人遅れてしまわないように、と必死にお2人に続いて足を動かした。


「うっ」


 瘴気が吹き出す場所が、近いのかもしれない。

 急にものすごい気持ち悪さが襲ってきて、口元を押さえた。


「大丈夫か?」

「は、はい……」


 ジーク様に聞かれて、とりあえず頷いてはみたものの、正直あまり大丈夫ではない。

 できればこの先に進みたくない、と思うけれどそういうわけにもいかない。


「これは、かなり空気が悪いね……」


 皇太子殿下も、さすがに少しお顔の色が悪い。

 けれど、ジーク様はこんな時でも、あまりお顔の色を変えていないようだ。


「アレク、防御魔法、使えるか?」

「ん?ああ……」

「それで、少しはましになるはずだ」


 ジーク様は皇太子殿下にそう言うと、引いていた私の手を持ち上げた。

 そして、空いている方の手を、私の手に重ねると魔法の詠唱をはじめられた。

 それと同時に、呼吸がすごく楽になった。


「これで、少しはましになると思うんだが……」

「は、はい、すごく楽になりました。ありがとうございます」


 瘴気に近づいたからといって、苦しくなるようなことは以前はなかった。

 そういえば、お父様が強い魔力は瘴気に対して盾になってくれることがある、と言っていた気がする。

 向こうの世界では、魔力の強さのおかげで、特に防御魔法なんて使わなくても気分が悪くなったりしなかったのかも。

 そして、私や皇太子殿下と違って、ジーク様があまり辛そうでなかったのも、やっぱり魔力の強さによるところなのかもしれない。


「ホントだ、すごい。さっきと全然違う」


 皇太子殿下も、ご自分で防御魔法を使われて、楽になられたみたいだ。

 先ほどより、ずっと顔色がよくなった気がする。

 きっと後少しだ、だから頑張ろう、と思った時だった。


「ジーク様、魔獣がいます。すごく、たくさん……たぶん、こっちに向かって来てる……」

「ちっ」


 ジーク様は、私の手を放し、剣を抜いた。

 続いて、皇太子殿下も剣を抜く。

 すると、前方から5、6匹ほど、魔獣が飛び出してきた。


「アレク、リディアをっ」

「了解」


 そんな会話の後、ジーク様は魔獣の方へと飛び出し、私は皇太子殿下に腕を引かれた。

 ジーク様の魔法が、次々と魔獣を倒していくのを見て、少しほっとする。

 数が多いだけで、強い魔獣ではなさそうだ。


「リディア嬢、危ないっ!」

「え……?わあっ」


 ジーク様の様子を見るのに夢中で、自分の周囲への警戒がおろそかになってしまっていたみたいだ。

 気づいたら真横から襲い掛かる魔獣が、すぐ目の前まで迫っていて、皇太子殿下が私を庇うように引き寄せて、魔獣を剣で倒してくださった。

 その後、数十匹ほど現れた魔獣のほとんどはジーク様が倒し、数匹ほどこちらに向かってきたものだけ、皇太子殿下が倒された。

 私はただ、呆然とお2人の様子を眺めていただけだった。




「この様子だと、この先に本当にリディア嬢が言ってたものがありそうだね」


 皇太子殿下が仰る通り、険しい山道を登り切った先に目的のものは、あった、あったのだけれど……


「うっ」


 あまりの気持ち悪さに耐えかねて、思わずその場にうずくまってしまった。

 これは防御魔法を使ってもらってても、かなりきつい。

 けれど、そう思っているのはどうやら私だけで、ジーク様も皇太子殿下も平然としていらっしゃるような気がする。


「大丈夫か?」

「俺は、防御魔法使ってれば、多少空気が悪いかも、くらいで済んでるんだけど……」

「持ってる魔力量にもよるんだろう、おそらく」


 ジーク様がそう言いながら、私にあわせるようにしゃがんで、背中をさすってくださる。

 瘴気がこんなにきついものだって、知らなかった。


「ジークが封印するまで、リディア嬢は少し離れたところで……」

「だ、ダメです、もっと近くに行かないと……」

「これ以上は無理だろう」

「平気ですっ」

「無理はするな」


 なんとか立ち上がろうとするのを、ジーク様に止められてしまう。


「でも、私がもっと近づかないと、フィーネが近づけません」


 フィーネは精霊石の近くにしか姿を現わすことができない。

 ジーク様が封印するためには、フィーネもジーク様も瘴気の吹き出し口のすぐ傍にいる必要がある。

 となれば、私も近くにいなければいけない。


「その石だけを、借りることはできないのか?」

「え……?」


 そう聞かれて、その発想はなかったな、と思う。

 精霊石は魔力を込めた所有者本人しか手を触れることはできないけれど、手で触れなければ、今私がやっているように、首から下げていれば害はない。

 ただ、問題なのは……


「フィーネ……」


 問いかけるように、フィーネに声をかけるとフィーネはすぐに姿を現わしてくれた。


『いいよ、封印する間だけなら』


 自分が宿る精霊石を一時的とはいえ他の人に任せるなんて、嫌がるかもしれない、と思ったのだけれど、フィーネはあっさりと了承してくれた。


「チェーンや金具の部分は大丈夫ですが、決して石には触れないようにしてください」


 私はそう言うと、首から精霊石をはずしてジーク様の首にかける。

 かけやすいように、ジーク様が首をかがめてくださった。


「よし、行くか」


 そう言うと、ジーク様は立ち上がって瘴気の吹き出し口の傍まで向かい、フィーネもそれについて行く。

 私は何もできず、ただその様子を見ることしかできなかった。


「リディア嬢、もう少し離れていようか」

「いえ、大丈夫です」


 せめて、少しでも近くで見守りたくて、私は皇太子殿下のお誘いを断った。

 皇太子殿下は少し困ったようなお顔をされたけど、無理しないでね、とお声をかけてくださり、一緒にここに居てくださった。

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