第41話 朝を迎えて


「朝か……」


 昨日、おそらく日が高いうちに眠ったはずだ。

 そう考えると随分と長く眠り込んだようだ。

 おかげで、身体は随分と軽くなったような気がする。

 ゆっくりと起き上がれば、リディアの腕がぎゅっと腰にまわって思わず固まった。

 起こそうか、とも思ったがすやすやと眠る姿を見ると、とてもそんな気にはなれない。

 むしろ俺がベッドから出ようとすれば起こすかもしれない、と思うとベッドから出ることさえできなかった。


「おはようございます、旦那様」


 ルイスは俺がまだ眠っていると思っていたのか、少し驚いた表情を浮かべながら部屋へ入ってきた。


「お嬢様は、まだお休み中のようですね」

「ああ、悪いが急ぎの仕事だけ、部屋に持ってきてくれないか」


 寝ているリディアを起こしたくない、というのはリディアを見れば伝わったようだった。


「朝食もお部屋に運びましょう」


 俺の意図をしっかりと汲んだルイスは、そう言うとすぐに部屋を後にした。




 ルイスはすぐにベッドの上で食事や仕事ができるよう、テーブル等を整えてくれた。

 そして、朝食を食べるや否や、テーブルの上に今日中に処理しなければならない書類が積み上げられていく。

 最近、あまり書類整理に時間を割けていなかったせいだろう、思っていた以上に積み上げられた書類にうんざりしながらも、一つ一つ手に取って確認を始めた。


「フィーネ、いるか?」

『だから、私を呼び出していいのは、プリンセスだけなんだけど』


 書類整理だけでは飽きてきたので、呼んでみたことろ、やはり不快感を隠しもしない様子でフィーネは現れた。

 それでも、きちんと出て来てくれる辺り、なかなか律儀な奴である。


「俺が見たものは、リディアの過去なのか?」

『あなたが何を見たか、さすがに知らないんだけど』


 フィーネは随分と鋭い目で、俺を見た。

 まぁ、それもそうか、と俺はそれを見て笑ってしまったのだが。


『何がおかしいの?』

「いや、悪い。確かに精霊といえど、俺が見たリディアの精神の中のことまでは、さすがに知らないか」

『何を見たの?』


 俺が知っているのに、フィーネが知らないというのが、どうやら気に障ったらしい。

 興味なさそうだった空気が一転し、さっさと話せといった雰囲気へと変わる。


「白い部屋の中にリディアがいた」

『鎖に繋がれてた?』

「ああ。それから、魔力を奪われてた」

『そう、なら、それは実際にあった、プリンセスの記憶で間違いないと思う』

「やはり、そうなのか……」


 フィーネの話と合致する点も多いから、おそらくはそうだろうとは思っていた。

 だが、あまりに残酷すぎる光景だったため、違っていればいいと願う気持ちもあったのだ。


『部屋について、プリンセスは何か言ってた?』

「鎖が主要都市に繋がっているから、出られないと。後はおまえが5年経てば出られると言ったと」

『そう……プリンセスがあそこにいたのは、両親が亡くなってすぐで、まだ10歳の時だった。そこから15歳の誕生日まで、プリンセスは毎日あそこで魔力を奪われながら過ごしたの』


 聞いているだけで、気が狂いそうだと思った。

 あんな場所に、そんなに長くいるなんて、とても耐えられる気がしない。


「なぜ、魔力を奪われていたんだ?」

『人間はプリンセスの力が怖かったから。父親が死んでしまったから、プリンセスの力を抑え込める魔術師がいなくなってしまったから、プリンセスが魔法を使うことで何かが起きるのを恐れたの』


 子どもだから魔法を暴走させるかもしれない。

 わからないままに、よくない魔法を使ってしまうかもしれない。

 それまでも、強すぎる魔力を恐れ、差別的な対応をしてきたから、いつか復讐されるかもしれない。

 そういったさまざまな不安から、魔術師たちはリディアをあの場所に閉じ込めたのだという。


「リディアはそんなことしないだろう」

『できないわけではない、というだけで人は簡単に恐れ、排除しようとするでしょ?』


 おまえもそういう人間の1人だと言われているような気がして、あまり気分はよくない。

 フィーネはとことんリディア以外の人間を嫌っているような気がする。


『あの場所はプリンセスを閉じ込めるために、魔術師たちがわざわざ作った場所。プリンセスが、大人になってしまわないように』

「それは、どういう……」

『たとえば、1日で枯れるはずの花をあの部屋に置くと、おそらく10年以上咲き続ける』

「随分と恐ろしい部屋だな。時が止まっているのか?」

『ううん、時間の流れはそのまま。ただ物の変化が非常に緩やかになる。だから、ほとんど成長をすることはない。でも完全に止まっているわけでもないの。だから花も10年は咲き続けたとしても、100年後くらいにはさすがに枯れてるかもしれない、そんな場所』

「だから、リディアもほとんど成長できず、今も小さいんだな……」

『そう、10歳からの5年間は、ほとんど成長できなかったから』


 10歳くらいに見える、という俺の感覚は、間違ってはいなかったのだ。

 この姿は間違いなく、リディアの10歳の姿なのだから。


「だが、変化が緩やかになるなら、魔力もなかなか回復しないんじゃないのか?」


 そうなれば、毎日魔力を奪う、なんてことはできなくなりそうだ。


『そうならないために、魔力に関しては除外される作りになってる。じゃないとそもそも奪い取ろうにも、なかなか魔力が移動しなくなる』

「なるほど。無駄によく考えられた部屋なんだな……」


 魔力の変化に関しては緩やかではないから、簡単に奪い取れ、そしてすぐに回復してしまうから毎日のように奪われ続けてしまう。


『そう、プリンセスは決して大人になることはなく、魔力は完全に回復しきる前に大人たちが奪って利用する。そうして何もできないように、プリンセスを縛り付けるためだけに、魔術師が力を注いで作った部屋』


 せっかくなら、その情熱をもっと役に立つことに使えばよいものを。

 随分とクズな魔術師が多い世界だったようだ。


『一番かわいそうなのは、痛み、だった……』

「ああ、魔力を無理矢理奪われるのは、そんなに痛いのか?」

『おそらく、ものすごく。でもそれだけじゃないの。変化が緩やかな場所だから、一度発生した痛みも、なかなか治まらない……』

「なっ!?」


 痛いと泣いたリディアの顔が思い浮かび、思わず拳に力が入った。

 ずっと痛みが積み重なって辛いのに、全て向こうの都合で奪い取られ、束の間の休息さえ許されていなかったのか……


「くそ……っ」

『ありがとう……』

「は?」


 怒りのあまり、ついよくない声が出た。

 しかし、なぜかそんな俺に、フィーネは礼を言う。


『プリンセスを連れ戻してくれて、本当にありがとう。せっかく世界を渡ってまで抜け出したのに、またあんな場所に閉じ込められ続けているなんて、辛すぎるから……』


 こいつはいつも、リディアのことであれば素直に礼を言うようだ。

 それだけ、リディアのことだけは、本当に大切に思っている、ということだろう。


「リディアは、これからは成長できるのか?」

『あの部屋を出たから、ちゃんと大きくなるとは思う、けど……』

「けど、なんだ?」

『魔力と同じ。ここはプリンセスの世界ではないから、通常よりは時間がかかると思う』

「まさか、数十年単位とか言わないだろうな……」

『さぁ、私も世界を渡った子どもの知り合いなんて居ないから、なんとも……』


 どうやら、大人の女性の姿に成長したリディアが見れるのは、だいぶ先になりそうだ。


「困ったな……」

『何が?中身はちゃんと成長してるわよ?』

「まぁ、いろいろと、な……」


 俺は誤魔化すように、書類に手を伸ばす。

 その態度が気に障ったのか、話が終わったのなら、とフィーネは精霊石の中へ戻ってしまった。




 ルイスが再び部屋を訪れたのは、積み上げられた書類が三分の一ほど片付いた頃だった。

 俺の仕事の進み具合を確認しに来たかと思ったのだが、残念ながらそうではなかった。


「旦那様、皇太子殿下が……」

「ああ。報告がまだだったか。後日報告に行くと……」

「後日じゃ、遅いんだよねぇ」


 ひょっこりとルイスの後ろから現れたアレクを見て、頭が痛くなったような気がして額を押さえた。


「皇太子って、そんなに暇だったか?」

「そんなわけないだろっ!これは至急確認が必要な案件だから、俺がわざわざ出向いてるの!」


 心外だ、と言わんばかりの表情でそう言うと、アレクはそのままずかずかと部屋の中へ入ってきた。

 入室を許可したつもりはないが、忙しい中わざわざ来たらしい皇太子を追い出すのも、あまりよくはないだろう。


「へっ?リディア嬢!?」


 リディアの姿は死角になって、見えていなかったようだ。

 近くまで来て、ようやくおれにしがみつくようにして眠っているリディアに気づき、アレクは驚きを顕わにした。


「ナニコレ、どういう状況?」

「まぁ、いろいろあってな……」

「ふーん、まぁ、いいや」


 そう言うと、ベッド付近にルイスが用意した椅子に、アレクはどかっと腰をおろす。


「心配したんだよ、別荘から暗くなっても2人が戻らないって連絡あってさー」

「ああ、それは悪かったな。実は……」

「まぁ、先にルイスから報告は来てたんだけど」

「おい」


 つまり、別荘から連絡があったのは、ルイスが俺達が家にいるという報告をした後だということで。

 居場所を知っているのだから、特に心配も何もなかったはずである。


「ま、それはいいとして、魔獣は倒せた、でいいの?」

「ああ、おそらく、は……」


 倒せていたはず、だ。

 だが、俺も正直あの時は意識が朦朧としていて記憶が曖昧で、正直あまり自信はない。

 確実に状況を把握していたはずのリディアは、現在夢の中である。


「ジークが倒した、でいいんだよね?怪我はしてるみたいだけど」

「残念ながら、俺ではない」

「えっ!?まさかリディア嬢っ!?」

「馬鹿、でかい声を出すな」


 リディアが、ん、と小さく声を出し、もぞもぞと動きはじめた。

 アレクの声の所為で、起きてしまったのではないか、と心配になる。


「俺としては、リディア嬢の話も聞きたいんだけどな……」


 そう言って、リディアに触れようと手を伸ばすので、パシンとその手を叩き落とす。


「いってーっ!」

「だから、声がでかいと……っ」

「んんっ」


 リディアがまた動き出し、思わず息をひそめたものの、リディアの瞼はゆっくりと上がり、目を覚ましてしまったようだ。


「あ~リディアちゃん、起きちゃった?ごめんねー」

「え……?」


 むしろわざと起こしたのではないか、と怒鳴りたくなるのを必死に耐えた。

 リディアはぱちぱちと数回瞬きをした後、ようやくアレクを認識したらしい。

 慌てて起き上がろうとしたが、眩暈をおこしたのか、そのままぐらりと身体が傾いた。


「危ないっ」


 慌ててリディアの身体を抱え込み、自分の方へと凭れ掛からせることでなんとかその身体を支える。


「具合、悪そうだね」

「い、いえ、大丈夫です」

「無理しないで、横になったままでいいから」


 そう言うとアレクは俺の方を見た。

 寝かせてやれ、ということなのだろうと思い、リディアをベッドに寝かせる。

 そしてリディアが起きたことで拘束するものが何もなくなったので、俺はベッドから出ようとしたのだが……


「いいよ、ジークもそのままで」

「いや、俺は……」

「大丈夫、大丈夫、ね?」


 ね、とアレクが見たのは俺ではなく、リディアだった。

 なるほど、俺が離れようとしていることで、リディアが不安そうにしていることにいち早く気づいたらしい。

 結局俺はベッドから出ることなく、そのまま話をすることになった。

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