第40話 帰還


 リディアが眠ると、すぐに場面が移り変わった。

 しかし、変わってもやはり、白い部屋の中であることは変わらなかった。


「痛い、痛い、痛いっ、お願い、もうやめて、許して……っ」

「リディアっ!?」


 先ほどよりもずっと悲痛な声が届いて、振り返った。

 すると、前の場面とは異なり、大の大人が3人がかりでリディアを取り囲み、魔力を奪っている。

 リディアは先ほど見た時よりも、ずっと痛そうにしているが、大人たちが手を緩めるようなことは決してない。


「助けて、痛いの、お願いっ」

「うるさい、これくらいで喚くなっ」

「痛い、痛い……っ」

「黙れっ!」


 痛みのためか、リディアからは涙がぽろぽろと流れている。

 このくらい、と言ってるが、この大人たちはリディアがどれほどの痛みに耐えて涙しているのか、果たして知っているのだろうか。

 非情な大人たちはリディアの訴えには耳を貸さず、奪うだけ奪って去って行く。

 ようやく解放されたリディアは、ぜいぜいと息を吐きながら呼吸を整えようとしている。

 その顔が少し上げられた時、リディアの表情が顔面蒼白となり、慌てて俺はその視線を追った。


「待って、まだ痛みが……っ、お願い、少しだけ」

「うるさい、時間がないんだ」

「きゃあっ、痛い痛いっ、お願い、ちょっとだけ……っ」

「時間がないと、言っているだろうっ!!」


 おそらくまだ前の痛みが続いている。

 その状態で次に現れた2人組に、今度は魔力を奪われていた。


「嫌っ、痛いっ、助けて……っ」


 その声が、夢に魘されていた時のリディアの声と重なるような気がした。

 すぐにでも2人組を撥ね除け、助けてやりたいと思ったが、俺が干渉できるのはあくまでリディアだけだ。

 見ていることしかできないのが、ただただ悔しい。

 しばらくリディアの悲鳴が響いた後、ようやく男たちが離れていき、リディアはまた必死に息を整えている。

 落ち着かせてやりたくてリディアに近づくと、顔を上げたリディアが、怯えたようにこちらを見た。


「もう、いや……っ、お願い……っ」


 ぽろぽろと涙を流すリディアを、慌てて抱きしめた。


「痛いの、お願い、少しでいいから、休ませて……」

「大丈夫だ、リディア。俺はおまえから、魔力を奪いに来たわけじゃない」


 カタカタと身体を震わせるリディアが少しでも落ち着くように、ゆっくりと背中を撫でてやる。


「大丈夫だ、もう、大丈夫だから」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「謝らなくていい、おまえは何も悪いことはしていない」


 そう言えば、リディアは大声をあげてわんわんと泣き出した。

 リディアが泣く姿は何度か見たけれど、こんな風に声をあげて子どものように泣きわめいたのを見たのははじめてだ。


「どこが痛い?」

「体中痛いの、ずっと……っ」


 ひくひくと声をあげながら、リディアが訴える。

 俺は少しでも痛みがおさまれば、と手足や背中などをさすってみた。

 すると、リディアはまた、わんわんと声をあげて泣きじゃくる。

 よほど辛かったのだろう。


「リディア、俺を信じてくれないか?」

「え?」

「リディアが俺を信じてくれたら、ここから出してやれるし、もう痛い思いもさせずに済む」

「でも……」


 リディアが真っ先に気にしたのは、鎖の存在だった。

 これほどまでに苦しめられても、街を吹き飛ばしてまで鎖を断ち切るという選択はリディアにはないようだ。


「リディアが俺を信じてくれれば、俺がこの鎖を壊しても、何も起きない」


 実際にリディアが閉じ込められていただろう部屋では、おそらくそうはいかないだろうが。

 ここは所詮リディアの精神の中だ、リディアがそう信じさえすれば何も起きないはずだ。


「ほん、とう……?」

「ああ。信じて、くれるか?」

「いいよ、あなただけだったから。ここで、私を抱きしめてくれた人」

「ありがとう」


 俺は信じてくれたリディアに礼を告げ、まずは右手の鎖を壊した。


「どうだ?何か起きたか?」


 そう問えば、リディアはふるふると左右に首を振った。


「なら、残りもさっさと壊してしまおう」


 そうして、左手、右足、左足、と鎖を壊せば、鎖は全て消え去りリディアは自由になった。


「これで、どこへでも好きなところに行ける」


 そう告げると、リディアはどこかへ行こうとはせず、ただぎゅっと俺にしがみついて来た。

 どうやら、ここにいるリディアはかなり俺に懐いてくれたようである。


「リディア・フォルティエ・エルロード」

「エル、ロード……?」

「ああ、それが今のおまえの名前だ。そして、今のおまえの居場所はここではない」


 だから帰ろう、そう声をかけ、俺はリディアを抱えたまま立ち上がった。


「あなたは……?あなたの、名前は……?」

「俺は、ジークベルト・アルロ・シュヴァルツだ」

「ジーク、様……?」

「ああ」


 俺を呼んだリディアは、俺がよく知っているリディアだった。

 同時に、パリンと音をたてて、白い部屋が砕け散った。


「もう、大丈夫だな」

「はい」


 ああ、いつものリディアだ、そう思うと同時に意識が急激に引っ張られるような感覚を覚えた。






「旦那様っ!!」


 目をあけるや否や、ルイスがすぐに声をかけてきた。

 どうやら、俺の意識はちゃんと戻ってこれたようである。


「リディアは?」


 ルイスに問いかけつつ、リディアの方を見たが、まだ目覚めてはいなかった。

 しかしリディアとしっかりと繋がれた自身の手が目に入り、またゆるくだがリディアの手が俺の手を握り返すのを感じた。


「リディア?」

「ジーク、様……」


 名を呼べば、ゆっくりとだがリディアの瞳が光を取り戻し、俺の方をしっかりと見た。

 大丈夫そうだ、と安堵の息を吐きかけた時、リディアの身体がふらりと揺れる。


「危ないっ」


 慌てて立ち上がり、リディアの身体を支え、ゆっくりとその身体をベッドへと横たえた。

 今度こそ大丈夫だろう、と息を吐き出した時、今度は自身の視界がくらりと揺れるのを感じた。

 まずいな、と思っているとルイスがすぐに俺を支え、先ほどまで座っていた椅子まで導いてくれる。


「すまない、さすがに無理しすぎたみたいだ」


 リディアが、どこか不安そうに瞳を揺らしながら俺を見ているのを感じた。

 まだ、夢と現実の境目が曖昧なのかもしれない、少しぼんやりとしているような気もする。

 そして、視界の端には、よかったと泣きじゃくるミアも見えた。

 泣き止んでおけ、と言っておいたのに、結局は泣いているようだ。

 フィーネの姿は見えないから、精霊石の中へと戻ってしまったのだろう。


「ルイス、あれからどれくらい経った?」

「1時間程でございます」


 思ったより、時間はかからなかったみたいだな、などと思っているとまた視界がぶれ、思わず額に手をあてる。


「旦那様、少しお休みになられてください」

「ああ、すまない、そうさせてもらう」


 さすがに、身体がきついみたいだ。

 できればもう少しリディアについていてやりたいが、無理そうなので一旦ミアとルイスに任せて少し休んでこよう。

 そう思って立ち上がろうとしたのだが、なぜかそれを遮るかのように服が引っ張られるような感覚を覚えた。


「リディア……?」


 非常に弱々しい力で、リディアが俺の服の袖を握っていた。

 簡単に振りほどけるほどの、とても弱い力だったが、俺は振りほどく気にはなれず、座りなおした。

 それから、服を掴むリディアの手に触れると、少しだけリディアが震えているのがわかった。


「あ……ごめん、なさい……」


 俺の手が触れたことで、おそらくはじめてリディアは自身の手が俺の服を掴んでいたことに気づいたようだ。

 リディアは慌てて手を放した。

 だが、瞳は不安そうに揺れ、身体も震えている。

 ようやく目が覚めたとはいえ、まだ不安や恐怖が消えたわけではなさそうだ。


「大丈夫だ、おまえが眠るまでここにいる」


 震える手を、安心させるようにぎゅっと握った。


「旦那様、ですが……」

「あと少しだけなら、問題はない」


 また少し、視界がぶれるような感覚があった。

 だからこそ、ルイスが俺を心配しているのもよくわかる。

 けれど、今、震えているリディアから、離れてしまってはいけない気がした。


「お嬢様」

「なぁに?」


 軽くため息をついたルイスが、リディアに声をかけた。

 すると返って来た言葉は、夢の中のリディア同様にどこか幼く感じる喋り方だった。

 ルイスは少しだけ目を見開き、驚いた様子だったが、すぐに何事もなかったように穏やかな表情を浮かべる。


「お嬢様も、旦那様も、今は休息が必要です」

「ルイスっ!」


 俺を部屋へ戻し休ませるために声をかけているのだと思い、止めさせようとルイスに声をかけるが、ルイスは止める気がなさそうである。


「ですので、旦那様とご一緒にお休みになるのはいかがでしょう?」

「おい、ルイス、何を……」

「一緒……?」

「はい。お嬢様は、旦那様と一緒はお嫌ですか?」

「ううん、嫌じゃない」


 俺の意思はしっかり無視して、ルイスはリディアと話を進めていく。

 どうやら、俺がリディアの傍を離れる気がないなら、2人まとめて休めるようにすればいいというのが、この優秀な執事が考え出した策のようだ。


「では、旦那様のお部屋移動しましょう。ここよりも、ベッドが広うございますから」

「うん、いいよ」


 俺は全く了承の意を示した覚えはないが、リディアはあっさりと了承した。

 どうやらそれにより、俺の部屋で2人で寝ることは確定のようである。

 やはりまだ、夢と現実の境目が曖昧なのではないだろうか。

 普段のリディアなら、そんなことは恐れ多いと首を振りそうな気がするのだが。


「はぁ……」


 仕方がないな、とリディアを抱き上げる。

 突然身体が浮いたことに驚いたのか、わぁ、とリディアから声があがった。


「旦那様、お嬢様は私が……」

「いや、いい」


 正直、抱き上げた瞬間、傷口が痛んだ。

 だが同時にリディアがぎゅっと俺の服を掴んだのを見ると、他の人間に任せる気にはなれなかった。

 リディアは何かに怯えるように、今も身体を震わせている。


「大丈夫だ、リディア。ここではもう、あんな思いはさせない」


 少しでも安心させられるように、俺は何度も大丈夫だと声をかけながらリディアを隣の自室まで運んだ。




 リディアをベッドに寝かせ、その隣に潜り込めば、無意識なのかうとうととしているリディアがぎゅっとしがみついてくる。

 それを見たルイスが、くすくすと笑った。


「この状況で、眠れと?」

「大丈夫ですよ、旦那様はかなりお疲れのご様子ですから、すぐにお休みになれます」


 ルイスはにこにこと笑いながらそう言った。

 確かに、先ほどの魔法で魔力もかなり消耗した。

 元々体調が万全でなかったこともあり、体中が疲労を訴えているような感覚はある。


「うぅ、いや……っ」


 リディアは浅い眠りの中にいるのか、ぎゅっと俺の服を握りしめ、カタカタと身体を震わせはじめた。

 閉じられた目から、ぽろぽろと涙も流れている。


「大丈夫だリディア、大丈夫」


 自分の方に抱き寄せるようにして、ゆっくりと頭と撫でてやると、少し落ち着いたようで、リディアはそのまますやすやと眠り込んだようだった。


「今のお嬢様は、旦那様がお傍にいないとご不安なようでしたので」

「そう、みたいだな」


 手を放した時の、不安そうな瞳を思い出す。

 この様子であれば、眠るまで傍にいたとしても、その後離れてしまえば、リディアはまた不安に襲われたかもしれない。

 そう考えると、少し悔しいがルイスの判断は的確だった。


「精神に介入した所為、なんだろうな」


 俺に触れることで、どうやら多少は安心を得ることができているようだ。


「ルイス、あとは頼んだ」

「かしこまりました」


 ルイスの言う通り、すやすやと眠るリディアを眺めているとすぐに眠気が襲ってきた。

 俺はあとのことは全てルイスに任せ、その眠気に身を委ねることにした。

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