第39話 心の中へ
「これはいったい、どういうことだ……?」
目の前には、完全に光を失ったような瞳をしたリディアがいる。
話しかけても何の反応もなく、眠っているのか起きているのかさえわからない状態で、ベッドに座って、いや座らされている。
「お嬢様の悲鳴が聞こえて、駆けつけた時にはすでにこの状態で……」
昨日からずっとこの状態なのだ、とミアはずっと泣き続けている。
「リディア、しっかりしろっ」
声をかけても、身体を揺さぶっても、リディアはなんの反応も示さない。
まるで、人形のようだった。
「医者には?」
「はい、ちょうど旦那様の怪我の治療のために手配していましたので、一緒に診ていただいたのですが……その、何か精神的なショックがあったのだろう、としか……」
特別何か治療を受けたりはできていない、ということだろう。
こんな時に、怪我でほぼ1日眠り込んでしまっていたらしい自分が腹立たしい。
今回も、結局はリディアに助けられたというのに。
「おい、フィーネ、そこにいるんだろう。出て来い」
『……私に命令できるのは、プリンセスだけなんだけど』
心底不快だと言わんばかりの表情で、それでもフィーネは姿を現わした。
「おまえはその場にいたんだろう、リディアに何があった?」
『ずっと不思議だった。たった10歳の少女が到底耐えられるような状態じゃなかったのに、プリンセスは5年も耐えた。5年後に希望があったとしても、やっぱりあんな状況、耐えられるはずがなかった……』
「何の話だ?」
問いかけに対する答えにしては、内容が随分とずれている気がする。
『ずっと、守られていたの、プリンセスは』
「あの、使い魔のことか?」
『そう、あの馬鹿みたいに強い魔術師の帝王が守ってたのは、プリンセスの心だった。きっと自分が死ねば、何かしら辛い状況下に置かれると、きっとそう思ったから』
「リディアの父親か、元の世界の」
普通にリディアの父と言えばよいものを、フィーネは恨みでもあるかのように随分と棘のある言い方でリディアの父親を表した。
それでも、父親が本当にリディアを大切にしていたのだということはわかる。
『そう、だからあんな状況でも、プリンセスは耐えられた。けれど守ってくれていたものが消えてしまったから、心が壊れてしまった……』
「今は、もう、そんなに辛い状況ではないだろう?」
確かに、恐ろしい魔獣に遭遇し、俺と共に死にかけて随分と怖い思いをさせたかもしれないが。
なんとか無事に帰ってはこれたのだ、心が壊れるほどではない、と信じたい。
『あれは、記憶だけでも、とても辛いから。今もプリンセスが魘される夢も、おそらくはあの時の記憶だから』
いつも苦しそうに魘されていたリディアが思い出される。
最近は眠気の強さが勝つためか、あまり夢など見てはいないようだったが。
「どうすれば、元に戻せる?」
『心の問題だから、わからない……』
精霊の専門外だったようで、フィーネはただ力なく首を振った。
『きっとプリンセスは心のどこかでずっと恐れてた、前と同じことがまた起きるのを。もうあの世界に戻ることはないって、わかってるはずなのに……』
「その不安が夢に出ていたのか……」
もっと早く、内容を聞いてやるべきだった。
ずっと抱えていた恐怖が、あの使い魔がいなくなったことで一気に溢れだし、耐えられなくなって心の中に閉じこもった、ということなのかもしれない。
だが、何に怯えているかわからない状態では、どうするべきかさえわからない。
「リディアの精神に介入する」
「……っ!?旦那様、それは危険すぎます」
「だが、他に方法がない。内側からなら、リディアを目覚めさせられるかもしれない」
目覚めさせる、という表現が正しいのかもわからない。
リディアは今眠っているのか、起きているのかさえわからないのだから。
『できるの……?』
「ああ。夢や精神、つまり人間の内側に干渉することで、敵の情報を探ったりするのに使う魔法がある。それを使えば、リディアの精神に介入できるはずだ」
『そういう魔法は、リスクがかなり高いはずだけど……』
「そうです、旦那様。危険すぎます。せめてもう少し、回復されてから……」
ルイスが必死に止めようとしている。
その理由も、よく理解はしている。
「上手くいかなければ、リディアとともにリディアの精神の中で眠り続ける可能性もある。場合によっては、俺だけリディアの精神の中に取り残される可能性もある」
「ですから、せめて回復をされてから……っ」
「そんな悠長なことを言っている場合ではないっ!」
リスクの高い魔法だからこそ、少しでも万全な状態で使うべきだというルイスの主張は正しい。
今の俺は昨日の魔獣との戦いで、大量に消費した魔力はまだ完全に回復しきっていない、怪我も治りきっていないし、体調も正直なところ万全とは程遠い。
「大丈夫だ。必ずリディアと戻ってくる。ただし、戻るのに時間がかかる可能性がある。その間、邸のことはおまえに任せるぞ、ルイス」
すぐに終わることもあれば、長く戻れないこともある。
こればっかりは、やってみないとわからない。
ルイスはしばし無言だった、それでも俺が譲る気はないというのを理解したようで、お待ちしております、と頭を下げた。
『必ず、プリンセスと戻ってきて』
「意外だな、リディアさえ戻ってくれば、満足するかと思ったが」
『そんなことしたら、プリンセスが自分を責めるだけ。だからそんなの、絶対許さない』
あくまでリディアのためであるが、それでもフィーネも俺が戻ることを望んでくれているようだ。
精霊に応援されるというのは、なかなかに心強いかもしれない。
さて、行くか、と思ったところで、ひたすら泣きじゃくっているミアが目に入る。
「ミア、リディアが戻るまでに、泣き止んでおけ」
「は、はいっ」
きっとリディアはミアの泣き顔なんて見たくないだろうから、とミアにそう告げ、俺はリディアの精神に入るための魔法を使った。
「ここは……」
無事、介入できたのだろうか。
気づけばあたり一面真っ白な、白い部屋の中にいた。
「あなたも、魔力を取りに来たの?」
「は?」
声の方を振り返れば、リディアがいる。
見た目は俺の知るリディアの姿とあまり大差はないが、魔力量が桁違いだった。
なるほど、幼い少女がこれだけ魔力を持っていれば、人々に恐れられもするかもしれない。
そしてそんなリディアは、なぜか真っ白な服を着せられ、手足が全て鎖に繋がれている。
だが、鎖は非常に長く、この部屋の中であれば自由に歩き回れそうだった。
「早く持っていかないと、次の人来ちゃうよ?」
喋り方はどことなく、今よりも幼い気がする。
だが、魔力を取りに来たとはいったい……
「ほら、次の人、来ちゃった」
俺が考えていると、リディアがそう言ってある方向を指差した。
すると、そこには1人の男がいて、リディアへと近づいていく。
ここはリディアの精神の中なので、所詮リディアによって作り出されたにすぎない、リディアの精神の中の他の人間が俺に気づくことは当然ない。
逆に俺も、そいつらにまで干渉することは不可能だ。
「ほら、さっさとよこせ」
男はそう言うと、リディアに手をかざす。
「うっ、痛い……っ」
「うるさい、おとなしくしろっ!」
急に痛みを訴えたリディアに対し、男は心配するどころか怒鳴りつけた。
リディアは慌てて口を閉じ、声を出さないようにしながら必死に痛みに耐えているようだ。
すると、リディアから徐々に魔力が抜け、男の方へと移っていく。
「まさか、無理矢理魔力を奪っているのか……」
リディアが自分から男に魔力を供給しているのではなく、男の方が吸い取るようにして魔力を奪っている。
その所為なのか、リディアには痛みが生じているようだ。
「これくらいあればいいだろう」
男はそう言うと、リディアを心配する様子もなく、すぐに去っていった。
「大丈夫か?」
「あなたはやらないの?そのために来たんでしょう?」
「いや、俺は……」
違う、と言う前に次の男が来て、またリディアが痛みを訴える。
けれども、その男もリディアを心配する様子は全くなく、魔力を奪ってさっさと立ち去ってしまった。
すると、また、別の男が現れた。
「だいぶ減ったな。これ以上少なくなると、回復が遅れそうだ。今日はここまでにしよう」
男はリディアの顎を持ち上げ、じろじろとリディアを見た後そう言った。
「ほら、今日の食事だ」
男はそう言うと、顎を持ち上げたままのリディアの口に、四角い何かを突っ込んだ。
リディアはそれを機械のようにただ咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。
それを見届けると、その男もまたあっさりとこの場を立ち去った。
「ああ言ってたけど、あと1人くらいなら、持っていっても大丈夫だよ?」
魔力を差し出すかのように、リディアが両手を突き出した。
だが、俺はその気はない、と首を振る。
「いらないの?」
「ああ、必要ない」
「そっか」
リディアはそう言うと、疲れたように壁に凭れ掛かり、ふぅっと息を吐いた。
「さっきのは何だ?」
「さっきの?なんのこと?」
「あの男がおまえの口に入れていただろう」
「あれは、今日の食事だよ。あれで1日に必要な栄養とか、全部取れるんだって。だから病気にならないって」
便利でしょう、とリディアはなんでもないことのように言う。
だが、そうだな、と同意する気には当然なれない。
「たった、あれだけで?」
「うん」
「食事は1日に1回、なのか?」
「うん、それで大丈夫なように、できてるから……」
こちらに来たばかりのリディアが、温かいとおいしいと言った意味をやっと理解したような気がした。
味がどうでもよかったわけではない、ただ、温かい食事がリディアにとってはものすごく貴重なものだったのだ。
「あれ、美味いのか?」
「味はよくわかんない。栄養が足りなくならないことが、大事みたいだから」
予想はしていたが、特に美味しいものでもなさそうだ。
「なぜ、ずっとこんなところにいるんだ?」
「だって、ほら、これ……」
リディアがじゃらりと繋がれた鎖を見せる。
「そんなもの、壊してしまえばいいだろう」
これほどの魔力を持っているのだから、容易いはずだ。
なのに、おとなしくこんなところに居続けるなんて、おかしい。
「右手の鎖は西の都」
「は?」
「左手は、東の商業地区。右足と左足も、それぞれこの国の主要都市に繋がってるの」
「それはどういう……」
「私が鎖を壊したら、繋がってる街が私の魔力で吹き飛ぶようにできてる」
「な……っ!?だから壊すなと、脅されたのか!?」
「ううん、誰も何も言わなかったよ。でも、この鎖に繋がれた時に、すぐにわかったから」
脅して従わせる方が、まだましだと思った。
この状況ならリディアが抵抗などしないとわかった上で、わざわざこんな鎖を用意しリディアの意思でここに留まらせようとしている。
リディアの善意を利用するやり方が、あまりにも卑劣で怒りを覚えずにはいられない。
「お父様が言ってたの。私の魔力は人よりたくさんあるからこそ、人を傷つけるために使っちゃいけないって。いつも、誰かのためになることに使いなさいって」
知っている、リディアはそうしていつだって自分を犠牲にしてでも誰かを助けるために魔法を使ってきた。
だが、この場所にはそんなリディアを利用する卑劣な大人しかいない。
「魔力を奪われる時、すごく痛いの。最初はね、私からみんなに魔力を渡してたんだけど、それだと時間がかかって効率が悪いんだって。だから仕方ないの。みんな誰かの役に立てるために、魔力が必要だから」
どんなことに利用されているか、おそらく詳細など知らされてはいないだろうに。
それでもどこかで自分の力が役に立っていると信じて、耐えていたのか……
そう思うと居てもたってもいられず、俺はぎゅっとリディアを抱きしめた。
「あったかい」
リディアはそう言うと、俺にすり寄るように身体を預けてきた。
この辺は俺の知るリディアと、少し反応が違った。
「あのね、5年待てば、ここから出られるかもしれないんだよ」
「5年?」
「うん、フィーネが言ってたの。今はね、私の魔力が完全に回復しないように、ある程度回復したらすぐに持っていかれちゃうんだけど……」
「そんなことまで……」
リディアが完全に回復したらおそらくは誰も敵わない、それが恐ろしいから、そうならないためにリディアの魔力量を常に調整していたのか……
どこまでも卑劣な大人しか、ここにはいないようだ。
「でもね、魔力の強い人間の5年ごとの誕生日は特別なんだって」
「そう、なのか……?」
「うん、フィーネが教えてくれたから、間違いないよ。その時はね、今よりずっと魔力が強くなるって!しかもその日は新月なのっ!!」
リディアは嬉しそうにそう言った。
「新月だといいのか?」
「うん、私はね、ちょっと変わってて、新月の方が魔力が強くなるからっ!」
確かに変わっている。
たいていの人間は、満月の方が力が強くなるはずだ。
「だから、その時なら、きっとここから出られるってフィーネが言ってたの。だから、5年だけここでがんばればいいんだよ」
リディアはそう言って笑ったが、とてもそうか良かったな、なんて言える状態ではない。
フィーネの言う通り、5年後に希望があるとしても、この状況は10歳の少女にはあまりにも酷だ。
「眠いのか?」
リディアは俺に抱かれたまま、うとうととしはじめた。
そう言えば、さっきも少し疲れた様子だった。
魔力を奪われるという経験はさすがにないからわからないが、結構疲れるものなのかもしれない。
「おかしいな、今日はあったかいからかな、すごく眠い……」
いつもはそんなことないのに、と言いながら、徐々に眠りに誘われているようだ。
「ゆっくり眠るといい」
せめて、眠っている時くらい、穏やかな時を過ごしてほしい。
そう思いながら、あやすように背中をぽんぽんと叩くと、リディアの瞼が徐々に落ちていく。
そして目が閉じ切る直前、一筋の涙がリディアから零れ落ちた。
笑っていてもやはり辛いんだな、そう思うとリディアを抱く腕に、自然と力がこもった。
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