第38話 父の最後の魔法
「これより先には、絶対進むなよ」
まるで幼い子どもに言い聞かせるかのようにそう言うと、ジーク様はそこからお1人で魔獣の前へと飛び出してしまわれた。
おそらくここから感じた気配で、ジーク様も倒すことが非常に困難であると感じられたはずなのに。
あれを倒せるのは、私の知る限り、元の世界での私かお父様くらいの魔術師だけだ。
それでも、どう考えても無理だと思うのに、必ず倒すと仰ったジーク様のお言葉を信じたいと思う自分もいる。
もしかしたら、ジーク様なら本当に倒せるかもしれない、そんな希望を持って見守った。
けれど、そんな希望は、すぐに打ち砕かれることになった。
「ジーク様っ」
「そこを、動くな……っ」
思わず飛び出しそうになった私に、息も絶え絶えなジーク様の声が届く。
それは、あまりにも一方的な光景だった。
ジーク様はあらゆる攻撃を放ったけれど、何一つとして目の前の魔獣に通用することはなく、ただただジーク様の魔力と体力が削られていくだけだった。
そしてそのせいで、いくつか魔獣の攻撃を避けきれなかったため、ジーク様は満身創痍だ。
このままだと一方的に削られていくだけなのに、それでもジーク様は決して逃げようとはなさらない。
「どうしよう……」
私にはこの状況を打開するような魔法は、何も使えない。
かつては人々が恐れ疎ましく思うほど強すぎる魔力を持っていたというのに、肝心な時には何の役にも立てない。
お父様は、人より強い力を持って生まれたからこそ、人を助けるためにその力を使うようにといつも言っていたのに。
「リディアっ、逃げろ……っ」
苦しげなジーク様の声が、また聞こえる。
「時は稼ぐ、だから、早く……っ」
「できません、そんなことっ」
「言うことをきけっ!!」
ジーク様はなんとか魔獣の攻撃を避けながら、私を怒鳴りつける。
けれど、ジーク様を囮にして1人逃げるようなこと、できるわけない。
何か方法はないか、必死に考えるけれど何も浮かばないのがもどかしい。
「あ……」
ふと、剣をくれた時のお父様が浮かんだ。
――リディアが望めば、剣以外の武器にもなるんだぞ
剣を渡してくれた時、お父様は確かにそう言った。
剣以外の武器なんて扱えないから、あまり気にしていなかったけれど。
私は右手から剣を出す、そして弓に変わるよう願ってみると、見事に弓矢へと姿が変わった。
武器だけでは到底目の前の魔獣は倒せない、それはよくわかっている。
それに弓矢は小さい頃ほんの少しだけ触ったことがあるが、的にちゃんと命中したことなんてほとんどなかった。
ただ、相手は動くとはいえ、的なんかよりもかなり大きな魔獣だ。
倒せなくていい、命中しなくていい、少しでも魔獣の意識を逸らすことができれば、ジーク様がその間に逃げられるかもしれない。
ジーク様がご無事なら、それ以上は望まない、だからどうか上手くいくように、そう願って私は弓をかまえた。
「お願い、どうか……」
ひゅっと音を立てて飛び出した矢は、魔獣のすぐ傍をかすめるように飛んだ。
そのおかげで、ずっとジーク様を攻撃し続けていた魔獣がこちらを向く。
「リディア!?何を……っ」
「ジーク様、今のうちに逃げてくださいっ!」
ジーク様にそう叫んで、もう一発打ち込めば、魔獣はこちらへと向かってきた。
これで、私が逃げれば、魔獣はきっと私を追ってくる。
その間に、ジーク様なら逃げられるはずだ。
そう思って、私は駆けだした。
「馬鹿な事をするなっ」
慌てたようなジーク様の声が聞こえてくる。
でも、囮になるなら、怪我をしているジーク様より私の方がいいはずだ。
「私ならちゃんと逃げます、だから、ジーク様も……っ」
早く逃げて、と言おうとしたところで、足がもつれて転びそうになる。
自分が思っていたよりも、身体は上手く動いてはくれないみたいだ。
「くそっ」
ジーク様の吐き捨てるような声が聞こえて、目的を思い出してぐっと足に力をいれる。
この距離では弓は役に立たない、剣に戻せば少しは助けになってくれるかもしれない、と剣に戻してみた。
とにかく、私が遠くまで逃げて、魔獣を引き離さないと、ジーク様が安全に逃げられない。
そう思って必死に足を動かしたけれど、すぐに大きな黒い影に覆われるのを感じた。
もう、真後ろまで来ているみたいだ、そう思ったとき、なぜかそこにいるはずのないジーク様が私に覆いかぶさった。
同時にすごく嫌な音が響いて、ジーク様がそのまま私に倒れ込んでくる。
「ジーク様、どうして……」
「逃げろ、と、言った、だろう……」
私を庇って、ジーク様はまともに魔獣の攻撃を受けてしまった。
傷口から血がたくさん流れている。ジーク様がいらっしゃらなければ、おそらく私がまともに受けてしまっただろう攻撃だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
こんな怪我を、させたかったわけじゃなかったのに。
泣いている場合じゃないとわかっていても、涙を止められない。
「泣くのは、後だ」
ジーク様は痛みに耐えながら、身体を起こそうとされている。
それを支えようとすると、その向こうに迫ってくる魔獣が見えた。
「走れるな?」
それが、ジーク様をここに置いたまま、走って逃げろと言っているのだというのは、さすがの私でもわかった。
今のジーク様は、私の所為で、上手く起き上がることさえできていない。
とてもじゃないけれど、この場から逃げるなんて不可能だ。
私は必死に首を振った、私のせいで大怪我をしたジーク様を置いて行けるわけがない。
「おまえだけでも、逃げるんだ」
「嫌ですっ」
私はそう言うと、さっきジーク様が私にしてくれたように、今度は私がジーク様の前に出てジーク様に覆いかぶさった。
身体の小さい私では、ジーク様を守りきれないかもしれないけれど、今私にできることは、もうこれしか思いつかなかったから。
「馬鹿な事をしていないで、早くっ!」
息をするのさえ苦しそうなジーク様が、力をふり絞るように叫んだ。
けれど、幸か不幸か、怪我のせいで、私を押しのける力はないみたいだ。
そのままぎゅっと目を瞑って、魔獣の攻撃をじっと待った。
けれど、すぐに来ると思った次の攻撃は、なぜかなかなかやってこない。
「なんだ、これは……?」
代わりに、ジーク様の不思議そうな声が聞こえて、私はジーク様の視線を追った。
「う、そ……どう、して……」
そこには、魔獣の攻撃を防いで私たちを守る、黒い大きな鳥。
その鳥はものすごく見覚えがあって、ものすごく懐かしいものだった。
けれど、ここに居るはずなんて、ないのに……
「ずっと、私の中に、居たの……?」
恐る恐るそう問いかけると、大きな鳥が頷いた。
さっき、1人で逃げたりなんかしない、と覚悟を決めて止めたはずの涙が、また溢れだしてしまった。
「お父様……っ」
黒い鳥は、お父様の使い魔は、再度放たれた魔獣の攻撃をまた防いでくれた。
そして、くちばしから赤みを帯びた光を放つと、魔獣が一瞬で砕け散った。
お父様が生前よく使っていた、瘴気を砕く魔法と同じだった。
「あれを、知って、いるのか……?」
怪我で上手く動けないはずなのに、ジーク様は泣き出した私を心配するように涙を拭ってくれる。
「父の、使い魔です……」
私がそう言うと、魔獣を倒し終えたお父様の使い魔はすり寄るように私の傍に来た。
きっと、お父様が亡くなる直前、最後に魔法を使ったのだ、私を守るために。
お父様が亡くなってから5年もの間、こんなにも近くで守ってくれていたお父様の術に、私は全く気づいていなかった。
「まだ、魔法、使える?」
すり寄って来る使い魔の頭を撫でながら、そう問うと、使い魔はまた頷いてくれた。
「ジーク様を、安全なところに運びたいの。すぐに怪我の手当てができるところに」
そう言えば、使い魔はまた頷いた。
そして、私とジーク様は、白い光に包まれた。
「だ、旦那様っ!?お嬢様も!?これはいったい……」
光が消えて、目の前に最初に見えたのは、ルイスさんだった。
ルイスさんは突然現れた私たちにも、ジーク様の酷い怪我にも、そしておそらくこの大きな使い魔の存在にも、酷く驚いていらっしゃる。
「私のせいで、ジーク様が大怪我を……すぐに手当てをお願いします」
ジーク様は、安堵されたからなのか、意識が朦朧としていらっしゃる。
たくさん血を流されているし、すぐに手当てが必要だ。
「お嬢様は?」
「私は大丈夫です。ジーク様のおかげで、どこも怪我してません」
「ですが……」
「ジーク様を、お願いしますっ」
ルイスさんは何か言おうとしていたけれど、それよりも早くジーク様の手当てをして欲しくてそう言うと、ルイスさんはすぐにジーク様の止血をはじめてくれた。
同時に他の使用人の方々にも、適切に指示を出していらっしゃる。
後は、任せていて大丈夫そうだ。
そう思って、私はお父様の使い魔の方を振り返った。
「ねぇ、もうすぐ消えちゃうんでしょう?最後に、お話させて?」
私がここにいても、きっと何もできることはない。
だから使い魔にそう言えば、また白い光に包まれて、あっという間に私の部屋に移動した。
「これ、お父様の最後の魔法だったの?」
問えば頷きがすぐに返ってくる。
「それから、ずっと私の中に?」
また、頷きが返って来た。
私は思わず、お父様の使い魔に抱きついた。
「あんなに酷い怪我だったのに、最後にこんな魔法を使うなんて……っ」
持っている魔力をほぼ全て注ぎ込んだはずだ。
でなければ、使い魔がお父様と全く同じ魔法を使えるだなんて、ありえない。
私は元の世界を捨ててしまったのに、お父様はどんな思いで今まで私を守っていてくれたのだろう。
聞きたくても、もう、聞く事もできない。
「いやっ、行かないで……私を1人にしないで……っ」
使い魔の姿が、徐々に薄くなっていく。
この使い魔がいなくなれば、きっと私はダメになってしまう、本能的にそう感じた。
きっと、込めた魔力を使い切ったら、消えてしまう術だ。
あの魔獣を使い魔を使って倒すとなれば、いくらお父様であっても相当な魔力を必要とするはず。
それに、私を5年間ずっと守り続けてきてくれていたのであれば、もういつ消えたっておかしくはないのはわかっている。
それでも、消えてしまうのが怖くて、不安で、この先ひとりぼっちになってしまうような気がして、必死に使い魔にしがみついて泣きじゃくった。
使い魔はそんな私を慰めるように、私の頬にすり寄って、それから光の粒となって消えてしまった。
「いやぁぁぁっ」
私の中で、何かが砕け散ったような気がした。
同時に、真っ暗な闇が私を包み込んだ。
ああ、今度こそ本当に1人になったのだ、私はそう思った。
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