第37話 負けられない


 ジーク様のお邸にいる時とは違って、ずっと2人きりだったからだろうか。

 お食事中も宿に戻ってからも、この国についてジーク様からいろんなお話を聞くことができた。

 だから、寝てしまうなんてもったいなくて、ずっとお話を聞いていたかったのだけれど。

 悲しいかな、やっぱり眠気に勝てない私は、いつの間にか眠ってしまっていた。


「はぁ……」


 最後に見たお空は、まだ夕方くらいだったと思うのに、今はすっかり朝だった。

 お風呂に入ったあと、確かジーク様と座ってお話をしていたはずだから、きっと眠ってしまった私をこうしてベッドに寝かせてくれたのはジーク様だろう。

 そう思うと、ご迷惑ばかりかけていて非常に申し訳ない気持ちになった。






 ***


「すっかり眠っているな……」


 前日、馬に乗って走っている間、散々怖がっていたリディアはどこへやら。

 乗る時はそれでもあいかわらず怖がってはいたけれど、昨日よりも慣れたのか、今は馬上ですやすやと眠っている。

 昨日は眠気も忘れるほど恐怖が勝っていたようだが、少し慣れるだけで圧倒的に眠気が勝ってしまったようだ。

 だが、今日の方が昨日よりも移動距離が長いため、馬に乗っている時間も昨日より長くなる予定だ。

 その間ずっと怖がらせることになるかと危惧していたが、眠っていられるならよいことだ。


「馬を別々にしなくて、よかったな」


 リディアが1人で馬に乗っていたら、こんな風に移動中に眠ることはできなかっただろう。

 最も、俺と一緒に乗ったところで、馬上で眠るなど想定外のことだったけれど。


「最近、本当に眠そうだからな」


 決してその理由は話そうとはしないし、眠いと訴えることもないけれど。

 昨日も食事中もその後宿で話している時も、終始眠そうだった。


「絶対に落としたりしないから、眠れる時にしっかり寝ておけ」


 多少なりとも眠気が取れることを祈りつつ、俺は目的地へと馬を走らせた。




「うわぁ……」


 リディアは、目の前の邸とその周辺の景色に見惚れているようだ。

 さすが景色が自慢の皇家所有の別荘、といったところだろうか。

 昼食を取るために通りがかりの街に立ち寄った以外は、ほぼ走りっぱなしで、なんとか明るいうちにアレクが用意してくれたこの別荘にたどり着いた。

 本当は、昨日のうちにたどり着くことも十分可能ではあったのだが、リディアの怖がりようを見ているとあまり長時間馬に乗せているのも酷な気がして強行する気にはなれなかった。

 今日もあまりに怖がるようなら、途中の街でもう一泊、という案も考えてはいたのだが、昼食時に起こした以外はほぼ馬上ですやすやと眠ってくれていたおかげで気にせず馬を走らせることできた。


「眠気も吹き飛ぶほどの景観だったようで、何よりだ」

「ご、ごめんなさいっ、すっかり眠ってしまってて……」

「別にかまわない。ずっと怖がって震えているよりはいい」


 旅の疲れもあったのだろうし、気にすることはない。

 そう言ってリディアの頭をくしゃっと撫でてみたけれど、リディアはまだ気にしているようで浮かない顔をしている。

 俺としても怖がっている姿を見続けるよりはよかったのだがら、本当に全く気にする必要などないんだがな……


「とりあえず、今日はこのまま休んで、明日から魔獣の調査をする」

「は、はいっ、がんばりますっ!!」


 いや、むしろ頑張りすぎないでいて欲しいのだが。

 そう思ったけれど、せっかく表情がさっきよりよくなったので、それは言わないでおいた。






 ***


 皇太子殿下が用意してくれたのは、別荘だけではなかった。

 中にはたくさんの使用人の方がいらして、ジーク様のお邸にいた時みたいに、着替えを手伝ってくれたり、お風呂にも入れてくれたり、びっくりするほど至れり尽くせりだった。

 お食事も、とっても豪華なものをたくさん出していただいた。

 私はまさか使用人の方までいらっしゃると思わなくてびっくりしたのだけれど、別荘を管理するための人がいることは決して珍しいことでもないらしく、ジーク様はこの至れり尽くせりな状況も特に驚かれている様子はなかった。


「いいか、魔獣が現れたのがわかったら、すぐに離れて安全なところへ行けよ」


 もう、何度目になるだろうか……

 今日のジーク様は騎士団の正装に身を包んでいらっしゃるそうで、いつもと違うお姿が一段とかっこよく見えた。

 別荘に着いた翌日、私たちは魔獣が出たと報告のあった場所に向かうことになった。

 騎士団の正装は魔力を込めて作られているそうで、下手な鎧を身に纏うよりも防御力がずっと高く、さらに軽くて動きやすいのだそうだ。

 そんな説明をしながら、馬に乗ってはいけないというちょっと険しい山道を、ジーク様は私の手を引きながら進んでくださっている。

 いつもと違うジーク様にドキドキしてどこか落ち着かない私に、ジーク様は私が何度頷こうとも同じようなことばかりをおっしゃっている。


「そういえば、剣は出せるのか?」

「え?」


 突然の意外な質問に、ちょっとびっくりしてしまった。


「魔法、使えないんだろ?」


 そう言われて、ハッとした。

 魔法が使えないと、剣が出せないと思われているみたいだ。


「大丈夫です。あの剣を扱う条件は魔法が使えること、なんですが、剣の出し入れに魔力を使うわけではないので」


 魔法の扱いを理解していないと、剣を身体の中に仕舞ったり、そこから出したり、という仕組みを上手く扱うことはできない。

 けれど、その仕組み自体は剣を作る際に込められたお父様の魔力と、この剣と契約する際に私が剣に込めたわずかな魔力を動力源に、半永久的に使用可能となっている。


「ほう……俺達の剣とは随分仕組みが違うんだな。まぁ、剣が出せるなら何よりだが」


 そう言うと、ジーク様は手のひらサイズの小さな剣を見せてくれた。

 小さいのに細工がきれいな剣だな、とまじまじと見ていると剣が光り出して大きくなる。


「わぁ……」


 大きくなった剣をジーク様が腰に差すのを見て、はじめてジーク様が剣を持っていらっしゃらなかったことに気づいた。

 いつもと違う正装のお姿にドキドキしすぎて、ちゃんと見れていなかったみたいだ。


「これは魔力を使って大きさを変えているんだ」


 魔力が使えないと、大きくなった剣はずっと大きなままだし、小さくしてしまった剣はずっと小さいままなのだそう。

 基本的に魔法を使うための剣であるため、魔法が使えなければ使うこともあまりないのだそうだけれど。


「何かあれば剣も使って、とにかく安全を確保しろ。魔獣には剣だけでは対抗できないが、逃げる上では剣が役に立つこともあるだろう」

「は、はいっ」


 剣が出せるか聞いたのは、私が剣を持っていないことを心配されての事だったみたいだ。

 この状況で私の剣が何かの役に立つような想像は正直できていないけれど、でも使えそうな時は迷わず使おう、と思った。

 魔法を使わず剣だけを使うって、正直あまり経験がないからちょっとどきどきするけれど。

 そう思いながら歩みを進めていたのだけれど、私はものすごく嫌な気配を感じて思わず立ち止まった。

 私が止まったことで、ジーク様も立ち止まり、不思議そうにこちらを見ている。


「どうした?疲れたか?」

「い、いえ……」


 確かに険しい山道だったので、全く疲れていないと言えば嘘にはなるけれど。

 私が止まった理由は、それではなかった。

 前方にものすごく嫌な感じがする、本能的に進みたくないと思うほどの。

 おそらく、この先にいるのだと思う、私たちが探している魔獣が。


「ジーク様、戻りましょう」

「急にどうした?」

「この先は進んじゃダメです」


 恐ろしいほど大きな瘴気の塊の気配だ。

 そして、この魔獣、おそらくジーク様が全ての力を出し切っても、倒せない。

 これ以上進んで相手に気づかれる前に、逃げないと。


「ジーク様、早くっ」

「怖いのなら、1人で戻るといい」

「えっ?」

「おまえはまだ幼い。急に怖くなっても、おかしいことではない。来た道を戻れば、おそらく危険はないだろう。ここから先は俺1人で行くから……」

「だ、ダメですっ!」


 お一人で行くなんて、あまりにも危険だ。

 精鋭の騎士様たちが全滅したと言った、皇太子殿下のお言葉が思い浮かぶ。

 ジーク様も同様に、そう思うだけで震えが止まらない。


「大丈夫だ。ここまで来る間の道には、危険なものは特になかった。真っ直ぐ別荘に戻れば……」

「違うんですっ!」


 ジーク様は、私が1人で戻ることを不安がっているのだと、勘違いされているみたいだ。

 でも、私はそんなことを不安に思っているわけでも、恐れているわけでもない。


「この先に、行かないでください」


 ジーク様では倒せない、そう言ってしまうのは失礼かもしれない、傷つけてしまうかもしれない、そう思うと言えなかった。

 それでも、倒せないとわかっている以上、この先にジーク様を行かせたくない。

 私の手を引いてくださってるジーク様の手に、あいている方の手を添える。

 そして両手にぐっと力を入れて、ジーク様は元来た道の方へ引っ張ってみた。

 けれど、そこから動く気のないジーク様は、私の力なんかではびくともしない。


「お願いですっ」

「なぜ、ダメなんだ?」

「そ、それは……」


 言い淀む私を見て、ジーク様は私と目線をあわせるようにしゃがんでくださった。

 私を落ち着かせるように、優しく頭を撫でてくれる。


「何を怖がっているんだ?」


 そう問いかけてくださるジーク様の声は、とてもお優しい。

 でも、きっと、理由を聞かない限りは納得してくださらない。


「この先に、魔獣がいます。すごく、すごく、強い……」

「なるほどな。おまえは俺よりも感覚が鋭いんだな」


 ジーク様はそう言うと、私が示した方向を少しだけ見た。

 けれど、その先に魔獣がいるかどうかは魔力で探ってみても、もう少し近づかないとわからないみたいだ。


「わかった。この先は俺1人で行く。おまえは少しでも安全なところで……」

「ダメです、ジーク様……」


 すぐにでも駆け出してしまわれそうなジーク様の手を、両手で必死に握った。

 これ以上ジーク様が進んでしまわれないように。


「こんなことを言うと、すごく失礼かもしれないですが……」

「かまわない、言ってみろ」

「ジーク様では、この先にいる魔獣は、おそらく倒せないと思います……」

「そうか……」


 ジーク様は、なぜかふわりと笑った。


「ジーク、様……?」

「おまえの言いたいことはわかった。だが俺はこの国の騎士として、引くわけにはいかない」

「そんなっ!一旦戻って、他の方法を……っ」


 ジーク様が、私を落ち着かせるようにぽんぽんと私の頭を叩いた。

 それから、ふわりと抱きしめられる。


「悪いな、他の方法はないんだ」

「そんなこと……っ、戻って考えれば何か……!」


 必死にそう言ってみても、ジーク様はゆるく首を振られるだけだった。


「ここから先は想定していたよりも、随分と危険そうだ。ここでおまえだけ戻っても、誰もおまえを責めたりしない」

「い、いやです、ジーク様も一緒でないと……っ」

「魔獣を倒したら、俺もすぐに戻る」


 倒せない、と伝えたはずなのに、それでもジーク様は倒してくる、と仰る。

 嫌だ駄目だと必死に首を振っても、ジーク様は考え直してくれそうになかった。


「必ず倒して戻る、だから信じて待っていてくれ」

「だったら、私も行きますっ」

「それは駄目だ、魔獣が現れたらすぐに逃げる約束だっただろう」

「お約束通り、一定の距離は保ちます。魔獣に近づいて、ジーク様のお邪魔になるようなことはしません、だからせめて近くに……っ」


 ジーク様がお1人で行かれてしまうことが、何よりも怖かった。

 元の世界でお父様とお母様が事故で亡くなった時、私は2人の傍にはいなかった。

 ただ、血のついた2人の服だけを見せられて、2人の死を知らされた。

 あんな思いは、もうしたくない。


「リディア……」

「これだけは、譲れません。ジーク様は倒すと仰いました。でしたら、近くで見届けたいです」

「わかった。だが、少しでも状況が悪くなったら、先に1人で逃げるんだぞ、いいな?」


 ジーク様はどこか諦めたようにため息をつくと、私にそう言った。


「負けられない、理由ができたな……」

「えっ?」

「いや、なんでもない」


 ジーク様はそう言うと立ち上がって、再び私の手を引いて歩きはじめる。

 私は震える足に必死に力を入れて、その後をついていった。

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