第34話 皇宮医
「旦那様、皇太子殿下がお見えです」
俺にそう告げに来たのは、ルイスではなく若い執事だった。
ルイスがきちんと休んでいるということだろう。
「悪い、今立て込んでいる。後ほどこちらから行くと……」
「ごめんね、もう来ちゃった」
明るい声が響いて、思わずため息が出る。
ルイスでもなければ、俺の許可なく邸へ上がり込もうとする皇太子を止めるなど、不可能だった。
少しだけ、ルイスを休ませてしまったことを、後悔した。
「怪我をしたって聞いたけど」
「副団長か。俺は、平気だ」
尋常ではない魔獣の出現があったことを、俺の代わりにすぐに皇宮へと報告に行ってくれたようだ。
リディアの部屋で皇太子と話すというのも、おかしい。
離れがたくはあったけれど、一旦部屋を出てアレクと話そうと思ったのだが。
アレクはそのままずかずかと、リディアの部屋へと入ってきてしまう。
「彼女が、噂のリディアちゃん?」
「ああ」
「ジークを助けてくれたのは、彼女?」
「ああ」
「そう、じゃあ、すぐに皇宮医を派遣しよう」
「は?」
アレクはベッドに横たわるリディアを覗き込みながら、なんでもないことのようにそう言った。
だが、その一言は、いくら皇太子といえど、そんなに簡単に発していいものではないはずだ。
「シュヴァルツ家お抱えの医師だって優秀だろうけど、皇宮医には叶わないでしょ?」
そりゃそうだろう、皇宮医になることはこの国の医師にとっては最も名誉なことである。
医師の中でも、エリート中のエリートしか存在しない、狭き門だ。
「いい、のか……?」
派遣してもらえるなら、もちろん助かる。
だが、皇宮医はあくまで皇族のための医師であり、高位貴族であっても、通常はなかなか診察を受けることはかなわない。
「この国一番の魔法騎士の命を救ったんだ、資格なら十分でしょ?それに、どちらにしろ、ジークの怪我の治療のために、派遣させようとは思ってたし」
「助かる」
「ついでに、ジークもちゃんと診てもらってね」
「あ、ああ……」
正直、自分自身が診てもらう必要性はあまり感じてはいないが。
せっかくの提案でもあるので、とりあえずは頷いておくことにした。
「本当は魔獣のことを聞きにきたんだけど……」
「ああ、それなら場所を変えよう」
そう提案したのだが、アレクはゆるく首を振る。
「ジークも、あまり顔色よくないよ。もう少し休んで。元気になったらあらためて聞くから」
すっかり元気なつもりではあったのだが、アレクにはそうは映っていなかったようだ。
怪我も完治しているわけではないため、ありがたくその提案にのっておく。
「今日は辛そうだから、初対面は次回におあずけかな?」
再びリディアを覗き込むようにして、アレクがリディアに声をかける。
「ってことで、今日俺がここに来たこと、リディアちゃんには内緒にしといてね」
アレクはそう言うと、まるで嵐のごとく、あっという間に去ってしまった。
アレクが手配してくれた皇宮医は、午後には邸を訪れた。
未だ眠っているリディアを、丁寧に診察をしてくれているようだ。
「薬を飲んでも、もどしてしまう、ということでしたね」
「ああ、水も飲めないらしい」
「なるほど。では、点滴をしましょう」
「点滴……?」
それは、なんでもないことのように告げられたが、俺には聞きなれない言葉だった。
「はい、このような針を刺し、血管へ直接薬や栄養を流し込む事ができます」
「針を刺す、だとっ!?」
「この国では皇宮医以外はまだ行っていない医療技術ではありますが、皇族に対してすでに実施されたこともありますし、他国で実施している国もあります。決して危険なものではございませんので、ご安心ください」
「リディアに跡が残ったりは、しないんだろうな?」
「大丈夫です。痛みも針を刺すとき、少しだけちくっとする程度ですし、跡が残るようなこともございません」
「そうか、わかった」
他でもない、皇宮医のやることである、おそらくは大丈夫なはずだと頭ではわかっていた。
そうは思っても、針を刺すなどと言われると、どうしても不安になり、あれこれ聞いて確認せずにはいられなかった。
「点滴はゆっくりと落とすので、時間がかかります。待っている間、侯爵様の傷の方の診察をいたしましょう」
「リディアは、このままで大丈夫なのか?」
「はい。この薬が全てお嬢様の身体に入る頃には、お嬢様も少しは楽になっていらっしゃるはずです」
その言葉を聞いて、少しだけ安堵した。
いや、今もまだ苦しそうだから、安心はできないのだけれど。
しかし、確実に薬は摂取できそうであるのは、喜ばしい。
やはり皇宮医ともなれば、他の医師とは随分と違うようだ。
「明日もまた、参りますね」
皇宮医は俺の怪我の診察をし、なにやらよく効くらしい傷薬を塗って包帯をきれいに巻きなおしてくれた。
その後、リディアへと薬が全て入ったことを確認し、リディアに刺さっていた針も抜かれた。
少しだけ、リディアの呼吸が落ち着いて、穏やかな表情になった気がする。
熱も、多少下がったかもしれない。
「それは助かるが、そんなに頻繁に来て大丈夫なのか?」
「はい、皇太子殿下より、お嬢様が回復されるまでは通うようにと指示を受けておりますので」
アレクにあらためて、心の中で礼を言った。
1度診てもらえるだけでもなかなかない機会だというのに、通ってもらえるように指示を出してくれていたとは。
「お嬢様が回復されるまで、毎日点滴に参ります。その際に、侯爵様の包帯も取り換えいたしますね」
至れり尽くせりだな、と皇宮医の言葉を聞いて思う。
ここまでしてもらえるなんて、皇族と姻戚関係にあるような公爵家であっても、なかなかないことだろう。
アレクへの礼を何か考える必要がありそうだ、そう思いながら俺は皇宮医を見送った。
***
少し眠るように言われて、それでも眠れないだろうと思ったのに、私はすぐに眠っていたみたいだ。
わずかだけれど、ジーク様の魔力を感じる気がする。
眠れない私を、魔法で眠らせてくださったのかもしれない。
私にはそういった魔法は使えないので、確かではないけれど。
「気が、ついたか……?」
「ジーク様、ずっと、こちらに?」
ずっと傍にいてくださったのだろうか。
昨日、毒も摂取したし、お怪我だってまだ治っていらっしゃらないはずなのに。
「ああ、まあ、な……。気分はどうだ?」
「なんだか、身体が軽くなった気がします」
眠る前は、それはもう、横になっているだけでも、熱くて苦しくて仕方なかったのだけれど、今は全くそんなことはなかった。
ジーク様が眠るだけでも楽になる、とは仰っていたけれど、こんなにも違うのかと驚いている。
「さっき、皇宮医が来て点滴をしていったんだ」
「皇宮医……?」
耳慣れない単語だった。
普通のお医者様とは、違うのだろうか。
「ああ、皇宮で主に皇族の治療にあたる、この国で最も優秀な医師たちだ」
「そんなすごい方が、私を診てくださったのですか……」
「皇太子が派遣してくれたんだ、明日も来て、点滴をしてくれるらしい」
皇太子に対しては、殿下、とつけると教わったばかりだったのだけれど、ジーク様が特につけていらっしゃらないのはやはり、仲の良い幼馴染だからだろうか。
そして、そのおかげで、私はそんなすごいお医者様に診ていただけたということなのだろうか。
明日もそんなすごいお医者様に来ていただけるなんて、なんだか私までとんでもなくすごい人にでもなってしまったような気分だ。
でもそうか、なら楽になったのは眠ったからだけではなく、点滴のおかげもあるということなのだろう。
どっちの腕に針を刺したのだろう、と両腕を確認すると、左側の腕に針を刺した跡がわずかに見て取れた。
「点滴、は知っているのか?」
「え?はい、元の世界でもありましたので。注射は苦手で、よく泣きわめいてましたけど……」
「注射?」
「あれ……?ご存知ないです?」
点滴があるなら、注射もありそうだと思ったのだけれど。
そう思って聞いてみたところ、この国ではそもそも点滴は一般的ではなく、ジーク様も今日はじめてご覧になったとか。
医療も世界によって、随分と異なるみたいだ。
「ジーク様も、少しお休みになってください」
きっと本調子ではないはずだ。
どことなく、いつもより顔色も優れない気がする。
「俺なら、大丈夫だ。おまえの薬のおかげで毒の影響は全くないし、怪我の痛みもあまり感じない」
「私の薬は、解毒作用のあるものだったはずなんですが……」
痛みにはあまり関係ないはずだったのだけれど。
「だが、あの時、たった一口で毒の苦しみも傷の痛みも、ほぼなくなったが」
「基本的には薬草の効果を高める魔法だったので……解毒作用のある薬草を探しただけだったんですが、たまたま痛みを和らげる作用もあったのかもしれませんね……」
「そうか、よく効く薬だな」
「もう、しばらくは作れそうにありませんが……」
それほど効果が出ていたのであれば、とても喜ばしいことだけれど、今回の件で、いよいよ魔力はすっからかんになった気がする。
なんとも情けないことに、簡単な魔法さえ、使える気がしていない。
「痛みを和らげる作用があったとしても、怪我が治るような薬ではなかったはずです。やっぱり、ちゃんとお休みになってください」
むしろ下手に痛みを感じなくなったせいで、本当は怪我が酷いのに無理ができてしまっている可能性だって否定できない。
すると、ふうっとため息が聞こえた。
もちろん、私からではない。
「おまえはこんな状態でも、俺の心配をするんだな」
くしゃっとジーク様の手が、私の頭を撫でる。
「おまえを心配させたいわけではない。俺も自室で休むことにしよう。だからおまえもしっかり休め。まだ熱が下がったわけではない」
「は、はい」
ジーク様だって、ご自分が怪我をされたのに、私の心配ばかりされているのだけれど。
決して人のことは言えないのでは、というのは、とりあえず言わないでおいた。
翌日も皇宮医の方が来てくださって、私ははじめてお会いすることができた。
今日もしっかりと点滴をしていただいたおかげで、随分と体調もよくなったような気がする。
けれど、まだ熱が下がっていないので、ありがたいことに明日もいらしてくれるそうだ。
一緒にジーク様のお怪我も診てくださっているようで、回復力が高く順調に回復されているとお聞きして安心した。
そんなこんなで、一日中横になっていた昨日と違い、今日はベッドの上で起き上がれるまでになったのはよかった、よかったのだけれど……
「リディア……っ、心配したのよ!!」
「ぐえっ」
私が体調を崩したと知ったパパとママが、お部屋に突撃してきた。
苦しいほどの力で、ママがぎゅうぎゅうと私を抱きしめている。
前回体調を崩した時は、こんなことなかったのに……今回の方が心配かけたということなんだろうか。
「ジークったら、リディアが体調を崩しても教えてくれないんだものっ」
ママが怒っていて、パパとママの後を追って、慌てて私の部屋に来たらしいジーク様は、ちょっとばつが悪そうにしていらっしゃる。
「たまたま皇宮に用があってね、そしたらシュヴァルツ家に皇宮医が派遣されたっていうから、驚いて」
「てっきり、ジークが怪我でもしたんだと思ってお見舞いに来たら、リディアが高熱で倒れたっていうじゃないっ!もう、驚いたわよっ」
そう言ったママの視線は、怒ったようにジーク様を見ている。
ジーク様が怪我をされたというのも、間違ってはいないんだけど、なんてとても言える状況ではない。
珍しく、ジーク様がものすごく肩身が狭そうだ。
「すみません、ご心配をおかけしない方がよいかと思い……」
「心配くらいさせてちょうだいっ!!私たちは、親なのよ!!」
「ま、ママ、落ち着いて?私も、心配かけたくないなって思ってたし、そんな、たいしたこともないから」
「たいしたことは、あるだろう?」
パパがそう言うと、私の額に手をあてる。
「ほら、まだ熱い。熱があるんだから、十分たいしたことはあるし、心配だよ」
「う、うん、ごめんなさい……」
ママもパパも、本当に心配してくれてるのがひしひしと伝わって、なんだかとても申し訳ないような気持ちになった。
「これが、はじめてじゃないんですって?あなたのメイドに聞いたわ」
「えっと、その……」
「次からはちゃんと教えてちょうだい、ね、ジーク」
「わかりました」
伝えるのは、私の役目ではないみたいだ。
でも、私だって、そんな頻繁に体調を崩す予定もないのだけれど。
もう無理して魔法を使えるだけの魔力もないので、魔法を使って疲れる、なんてこともしばらくはできそうにない。
「そうだ、お見舞い持って来たんだよ」
パパはそう言うと、どんっと大きな籠を置いた。
中に色とりどりの果物が入っている、どれもとてもおいしそうではあるのだけれど。
「それ、ジーク様に持ってきたんじゃないの?」
だって、ジーク様が怪我をしたと思ったから、ここに来たといっていたはずだ。
「たくさんあるからいいのよ、リディアとジーク、二人分よ!」
なんだかジーク様から奪ってしまったような気分だけれど、ジーク様はあまり気にしてなさそうだ。
むしろ、全て私に渡してしまってよい、と言っている。
とはいえ、全部貰うのは、それはそれで食べきれなくて困ってしまいそう。
「リディアはどれが食べたい?厨房でカットしてもらってくるわ」
「え、えーっと……」
あまりにたくさんあって、正直選べない。
「リンゴなんてどうかな。僕が小さい頃は、熱を出したとき、よくすりおろしてもらって食べたよ」
「あら、それいいわね!すぐにやってもらってくるわっ!」
私が決めかねていると思ったのか、パパがおすすめしてくれて。
ママがリンゴを持ってすごい勢いで飛び出してしまった。
「せっかくなら、全部厨房に置いてくればよかったのにね」
残されたたくさんの果物を見て、パパが笑いながらそう言った。
「リディア、はい、あーん……」
なんだろう、デジャブを感じる。
ジーク様、ユースお兄様ときて、今度はパパだなんて。
「パパ、あの、自分で……」
「ユース君がやってるの見て、羨ましいなって思ってたんだ、はい、あーん!」
なんだろう、遠まわしに、ユースお兄様のは食べたのに、パパのは食べないのか、と言われているような気がする。
私、一応15歳なのだけれど、見た目のせいでつくづく忘れ去られてしまっているような気がしてならない。
「ねっ、パパ、次は私にもやらせて?」
「いいよ!ほら、リディア、僕の次はママだよ。早く、あーん!」
これは、逃げられそうにないみたいだ。
私は覚悟を決めて、口を開ける。
すると甘酸っぱい味が口の中に広がった。
すりおろされたリンゴは、食事をとれていなかった私にとって、さっぱりしていてすごく食べやすかった。
パパが熱を出した時によく食べたというのも、よくわかる。
「じゃあ、次は私ね!リディア、あーん!」
これさえなければ、本当にものすごく食べやすかっただろうに。
私は、そう思いながら、恥ずかしさに耐えながら、また口を開けた。
「じゃあ次はまた僕ね、はい、あーんっ!」
そんな感じで、ママが持ってきたすりおろしリンゴがなくなるまで、二人は交互に私の口にリンゴを運んでいた。
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