第35話 皇太子との初対面


皇宮医というすごいお医者様に数日通って治療していただいたおかげで、私はすっかり熱も下がって元気になった。

ジーク様のお怪我も、すっかり回復されたようだ。

ただ、傷跡は残ってしまったようなのだけれど、ジーク様は騎士とはそういうものだと仰って、あまり気にしていない。

そうして、再びジーク様と朝お散歩をしたり、剣術の訓練をしていただいたりできるようにもなったのだけれど、私はちょっとだけ困ったことになっている。


「お嬢様、もう起きられる時間ですが、まだお休みになりますか?」


剣術の訓練が終わってからの、お昼寝もいつも通りなのだけれど。

今までと同じくらいの睡眠時間では、足りなくなってしまったみたいだ。

とても眠くて、なかなか起きることができない。


「ごめんなさい、まだ、眠くて……」

「大丈夫ですよ、お嬢様。何か予定があるわけではありませんので、もう少しお休みください」


ミアさんが、優しくお布団を掛けなおしてくれているのを感じながら、私はそのまま再度夢の中へ旅立ってしまった。

と、いっても、実際は夢なんて何も見てはいないのだけれど。


そして、眠いのは剣術の訓練の後だけではなくて。


「お嬢様、少し早いですが、今日はお休みになりますか?」


夜、いつも眠りにつく時間よりも、数時間早く眠くなってしまう。

それこそ、夕食を食べてからあまり時間が経ってはいないので、牛さんになってしまいそうだ。


「でも、まだ……」

「眠いのでしたら、お休みになられた方がよいですよ」


ごしごしと目をこすっている私を見て、ミアさんがそう声をかけてくれる。

だめだ、まだ起きていなければ、と思うのに、瞼はどんどん落ちてきていて。

そんな私を、ミアさんはすぐにパジャマに着替えさせてくれていて、私はたぶんその途中で夢の中に旅立ってしまった。

やっぱりというか、夢は全く見ないほどの熟睡だった。


何より困っているのが、こうしてたくさん睡眠を取っているにもかかわらず、日中も眠いような気がするのだ。

気を抜いたら、1日中寝てしまうのではないかと、我ながら心配になってしまう。


「フィーネ、これってやっぱり……」

『魔力がほとんど空っぽだからじゃない?』

「魔力が空っぽになると、眠いだなんて聞いたことなかった」

『空っぽの状態で何日も過ごすような魔術師、きっと他にいないもの』


そうか、前例なんてあるはずもないか。

さすがにこうなる前に、普通の魔術師なら魔力が回復しているはずである。


「これ、そのうち、慣れるかなぁ……」

『さぁ?』


前例がないことは、さすがの精霊にも予測できないみたいだ。






「最近、眠そうだな」


今日は剣術の訓練の日。

いつものようにジーク様と訓練所に向かう道中で、何度も目をこすってしまったのがよくなかったのかもしれない。


「だ、大丈夫です」

「だが、最近昼寝の時間も長いし、夜もかなり早く寝ているのだろう?それなのに、朝はなかなか起きられないと聞いたが」


私の状態は、逐一ミアさんによって報告されてしまっているようだ。

ひょっとすると私より私の状態に詳しいんじゃないか、なんて思ってしまう。


「寒くなってきたから、でしょうか」


寒いと眠くなる、みたいな話、なかっただろうか。

最近めっきり寒くなって、お洋服もふわふわもこもこした、あったかいものを着せてもらうことが多くなった。

今日も剣術の訓練だというのに、寒くないようにと耳あてに手袋にマフラーまで。

ミアさんによって、動きをあまり制限しない範囲で、しっかりともこもことした格好になっている。


「それだけ、か?」

「え?」

「いや、いい」


風が吹いて、少しだけ乱れて顔にかかった髪を、ジーク様がそっと払ってくださった。

ジーク様、今一瞬、何か言おうとして、止めてしまったような気がする。

そう思ったけれど、気のせいかもしれないとも思って、お聞きすることはできなかった。




「皇太子殿下だ」

「ホントだ、なんでこんなところに?」

「何か、あったのか?」


木剣を持って、いつものように訓練をしようと思った時だった。

騎士様たちが急にざわざわとし出して、私は皆さんの視線を追った。


「あれが、皇太子殿下……?」


キラキラの金色の髪をなびかせるお姿は、まるでおとぎ話の王子様のようだ。

ジーク様とはまた違うけれど、この人もとても美しい、とそう思う。


「えっ」


皇太子殿下のルビーのようにキラキラした赤い瞳が、私の方を見た。

すると、皇太子殿下はにっこりと笑って、そのまま私の方へと向かってくる。

いや、もしかしたら私ではなく、私の後方に何か皇太子殿下の目的のものがあるのかもしれないけれど。

後ろを振り向いてそれを確認する余裕が、今の私にはなかった。


「はじめまして、リディア・エルロード子爵令嬢」

「えっ」


子爵令嬢、だなんて呼ばれたのは、はじめてで、まるで自分のことではないような気がした。

そして、私のその名前を、皇太子殿下がご存知だなんて驚きである。


「あれ?違ったかな?」

「い、いえ、あ、あって、ます……」


なんだかものすごく緊張して、声が震える。

どうして私は、皇太子殿下なんていう身分の高い方と、お話しているのだろう。


「よかった。俺は、アレクシス・リンデンベルク、一応この帝国の皇太子なんだ、よろしくね」


一応ってなんだろう、一応も何も皇太子は皇太子でしかないような……

そう思っていると、皇太子殿下は恭しく私の手を取り、手の甲にキスをした。

まさに王子様そのもの、といった行為で、王子様って本当にいるんだな、と思う一方、慣れていない私はただただ顔が熱くなる。


「おい、何しに来た?」


気づけば、すぐ傍にジーク様がいらした。

お声が、いつもより数段低く聞こえる気がする。

でも、ジーク様がお傍にいてくださるのは、今の私にとっては非常にありがたい。


「ジークにちょっと相談があってね。こっちに居るって聞いたから、来ちゃった。リディア嬢にも、会いたかったし!」

「わ、私、ですか……?」


皇太子殿下に、会いたいと思われるようなこと、何かあっただろうか。


「あっ、お医者様っ!」

「ん?ああ、皇宮医の件かな?」

「は、はいっ、その、お礼をお伝えできてなくて、ごめんなさい……っ」


慌てて頭を下げると、くすくすと笑われてしまった。

何か、おかしいことしてしまっただろうか。


「ごめんね。でも、別にお礼を催促に来たわけじゃないから」

「え?」


どうやら、皇宮医の方を派遣していただいた件では、なかったみたいだ。


「ただ、噂のリディアちゃんにご挨拶したかっただけだよ」


今度はパチンとウインクをされて、どこまでも王子様らしい王子様だなと思った。


「ジーク、ちょっと話せる?可能なら、リディア嬢にも聞いてほしいんだけど」

「俺は構わないが……」


ジーク様が、問いかけるように私の方を見た。


「わ、私も、大丈夫ですっ!」


というか、皇太子殿下に対して、お断りなんてしてはいけない気がするし。


「なら、場所を変えよう」


ジーク様はそう言うと、私の木剣を奪って片づけに行かれてしまった。

自分でちゃんと片づけられるのに……


「ふーん……なかなかおもしろいものが見れちゃったなぁ」


皇太子殿下は、なんだか楽しそうにそう仰った。






***


「で?」


応接室のアレクと向かい、早々に用件を聞き出そうとした。

俺だけならまだしも、リディアまで呼び出すなんてろくな内容ではない気がする。

リディアも断ればよいものを、断ってはいけないと思ったのだろう、律儀に承諾してしまった。


「あー、うん……ちょっとだけ、待ってくれる?」


アレクはそう言うと、メイドの動作を追っている。

茶の準備をしているメイドが、出ていくのを待っているようだ。

一方、リディアはそわそわとしながら、俺とアレクを交互に見ている。


「念のため、誰にも聞かれないようにして欲しいんだけど」


メイドが部屋を出るや否や、アレクがそう言った。

自分でやれ、と思わなくもなかったが、とりあえず部屋に魔法で鍵をかけ、さらに防音の魔法で部屋を覆った。


「これでいいか?」

「うん、ありがとう」


満足そうにそう言うと、アレクは茶を一口啜る。


「落ち着いて聞いてほしいんだけど……、東方騎士団の団長を含む精鋭の騎士たち一行が、全滅したそうだ」

「は?」

「これはまだ、公にしていない情報なんだけど……」

「待て!それをリディアに聞かせる必要が、どこにある!?」


騎士たちが全滅、と聞いただけで、すでにリディアの顔色は真っ青だった。

他の騎士団の情報を公表前に中央騎士団の団長である俺に話しに来たならわかるが、子爵令嬢という立場でしかないリディアに話すのはおかしい、これ以上聞かせる必要もない。


「確かに、まだ15歳の令嬢に、聞かせる話じゃないかもしれない」

「だったら……」

「でもっ!僕は、彼女の力も、できるなら借りたいと思ってる」

「何を……っ」

「わ、私ならっ、大丈夫ですっ!お話お聞きしても、問題ないなら……その、お役に立てるかは、わかりませんが……」


勝手なことを、と思ったが、アレクの瞳は真剣そのもので。

だからなのかもしれない、リディアもまた真剣な表情で、真っ直ぐにアレクを見つめていた。


「ありがとう、感謝する」


本当は巻き込みたくなどないのだが、アレクのことも信頼はしている。

本来はむやみに無関係な令嬢を巻き込んだりしないやつだ、皇太子として最善を考えた結果なのだろうというのはわかる。

だからこそ、内心非常に複雑だった。


「話を戻すけど、全滅した理由は、魔獣の出現だそうだ」

「魔法騎士がいて、倒せなかった、ということか?」

「ああ、報告ではたった1匹の魔獣に、全滅させられた、と……」

「なっ!?」


魔法騎士であれば、魔獣の相手をすることはよくある話だ。

精鋭ばかりの隊がたった1匹に倒されるなど、通常であれば考えにくい。

だが、最近、中央で似たようなことが、なかったわけでもない。


「団長含め、誰の攻撃も通用しなかったらしい。戦力外で先に退避することになった弱い騎士からの報告だから、もしかしたらその後魔獣が増えてた可能性も否定はできないけれど」

「先日、俺が倒した魔獣も、俺以外の騎士の攻撃はまるで通用してなかったな……」


俺の攻撃はかろうじて通用し、倒すことができたが、俺以外の精鋭のみで編成されていた場合、こちらも全滅していた可能性は否定できない。

同じくらい強い魔獣が、東方にも出たのかもしれない。


「うん、だから、ジークレベルの魔法騎士でないと倒せない魔獣が、あちこちで出始めているんだと思うんだ」

「あ、あの、ジーク様くらいの魔法騎士の方って、他にもいらっしゃるんですか?」


リディアが不安そうに瞳を揺らしている。

確かに、簡単に倒せない魔獣があちこちで現れだしたなど、平然と聞ける話ではないだろう。


「それが、残念ながら全くいないんだ。ジークの次ってなると俺の知る限り、ジークのお父上だけど、さすがに引退した魔法騎士を引っ張り出す気はないしね……」

「そう、なんですか……その、急に増え始めた原因って、何か、あるんでしょうか?」

「あるとは思う、でもわかっていない。だからジークに、東方の魔獣を討伐しに行ってもらって、ついでに原因を探ってきてもらいたいと思ってる。できれば……、リディア嬢と一緒に」

「ふざけるなっ!!」


思わず怒鳴り声をあげたのだが、アレクには想定内だったようだ。

決して、自分が怒鳴られたわけではないのにもかかわらず、怯えた様子のリディアとは対象的に、アレクは涼しい顔をしている。


「私、ですか……?」

「聞かなくていい。そんな危険な場所におまえを連れて行く気はない。俺1人で行けば、問題ないだろう」


俺は、アレクを睨みつけるようにそう言った。

これが皇太子としてのアレクの決断だとはいえ、聞ける話ではない。

そもそも、リディアはほぼ魔法を使えない状態だろう。


「この前の魔獣、ジークは確かに倒せたけど、無事だったわけではないんだろ?」

「それは、他の騎士たちが居たからだ。1人であれば、問題はなかったはずだ」


他の騎士を庇うことになったからこそ、怪我を負い、毒にやられたにすぎない。

最初から1人であれば、何事もなく倒せていた自信はある。

何より、今回リディアを連れて行ったところで、この前と同じサポートを期待できるわけでもない。


「お役に立てることがあれば、一緒に行くのはかまいません」

「リディアっ」


リディアの言葉に、アレクは満足そうに笑っている。

その笑顔が、非常に腹立たしく感じる。


「でも、今の私では、ジーク様の足手まといにしかならないと思います」


続いたリディアの言葉に、ほっとした。

無理してついて来るつもりなど、リディアにもなかったようだ。


「それはどうして?」

「私は、しばらく、簡単な魔法も使えないかと……」

「魔力回復なら、魔力供給できる人間を集められるよ?1人では全て回復させられなくても、何人かで魔力を供給すれば……」


アレクの提案に、リディアはふるふると首を振った。


「私の魔力は、他人では回復させられません……」


アレクは、確認するように俺を見た。

視線で本当か、と問いかけれているようだったので、頷いて応えた。


「じゃあ、自然に回復するのを待つよ。あと何日くらいあればいいかな?」

「おそらくそれも無理だ、早くとも数年後、とかそんな単位らしい」

「は?」


アレクはさすがに驚いているようだ。

異世界から来た、という話はしていたが、こういう話は伝え忘れていたようだ。


「ジークがリディア嬢の魔力を回復させないのは、ジークの魔力でも足りないとかそういう話なんだとばっかり……」


だから、とりあえず一時的魔力を使い切っても大丈夫そうな魔法騎士や魔導士を集めて、魔力をありったけ注がせて解決しようと思ったんだけど、と皇太子にしてはわりと物騒なことを平然と言ってのけた。

リディアもかなり驚いている。


「ごめんなさい、だから、何もお役に立てることは……」

「それでも、行って欲しいと言ったら、行ってもらえる?」

「えっ?」

「アレクっ!いいかげんにしろっ!!」


怒りに任せてテーブルを叩いてみたところで、怯えるのはやはりリディアだけだった。

アレクは、憎たらしいほど涼しい顔をしている。


「彼女の知識は、何か役に立つかもしれないだろ?」

「魔法が使えない状態で連れていくなど、危険すぎるだろうっ!」

「これだけの精鋭の魔法騎士が、魔獣に全滅させられるなんて、この国の歴史上なかった未曾有の事態だ。だからこそ、彼女が持つ他の世界の知識が、有用かもしれないと思っている」

「必ずそう、とは限らないだろ」

「でも、少なくとも、ジークよりも魔力も剣術も弱くて、何一つジークより秀でたところがない騎士を連れていくより、可能性はあるだろ?」

「おまえ、結構ひどいこと言うな」


剣術や魔力に関しては負けているとは思っていないが。

他の騎士たちにも、何かしら俺より秀でた面がある可能性は考えないのか。


「こういう時に、変に気を使ってもしょうがないだろ」


事実なんだから、とアレクは特に後ろめたさ等感じていなさそうだ。


「俺は君が持っている、異世界の知識に賭けたい。ダメだろうか……?」


リディアはなぜか、非常に驚いてこちらを見た。


「あ、あの、私のこと、ご存知、なん、ですか……?」


ああ、リディアには言ってなかっただろうか、アレクに伝えていたことを。

リディアにはあまり他言しないように言っておきながら、俺ばかりあちこちに広めすぎたかもしれない。


「すまない、以前、アレクには伝えていたんだ」

「あ、ジーク様がそうしてよいと判断されていたなら、大丈夫ですっ」


それなりに信頼はしてくれているようで、リディアはあまり気にしていないようだ。

むしろ、気にしないでほしい、と必死に訴えてくれている。

後は、リディアが断る返事を待つだけだ。

いくらアレクが皇太子という立場でも、15歳の少女にこんな危険なことを無理強いはしないはずだと信じている。

リディアさえ無理だと答えれば、きっと諦めてくれるはずだ。

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