第33話 解毒の効果
かつてないほど強力な力を持つ魔獣に遭遇した。
相手はたかが一匹だというのに、こちらの騎士団の手練れを次々と倒していく。
だが、不幸中の幸いといったところか、俺の攻撃だけは通用するようだ。
「おまえら、全員足手まといだ!動けるものは、怪我をしたものを支え、全員で退避しろ」
ここは、俺1人でなんとかする、とそう叫ぼうとした時だった。
怪我で動けない騎士の1人に、魔獣の爪が刺さろうとしていた。
「危ないっ!」
思わず、騎士を庇ったが、同時にその爪が食い込むように背中に刺さった。
先ほどまでの魔獣の攻撃とは、何かが違うような気がした。
だが、今は団員たちを逃がすのが先である。
「団長っ」
「俺は平気だ、早く行けっ!ここは食い止める!」
傷は決して浅くはないが、戦えないほどではない。
そう思って剣を構えなおした。
だが、それは長くは続かなかった。
「これは、毒か……」
団員たちが全て逃げたのを確認し、はじめてそれに気づいた。
動きが鈍り、身体が重く、苦しい。
動けば動くほど、毒がまわっているようだ。
この戦い、長引けば長引くほど勝ち目はない、そう思い、魔力の塊をぶつけるようにして、一気に魔獣を倒し切った。
しかし、同時に俺も身体がいうことを聞かなくなり、膝をつく。
なんとか邸に戻らねば、そう思うが、怪我の痛みも、毒による苦しみも、時間とともに増すばかりだった。
このまま自分は生を終えることになってしまうのだろうか、そう思った時、なぜかそこにいるはずのないリディアの声が聞こえた。
「大丈夫です、ジーク様」
その言葉は、本当なら俺が言ってやりたいのに。
安心させてやりたいと思うのに、上手く喋ることもできない。
すっかりいつもと逆だな、と自嘲することすらできそうになかった。
どうやら、リディアは転移魔法を使って来たようだ、というのがわかったのは、リディアの転移魔法によって俺が邸に運ばれてからのことだった。
「毒がまわってしまうと危険です、ジーク様の魔力で、体内の毒を抑え込んでください」
リディアがそう言うと、俺に魔力を流してきた。
心地よいリディアの魔力が、俺の魔力を導いていく。
それによって自身の毒を、どうすれば抑え込めるのかはわかった。
だが、実際やってみると、それは思っていたよりも苦痛を伴うもので、情けなくもうめき声をあげてしまう。
同時に、リディアの顔が悲しそうに歪む。
おまえのせいではないから、そんな顔をしないでほしい、そう言ってやりたいが叶わない。
俺にその時できたのは、ただリディアに言われるがままに、少しでも毒のまわりを抑え込んで遅らせることくらいだった。
***
「戻ってきたっ!」
使い魔の姿が、遠くから徐々にこちらへ向かっているのが、視認できるようになった。
そのくちばしには、しっかりと薬草をくわえているようだ。
「よかった、ちゃんと見つかったんだ!」
ならば、こちらも準備をしないと。
「ルイスさんっ、コップ貸してください!できれば水が入ってるといいんですが……」
そう言うと、ルイスさんはガラスコップに水を注いで渡してくれた。
「こちらで、大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます!」
私はお礼を言うと、ちょうど室内に戻ってきた使い魔に駆け寄って、薬草を受け取る。
それをさっきのガラスコップに入れ、目を閉じて、ゆっくりと魔力を流し込む。
すると、コップが青白い光を放って、薬草が全て水に溶けた。
そこにあるのは、一見ただの透明な水にしか見えない。
けれど、これで強力な解毒薬になったはずだ。
「ジーク様っ」
私は、今も毒を抑え込んで苦しげなジーク様に駆け寄る。
「くっ、う……っ」
苦しそうなお声を聞いていると、私まですごくすごく苦しい。
だから、早く、楽になってほしい……
「ジーク様、お願いします、これを飲んでください」
そう言って、コップを渡そうとしたのだけれど、苦しそうなジーク様はとてもではないけれど、これを受け取って飲み干すことなんてできなさそうだ。
「お嬢様、私が旦那様に飲ませましょう」
「お願いしますっ」
困り果てていた私に、ルイスさんの言葉は非常にありがたいものだった。
コップを手渡すと、ルイスさんはジーク様に近づいて、ジーク様の身体を抱えて起こす。
それから、コップを口元に持っていくと、ゆっくりと水を流し込んだ。
ほんの少しだけだったけど、ジーク様の喉がこくりと動いて、飲み込めたのがわかる。
同時に、ジーク様の顔色がみるみるとよくなっていく。
その光景を見て、私はようやくほっとした。
「旦那様、大丈夫なのですか……?」
「ああ」
ほんの少しでも、効果は絶大だったようで、ジーク様は支えられていたルイスさんの手から抜け出し、ご自分で身体を起こして支えていらっしゃる。
「随分とすっきりしている」
非常に驚いたご様子で、ジーク様はそう仰った。
それは非常に喜ばしいのだけれど、安心してはいけない。
「ちゃんと、全部飲み干してください!あと、朝までは念のため安静に。朝には全ての毒が消えているはずです!」
「あ、ああ、わかった」
ジーク様はどこか不思議そうにしながらも、ルイスさんからコップを受け取り、残りを全部飲み干してくださった。
それを見て、もう安心だと思ったその瞬間、私の全身から力が抜けるような感覚がして、私はその場にへたりこんでしまった。
すっかり気が抜けてしまったみたいで、身体に上手く力が入らない。
「お嬢様っ!」
「リディアっ!!」
「だめ、です、ジークさま……どうか、あんせい、に……」
ベッドから出て、私の方へ来ようとするジーク様を、私は必死に止める。
たとえ、先ほどより楽になっていたとしても、朝までは決して安心できないのだ。
「今は俺よりも……っ」
「旦那様、どうかお嬢様の仰る通りに。お嬢様は私が」
ルイスさんがそう言うと、ジーク様はそれ以上動こうとはなさらなかった。
その様子を見て、ほっと息を吐く。
「熱が高いようですね」
ルイスさんの手が、おでこにあてられた。
冷たくて、とても気持ちいい。
「お嬢様も、お部屋でお休みください」
「ルイス、すぐに医者に診せろ」
「もちろんでございます」
ジーク様とルイス様の会話が、徐々に遠くなるような気がした。
ふわり、と身体が浮かんで、そのまま私の身体はルイスさんの腕の中におさまった。
「まほう?」
「ええ、簡単な浮遊魔法ですよ」
私はどこかぼんやりとしながら、ルイスさんにお部屋に運んでもらった。
***
朝には毒が消えている、とリディアが言っていた通り、朝にはすっかり身体は軽くなっていた。
毒が消えただけではない、怪我自体は治りきっていないはずだが、どこか痛みも和らいだ気がする。
「これが、リディアの薬の効果か……」
恐ろしい力を持っているものだ、これなら元の世界でかなり重宝されるか、もしくは取りあいでも発生したのではないだろうか。
リディアからは、そんな様子を感じたことはなかったけれど。
「旦那様、おはようございます」
起き上がるとすぐに、ルイスが部屋を訪れた。
だが、ルイスの表情はどこか冴えず、疲れ切っているようにも見える。
「リディアは?」
「それが……」
リディアの様子を聞けば、ルイスの表情がますます曇る。
嫌な予感しかなかった。
俺は舌打ちをして、そのままリディアの部屋へと向かった。
「リディアはっ!?」
ノックすら忘れて飛び込んだため、ミアが驚いたようにこちらを見ている。
その向こうに、ベッドに横たわり、荒い息を吐き続けているリディアが見えた。
ミアがタオルを氷水で冷やし、こまめにリディアの額を冷やしてやっているようだ。
きゅっと絞られたタオルが額に乗せられると、ミアは自身が座っていた場所を俺に譲った。
「リディア、大丈夫か?」
意識を失っているわけではないようだが、ぼんやりとして焦点はあっていないようだ。
俺の問いかけににも返答はなく、ただ、荒い息遣いだけが聞こえる。
額に触れたくて、タオルを少しずらそうとすると、先ほど額にのせたばかりのはずなのに、もう冷たさは失われていた。
「熱い、な……」
額に手をあてると、自身のそれよりもかなり熱いように感じる。
俺はタオルを氷水に浸してもう一度冷やし、きつく絞ってから、リディアの頭にもう一度のせてやった。
「じーく、さま……」
リディアの視線が、ようやく俺を捉えたらしい。
「お、から、だ……」
荒い息の合間に、リディアが呟いたのはそれだけだった。
これだけ苦しくとも、俺の身体を心配するのか。
「俺は大丈夫だ。おまえの言う通り、朝には毒も消えたし、傷の痛みも和らいだ」
「よ、か……っ」
リディアは一瞬、わずかに笑みを見せたようにみえた。
けれど、すぐに表情も息遣いも苦しげなものへと変わってしまう。
「医者には診せたのか?薬は?」
「おそらく過労による発熱だろうとの事です。薬は、その……」
ミアに問うたつもりだったが、いつの間にかそばにいたルイスが答えた。
「昨日の夜も、今朝も、飲んでいただこうとしたのですが、全てもどしてしまわれて」
「お水すら、飲んでいただけないのです。全てもどしてしまわれるので、余計に体力を消耗してしまう状態で……」
ルイスとミアから聞かされるリディアの状態は、予想以上に深刻だった。
薬も水も飲めないとなると、どうすればよいというのか。
「それと……」
「まだ、なにかあるのか?」
「おそらく熱が高いせいかと思うのですが、昨日からお眠りになれないようで……」
「なっ!?なぜそれを昨日のうちに言わないっ!?」
朝までずっとこの状態で苦しみ続けていたのか、眠ることさえ叶わず……
俺は、思わずルイスを怒鳴りつけた。
わかってはいるのだ、リディアがこうなったのはおそらく俺のために使った魔法のため。
そして、そのリディアが昨晩何より願っていたのが、俺が朝まで安静にしていることだった。
他でもないここまでしたリディアのために、ルイスはリディアが望まないことはしなかったのだろう。
「申し訳、ございません」
「いや、いい。俺こそすまない。それを知っているということは、おまえも寝ていないのだろう、少し休め」
「ですが……」
「ルイス」
「承知いたしました。少し仮眠をとらせていただきます」
ルイスは一礼すると、リディアの部屋を後にした。
普段、こういった際になかなか休もうとはしないやつだが、いいかげんいい歳だ。
この状態で休めるかはわからないが、少しでも休んでいてほしい、そんな思いで俺はルイスを見送った。
「リディア、少し眠ろう。眠るだけでも、少しは楽になるはずだ」
薬を飲めれば一番いいが、もどしてしまっては余計に辛いだけである。
俺の毒を消し、痛みまで和らげたリディアに対し、俺ができるのはせいぜいリディアを眠らせること。
リディアも常々魔法は万能ではないと言っていたが、こういった場合はそれをひしひしと実感させられる気がする。
本当に、肝心な時に、何もできず、ただただもどかしい。
「くす、り……」
「うん?」
「ごめ……な……」
「薬を飲めなかったことか?だったら気にしなくていい」
リディアから、生理的な涙が流れ落ちる。
その涙を拭おうとリディアに触れると、涙も塗れた頬もやはり熱かった。
眠ることで少しでも回復するといいのだが、そう願いながら俺は魔法でリディアを眠らせる。
しかし、深く眠らせてみても、リディアの苦しげな荒い息は、そのままだった。
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